岡田斗司夫と宮崎哲弥と藤井聡

大阪の朝日放送が制作している『正義のミカタ』という国際で派報道バラエティ番組があり、多分、東京以外では全国ネットで放送されていると思いますから、この番組を知っているという人も多いのではないかと思います。

東野幸治さんが司会でほぼ中央やや向かって右寄りに立っており、画面右側にはほんこんさんなどのタレントの人たちが市井の声の代弁者みたいな立場で、画面左側には様々な分野の専門家が座り、その専門家の人たちから毎回3,4人が画面中央に出てきて、それぞれの分野の関連するニュースを解説するわけですが、「専門家」にとっては公開処刑とまでは言わないまでも、話し方が下手だとほんこんさんにヤジられ、内容が甘ければ宮崎哲弥さんに鋭く指摘され、行儀が悪ければ東野幸治さんに怒られる、それがほぼ全国ネットで生放送で流されるという、かなり緊張を強いられるであろう構成になっています。

大体、宮崎哲弥さんの鋭い指摘とほんこんさんの市井を代表するヤジで番組が回っているという感のある番組なのですが、更に京都大学大学院教授というとてつもない肩書を持つ藤井聡さんが宮崎さんの隣に座り、ご意見番的な立ち位置にいて、ちょっと前までは岡田斗司夫さんが専門家よりも詳しいのではないかと思えるほどのミリオタぶりを発揮し、実に細かい説明をする上に、イギリスのEU離脱を予言し、トランプ大統領の当選まで予言するというツワモノで、本来なら脇役、またはちょい役的なスパイス的な感じで番組に来ているはずの岡田斗司夫さんの発言に興味がそそられるというおそらくは番組の制作サイドでも想定していなかったであろう、おもしろい状況が生まれていたのですが、その岡田斗司夫さんが番組に登場しなくなりました。岡田さんの定位置には元オール巨人の弟子で今は弁護士という、特殊な経歴を持つ方が座るようになっています。

当初は、まあ、岡田斗司夫さんが出ない日もあるでしょうよという程度に思っていたのですが、全く出てこなくなった、ああ、外されたのか…ということが分かってきたというか、私の分析力が甘くて、今まで外されたことにも気づかなかったわけですが、まず間違いなく外されたのだろうと現状では言えるわけです。あんなにコメントがうまい人がなぜ外されるのだろう、前の方がおもしろかった…と私は思ったのですが、藤井聡教授が岡田斗司夫さんのことを腹の底から嫌いらしいことには私は気づいており、それは岡田斗司夫さんがプレゼンターとして中央で話した回で岡田さんが藤井教授に話を振っても一切無視するという分かりやすい態度をしていたから、そう思えるのですが、そういった人間関係が作用したのではないかという気がしないでもありません。

岡田斗司夫さんは、派手な異性関係がネットで暴露され、そのことについては宮崎哲弥さんは、宮崎さん自身がそもそもサブカル的な方面にも詳しい人ですから岡田斗司夫さんに対する理解はあったように思え「まあ、それはそれ」みたいな感じの反応をしているように見えたこともあったのですが、藤井教授としては、そういった浮ついた感じが赦せないと思ったのかも知れません。或いは異性関係のことはなくても、サブカルで飯を食ってる雰囲気が最初から気に入らないとかそいうこともあったのかも知れません。想像するしかないですが。

私が岡田斗司夫さんのことを心配する必要はないのですが、痩せればかっこいいので、前みたいにもう一回ダイエットしたほうがいいのではないかと思えてなりません。

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台湾近現代史22‐昭和7年の主要東京映画館封切記録

日本時代に台湾で結成された台湾シネリーグという映画愛好家のサークルが発行する『映画生活』の昭和7年12月29日号を読んでいて、ちょっと珍しいと思えるものを見つけることができました。「主要東京映画館封切記録」というものです。当時、どんな映画が東京で公開されていたかを知ることができるわけで、台湾研究の資料としても利用可能と思いますが、当時の日本、東京について研究する資料としても或いは利用可能、もちろん映画史研究にも利用可とも思います。台湾で生活する日本人の多くは、きっと東京の情報がほしいと思ったに違いありませんから、こういうのを読みたがったでしょうけれど、台湾人にとっても当時の東京は憧れというか、いわゆる花の都ですから、東京の情報をほしいと思った人は多かったのではないかと思います。

