西山厚『語りだす奈良 118の物語』碩学による優しい奈良の話。古の人の心

奈良の歴史と風物に関する優しい文体のエッセイ集です。

西山厚さんという方は、この本の奥付の紹介によりますと奈良国立博物館の学芸部長をされた後、現在は帝塚山大学の教授をなさっていらっしゃる先生です。『語りだす奈良』は西山さんが毎日新聞の奈良県版に奈良の風物詩と歴史に関することを連載したコラムをまとめて加筆修正したものです。

折々の奈良の行事や社会的なできごとと絡めつつ、奈良時代の歴史のお話が書かれています。優しいおだやかな文章で、肩がこらず、読み進めるとなぜかほっとしてきます。

奈良時代の主役といえば、ぱっと思い浮かぶのは大仏様を建立した聖武天皇です。聖武天皇に関わるエピソードもたくさん挿入されています。光明皇后のお話しもいろいろ挿入されています。聖武天皇と光明皇后の間に男の子が生まれましたが、体が弱く一年も経たずに亡くなってしまいます。聖武天皇と光明皇后は仏教への信心を深めていきます。美少年で知られる阿修羅像は光明皇后が亡くなった息子さんのことを偲ぶために作らせたものです。親子の情が語られます。普通の人の人生と重なり合います。

光明皇后はある日、お風呂を設けて汚い人を洗いなさいとの天の声を聴きます。お風呂を設けると汚い男がやってきます。汚いなあと思ったけど天の声に従ってきれいに洗ってあげます。実はその人は如来様で空へ消えていきます。ある日、全身膿だらけの人がきます。嫌だなあと思ったけど口で膿を吸い出してあげます。その人も如来様でどこかへ消えていきます。

なんかの話と似ています。千と千尋にそっくりです。宮崎駿さんのような博学な人が光明皇后の話を知らないわけがありません。おー、千と千尋のオリジナルは光明皇后だったのかと驚きと感動が読み手の内面に生まれます。よくよく考えてみると、ナウシカの原作でもトルメキアの兵士の喉に溜まった血をナウシカが口で吸いだします。突き詰めるとそのモデルは光明皇后だったのかと分かれば感動します。

男にとって女性は偉大です。女性が愛の力を発揮すると崇高なことも偉大なこともできるのだと、その愛にすがることもまた信仰なのかも知れないなぁと私は『語りだす奈良』を読んで思った次第です。

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天皇とお米

縄文時代と弥生時代の決定的な違いは米作の有無にあります。縄文時代は狩猟採集が中心ですので、獲物がとれればいいですが、そうでなければ明日をも知れない日々を送らなくてはいけません。獲物の肉は干したり焼いたりすれば保存できますがお米ほど手軽でもなく、お米ほど長く保存することもできません。

米作するようになると、お米は長期保存が可能なために「貯蓄」できます。耕作面積を確定して水田を整備すれば毎年の収穫量が分かります。もちろん天候に左右されますが、狩りに行くよりは安定しています。人口も劇的に増えます。一般的には米作により土地を多く持つ人とそうでない人に分かれ、貧富の差が生まれ、身分の差が生まれたと説明されることが多いです。そういう面は確かにあると思います。

ただ、身分の差という意味では、縄文時代に絶対になかったかと問われれば、そういうことはないと思います。狩りが上手な人、体力的に優れている人、性的な魅力が高い人、宗教的な意味で高貴だと認められていた人などが存在したのではないかなぁと私は想像しています。一万年も続いた時代ですし、日本各地に集落があったとすれば、そのような想像した通りの社会構造があった「場合もある」くらいは考えていいと思います。お墓の様式や副葬品は年代や地域によって随分差があると思いますが、身分の差という視点で分析するといろいろ見えてくるのではないかなぁと思います。

いずれにせよ、お米が貧富の差に決定的な意味を持ったということはきっと間違いないと思います。お米は戦略物資です。天皇は大嘗祭と新嘗祭でお米を食べます。大嘗祭は即位の時に行われ、新嘗祭は毎年行われます。五穀豊穣に感謝すると同時に、戦略物資を食べることによって統治権を確認するという象徴的な意味もあるのではないかと思います。お米は一本の苗にたくさんの実をつけますから子孫繁栄にも通じて大変縁起がよいのだとも思います。

東京の皇居には小さな水田があって、今も毎年天皇陛下が親しくお田植をされるそうです。お米を大切にするという意味の表現があると思います。戦略物資をコントロールするという意味ももしかするとあるかも知れません。ただ、平安時代の天皇が御所でお田植をされていたとか聞いたことも読んだこともありません。京都御所を拝観した時にお田植されていた場所みたいな表示も見たこともありません。なので、近代になってから、天皇家が東京に移ってからそういうお田植が行われたのではないかなぁと思うことがあります。推し量ってばかりで申し訳ないです。

天皇家のルーツは諸説あります。今となってはもちろん分かりませんし、はっきりさせる必要もありません。神話があってそこに想像の余地があるのがおもしろいのだと思います。ただ、お米が戦略物資で、大嘗祭と新嘗祭があるように天皇家もお米を重視していて、縄文と弥生をばっさりと区分できるほどの重みがあるのなら、実は天皇家は米作技術を持って大陸から渡ってきた人で、独自の米作技術によって富と権力を確立し、全国に統治権を広げたと想像することも可能です。想像ばっかりで申し訳ないです。お米というキーワードで天皇家のルーツを推量するのもおもしろいかなぁと思ったという程度のお話です。

