ランチェスター戦略を日本文化を海外に紹介するYouTuberに応用するとしたら、どうしたら良いですか?理論は分かっても、実際に当てはめる部分が出来ず困っています。

「ランチェスター戦略を日本文化を海外に紹介するYouTuberに応用するとしたら、どうしたら良いですか?理論は分かっても、実際に当てはめる部分が出来ず困っています。」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

私、ざっくりとしたことしか知らないんですけど、仮にランチェスター戦略なるものの肝が、たとえ弱者であっても狭い範囲の勝てる領域で勝とう。というものであるとすれば、日本文化に興味のある人々が多そうな地域に絞り、その地域の人たちに気づいてもらえるような動画づくりということになるのではないかと思います。パッと思いつくのは台湾ですが、韓国の人々の日本への関心も並々ならぬものがあります。あと、日本人移民の多いハワイ、ブラジル、カリフォルニアでしょうか。英語なり韓国語なり中国語なりの字幕をつけるとか、そういった国や地域の人を雇ってナビゲーターにするとかなら可能と思います。仮にテーマで絞るのであれば、アニメ、漫画、ゲーム、寿司、忍者あたりに焦点を絞り込むということでしょうかね。



死後の世界や幽霊の存在が証明されたら殺人罪の重さや裁判に影響を与えますか?

「死後の世界や幽霊の存在が証明されたら殺人罪の重さや裁判に影響を与えますか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

死者の霊魂が存在することが証明されたとします。そして仮にその霊魂は人間と自在に話すことができるようになったとします。しかし、霊魂の証言が証拠と採用されるかどうかについては、少し難関が待ち受けていそうな気がします。たとえばDNA捜査は時に誤った判断がくだされることもあるわけですから、重大事件では慎重に取り扱われます。それだけで決定的な証拠になることはありません。では霊魂の証言はどうでしょうか?黒澤明監督の『羅生門』に登場した死者の霊がそうであったように、霊魂も自らの名誉のために嘘をつく可能性は否定できません。しかも霊魂は偽証罪に問われませんから嘘はつき放題です。従いまして、霊魂の証言を検証する技術的なハードルを越えることができれば、裁判にも影響することになると思います。後は先例の積み重ねによる微調整の問題になっていくかも知れません。



僕は日本に住んでいてどうしても同調圧力や協調性の強要などですごく生きづらく感じます。もしコロナが明け、海外にいけるようになったらどんな国が安全で住みやすくておすすめですか?

「僕は日本に住んでいてどうしても同調圧力や協調性の強要などですごく生きづらく感じます。もしコロナが明け、海外にいけるようになったらどんな国が安全で住みやすくておすすめですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

特に希望がないのであれば、アメリカかイギリス以外の英語圏がいいのではないかと思います。オーストラリアに行ったとき、人種差別があまり存在しないような印象を受けました。白人であろうと、アジア系であろうと、平等に、分け隔てなく人間関係を結んでいるように見えました。もちろん暮らしたわけではないので、単なる印象なのかも知れません。とはいえ、食事もそれなりに和洋中が楽しめますし、なんと言っても英語が通じるので、苦労は少ないという印象です。労働者の人権も手厚く守られているように思いました。カナダにも似たような印象を得ています。

アメリカのちょっと異様な感じすらする人種・民族的な分断やイギリスのいかにも疲れ切った雰囲気はいかがなものかと思います。英語圏以外であれば、想像もつかない社会的コードがあるでしょうから、安全で住みやすいという条件にはあてはまらないとも思いますねえ。



日本はもうダメかもしれない。と思った具体的な出来事やシーンはありますか?

「日本はもうダメかもしれない。と思った具体的な出来事やシーンはありますか?」というquoraでの質問に対する私の回答です。

帰国後、街行く人々の姿を見る限り、貧富の格差は確実に開いており、平均的な生活水準は確かに下がっているという印象を受けました。

先日友人と、90年代から2000年ごろにかけての新聞社が企画する展覧会と最近のそれとを比較した場合、ラインナップが明らかに貧弱になっているということで意見の一致を見ました。昔は本物や名作が大量に陳列されていて、見る側は咀嚼するのに苦労するほどでしたが、最近は目玉数点+アルファみたいなものが多く、要するに本物を呼べない分、知恵を絞ってなんとかしているように見えます。たとえば昔だったら「ゴッホ展」が開かれれば有名作品をばっかんばっかん上野で見ることができたのですが、今は「ゴッホと〇〇」「ゴッホの〇〇」のようなネーミングで、よく言えば新しい視点を持ち込もうとしているんですが、はっきり言えば貧弱な展示をごまかしているように思えるんですね。