公開作品が羅列されているだけのページなのですが、ちょっと、どういったものが公開されていたかを見てみたいと思います。

9月15日
パ社 『ハリウッドは大騒ぎ』(「パ社」とはパラマウント社のことではないかと推測できます)
不二 『金色夜叉』(不二という映画会社があったようです。私は知らないんですが…金色夜叉とは現代人からみてかなりシブイ感じがしなくもないですね…)

9月22日
パ社『我らは楽しく地獄へ行く』
WB社『ブレナー博士』(「WB社」とはワーナーブラザースのことではないかと)

9月29日(又は30日)←原文のママです
パ社『歓呼の罪』
FOX『貞操切符』(なんつうタイトル…)
MGM『間諜マタ・ハリ』(お、出ました。名前だけは知っている。マタハリの映画ですね)
WB『マネキン英雄』
松竹『恋の東京』
東活『侠客忠臣蔵』(年末にはちょっと早いのでは…?)
河合『微笑む東京』『お江戸裏町』

10月6日
パ社『明日は晴れ』
WB『ヴェニスの夜』
UA『ロビンソン・クルーソー』
日活『1932年の母』『浪人しぐれ笠』
不二『もだん聖書』

10月13日
パ社『今晩は愛して頂戴ナ』(は、はれんちな…)
FOX『ほ々えみの街』
WB『二秒間』
独ネロ『アトランテイド』(やっぱ、ドイツ表現主義みたいな感じの映画なのでしょうか)
松竹『青春の夢いまいづこ』
日活『天晴れ、三度笠』『白夜の饗宴』

10月20日(又は22日)←原文でこうなっています
FOX『黒い駱駝』
松竹『女は寝て待て』(ん?意外と人生の真理だったりする?)
日活『無軌道市街』
河合『親分子分』『下宿屋の娘』(漱石のこころみたいな感じなんでしょうか)

などなど。

知らない作品ばかりです。字がつぶれてしまって読めないものや、ちょっと大変でここに書ききれなかったものもありますが、全体ではこの二倍以上の作品が羅列されています。時代的にはもしかしたら最先端のものでトーキーもあったかも?くらいでしょうか。チャップリンの最初のトーキーが『独裁者』で、これが1941年ですから、このころは正しく無声・弁士の映画から移り行く最中。弁士で生きていくつもりだったのが失業してしまったという人が増える一方、トーキーよりも弁士がおもしろおかしくしゃべってくれるのが映画の醍醐味じゃないか、という客層も確かにいたらしく、その辺りは当時も議論になったこともあったようです。技術革新とともにとある職業がなくなり、とある職業が増えるというのはAI時代を目前にした我々も同じかも知れません。上に挙げた作品の中で、今でも普通にみられる作品は、多分、ないかも知れません。フィルムが残っているかどうかも疑わしく、或いは一部は映画会社の倉庫に眠っているかも知れません。観たというツワモノがいらっしゃたらお知らせくださいませ。
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台湾近現代史21‐映画と検閲

台湾近現代史21‐映画と検閲

台湾の近現代史を映画という視点から研究されている第一人者として、三澤真美恵先生という、私のような立場の者からすれば遥か高く仰ぎ見なくてはいけないような大先生がいらっしゃいます。その三澤先生の著作に『「帝国」と「祖国」のはざま』という力作の大著があるのですが、先生の著作に拠ると、日本時代の台湾では映画制作が産業として発展するには至らなかったものの、当時の台湾人及び当時台湾に在住していた日本人が旺盛に映画館に足を運び、楽しんでいたことが明らかにされています。その証拠として当時の台湾での検閲料が年々増加している表もつけられてありました。現代人の感覚で言えば、検閲などというのは民主主義国家としてあってはいけないものですが、当時はもしかするとかなり普通のこととして考えられていたのかも知れず、検閲は今で言えば映倫のような感覚で受け取られていたのかも知れません。そこは想像になりますが。