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映画『エリザベス』の戦う女性の成長と演説力

イギリス映画の『エリザベス』は、ケイトブランシェットが主演し、深い歴史考証とリアリティの宿ったディテールなどで世界的に高い評価を得た映画です。

私も何十回も観ましたが、何度観ても飽きません。時代は16世紀の終わりごろです。日本では信長の時代です。イギリス王ヘンリー8世がローマカトリックから独立した英国教会を立ち上げ、イギリス国内は新教と旧教の間で血で血を洗う争いになっています。ヘンリー8世の娘のエリザベスは、王位継承権争いと宗教争いの両方の煽りを受け一度はロンドン塔に収監されますが、カトリック教徒のメアリー女王が亡くなったことで王位に就きます。スコットランドにも王位継承権を持つ者がいます。スコットランドのバックにフランスがいます。血縁と宗派で人間関係が複雑に入り組んでいて、誰がどういう順番で王位継承権を持っていて、なんでフランスが絡んでくるのか、調べれば調べるほどよく分からなくなってきます。保元の乱みたいです。

いずれにせよ、エリザベスは王位に就いた後も各方面から反発を受け、命を狙われます。議会にはノーフォーク公があわよくば自分が権力者になろうとしています。国内のカトリックの偉い大司教様もいらっしゃいます。フランス王にもスペイン王にもスコットランドもそれぞれに動機があります。イギリスのEU離脱騒動はこの辺まで絡んでくるので根が深いです。何百年も前のことが未だに影響しています。

この時代、イギリスはまだ強くありません。当時、最も成功しているヨーロッパの国はスペインで、世界の中心はトルコです。イギリスは辺境です。他の国に頭を下げなくては独立を保つことができません。強い国の王家の人と結婚して半分属国みたいにしないといけないというプレッシャーがかかってきます。当時はまだ政治は男性がするものという意識が強いです。女性が政治をすることへの反発もあります。

エリザベスはまず国内の議会を説得します。演説がうまいです。演説の練習をする場面が出てきます。ユーモアと反対者にとっての都合の悪い事実関係を織り交ぜて議論を自分にとって有利な方へと導いてきます。口八丁かというとそういうわけでもありません。常に誠実に自分の考えを言葉に出そうとしています。ただ、相手に伝わる言葉を選ぶために慎重に言葉を選びます。論的からいろいろ言われてさっと切り替えすのは天性の強さです。自分が有利になるために偽りを言うはないです。頭に来たら頭に来たと言います。感情を隠しません。自分に対して正直でいつつ、論敵、政敵、外敵と渡り合います。

王位に就いたばかりのころはまだまだ子供な感じです。戦争したり暗殺されかけたりを繰り返すうちにだんだん強くなっていきます。成長していきます。表情に変化が出てきます。大人の顔になっていきます。強さが出てきます。よくもこんな演技ができるものです。凄いとしか言えません。映画の最後はゴッドファーザー的解決で外敵政敵論敵を一掃します。観客はカタルシスを感じます。外敵の代表はローマ法王庁からエリザベス暗殺の目的で派遣されてきた修道士です。007のダニエルクレイグがその役をしています。この映画の時はまだまだ若いです。007シリーズのダニエルクレイグと比べると、この映画ではまだまだ子どもの顔をしています。今の方がかっこいいです。自分の鍛え方はんぱないのです。きっと。見習わなくてはいけません。

当時、イタリアはすでにルネッサンスですが、イギリスはまだまだ中世です。中世の終わりかけです。映画の雰囲気づくりが半端ないです。それぞれのワンショットが美術館の絵みたいです。中世のイギリスってこんな感じだったんだろうなぁとただただ感嘆するだけです。イシグロカズオさんの『忘れられた巨人』みたいな世界の延長みたいな感じです。役者さんたちの目の演技がいいです。目は口ほどのモノを言います。一瞬の目の動きで多くのことを語っています。一度か二度観ただけでは全部に気づくことはできません。ノーフォーク公に送り込まれた女スパイの目の動きに何度目かに観たときに気づきます。気づくと見事です。はっきりと、気づいた人にはしっかりと分かるように作られています。何十回観た後でも、演出の全てに気づいているかと問われれば不安です。まだまだ気づいていないディテールがあるに違いありません。

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『ラストエンペラー』の孤独の先にある孤独とさらにその先の救い

『ラストエンペラー』は清朝の最後の皇帝であり、後に満州国の皇帝に即位した人物で、日本の関東軍とも深い関係があったことで知られる溥儀の人生を描いた映画です。

映画の前半はずっと紫禁城の内側でのできごとが描かれます。どの場面も一幅の絵のように美しく、現代の我々の生活とは全く異なる別世界が実際に存在したのかのように思えて来ます。実際に紫禁城で撮影されていて、あちこち建物が傷んでいますが、これもいい意味でリアリティを持たせることの役割を果たしているように見えます。少年溥儀は紫禁城から出ることを許されず、巨大な宮殿の中で監禁されているかのような息苦しさとともに成長していきます。唯一心を開いた相手であろう乳母とも引き離され、孤独を噛みしめます。