外食時も味が落ちたなあと思うことが非常に多いですから、原価をかけられなくなってきているんだと思います。

芸能も若い女の子のセット売りばかりで、何がいいのかよく分からないし、地下アイドルビジネスというのも、要するにプロデュースにお金かけられないから、あんな風になるんだろうなと。

起業、有名人、個人関係なく何かあったらSNSですぐ炎上という社会現象も、もはや浮上できないと諦めてしまった人々が、せめて成功者を引きずり下ろすことでメシウマになろうとしているように見えて、日本人ってこんなに民度低かったかな?と思ったりもします。

街行く人が着る服も安くなったなあ…と感じますし、みんな、かつてのおおらかさが表情から消えていて、警戒と諦めの入り混じった難しい顔をして歩いているような気がします。

やはり貧すれば鈍するは本当で、経済成長の良かった時代は、人の心もおおらかで、誰もが幸せそうに見えました。

あ…すみません…愚痴を延々と…



堀江貴文氏と西村ひろゆき氏は、実は仲良くないのですか?という質問への回答

「堀江貴文氏と西村ひろゆき氏は、実は仲良くないのですか?」との質問をQuoraで受けました。以下が私の回答です。

仲悪いと思いますよ。明らかに性格や価値観に違いがあります。

堀江さんの場合、九州から努力で這い上がって東大に入り、仲間と一緒に会社を作ったのに結局、逮捕され、仲間には裏切られ、刑務所行きという経験があります。コンプレックスとトラウマのかたまりみたいになっていて、それをたとえばお金とか名声とかで埋め合わせようとしているように見えます。人望がないことに劣等感を抱いているために、究極の人気投票と言える選挙に関心を持ち続け、出馬の機会を今もうかがっているように見えるのも、やはり心の中に苦しみを抱えているのだろうと思いますし、お顔を見ても、その苦悶が浮かび上がってきているように思えます。世間から今も悪人イメージを抱かれていることも悔しいことでしょう。自己嫌悪も相当なものでしょうね。私は堀江さんをディスってるのではなく、同情しているのです。

ひろゆきさんの場合、東京の庶民的なエリア出身という自分のプロフィールを気に入っている様子があって、要するに自分のことが好きなんだと思います。承認欲求も低いので、自分を追い詰めて変化しようとか、無理にでも努力をして這い上がろうとかというような気持ちがない。2ちゃんねるのような、悪意の書き込みやり放題な掲示板を思いつくって相当性格悪いと思いますし、結果、多額の損害賠償を踏み倒して海外生活というのも、やっぱり性格の悪さゆえのように思えます。ただし、自分のことをいい人だと思ってもらいたいという願望がないので、悪いやつだと言われても平気だし、モテたいとも特に思わないし、今は世界中どこにいてもネットとゲームさえあればいいので、パリで満足。俺、生まれながらの勝ち組感であふれています。私はひろゆきさんをディスっているのではなく、それで生きていけるひろゆきさんがうらやましくて仕方がないのです。しかし、私はひろゆきさんみたいに生きるには他人をうらやむという心理構造がある以上は無理というパラドックスに陥ってしまっているのです。

堀江さんのように血のにじむ努力で這い上がり他人から後ろ指を指されて勝ち組になった人は、ひろゆきさんのように思い付きで好きなことだけやって勝ち組に入っている人のことをやっかむのではないかと思います。私がひろゆきさんに対してやっかんでいるように。

ひろゆきさんは、そういう堀江さんの心の中を見通しているため、ついついいじりたくなってしまい、堀江さんは内心ではうらやましいひろゆきさんのいじりを表面的には受け入れていたんだと思います。でもやりすぎになってしまい堀江さんは我慢の限界に達したんでしょうね。ひろゆきさんは、堀江さんに嫌われたことは別にどうでもいいんだけれど、堀江さんのシンパに攻撃されるのが面倒なので、今は矛を収めているという感じではないでしょうか。



東京オリンピックは延期がベストなのではないかなあと思う件

疫病の流行で、東京オリンピックの開催すら危ぶまれる昨今ではあるのだが、IOCのけっこうえらいおじさまが、東京オリンピックは来年やればいいじゃないかと通信社のインタビューに答えていたのを見た人は多いと思う。私は、これはIOCが日本にかけた温情とか武士の情けみたいなものであると同時に、利権共同体♪として、おいしい思いも諦めなくていいよね!とするIOCからのシグナルなのではないかと私には思える。中止論とか、ロンドンでやったらどうか説とかあるが、それはあまりにかわいそうなので、来年にずらして東京でやらせてあげようということだ。アメリカのテレビ局が大金をはたいて放送権を買ったりとかの都合もあって、それでIOCは潤うはずなので、みんなでせかっく潤えるのに、中止にしたら、もったいなさすぎる。来年に持ち越そうよというわけだ。