また、台湾人の楽しむ映画と日本人の楽しむ映画、或いは台湾人が通う映画館と日本人と通う映画館には違いがあり、支配者と被支配者の構造があったとも三澤先生の著作では述べられています。

最近、台湾国立図書館のデータベースから入手した資料なのですが、昭和初期、台湾には台湾シネリーグなる映画を楽しむ友の会みたいなものがあり、彼らが発行していた『映画生活』という機関紙みたいなものが残っていて、多くの人が映画評を投稿しています。日本人の名前も台湾人の名前も両方あり、もちろん、ペンネームの可能性がありますから、日本名を使っているから日本人とは限りませんし、台湾名を使っているから台湾人とも限りませんが、日本名、台湾名の両方が差別なく掲載されている様子に私は好感を持ちました。

ちょっと興味深かったのは、昭和7年12月29日付の『映画生活』の編集後記に「映画週刊の座談会の記録の後半は大半発表を遠慮しなければならぬことなので遺憾ながら掲載を中止することになりました」と書かれている部分です。遠慮しなければならない内容とは何なのか…と勘繰らざるを得ませんが、掲載したら検閲に引っかかる、当局から物言いがつくような内容だったのかも知れません。私がかつて台湾の図書館で戦争中の発行物をいろいろ見た際、白抜きになっている部分が所々あり、そういう箇所に出会うと「あ、検閲が入ったんだな」ということが分かるのですが、このような場合はいわゆる事後検閲にあたり、読者は白抜きの箇所に出会うことで、検閲が実際に存在するということを実感することができます。一方で、事前検閲の場合は検閲に引っかかると発行そのものができなくなり、どうしても発行したい場合は指摘された箇所を作り直してもう一回印刷するという形になりますので、一般の読者が検閲の存在を実感することができません。また、発行者も検閲に引っかかるとコストがかかることが心配になるため、検閲にかからないように内容を作るようになり、言論のトーン全体に強い圧力がかかることになります。

日本の台湾統治は約50年あったわけで、少なくともその末期は私がいろいろな発行物を見た経験から事後検閲であったと考えていいと思いますが、50年の間にいろいろな変遷があったかも知れず、時代によっては事前検閲が行われていたかも知れません。今回取り上げた『映画生活』の編集後記の場合、掲載が見送られた理由としては内容が不穏当であったことは間違いないであろうと推測できるものの、それが当局の検閲を恐れた故のことなのか、それとも別の理由があったのかは想像力を逞しくしたところでなかなかはっきりとしたことは見えては来ません。

とはいえ、まあ、そういう言論空間もあったという、今回はそういうお話しでございます。

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豊洲と築地は共倒れ。海産物の流通は決定的に変化する。

築地市場の豊洲移転がいまだにかまびすしく議論されています。北朝鮮のクライシスがだいたい回避されたという雰囲気に世の中的にもなってきましたから、再び世間の目が豊洲移転にシフトしたという印象があります。

果たして築地と豊洲がどちらがいいのでしょうか?移転派の主張は、築地の建物は古くて地震に対して弱い上に、衛生面での管理も問題があって、しかも土中にはアメリカがビキニ環礁で水爆実験をした際に被ばくしたマグロが埋まっているため、豊洲のように新しい設備のところへ移転するべきだというものです。一方の築地残留派の意見としては、築地という名称にはブランド力があり、豊洲は地下水が汚染されているので、安全性に問題がある。仮に水道水を使うから豊洲の地下水が汚染されていても関係ないとしても、安全と安心は違うという論理で攻めているといったところでしょうか。

記事のタイトルで豊洲と築地は共倒れとしているものの、仮にどちらかに軍配を上げるとすれば、豊洲に軍配を上げていいのではないかと思います。豊洲の最大の懸念は地下水の汚染なわけですが、水道水を使うのであれば、関係ないのであって、安全だったら安心していいではないかと思えますし、新どんなにしい頑丈な建物の方が衛生面でも耐震面でも安心できるのではないかと、わざわざ土木の専門知識を持ち合わせていなくても、一般論として言えるのではないかと思えます。