溥儀と周辺の人たちは将来の清朝の復活を期待しますが、軍閥によって紫禁城を追放され、天津で暮らします。実際には日本疎開にある邸宅を借りて、そこで相当に放蕩したようです。

だんだんお金が無くなっていきます。二人の妻と数十人の従者や元清朝関係者を抱えているにも関わらず、好き放題に贅沢しますので少しずつ追い詰められていきます。蒋介石からは年金が支払われていたはずですが、追い付かなかったみたいです(原作とされるエドワードベアの『ラストエンペラー』では一階をレストランにしたことになっていますが、あまり儲からなかったというか、儲かっとしても、これも消費に追い付かなかったような気がします)。そのような時、第二夫人が離婚を申し出ます。このことは物見高い天津中の新聞に書かれ、溥儀は大きく面子を失いますが、彼のように古代世界から抜け出て来たような人物であっても、20世紀的な人間の悩みやつまづきから自由になることはできませんでした。映画では、「新しい時代の女性」を象徴するかのように、明るい希望に満ちた音楽とともに第二婦人が出ていくところを描いています。深い絆で結ばれていたであろう家庭教師のレジナルドジョンストンは帰国してしまいます(満州国建国後、溥儀は乳母とレジナルドジョンストンを満州に招待していますので、実際の歴史でも溥儀がこの二人を自分の人生にとって必要な存在だと思っていたことが推し量れます)。

溥儀は関東軍に要請されて満州国へと渡ります。清朝復活の希望を託せるからです。しかし関東軍は彼を操り人形としか扱いません。彼の主体的な意思はそこには存在しません。3歳の時に紫禁城に招かれ、その後、一切の主体性を認められずに生きてきた彼にとって、自分が主体的に生きられないことへのもどかしさや怒り、周囲への不信感を抱え、それを増大させていきます。残った第一夫人は運転手と不倫関係になります。運転手は殺害されます。他にも溥儀のことを扱った映画では、運転手が命を絶たなくてはいけなくなるものもありますが、この映画の原作とされるエドワードベアの『ラストエンペラー』では疲れ切った溥儀が男に金を渡して立ち去るように命じただけだったと述べています。実際はどうだったのかは分かりません。殺されてもおかしくないとは思います。エドワードベアの『ラストエンペラー』という作品は東洋人への偏見が少し強すぎるように思うので、どこまで本当のことを取材しているのか私には疑問に思えますが、そういう記述もあるという程度に抑えておきたいと思います。

終戦の時、溥儀は一旦ソビエト連邦に抑留され、その後、中国に引き渡されます。戦犯収容所に入れられ、10年以上に渡る人格矯正を受けます。収容所内での所長と溥儀の会話では、溥儀が「あなたは私を利用しているのだ」という台詞があり、所長は「利用されるのはそんなに嫌なことか」と言います。溥儀は自分が利用対象に過ぎず、人間として尊重されていないと感じ、それが自分の人生でもあるように感じていて、人生に深く失望しています。

溥儀は釈放され、北京で普通の市民の女性と結婚し、文革の最中に亡くなります。映画では最後に溥儀の近くにいるのは彼の弟です。文革の街を二人で歩きます。文革で弾圧されている収容所の所長に再会します。彼は紅衛兵たちに対し「彼は素晴らしい教師なんだ」と訴えますが、押し倒されてしまいます。人生で初めて、全く自由な自分の心から彼は発言し、他人を助けようとします。晩年になって人間性を取り戻したと言うか、ようやく感情、或いは衝動に身を任せるということを手に入れたように見えます。

晩年の溥儀に対しては優しい視線が送られます。映画全体のやたら細部までしっかりしているリアリティ、登場人物の表情や目の動き、身のこなし、どれもが考え抜かれていて、何度見ても「ああ、ここでこんな表情をしていのか…」と今まで気づかなかったことに驚くということがよくあります。それほど、ディテールまでしっかり作りこまれている映画なのだと思います。

主役のジョンローンは香港で孤児として京劇のスクールに拾われ訓練を受けたとのことですが、京劇の基礎と、後にアメリカにわたって訓練された演劇の基礎の両方を持っており(トニー賞を二度受賞)、一つ一つの動きが、一言でいえば美しいです。何度観てもほれぼれするクールな映画です。

細部に於いては史実とは少し違うところもあるようです、溥儀は紫禁城に隣接するようにして建っている父親の邸宅には自転車で行っていたらしいですし、少年時代は電話を好き放題にかけて胡適を紫禁城に呼び出すようなこともしていたようです。弟に命じて紫禁城の財産を天津に移動させていたり(将来を見越してか?)など、わりと自由にできていたところもあったようです。また、坂本龍一が満州国の片腕の陰の支配者甘粕正彦の役をしていますが、実際の甘粕満州映画協会理事長は両腕のある人でしたし、満州国の陰の実力者ということはなかったようです。満州映画協会が工作組織としての一面を持っていたとする指摘もあるようですが、それはおそらく同撮影所で制作したものを上海や台湾などで上映することによる宣伝活動ということではなかろうかと思います。そう考えれば、国策映画会社がそのような任務を負っていたとしても普通に納得できます。

話が脱線しますが、満州映画協会によって台湾を舞台に李香蘭主演の『サヨンの鐘』という映画が撮影されます。台湾人に対する宣伝映画なのですが、未だに全編を観ることができていません。台湾で上映する宣伝映画を満州映画協会が作ったということは、それだけ満州の映画産業が発達していたと見ることもできるため、なかなか興味深い現象だと思います。

