様々な時代背景の話で、日本の場合は“明治”“近代化”がキーワードとして登場する事が多いのですが、結局のところそこで無理やり文化が接木されその恩恵も弊害もごちゃ混ぜな今という事なのでしょうか?

そんな風に言えそうな気もしますねえ。関東大震災が起きた日、永井荷風は山之上ホテルでランチするのですが、日本人が西洋人の猿真似ばかりをして、似非西洋人になっていることへの天罰だ、というようなことを書いています。石原慎太郎さんが東日本大震災を「天罰だ」と言って批判されましたが、おそらくは永井荷風をぱくったんだと思います。で、江藤淳さんが若いころの評論で日本の文芸作家たちはフランス自然主義を採り入れて、近代文学者に「なりおおせた」というような表現を使っていたと思いますが、以上述べたように、日本の近代化が無理に無理を重ねた自己否定と猿真似の複合物なのだということについては、それに対する批判があたかも伝統でもあるかのように繰り返されてきました。とはいえ、私たちは近代人としての思考が身についていますから、今さら封建社会に戻ったところで適応できず、近代的な生活がしたいとの希望はもちろんあります。ですから、おっしゃる通り、弊害も恩恵もごちゃ混ぜな今なのだと思います。



富裕層が1億人超えた中国では、寄付文化の現状は、どのようなものですか?

深く考えたことはないですが、華人社会では赤の他人にチャリティするという価値観は根付きにくいと思います。血縁、紹介、コネを頼るのが普通なので、たとえば大都会で「李おじさん」が会社経営をして成功している場合、親戚の息子さんとか、その親友とか、田舎の帰省先のご近所の息子さんとかが「李おじさん」を頼って都会に出てきます。で、李おじさんは後見人となっていろいろ面倒を見てあげることになり、助けてもらう側はその恩義に応えるために一生懸命働くというようなことになります。やがて自分が年を取れば、若いころに助けてもらったみたいに後続を助けます。血縁にそういう人がいない場合、誰かと義兄弟の契りを交わし同じようなネットワークを作ります。大袈裟なものだと秘密結社になります。そういうわけですから、ネットワークがないと生きていけないのが普通であり、大抵の人は何らかのネットワークに所属しているため、そこで助けてもらえるのが普通であり、もしネットワークが全くない人物がいたとすれば、それは本人のそれまでの生き方が反映されていますから、自業自得と思われて見捨てられます。台湾映画の蔡明亮『郊遊-ピクニック』という映画でそれがとても良く表現されていると思います。



少なく無い数の日本人が致命的ではない失敗に対して、非寛容的な態度になりがちなのは、何故ですか?

村八分の文化の名残だと思います。たとえば武士は失敗すると切腹することで過ちをチャラにしてもらい名誉を維持されるということになっていたわけですが、江戸時代、東海道中膝栗毛でも分かるように、町民たちは道徳倫理のために命まで差し出すつもりはなく、弥次喜多の無茶し放題を爆笑しつつ共感するようなメンタリティを持っていたわけですね。つまり江戸時代は武士・町人・農村で価値観や行動規範がばらばらだったと言えると思います。

ところが明治に入り、徴兵制度が始まると、全員にあたかも武士であるかのような厳しい倫理観を持つことが求められるようになっていきます。ですが大半が農村出身者ですから、士道に背いているとみなされると農村的感性で村八分にしてしまう。たとえば捕虜になって帰ってきた人は帰還兵として遇してもらえなかったりするわけです。戦後の援護の手続きをするために役所に行くと露骨に後回しにされ、抗議すると、だってあなたは捕虜だったじゃないかと言われてしまったりしたそうです。

で、戦後になると徴兵もないですし、農村も少なくなって、みんな都市部でモダンな生活を送っているはずなんですが、規範から逸脱すると村八分という感性は21世紀になっても根強く残っており、SNSが発達したために、逸脱した人物がいると国民を挙げて村八分にするという現象に至ったのだと思います。



国家というのは結局のところ国籍を持つ国民のためのシステムであって、税金を対価に様々なサービスを得られるという程度のものでしかないように思えるのですが、どうお考えになりますか?