尤も、「築地は問題が多い!」という人が登場しなければ誰も問題があるとは思わなかったと思いますし、環状二号線と通したいという目的がまずあって、そこで築地に物言いがついたような気がどうしてもしてしまいますので、果たして本当に築地がダメなのかどうかという疑問は残ります。衛生面に問題があるとしても、今まで問題なく築地が機能してきたわけですから、衛生面の問題は無視していい程度のことなのではないかとも思えるのです。

そうはいっても、ここまで「築地市場は汚い」キャンペーンが張られると、なんとなく築地という名前を聴いても以前のような魚河岸ロマンのようなものは既に失われてしまっており、「築地直送」の貼り紙を見ても却って萎えてしまうため、消費意欲を刺激しなくなっていますから、築地ブランドはもはや過去のものになっています。築地ブランドを守るべきという意見も私は理解できるのですが、既に築地ブランドは失われてしまっています。消費者は築地直送と書かれてあったら、なんとなく買いたくないと思うのではないでしょうか。

では、一方で今後、豊洲に移転後に豊洲ブランドが確立されるのかと考えてみても、なかなかそうはいかないかも知れません。豊洲に関しても「汚染がひどい」キャンペーンが張られてしまいましたので、「豊洲直送」は消費者のマインドを刺激しません。

ということは一連の騒動の結果、豊洲、築地の共倒れという結果を招くのではないかと思えます。豊洲にマンションを買った人は一喜一憂でしょうから、大変お気の毒ですが、できれば私も豊洲のマンションに住めるといいなあと思うタイプですので、豊洲にマンションを持っている人のことは、築地から豊洲への移転があろうとなかろうと、うらやましいなあと思います。

それはさておき、消費者のニーズがあれば、物言いがつこうとつくまいと成立はしていくはずですが、もはや豊洲にも築地にもニーズはなくなっていくのではないかと思えます。北海道なり高知県なり静岡県なりからの産地直送が普通になり、スーパーも扱う魚は産地直送。お寿司屋さんも産地直送。一般消費者もクール宅急便で産地直送になるのではないか、情報インフラが発達した今、敢えて築地か豊洲に一旦集積して再配送するというモデルはもう必要なくなるのではないかという気がします。築地も豊洲も通さない新しい流通モデルが発達し、近い将来、そちらに軸足が移るのではないか、それが主流になるのではないか思えるのです。

とすれば、東京都政は現在、足の引っ張り合いに終始したまま大事なことを決めることもできず、何かを前に進めることもできず、東京オリンピックのための準備も遅々としたままで、ずるずる沈んでいく過程にあるのではないかという悪い想像が働いてしまいます。

東京は日本の玄関であり、象徴であり、顔であり、中心なわけですから、東京には発展し続けてもらわないと困ります。しかし、築地・豊洲の議論一つとってもこのありさまですので、ため息をつくしかありません。

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ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』の永遠回帰

ニーチェが生きた時代、世界は産業革命という人による奇跡に湧きました。燃料機関による移動や生産が行われる姿は、人々をして人力を超えるものを人が生み出した、即ち、神の技を人が手に入れたと感じたとして不思議なことではないように思えます。

そして、人が神の技を使えるようになった以上、もはや毎日曜日に神に礼拝をして人生や運命を預けるという習慣そのものにも疑いの目が向けられていくようになります。現代とは少し違うかもしれません。現代では、科学技術の進歩によって神というデザイナーが存在しなければかくも精緻な世界が誕生するはずがないと科学者たちが真剣に考える時代になりましたが、当時は科学技術が「トレンド」になっていたとも言え、ニーチェのツァラストラが言うように、神は死んだと考えるのも無理はないとも思えます。

さて、『ツァラストラかく語りき』の興味深いところは、神なき人の世を人がいかに生きるかについて永遠回帰という視点が用いられているところです。永遠回帰という言葉は、要するに人は何度となく生まれ変わる、輪廻転生を繰り返すというもので、ニーチェの言う「超人」に到達しない限り、その永遠回帰から抜け出すことはできないとしている点です。