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ベルリン攻防戦の過酷さと描かれ方とヒトラー生存説について

先日、パリ解放のことを書きましたので、その続きというほど体系立ててもいないですが、関連でベルリン攻防戦について述べてみたいと思います。

周知のとおり、ベルリン攻防戦は人間の歴史でも稀にみる市民を巻き込んだ徹底した殲滅戦で、これほど激しいものはそれ以外の例としてはコンスタンティノープルの陥落か信長の一向宗殲滅戦くらいしかないのではないかと思います。或いは沖縄戦も入るかも知れないですが、攻める側の気合や意思のようなものが少し違うかもしれません。

ベルリン攻防戦の始まりは、東からポーランドを制して進んできたソ連軍がオーデル川を越えたところからだと考えるのがいいと思いますが、ソ連軍は各方面のドイツ軍を孤立させた状態でベルリンを包囲します。ベルリンを守るドイツ軍の応戦は異様に堅固なものだったのに対し、ソ連側では勝てる分かった戦いで死にたくないという意識が兵士の間に強く、今一つ士気の上がらないままの戦いが続いたと言います。

西からはアメリカ軍が迫っていましたが、最後の総統官邸陥落はソ連軍に譲る形で援護する側に立っていたようです。それでもベルリン中心部のすぐ手前まで進み、キャパによる「連合軍最後の戦死者」と題された写真が撮影されることになります。

ベルリン包囲は1945年4月20日から始まり、5月2日まで続いたので、この状態で12日間も持ち堪えたことの方が不思議に思え、ドイツ軍の抵抗の激しさを想像することができます。ベルリン市の外側が徐々に包囲を縮めて行き、最後は国会議事堂、ブランデンブルク門、総統官邸の数百メートル四方のエリアのみとなりますが、そこから先になかなか進みません。国会議事堂での戦闘では一時的にはドイツ軍の方が優勢と思える展開もあり、ソ連軍は地下に立てこもったドイツ兵に対し、銃撃による攻撃はある意味では諦めて、催涙弾を投げ込んで降伏を促しています。

ソ連軍に包囲されているブランデンブルク門前の広場にドイツのセスナ機が着陸し、しばらくしてまた離陸するのを大勢の人が目撃しています。この飛行機にヒトラーが乗っていたのではないかとする、ヒトラー生存説の根拠としてよく言われているものです。しかし、実際にはヒトラーはその飛行機に乗ることを拒否し、自決を選びます。

ヒトラーが本当に自決したのかについては、これもまた諸説ありますが、戦後、総統官邸で働いていた人がカメラの前で当時のことを証言しており、ヒトラーの死体の様子を語っている人もいたので、まず、問題なくヒトラーはこの時に亡くなったのだと考えていいと思います。

アドルフヒトラーの最期についてソ連映画の『ヨーロッパの解放』と『ヒトラー最期の12日間』では随分と違います。『ヨーロッパの解放』ではヒトラーは最期まで生きることに執着しています。また、愛人で目の覚めるような美人のエヴァブラウンは実は密かに生き延びたいと思っています。最期はヒトラーが強引にエヴァブラウンに青酸カリを飲ませ、その後にヒトラー本人も泣く泣く青酸カリ自殺をします。大変弱い男として描かれています。私にはヒトラーの人間的な弱さがあれほどの事態を引き起こしたのではないかという気がするので、ある意味では正鵠を射ているとも思えますが、制作者はなるべくヒトラーを卑小な人間として描きたいと考えていることも伝わってきます。ついでに言うと『ヨーロッパの解放』のアドルフヒトラーは「本人が演じているのか?」と思うほどよく似ています。ついでに言うと、この映画の有名な「総統がお怒り」シリーズに使われる場面には、さりげなくフリーメイソンのメンバーが分かる人にだけ分かるように登場しています。

一方の『ヒトラー最期の12日間』ではアドルフヒトラーを血の通った人間として描こうとしています。そのことが正しいかどうか、是非善悪については一旦脇に置きます。ヒトラーとエヴァブラウンは深い絆で結ばれています。この映画に出てくるエヴァブラウンは非常に疲れていて、やつれているという印象を与える女性です。しかし、ヒトラーと共に最期を迎えることを受け入れていて、むしろ積極的に望んでそれを選択しているように思えます。

総統官邸にいた人たちの証言によれば、どちらかと言えばエヴァブラウンはヒトラーと最期を迎えることを望んでいたという感じらしいです。というより、総統官邸の人たちによると、彼女は喜んでそれを選択したということのようです。ただ私が「人はそこまで積極的に自殺を受け入れることができるのか…」という疑問を完全にはぬぐえないので、どちらかと言えば、積極的だったらしいです、という述べ方になってしまいます。

総統官邸では陥落する数日前からどんちゃん騒ぎになっていたそうです。保存してある酒と食料を全部引っ張り出して飲めや歌えや踊れや笑えやの状況になっていたと言います。絶対に助からないと分かっているので、もうやけくそになっていたらしいです。そういうものかも知れません。日本の戦国時代の籠城戦でもそんな感じだったのではないかなぁと思います。想像です。