近代国家は憲法に基づいて運営されるわけですが、その憲法には理念や価値観が書き込まれているわけですね。それはフランスの自由平等博愛であったり、アメリカの王権に対する抵抗であったり、中華民国の民族主義であったり、明治日本の天皇であったり、現代日本の平和主義であったり、いろいろあるわけですけど、国民はその理念を共有し、国家が理念通りに仕事をしているかどうかを監視していくことになるという体裁になっているわけです。そのように考えると、公共サービスを評価する際も、憲法の理念に適っているのかどうかが重要であるため、たとえば日本であれば、とある公共サービスは基本的人権の保障に適うのかどうかが議論されなくてはならないみたいなことになってきますし、そういう理念・価値観がなければいかなる公共サービスも、それがいいサービスなのかどうなのかについて評価する基準を失ってしまいます。また、公共サービスを維持するためには税金払うどころか兵隊にもならなくてはいけないような国もあるわけですね。

以上のようなわけですので、国家は税金を対価として公共サービスを提供する程度のシステムなのではなく、何が良い公共サービスなのかを決める、理念・価値観を統制するシステムであり、システムの維持のためには時には流血を求めることもあるほどに厳格なシステムであるということが言えるかなと思います。

尚、最近はGAFAMのように国家をも凌駕する企業が登場してきましたから、今後、しばらくの間は、価値観を決めるのは誰なのか、それは国家なのかgoogle様なのか、のようなせめぎ合いが続くのではないかと思います。



大阪府にまつわる体験、エピソード、雑感、知識、トリビア等をお聞かせ下さいませんか?

大阪市役所が淀屋橋にあるわけですけど、そのすぐ近くに適塾跡があるんですね。で、淀屋橋ってどういうところかというと、江戸時代は日本中の諸藩の蔵屋敷がひしめき合い、諸藩の御用を請けるための商人がひしめき合い、流通のために舟がぎっしりとひしめき合う日本経済の中心であったわけですよね。福沢諭吉の父親も蔵屋敷で働くお侍さんで、諭吉はその空気を吸って育ち、すぐ近くの適塾で学んだということになります。戦前は大阪の方が東京よりもモダンでおしゃれで発展していたと言われていますが、それは江戸時代からの経済的な基礎があったからで、しかも適塾はまさしく日本近代を支える人材を育てた場所だったわけですから、私は先日適塾跡を歩き、ふと「全てはここから始まった」とつぶやいてしまいました。



「訴状が届いていないのでコメントは差し控える」なる決まり文句がありますが、届いた後きちんとコメントをした例はあるのでしょうか?

裁判所で公告された段階で新聞記者から電話が行くので、訴えられた側としては「訴状がまだ届いていない」ということになるわけですけど、現代の郵便事情ですから数日以内に届くわけですね。ただしそのころには新聞記者の方が関心を失っていますので、改めて電話をかけるという場合が皆無に近いですから、結果として訴状が届いた後のきちんとしたコメントが出ないということはいえると思います。例外はあると思います。



所謂大御所芸人(松本人志、明石家さんま)などは彼らが30代から既に大御所でしたが、現在の30代からは同様の大御所芸人が出て来なそうな気がするのはなぜでしょうか?

昔は深夜に実験的な番組を若い芸人さんにやらせて当たればゴールデンに行くというルートがあったわけですけど、今はそれがないですよね。理由としては1つには実験的なことをやってみて一歩間違えば炎上して芸人も関係者もみんなそこで終了してしまうというリスクが大きいというのがあると思いますし、もう1つとしてはテレビ局が使えるお金がどんどん減ってきたため、新しい人を育てる余裕がなくなったというのがあると思います。

結果として、バブル時代から活躍する大御所であれば一定数の人気が得られることが分かっているので、その人たちネームバリューに頼りつつ、内容的には無難な番組作りに偏って行き、結果としてバブル時代に名を成した人たちがいつまでも最前線で、それより後から出てきた人たちは延々に順番待ちという状態になっているのではないか、要するに新陳代謝ができなくなっているのではないでしょうか。



日本は国民国家 (nation-state) としての条件を満たしていますか?

ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』で無名戦士の墓について論じています。たとえばアメリカにはアーリントン墓地があり、そこには会ったことのない同胞が眠っていることをアメリカ人ならだれでも知っているわけですね。そしてその同胞はアメリカのために命をかけて戦った英雄なのだということもみんな知っている。その英雄のことを、顔も知らないのに戦っているところを想像し、命を落としたところを想像し、感動し、アメリカ人に生まれて良かったと思い、英雄への敬意と感謝の心を新たにするわけです。会ったこともない同胞のことを想像して感動して胸が熱くなる、自分に関わる物語だと確信して消費することができる。なぜ会ったこともない人のことを自分に関係する英雄だと確信できるのかと言うと、そういう風に新聞とか書籍に書かれているのを読んだからで、アメリカであれば、誰もが話せる前提になっている英語で書かれていると。これこそが国民国家が持つ必須の構造である、決定的な要素であるとすら言えることはよく知られていることと思います。