何かによく似ているわけですが、仏教的な世界観にとてもよく似ています。仏教でも人は何度となく生まれ変わり、輪廻によって与えられる修行をクリアしたものだけが菩薩になり、仏陀になれるとされています。ニーチェはキリスト教文明を否定しましたが、その結果行きついたのが仏教的悟りの境地を目指せ!という結論だったわけです。仏教の存在は当然に西洋にも知られているものですから、ニーチェもまた当然にそれを知っていたと考えて間違っているとは思えません。キリスト教の神を否定するニーチェが仏教的世界観に新たな境地を見出そうとしたことは大変に興味深いことのように思えます。尤も、古代ギリシャでも輪廻転生の概念はありましたから、そっちのほうの影響のほうが強い可能性も否定しません。

もちろん、ニーチェが絶対に正しいわけではありません。輪廻転生を繰り返すためには、人の魂の永遠性が前提にならざるを得ないわけですが、果たして本当に人の魂が永遠なのかどうかは死んでみなければわかりませんし、死んだ後では生きている人に報告することもできませんから、人にとって死は永遠に未知なものです。

しかしながら、人は死後の世界について考えないわけにはいきません。近く立花隆さんの臨死体験に関する取材についてもブログで書いてみたいと思っていますが、なぜ人が臨死体験なる不思議な経験をするのかについては、唯物論的な立場にたったとしても完全に説明することはできません。臨死体験のプロセスについては取材案件を重ねることで分かっては来ているようですが、なぜそんな経験をするのかは謎なままなわけです。

そういったことも考たうえで、ニーチェの「超人」とはどんなものかについて思案するのも生きている人間の悦びの一つなのかもしれません。

憲法の私人間効力

果たして憲法は何のためにあるのか。という疑問を一度も持ったことがない人はいないのではないかと私は思います。憲法は確かに重要なものですが、人間の歴史を見ると、憲法がない時代の方が圧倒的に長く、日本では100年ちょっと前に明治憲法が作られ、現行の平和憲法も70年余りの歴史しかなく、本当に憲法がないと困るのか?という疑問が湧くときがあります。

もちろん、我々の民主主義を担保するためには憲法は必須のものと思いますから、民主主義の概念がまだ最近のものである以上、憲法がまだ最近のものであることもやむなしと言えるのかも知れません。

憲法の最大の主旨は国家権力に一定の拘束をかけることを目的にしており、その点で争いはないと思いますし、基本的人権の尊重が憲法で明記されることによって、国家権力の濫用に歯止めがかけられ、我々は民主主義を享受することができるだとも言えると思います。

では基本的人権(たとえば思想信条の自由)は私人間に於いても有効なのでしょうか。人間関係の多くが優位と劣位で構成されます。特に雇用主と被雇用者の間には歴然たる権力関係があるとも言えますから、国家と同様に拘束を受けるべきなのでしょうか。それともその辺りには相当程度の自由があると言えるのでしょうか。

大変に有名な事件ですが、東北大学の院生が化学製品の大手企業に採用された後、在学中学生運動に参加していたことが発覚したことで、試用期間後に解雇され訴訟に至るという事例がありました。日本人は憲法で思想信条の自由があるため、たとえ企業であったとしてもそれを犯すことはできないから、雇用関係に於いて過去に学生運動に参加したことを理由に解雇するのは不当であるというわけです。憲法が私人間でも効力を持つのかという点が注目されました。

裁判所の判断では、憲法の効力が直接私人間に及ぶことはないという立場が採用され、間接的にはそれはあり得ても、直接的にはあり得ず、企業はどんな人を雇用するかについては相当に高い事由を有しているという結論が示されました。

この事件では原告と被告が和解し、原告は十年以上の裁判での闘争を経た後に職場に復帰したわけですが、結果としては憲法の効力がやたらめったらと広い範囲に及ぶのは困るものの、個人の生活や人生にかかわることだから、そこはなんとかしましょうよという原則NOで例外的YESのような解決が図られたのだと理解することもできるのではないかと思えます。裁判所が違憲審査を認めることはまずありませんが、訴訟に至った場合、個別具体的な救済の手を打つことで、まあまあなんとか。としている事例が多いように思うのは、私がまだまだ浅学だからでしょうか。