総統官邸はその後「解散」し、それぞれが思い思いの場所へと脱走していきます。その中にマルチンボルマンがいて、彼の生存説がささやかれていましたが、今では総統官邸が解散した日に死んだということで議論は落ち着いているようです。ただ、反論もあるらしいです。その辺りになれば真相はもう分かりません。生きていたとしても、さすがに今は生きていないと思います。とはいえ、最近でも時々元ナチスの人が判決を受けるとかのニュースがあるので、まだ生きている人がいることに驚くことがあります。

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『博士の異常な愛情』のアイロニーを解読する

『博士の以上な愛情―或いは私は如何にして心配することを止め水爆を愛するようになったか』は、どんな内容の映画かということについては大変知られていることだと思います。

アメリカ軍の空軍基地司令官が共産主義の陰謀論を自分の頭の中で妄想し、先手必勝を確信し、独断でソ連周辺を飛び回っている爆撃機に水爆の投下を命じます。冷戦の時代です。キューバ危機とかあった時代です。一瞬でもそういう妄想が頭に浮かぶ人が多い時代です。通常、核攻撃を大統領の命令なしにできるはずはありません。しかし、この映画では命令系統の盲点をついて司令が独断でできるようになっています。アナログの時代ですので、今のデジタルの時代よりは盲点は多いかも知れません。とはいえ物語ですので、実際にそのようなことは起こり得ないと思いますし、実際に起こりませんでした。

むしろ関心を持ちたいのは、この映画に込められたアイロニーの数々です。注意深くみていくと、随所にアイロニーが散りばめられていることが分かります。というかアイロニー満載です。司令官の爆撃命令を受け取った爆撃機の機長は部下に「平然と水爆を落せるやつは人間じゃない」と話します。エノラゲイに対する暗然たる批判になっていることに気づきます。司令が自分の組み立てた妄想をイギリスから派遣されてきた副官に話します。司令はソフトマッチョな感じのするカウボーイ風のナイスガイです。監督は冷笑的に「どんな人間が戦争を起こすのか」を観客に問いかけています。コカ・コーラの自動販売機が登場するのも何をかいわんやというところです。私はコカ・コーラなしでは生きていけない人間ですが、その自動販売機の登場に、監督の言いたいことが入っています。あまりに直接的すぎて、ここで書くのは憚られるほど明確です。

ソビエト連邦が、もし先制攻撃を受けたときのための備えとして死の灰と放射線で全人類を滅亡させる「皆殺し装置」を開発しており、不幸にして爆撃機がソビエト連邦への攻撃に成功してしまうため「皆殺し装置」が発動してしまいます。

ドクターストレンジラブがアイロニーの究極の存在です。元ナチスで、アメリカに帰化した彼は、科学技術の責任者としてアメリカ政府の高官になります。彼は「皆殺し装置」が発動されたことについて、大統領に対し、選ばれた者だけが地下に避難し、原子力でエネルギーを得て100年後の放射線の半減期まで耐え忍ぶよう提案します。核で世界と人類が滅びるというときに、やはり核で生き延びようとする逆説が生きています。

福島原子力発電所の事故が起きて以降、日本人は基本的には原子力発電に対して失望していると私は思います。一時的な使用はもしかするとありかも知れないですが、恒常的な使用はあり得ないと感じている人が多いと思います。50年も前に作られた映画ですが、311以前に観るのと、以降に観るのとでは感じ取れることも変わってくるような気がします。

これはもはや謎と言っていいですが、キューブリック監督はいったい何と戦っていたのだろうか…ということを私はしきりに考えます。推測するしかできませんが、他の作品も一緒に観ることで、おぼろげながら、その意図を知ることはできるかも知れません。とはいえ、それは、もはや個人のレベルでそれぞれに想像力をたくましくする他はないような気もします。

ついでになりますが、ピーターセラーズという役者さんが一人で三役こなしていて、それぞれに別人に見えるところがすごいです。大統領とドクターストレンジラブとイギリス人副官をこなしています。誰かに教えてもらえなければ、簡単には気づきません。ただ、個性が強いので一回目に観たときに「なんかあるな」くらいには気づくかも知れません。一回気づけば簡単にわかりますが…。

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『オペラ座の怪人』の階級と愛と欲望とピケティ

『オペラ座の怪人』は不幸な生い立ちの「怪人」が若くて美しい歌姫のクリスティーンに対する執念とも言える愛情を燃やすことで知られています。ただ、よく見てみるとフランスの階級社会と時代の変化、それに伴う意識の変化、もうちょっと言うと「欲望」に対する考え方が変わっていこうとしている様子が分かります。更に言うと「怪人」は近代を象徴しています。もうちょっと詳しく述べたいと思います。

『オペラ座の怪人』の前半で、当該のオペラ座の演目は古代ローマ史に関するものだったり、フランスのお貴族様が妻の隙を狙って浮気をする話だったりします。一方、後半に於いて「怪人」が書いた演目である『ドンファンの勝利』を上演することになりますが、それは名もなき一人の男が自分の女性に対する欲望を満たすために何でもするという内容のものになっています。