安倍首相は今のところ、なんとかして今年の夏に東京でオリンピックの開催を果たそうとしているように見える。4月ごろには収束したと世界に発表したいので、ここで感染の拡大をなんとしてもとどめるために記者会見まで開いて学校は一斉休止という思い切った措置に出た。私はこの措置自体はこれでいいと思う。インフルエンザでも学級閉鎖があるというのは、そういう措置が有効だと認められているからだ。なら、一斉にそうすれば新型肺炎はある程度押しとどめることができるかも知れない。但し、会社もお店も開いていて、人々は電車に乗っている。学校が休みになってうかれた子どもたちは街を出歩くに決まっているようにも思えるし、なんといってお卒業式の生徒さんだったら、私的にパーティでも開いて卒業式をやろうとするだろう。卒業式がないのもあんまりと言うものだ。というわけで、学校閉鎖は多少の効果はあっても、完璧な効果を期待できるようなものではないということだ。感染はかなり広がっているらしいので、学校だけ休みにしても追いつかないのではないかとの不安が残る。

軽症のかぜだったら病院に行かないでほしいとのお上からのお達しも、変な話だとは思うが、合理性が全くないわけではない。患者が病院に押し寄せれば、病院が主たる感染ルートになりかねないし、患者が多すぎて医療崩壊してしまい、致死率が上がるというのも避けたいに違いない。気持ちはよく分かる。しかし、どうも、新型肺炎が多くの場合、軽症で改善するとの指摘を信じ、できることなら、仮に新型肺炎に感染していたとしても軽症で済むのならそのまま自宅で自力で治してもらい、感染していたことすら無かったことにしてほしいとの、涙ぐましい願いを感じ取ることは難しいことではない。これ以上、感染者がバンバン出ているとの報道が世界に流れるのはなんとかして食い止めたいし、海外メディアは結局のところ日本の報道を参考にして本国にニュースを送っているので、日本の報道にあんまり騒いでくれるなとの願いもにじんでいて、実に涙ぐましい。だが、翻せば、それくらい楽観できないほど広がっているとの見方もできるわけで、仮に一定期間、新しい感染者が0である状態が続かなければ収束宣言が出せないという場合、それは当面難しそうだ。毎日数名、或いは十数名、日によってはもう少し多く報告されている。全体から見れば少ない数字かも知れないが、収束宣言は出せない。

さて、ここでもうちょっと考えてみたいのだが、仮に収束したとして、夏の東京オリンピックは盛り上がるだろうか?世界中の人が感染を警戒して、集まって来ないだろう。それは風評被害かも知れないが、外国の人からすれば、わざわざ感染するかも知れないと思って日本に渡航する義理はないため、やっぱり敬遠されてしまうだろう。閑散としたオリンピックはきっと悲しいものに違いない。私は最近は、どうも東京オリンピックがバブルを産み、その後のバブル崩壊の要因にすらなるのではないか、だったらいっそのことやめてしまえばいいのではないかと思っていたが、最近は少し考えが違う。というのも、関係した人たちの苦労を考えると、やっぱり気の毒で、やめればいいじゃんとは言えない。ならば、延期でどうだろうか?IOCも助け船を出してくれているのだから。もうちょっと言うと、欧米での感染の流行はこれからだ。仮に日本で収束しても、世界中から人が集まれば、やはり東京が主たる感染ルートということになってしまう。それを避けるためにも、来年でいいのではないだろうか。

新型コロナウイルスがどうやらアメリカで流行しているらしい件

アメリカで多くの死者を出しているインフルエンザだが、最近まで新型コロナウイルスとアメリカのインフルエンザが別のものと考えられていたのに対し、実はインフルエンザみたいな症状はあるけれど、インフルエンザではないケースが時々あるとの発表がCDCからなされた。CDCというのは、アメリカの保健衛生管理局みたいな感じのところで、保健衛生のFBIみたいに思っておけば多分大丈夫な役所だ。