フーコー‐権力と権威は内面化する

レヴィストロースが人には固有の文化構造があり、サルトルは人をヨーロッパ人の価値基準でしか判断していないと批判したことから、人の持つ構造へと思想家たちの関心が移り、そもそも人はどんな構造で物事を捉えているのか、或いは構造そのものも取っ払ってしまった方がより真実に迫れるのではないかと考える人々が登場するようになります。それをポスト構造主義と呼びます。

ポスト構造主義者として最も有名な人物がミシェル・フーコーであるということについては、論を待たないのではないかと思います。フーコーは『狂気の歴史』で、狂気は如何にして定義され、分類され、権力によって管理されたかということを明らかにしていきます。誰かが「正常」と「狂気」の間に線引きをしなければ、そもそも狂気なるものは存在しませんから、正常と狂気の間に線を引くという構造を作り出すことによって、同時に狂気も創造されたのだというわけです。

小理屈と思える面が全くないわけでもないですが、かといってフーコーの言うことに明らかな間違いがあるとも思えません。狂気と正常というおどろどろしいところで議論しなくとも、たとえば大人と子供であったり、良い人と悪い人であったり、忠良なる臣民と非国民であったり、更には金持ちと貧乏人とか、法律上〇〇の要件を満たしていれば違法で、そうでない場合は合法とか、違憲か合憲かとか、人の生活にあらゆる面で線引きが行われています。或いはその線引きがなければ生きていけないのではないかと思えるほどです。ボーヴォワールが『第二の性』で指摘したように、男と女の線引きも多分に社会的、後天的に与えられた可能性もあるというわけですから、根深いことであり、簡単に済ませてしまえることではありません。

それらの線引きが行われると、優越者と劣等者、強者と弱者、おいしいおもいができる人とそうでない人が生み出されます。ですから、フーコーはそれらの線引きは所詮はどこかのお偉いさんが考えたものなんだから、取っ払っちまえ、そんな線引きに縛られるな!とする、人の知の新しい地平を開いたのだと評価することもできるかも知れません。

フーコーは更にそのような線引きの内面化に警告を鳴らしています。即ち、自分で考えたのではなくて、どこかのエライ人、権威者や権力者が〇〇と〇〇の間には線があると決めただけのことについて、それが正しいことだと信じ込み、一般の人々は内面化していくというわけです。そのような事例をリスト化するとすれば、教会や国王、議会や法律、警察や銀行など、あらゆるところが何らかの線引きをし、それを構造化していますから、リストだけでも膨大なものになるに違いありません。

しかしながら、そのようなことを考えて生きること、ましてや実践することは大変に苦労です。自分で考え、自分で線を引く、或いは線を引かないことを選択する。時には摩擦も起きるし、果たしてどんな線引きが正しくて、どんなものが正しくないのかを一つ一つ自分で選別しなければいけませんから、とても日常生活を送っていくことはできません。また、全て正しい!ドン!もありなのですが、そのようにすると物事の差異が分かりませんから、私は一体誰なのか?というあたりまで突き詰めていくことになり、精神的に持つかどうか、私にはちょっと自信がありません。とはいえ、何かを決めつけてしまったり、或いは権威に盲目的に従ったりしないということは時に必要なことであり、見捨てられた人に手を差し伸べるという道徳を持つきっかけにできることもあるかも知れませんから、フーコーのような考え方もあるのだと知っておくことは価値のあることではないかと思えます。

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レヴィストロース‐人には構造がある

ベルギー出身のレヴィストロースは南米のネイティブの村落に滞在し、彼らの生活や文化を理解することにより、それらの文化、習慣が西洋のそれと比較して何ら劣るものではないということに気づきました。たとえば神話や伝承においても、冒険に出かける勇者という構図は世界のどこにでも見つけることができる点で、人類は同様の構造を持っているという指摘もしました。なんとなく、ユングの集合無意識を連想させる発想法のようにも思えます。

更にレヴィストロースは人間はそれぞれの文化によって固有の構造を有しているという立場を採り、サルトルの人間は完全自由な存在であるという立場を強く批判したと言います。サルトルの自由主義は飽くまでもヨーロッパ人の文化的帰結なのであって、世界の人々に共通しているものではないとしたわけです。人は同じ構造を持っているとしながら、固有の構造を有しているとするのは相矛盾する気もしなくはないですが、偉い先生の考えることなので、おそらくは私の気づいた程度の矛盾を解決する程度の論理武装はされていたに違いありません。