実はここには時代の変化というものを原作者が意識して入れてこんでいるように思えます。前半で見られる古代ローマ物はいわば定番モノ。よっ中村屋!的なマンネリズムを扱っています(マンネリズムそのものは、それで良いものですし、私も「よっ中村屋!」的世界はわるくないと思います。そもそも歌舞伎は伝統否定から来ているので、その精神も愛すべきものです)。また、お貴族様が妻の隙をうかがって浮気をするというのは、「あわよくば、そうしたい」というもので生活の根本的な変化を求めるものではありません。妻との結婚生活そのものは維持します。特にお貴族様の場合、資産の維持と結婚は直結しますのでそこは死守します。飽くまでも「あわよくば」、目を盗んで浮気したいというものです。観客は「わかる、わかる!自分もそうしたい!」と思い、そこで共感的な笑いを誘うことができます。音楽はお決まりで微温的で微笑に満ちたものです。

一方、後半の「怪人」が書いた譜面では、狙った女性を得るために手段を選びません。「あわよくば」的な甘さは一切ありません。欲望を達成するためには何でもします。人生をかけます。命をかけます。前半に上演される微温的な甘ったるさを拒否するほどの強い精神、エゴ、既存の価値観に対する挑戦と破壊があります。狂気に満ちた旋律と欲望に身もだえするようなダンスは前例を否定し、自分の欲求を肯定し、そしてそれを持て余しています。

前半と後半の違いは近代以前と近代化以降の違いと言ってもいいと私は思います。前半はいわば近代以前。変化を嫌い、自我的欲求は秩序の範囲内で満たす。不変の秩序が支配する世界です。一方の『ドンファンの勝利』は自分のやりたいことのためには秩序など無視します。自分の求めることを達成するためには、新しいものを受け入れ、状況の変化を受け入れ、善悪は別にして目標達成のために最善を尽くします。これは様式美や枠組みよりも実際の効果を優先する近代の戦争や近代資本主義と同様の立場です。

ヨーロッパが階級社会であるということとも密接にかかわります。たとえば覆面舞踏会では「上流」の人は上流同士で品よく楽しみます。一方で「下流」の人は下流同士でバカ騒ぎをして楽しみます。そういう社会であり、そういう時代だということを作者は訴えているわけです。

「怪人」の書いた『ドンファンの勝利』は、そういう階級をも突き崩せ、というメッセージを込めています。階級をはじめとする様々な社会の前提条件を受け入れていてはドンファンの欲望を満たすことは不可能だからです。

時代は19世紀後半から20世紀初頭にかけて。オペラ座がつぶれていろいろな物がオークションにかけられる時は既に第一次世界大戦の後です。戦争の激化により機械化が進んだ時代です。自動車が移動手段の主役になりつつあります。親から財産を受け継ぐ人だけが豊かなのではなく自分で事業を始めて成功した人も豊かに、貴族以上の生活ができる可能性が見え始めて来た時代です。オペラ座の新しいオーナーはスクラップメタル事業で成功した、いわば成金です。貴族でない人が成功するためには怪人の書いた『ドンファンの勝利』のような強い情熱、不屈の精神が求められます。『オペラ座の怪人』を観て、ラウル子爵よりも「怪人」に感情移入する人は多いと思います(そうなるように作られています)。それは不屈の精神でほしいものを手に入れようとして努力する自分を怪人に投影できるからだと思います。自分が手に入れようとするものがタッチの差で手に入らずに悔し涙を流した人は大勢います。私にもそういう経験は何度となくあります。近代がそういう設定で動いているので、近代社会では人はそういう経験をしないわけにはいきません。それによって経済成長は極限を目指すことができます。

しかしながら、21世紀の今、私たちの社会はいろいろな意味でターニングポイントを過ぎており、欲望を満たすためなら「何でもする」時代は過去のものとなりつつあるように見えなくもありません。情熱と努力だけではとても変わっていかないものがあると人々は訴えています。イギリスのEU離脱は「これ以上の競争社会はおうご免だ」と見ることもできますし、トランプ氏はサンダース氏の人気も同じ理由に求めることができます。人々の意識は情熱によって努力を強いられることに疑問を持つようになっています。ピケティの著作がかくも支持されている理由はそこに求めることができます。ポストモダンです。小理屈ですみません。

以前の私でしたらピケティ的価値観を受け入れることができなかったかも知れません。ですが前提条件が違います。AIによる生産性革命がわりと近い将来(そこまで近くはないですが…)に訪れるとすれば、確かに競争しなくて良くなると思います。では『オペラ座の怪人』が過去の作品になるのかというと、新しい時代には新しい解読の仕方があるかも知れません。恋の悩みは生産性とは関係ありません…。

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モンサンミシェルに行った時の話

世界遺産にも登録されているモンサンミシェルは、児玉清さんの『アタック25』に優勝すると行けるというだけで私にとっては随分とプレミア感がある場所です。

ベルサイユでもバルビゾンでも自力で地下鉄、鉄道、バスと乗り継いで行きましたが、モンサンミシェルだけは自力で行く自信がなく、鉄道が通ってるかどうかも分かりませんし、バスは一本間違えればどこへ行くかも分からないという不安があって、現地でにオプショナルツアーに申し込みました。「ノルマンディとモンサンミシェル昼食付き」の日帰りツアーです。モンサンミシェルは遠いです。パリから400キロくらい離れています。東京と名古屋くらいの距離がありますから、ほとんどバスの中です。モンサンミシェルを見ることさえできれば満足だツアーです。パリに戻ってくるときは深夜です。