言うまでもなく日本の場合、アメリカのアーリントン墓地が九段下の靖国神社に相当するわけですね。私は祖父が戦死してますので、個人的に全く無関係とも言い難く感じますが、でも、祖父に会ったこともないし、何も祖父のことを考えるために、祖父以外の数百万柱の英霊も一緒に祀られている靖国神社に行く必要もないのですが、やはりそこには物語があって、多くの人が、同じ日本語を話す無名戦士が日本のために死んで行った英霊であると確信して胸が熱くなるわけです。やはり千鳥ヶ淵の雰囲気は靖国神社と隣接していて皇居のすぐ近くであるということの物語性・ドラマ性をつい私が頭の中で作り上げてしまって、やはりぐっと来るわけです。頭ではそれは所詮、フィクションであると分かっていても、やっぱりぐっと来てしまうのです。そして多くの人がおそらくそうなのです。それが良い事なのか悪い事なのかは論じていません。

そういうわけですので、靖国神社という無名戦士を思い出すための施設が存在し機能しているわけですから、日本が国民国家と言えるかと言えば、間違いなくその必須要件は満たしていると思います。



メイデイでの労組のテーマは「命と暮らしを守る」でした。今はコロナ禍が続き、長い不況、少子高齢社会、円安に起因する物価高、ウクライナ戦争と問題山積です。あなたが思う「命と暮らしを守る」は何でしょうか?

私は自由を大切にしていますが、仮に経済活動・社会活動で自由を謳歌するとしても、失敗した人が生活できなくなるという事態が生じることには強い懸念を感じています。自由で何度でも挑戦できる社会を作るためには、失敗した人が生活できなくなって自殺してしまったりというようなことがないように目指していかなくてはいけないと思います。たとえば生活保護受給者に対する差別があってはならないことは当然のことですが、生活保護は誰でも気軽に受給できる制度にしてゆくべきで、理想はベーシックインカムだと思うのです。

というのも、生活保護を審査するのは役所の担当者なわけですが、どうしても偏見や思い込み、判断ミス、情報不足、受給希望者の言葉足らずなどによって、完全に公平な給付ということは考えにくく、実際、生活保護がなくても生活できるであろう人が受給に成功する一方で、明日の食事にもこと欠いた結果、路上生活を選ばざるを得なくなる人もいるわけですね。担当者が審査するという制度そのものが不完全なものであると私は思っていますから、誰でも希望者は受給できる、何なら希望しなくても勝手に振り込まれるくらいでちょうどいいのではないかと思うのです。

必ず生活できるという前提があった上での自由競争が結局はいい果実を人類にもたらし、より多くの人の命と暮らしを守ることにつながると私は思います。



世界史において権力のあり方が複雑過ぎた地域、時代にはどのようなものがありますか?

たとえば中世ヨーロッパでは、ローマ教皇の権力と神聖ローマ皇帝の権力がせめぎ合い、1077年にはローマ教皇グレゴリウス7世と、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が対立した結果、ハインリヒ4世はローマ教皇から破門されるという事態に至ったことがあります。ハインリヒ4世はカノッサ城に滞在中のグレゴリウス7世に赦しを請うため、裸足で3日立ち続けたと言われています。尚、最近の研究では裸足で3日間立ち続けたかどうかについては疑問視されています。それはそうとして、これをカノッサの屈辱と呼びますが、教皇権が皇帝権を超越していることが明らかになった事例のように言われたりします。とはいえ、後にまきかえしたハインリヒ4世はローマに進撃し、グレゴリウス7世はローマから逃亡していますので、武力があれば教皇権に勝てることを証明した事例であると考える方がいいのかも知れません。

さて、中世ヨーロッパの権力関係はかくも複雑なものでしたが、これと同じくらい複雑であったのが日本の権力関係ではなかったかと思います。たとえば白河上皇が始め、後白河法皇の時代に絶頂期を迎えた院政期、名目上の主権者は帝でありながら、帝の眷属であるとの立場で法王が実権を握り、しかし実際には院の近臣が政治を動かしていて、その外側には藤原摂関家がいて、平家がいて、気づくと源氏が将軍になってると。複雑すぎてわけわからんわけです。こんなの外国人に説明できません。

これよりはもう少しましですが、19世紀、諸外国の艦隊が日本にやってきたとき、徳川幕府は将軍のことを大君と呼び、英語ではtyqoonと表記され、tyqoonとは即ち日本国皇帝であると理解されたのですが、よくよく観察してみたところ、京都に朝廷があって、江戸に幕府があり、tyqoonは江戸の幕府の頂点でしかなく、京都の朝廷から政治権力を委任されている、つまり首相のような存在であるということがわかってくるわけですね。ところが実際の政治は大君がやっているのではなくて、老中がやっていて、大老のような臨時職がもうけられることもあって、彼らが独裁的に日本国の意思決定をしているにもかかわらず、どういうわけかコンセンサスが形成されていくわけです。多分、当時のペリーやハリスたちは意味不明であると思ったのではないでしょうか。