同じ構造を持つのか、それとも固有の構造があるのか、どちらであったとしても、レヴィストロースが協調したことはヨーロッパの文化文明だけで判断することは不当であるということであり、一発大きなカウンターパートをかましたと言ってもいいような衝撃的な出来事と当時の人たちは受け取ったようです。

日本人の思考構造とヨーロッパ人の思考構造との間にはおそらくは大きな隔たりがあります。日本人が遠藤周作さんの主張していたような汎神論的な思考構造で世界を捉え、輪廻転生とかご先祖様がお盆になったら帰ってくるとか、神社にはそれぞれに神様がおわすなどといったことをぼんやりと曖昧ながらも多少は信じているところがあるのに対し、ヨーロッパではキリスト教というどちらかと言えば合理的とは思えない神の奇跡をその価値の中心に置きつつ、そこに論理的矛盾が起きないように1000年以上かけて精緻に理論化し、トマスアクィナスみたいな人が神の存在を論証するということに心血を注いできた文化とでは世界の見え方が違ってくるのが自然なことかも知れないと思えなくもありません。

私は個人的には中華圏については多少は詳しいのですが、中華圏の人々の感じ方と日本人の感じ方にも大きな隔たりがあり、ぱっと見似ているだけに、そのへだたりの大きさに驚愕することはよくあります。中華圏では家族主義が徹底している感があり、家族であれば守り抜く、家族でなければ知ったこっちゃないという感性は、日本人のような遠くの親戚より近くの他人的村社会的感性とは随分な違いがあるようにも思えます。

このような、日本人の曖昧な汎神論、中華圏の明確な家族主義、ヨーロッパの論理的追及主義のいずれかが勝っていたり或いは劣っていたりということはなく、それぞれに固有の構造で世界を認識しているのだということを寛容に認め合うという意味で、レヴィストロースは高いヒューマニズムを世に知らしめたと位置付けることもできるかも知れません。

レヴィストロースは2009年に亡くなり、亡くなった時は100歳だったということですから大変に長生きで、他の哲学者や思想家のような暗さをあまり感じさせない点でも異色と思えます。

レヴィストロースとサルトルとの間に交わされた論争を経て、フランスの思想界は構造主義を超えたポスト構造主義の時代へと移っていき、そもそもヨーロッパ人が現代に至るまでの思考の構造を持つようになったのはなぜか、構造の原点は何か、或いはそれらの構造なんか全部取っ払っちまえなどの様々な百家争鳴的議論のトポスが生まれていくことになります。

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LRAの基準

日本国憲法には人権の尊重や平和主義など個人的にはなかなかいいことが書いてあるように思っています。憲法九条に関しては但し書きのようなものを更に付け加えるのがいいかも知れないとも思いますので、一般に言う護憲、改憲などのカテゴライズをするとすれば、私は加憲派に入るのではないかと考えています。

さて、憲法は大事なものですが、世の中には憲法違反になるかも知れないというできごとが時々起こります。最高裁まで争うと大抵の場合は「明白に違憲だと言えない限り合憲である」という判断が降りるため、「ちょっと八百長なんじゃないの」と言う人もいないわけではないようですが、そこは私は素人ですので、何とも曰く言い難しであります。

さて、憲法違反かどうかを議論する際によく話題に上がるものとしてLRAの基準というものがあります。LRAとはLess Restrictive Alternativeの略で、違憲だと思う人もいるかも知れないけど、正統な目的で、「他により制限的でない制約手段が他にない場合」に限り合憲と判断するというものなのだそうです。

よく例に挙げられるのが、デモ行進は日本国憲法に定められた表現の自由で保障されている行動だから、行政が制限を加えることは違憲だ!と言えるかどうかという議論です。デモ行進は、穏やかで和やかに行われることもよくあると思いますし、その場合は自身の表現の自由を行使しているだけですけど、何か?と言うことができますし、そう言えなければそれはかえって大きな問題とも思えます。