高速道路で西へ西へと向かう旅は、第二次世界大戦の時、ノルマンディ上陸以降にパリへ向かった連合軍とちょうど反対方向です。バスから見える平地を眺めれば、この辺り一帯で連合軍とドイツ軍が撃ち合っていたのかなぁというような想像力が働きます。
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ノルマンディで15分くらいの休憩が入ります。これでツアーの名目通りノルマンディに行ったことになるので約束は一つ果たされました。かわいい家が並んでいます。ノルマンディ上陸があった場所は近いのでしょうけれど、映画で観るのは砂浜に向かって上陸していく様子なので、私が訪れたような港湾が整備されている場所という感じではありません。ただ、上陸したラインはけっこう長いらしく、映画でやるのは一番激戦だった場面を再現しているので、簡単には判断ができません。
ノルマンディ

ノルマンディを後にしてモンサンミシェルが見えるレストランで昼食を済ませ、いよいよ念願のモンサンミシェル突入です。モンサンミシェルへと続く道は潮が満ちると海に沈み、潮が引いている時だけ渡れるという場所で、かつてから巡礼の人が難儀する場所として知られていましたが、最近は近くで水利工事が行われて以降、砂がたまるようになり、全然そういう心配はないそうです。しっかり道が整備されていて、安全にわたれます。

モンサンミシェルは修道院として建てられましたが、砦だった時もあれば監獄として利用されていたこともあるそうです。修道院として使う場所としては、ここは世間から隔絶されて瞑想生活に入るのに適しているように見えます。『薔薇の名前』の修道院もこんな感じか?とも思います。ただ、私の中では薔薇の名前の修道院は山の中です。砦に使用したならば、満潮時に敵が潮で流されていきますので難攻不落感が強いです。世間から隔絶されるという意味では監獄としても最適のように思います。ドームみたいな広い部屋がたくさんあります。お土産屋さんもたくさんあって、仲睦まじい男女がたくさんいます。うらやましいです。海の方に目をやると、広い広い干潟が広がりとてもきれいです。
モンサンミシェルの周囲の干潟

私が『アタック25』に出る前に児玉清さんが亡くなってしまいましたが、自分で行ったので出られなくても満足です。児玉清さん、ありがとうございます。

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パリの地下鉄の話

パリの地下鉄は入り組んでいてすぐには理解できません。何度も乗っているうちにだんだん便利に使えるようになっていきます。パリ市がそんなに広いわけではないことと関係しているのかも知れないですが、駅と駅の間隔が短いです。エリア的に被っている路線が多いので、自分の行きたいところへ行くのに乗り換えの手間を少なくすることができます。ニューヨークの地下鉄は大阪と同じで縦横そろっていて分かりやすいですが、パリの地下鉄はロンドンや東京みたいにぐねぐねしているので、乗り換えポイントを理解するまでは少し時間がかかります。理解したら楽ちんです。

パリの地下鉄は結構、汚れています。下北沢のちょうどいい感じに年季の入った劇場みたいに、いい感じに汚れています。へんなにおいもしています。何のにおいかはっきりとはわかりませんが、多分、人間の体臭100年分みたいな感じだと思います。慣れればどうということはありませんし、ちょうどいい感じの汚れ方と合わせて雰囲気を楽しめる気がします。ちょっと銀座線に似ていなくもないように思います。

パリの地下鉄はシテ島に集まるようにできています。シテ島周辺に3つか4つくらい駅があるので、大抵の路線からシテ島にいけます。便利です。シテ駅から歩いてすぐにポンヌフ駅があるみたいな感じです。

パリの地下鉄構内にはストリートミュージシャンも結構います。レベルは高いです。バイオリンでクラシックをやっている人もいれば、レゲエをやってる人もいます。

レゲエをやっている人たちの写真です。
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この人たちもレベル高いです。楽しんでます。髭とか服装とかドラマチックです。そういう人があちこちにいます。楽しいです。

昭和天皇は皇太子時代に第一次大戦後のパリを訪問しています。亡くなった後、遺品の中にパリの地下鉄の切符があったそうです。ヨーロッパ旅行が人生で一番楽しかったと後に述懐しています。今でこそパリは「ロマンチック」な歴史ある古都ですが、1900年ごろのパリはロンドンと並ぶ世界の中心、近代の源みたいな場所です。1900年のパリ万博で市の南西側を中心に再開発が進み、エッフェル塔とかオルセーとかが作られましたので、昭和天皇が訪問した時は、そういう時代の最先端の空気があって、当時はまだまだ若いですから、きっといろいろなことを感じたのだろうと思います。

そういう意味では最近のパリはちょっとぱっとしないかも知れません。時代の最先端という感じとも言いにくいかなあという気はします。人口は第二次大戦のころに300万ありましたが、今は200万くらいです。衰えたわけではなく、パリのイメージがあまりにも「ロマンチック」なため、世界のお金持ちが住みたがり、地価が高騰して普通の人はなかなかパリ市内に住めません。ドーナツ化現象を起こしていてパリ郊外で暮らす人がとても多いそうです。結果としてパリはセレブと観光客ばっかりの街になり、普通の人の割合が少ない、ちょっと不思議な街になっているような気がします。もっとも、古いパリの景観は残しつつ、新しいビジネスセンターみたいな地区もありますので、私が古いパリばかり歩いたからそんな印象を持ったのかも知れません。