で、アメリカではコロナウイルスの感染爆発が始まろうとしているように見える日本へは渡航しない方がいいみたいな話も流れていたし、最近の英語圏のニュース番組でも、東アジアで蔓延している変な病気、大丈夫?対岸の火事なんだけど、うちに飛び火しないように注意しよう。というようなトーンのニュースが多かった。

ところがだ、アメリカのインフルエンザの患者の何パーセントかが新型コロナウイルスだとしたら、とてつもない数の感染者が存在することになり、致死率が高いわりには感染しやすい新型コロナウイルスは、とっくにアメリカで猛威をふるっていたということになる。アメリカではこれからインフルエンザの患者に対して、もしかしたらコロナウイルスかもという態度で検査なり再検査なりを進めていくらしいのだが、そんなことをしているうちにどんどん広がるかも知れず、現状で既に収拾不可能なくらいなことになっているかも知れない。私はアメリカをディスりたくないが、ダイアモンドプリンセスでの日本の対応がお粗末すぎると英語圏から冷笑的な視線を向けられたことを思うと、いえいえ、日本を笑ってる場合じゃないじゃないですか。とつい、言いたくなる。

アメリカでは近いうちに新型コロナウイルスが大流行する可能性があるとの発表もあり、皆さま、心して準備してくださいね。みたいな話になってきている。既にコロナウイルスは広がっているのだが、これから広がるということにして、当局の発見が遅れたことのミスを隠蔽しようとしているのではなかろうか…などと勝手な想像も働いてしまった。

ダイアモンドプリンセスに乗っていたアメリカ人の中から複数の感染者が発見されていることには英語圏のメディアの注目も集まっており、どうも、このままいくと、日本がダイアモンドプリンセスのことで頭の悪い対応していたからアメリカ人が感染して、アメリカに感染が広がったじゃないか。日本のせいだ。という言説が形成されていくのが目に浮かぶようだ。

ヨーロッパでも既に感染者が見つかっているし、油断していただろうから、あちらでも燎原の火のようなことにもなりかねない。ロンドンの市長選挙では候補者が、今年の東京オリンピックは無理だから、ロンドンが代替地になりましょうと呼び掛けているそうだが、ロンドンもどうなることやら…である。

このまま世界的パンデミックになってしまったら、世界は12モンキーズというブルース・ウイリスが出ていた映画みたいなことになってしまうのだろうか。それは困るので、なんとか収束してもらいたいものではある。不要不急の外出は控え、注意はしているのだが、いつまでこの緊張状態と戦うのかと思うと、心が折れそうになる。地球にがんばってもらいたい。新型肺炎は一度治ってもまた罹患する可能性があることが指摘されており、それって治ったんじゃなくて単に症状がおさまっただけなんじゃ…とも思えて、得体の知れない不気味さ満点ではあるのだが、がんばれ人類。生き延びよう。きっと生き延びることはできるはず。

ダウンタウンのエキセントリック少年ボーイの歌でも歌おう。

がんばれ地球。がんばれ地球。僕は限界だ♪

って、限界だったらダメじゃん。希望はあると信じて生き延びましょう!






新型コロナウイルスのパンデミックは起きようとしているが、希望は捨てずにがんばろう。

もはや、パンデミックは起きようとしていると考えた方がいいでしょう。

もちろん、マスク、消毒、手袋、手洗い、うがいなどの一般的なインフルエンザ対策と同じ対策はできるわけですし、それである程度は防げると思います。とはいえ、今さら、パンデミックを予防しましょうとか、ナンセンスです。もはやあちこちで経路不明の人が現れ始めていて、飛沫感染で、もう、結構、厳しいことになってきているわけです。

まさか、これで日本終了とかは思いませんし、いずれ収束するとは思いますが、自分が感染する可能性は充分にあるという前提に立ち、感染したとしてもどのように対処するかという腹をくくった姿勢が大切なのではないかと思います。

新型コロナウイルスの辛いところは、潜伏期間がばらばらで、無症状で突然倒れるという人もいるという得体の知れなさです。また、肺炎が治っても抗体ができず、また同じ肺炎を発症する可能性が充分にあるという不気味さです。これは、一度感染すると、症状が治まっても、体調不良を起こせばまた肺炎になるかもしれず、一生続く持病みたいな感じになるわけですから、なんだか飛沫感染するhivみたいで知れば知るほど驚愕してしまいます。