しかしながら、例えば、周辺の人々が危険を感じるような暴力的なメッセージ、穏やかではない内容のシュプレヒコール、場合によってはロシア革命やフランス革命よろしくデモ参加者に暴徒化してもらって、一挙にどこぞへ流れ込み、世の中を転覆させてやろうとやる気満々の人がいるかも知れません。行政の側でそういうことのないように、いろいろ手を尽くす、あそこは子どもがいっぱいいるからやらないでくださいとか、歩道から出ないでくださいとか、いろいろそういうことをやることが表現の自由を侵害することになるかどうかという感じに私は理解しています。

こういう場合には一応LRAの基準が適応され、他に手段がない場合に限って、行政はそういう介入してもいいという考え方が一般的なようです。表現の自由は民主主義の根幹をなすものですから、なるべく制限がない方がいいに決まっています。そうは言っても治安が乱れるのも困りますから、難しい問題と思えます。

まぁ、いずれにしても、私は日本が民主主義の国で良かったなあなどと思うわけです。

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ユング‐無意識に人の可能性がある

ユングがフロイトの弟子だったことは有名ですが、同時にフロイトと袂を分かったこともよく知られています。両者は無意識が存在することでは一致していましたが、無意識とは何かということについて大きく異なる見解を持っていました。

フロイトは無意識には碌なものが存在しないと考えていました。心の傷であったり、破壊衝動であったり、性に対する衝動であったりと一般的な社会通念からは望ましくないものばかりが入っていると考えたのです。通常、人間は意識で無意識を抑え込んでおり、人に迷惑をかけないとか暴力を振るわないとか、トラウマが刺激されてできないことに対して「大丈夫、怖くない」とか言って自分を励まして紳士淑女として社会生活を送ります。しかし、たとえばお酒に酔っ払うなどのような状態になった時に、意識のコントロールが弱まり、無意識の衝動が湧き上がってきてしまい、普段ならやらないことをやってしまうという困ったことが起きてしまいます。フロイト的にはそういった困った無意識をどうやって制御するかが肝要であるということになります。

一方でユングはフロイトとは全く異なる観点から無意識を理解していました。無意識には人間の可能性が充ちていると考えたのです。たとえば芸術作品は計画して作るものとは限りません。ある種の閃き、天から降りて来るメッセージのようなものを受け取り、それを絵画にしたり彫刻にしたり文芸作品にしたり、或いは音楽にしたりと昇華させ、人々の楽しみや喜びに貢献することができます。そのため、ユングの発想法から行けば、無意識は抑え込んだり制御したりするものではなく、大いに解放することで人々の幸福度は更に大きくなると考えたわけです。

ユングとフロイトのどちらが正しいということはなく、どちらにも正しい面があると思えます。芸術が時にアウトローだったりするのは、ユング的な要素とフロイト的な要素の双方が表出した結果と捉えることができますし、芸術とは得てして諸刃の剣だったりもすると思えます。

ユングは更に、人には集合無意識があると考えました。世界各地の神話や民話に共通点が多いこと(洪水などの大災害から生き延びるなど)に着目し、人は祖先より受け継いだ膨大な記憶をそれぞれに蓄積しており、遡れば遡るほど祖先は共通していきますし、現代を生きる人もそれを受け継いでいるわけですから、我々は大きい全体の枠組みとして多くのものを共有していると言え、それが集合無意識であるとしたわけです。人々がある時、渦のように革命を起こしたり、或いはとあるトポスに支配的な空気が生まれたり、選挙で特定の政党が大勝ちしたりするのも、この集合無意識の視点から説明することも可能と思えます。

夢野久作の『ドグラマグラ』もユングの精神分析を基礎にしてその作品を書いたと言っていいと思いますし、当時としてはまさしく最先端のヨーロッパの心理学を採り入れた作品と言えます。現代風に言えば量子論小説を書くくらいの試みではなかったかと思えます。

ユングの集合無意識の理論はエーリッヒフロムの社会心理学にも応用可能と思えますし、ユングの考え方は現代も受け入れられているものですから、大変に興味深く、世の中の動きを考える際にユング的な「集合無意識」の視点から考えるのも面白いかも知れません。

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