個人的には地下鉄がすごく好きです。世界中どこへ行くにしても地下鉄のある場所に行きたいです。日本で暮らす場合は私鉄沿線でもOKです。なんか話が脱線してしまいました。地下鉄だけに。



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ベルサイユ宮殿に行った時の話

ベルサイユへはパリ市内から小一時間電車に乗っていきます。駅を降りると普通の街並みですが、改札を出て右へ歩き、最初の大きな角を左に曲がると少し遠目に立派なベルサイユ宮殿があります。駅の方からみて丘の上になるように考えて作られていて、ルイ14世が自身の「君臨」ぶりを見せつけることを意識していたことが分かります。

てくてく歩いていくと観光客の行列が見えます。現地ツアーに申し込んだ人や団体さんはすっと入れますが、個人旅行でぶっつけで来てる人はここで延々と待たなくてはいけません。朝10時ぐらいに着いたのですが、ぎっちり人が並んでいます。入れるまで2時間半ぐらいかかりました。

ただ、入ってみればいいところです。こじゃれています。天井画も家具も壁もこじゃれています。おーさすがだなー。と思います。かつての王の寝室とか、全部廊下でつながっていて、博物館を見るみたいにしながら歩いて行けます。実は当時からそのような作りになっていて、王家の人々の生活(顔を洗ったり食事をしたり)は全部公開されていたそうです。不思議な習慣ですが、王は国民のものなので全て公開しなくてはいけないみたいな話だったそうです。思いついたのはルイ14世でしょうから、絶対王政がちょっと変な方向に向き始めていたことが分かります。

鏡の場は立派です。とても広いです。第一次世界大戦後のベルサイユ会議のメイン会場に使われた部屋です。鏡がばーっと並んでいます。体育館くらいの広さがあります。しかしベルサイユ宮殿のおもしろいところは「母屋」だけではありません。広大な庭があります。市町村一個くらい入りそうなほどの広い庭です。広大の庭の中には第二宮殿みたいについて使われた「グラントリアノン」、ルイ16世が結婚の時にマリーアントワネットにプレゼントした「プチトリアノン」、マリーアントワネットの田舎風趣味を現実のものにした「農村」などがあります。

グラントリアノンはまあまあいいですが、第二宮殿ですから、ベルサイユの母屋を小さくした感じで、当時の美術に詳しくない人にとっては大体同じ感じに見えなくもありません。プチトリアノンはわりと素朴で、建物は白が基調で、ベルサイユ宮殿みたいにごてごてとデコっていません。マリーアントワネットはプチトリアノンがお気に入りで、大体そこで暮らし、友達を集めて遊んでいたそうです。気になるのは「農村」ですが、本当に田舎の農村風の民家があります。人は住んでいるわけではなく観光用みたいです。マリーアントワネットが素朴な田舎趣味を好んで作らせたとのことですが、当時、本当に人が住んで普通に農業とかしていたのか、それとも単なるデモンストレーション、エグジビションのつもりで建ててあっただけなのかはどこにも書いてありませんでした。フランス史を勉強して、それもブルボン王朝専門とかの人でないと知らないのかも知れません。

それらの場所には始めは歩いて行くつもりでしたが、あまりの遠さに断念し、庭園の中を小さな列車が走ってますのでそれでグラントリアノンまで移動。その後は普通に歩いて見たいものを見たという感じです。庭園ではじゃがいもをふかして売っているお店がありましたので、それを購入。じゃがいもとバターのシンプルな味がよかったです。いろいろ工夫するよりこういうのが一番いいんじゃないかなぁとか思ったりしました。

ベルサイユの庭園で食べたジャガイモ。フランスで食べたものの中ではこれが一番おいしかった気がします。
ベルサイユの庭園で食べたジャガイモ。フランスで食べたものの中ではこれが一番おいしかった気がします。

マリーアントワネットが愛した農村。当時人が暮らしていたかどうかは不明。
マリーアントワネットが愛した農村。当時人が暮らしていたかどうかは不明。

ルイ16世とマリーアントワネットのエピソードはパンフレットとかにいろいろ書いてあります。マリーアントワネットがこっそり作らせた自分だけでゆっくり過ごせる密室があった話とか、密室の窓から抜け出して遊びに行っていた話とか、恋人ができたときの話とか、そういう感じのやつです。一応、人妻なわけですが恋人を作ってはいけないような気もしますが、当時のフランス貴族はそのあたり、婚姻と貞操の関連性がどうなっていたのかが私には知識がないですし、そういうことについて議論している本も読んだこともないので、それについては永遠の謎です。

こんなあほみたいにデコりまくった建物を作らせたのはルイ14世ですが、どうしても世間は私も含んでマリーアントワネット=ベルサイユ宮殿で贅沢生活。というイメージが先に来ます。ショップでもマリーアントワネットの肖像画の入ったクリアファイルとか売っています。マリーアントワネットものは売れ筋なのに違いありません。1789年に起きたフランス革命でルイ16世一家はチュイルリー宮に移らされ、次いでタンプル塔に移され、ルイ16世はそこから革命広場に引き出されて断頭台にかけられます。マリーアントワネットは更にシテ島のコンシェルジュリーに移され、裁判にかけられて最期はやはり革命広場で断頭台にかけられます。そういう事情を現代の我々は知っているので、デコった宮殿が悲劇的に見え、人をひきつけるのではないかと思います。




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