とはいえ、もはや感染拡大は止まらないでしょうから、やむを得ません。この事態を受け入れて、希望の持てる部分もあるわけですから、負けずに対応しなくてはいけません。

希望がもてるところとは、致死率は低いというところです。武漢の場合、医療従事者と感染者のバランスがとれず、ばたばたとお亡くなりになっているとのことですが、武漢で致死率5パーセントとのことですから、日本で健康的に生きている人であれば、致死率は1パーセントくらいまで抑え込めるのではないかと思います。とすれば、感染したからと言って、絶望する必要はないのです。もちろん、コロナウイルスが持病というのはあまりいい気持ちはしません。しかし、hivがコントロール可能な疾病であるのと同様、コロナウイルスもコントローラブルな疾病としてそれを抱えてでも生きていくことができるわけですから、コロナウイルスとともに生きるという覚悟を持ってちょうどいいかも知れません。

サーズもマーズも収まったのです。いずれコロナウイルスも収まるでしょう。希望を持って、がんばりましょう。助け合いましょう。信じましょう。

坂口安吾‐復員

坂口安吾の掌編小説『復員』は、終戦間もないころに朝日新聞に掲載された傑作だ。安吾の最も著名な作品である堕落論とも通底する問題意識を、非常に短い、原稿用紙一枚以内の長さで端的に表現している。

物語の内容は簡単だ。ある男が復員してくる。彼は片手と片足を戦争で失っていた。家族や友人たちは、帰ってきたその時こそ、ちやほやしてくれるが、それ以上、あまりかかわろうとはしてくれない。家族にとって彼のような復員兵は働くこともできないただの厄介者でしかない。彼には恋人がいた。恋人に会いたいと思った。家族に話してみると、その女性は既に結婚しているし、そもそも厄介者のお前がガールフレンドのことを気にかけるなんて、ちょっと立場が分かってないんじゃないのか?というような表情をされる。結婚しているという話にもショックを受けるし、家族も全然同情してくれないことにもどかしさを感じる。そのような消化不良な感情もしばらくすれば少しは落ち着いてきたので、彼は会いに行くことにした。彼の内面では、どのみち彼女も長い目では自分とかかわろうとしてくれないであろうことはわかっている。しかし、会いに行ったその日だけはちやほやしてくれるのではないかというある種の下心がうごめいている。短い時間だけでも昔のガールフレンドにちやほやされれば、少しはいい気分になれそうだという刹那的な下心だ。実際に行ってみると、彼女はもっとそっけなかった。冷たくはされなかったが「よく生きて帰ってkたわね」とあまり感情のこもらない感じで言われた。彼女には赤ちゃんがいた。彼が戦場で死んでいようと生きていようと、子どもは生まれてくるという事実を知った彼は、かえっていろいろなものがふっきれて、むしろこれからの人生を生きるエネルギーが湧いてくる。というような物語だ。

帰ってきた時、彼には甘えがあった。お国のために片手片足を失ったのだから、みんな、俺によくしてくれよという甘い期待があった。それは打ち砕かれた。彼にはそれは理不尽なことのように思えた。彼はある種の自暴自棄の心境になり、過去のガールフレンドに会ってその自暴自棄さを深める、ある種の自傷衝動のようなものに突き動かされて、要するに自己嫌悪を確かめるために彼女に会いに行った。しかし彼女は彼が立ち直るために最も必要なものを提供してくれた。それは、あなたが戦場で手足を失うほどの重傷を負ったとしても、この世は回っているのよという冷然たる事実だった。彼はその事実を受け入れることにより、当初抱いていた甘えをかなぐり捨てて、そのぶん、人間的に成長する。そういう物語だ。わずか400文字程度で、人の成長の一側面を描いたのである。敗戦と重傷と失恋の合わせ技だ。安吾は想像を絶する才能の持ち主だ。私はふと、やはり女は男を成長させるという気になった。過去のガールフレンドではあるが、その男に最も必要なものを、適切に見せてくれたのである。女の人はやっぱりすごい。

安吾は後に堕落論を書くが、これはこの掌編小説と同じ問題意識を持っている。日本は負けた。日本帝国の美学とか、武士道とか日本精神とかそういったものは打ち砕かれた。今やそのような過去の美学にすがろうとするものは、甘えである。もし甘えを捨てることで、美学を失い堕落してしまうと、そのことを怖れるのであれば、それは間違っている。とことん堕落してこそ、再出発は可能になると安吾は日本人につきつけた。これは復員兵の彼が昔のガールフレンドに現実をつきつけられ、ふっきれることで成長することと同じ構造を持っていると言える。youtubeに朗読したものをアップロードしたので、よければ聴いていただきたい。もう何十本も朗読ファイルをアップロードしたが、自分の下手さに泣けてくる。

坂口安吾‐復員の朗読