台湾映画『セデック・バレ』の日本観

1930年、台湾中部の山奥にある霧社という地域で実際に起きた日本人虐殺事件と、日本人を虐殺した原住民部族に対する日本軍の反撃が描かれる映画です。台湾の人はこれを観て、深く感動したそうです。

日本人の殺され方が、ある意味では小ばかにしたような描かれ方になっており、そういう観点からの違和感は私にはどうしても残ってしまいます。映画で日本人が殺されるのがけしからんということではないです。人が殺されるのはドラマツルギーの一つとも言えると思いますから、映画で人を殺してはいけないということになっては困ります。ただ、おもしろおかしく、人がまぬけな感じで殺され、微かな笑いを誘い得るということに対してはいやーな印象を受けました。

二部構成になっており、後半では日本軍の反撃を受けて日本人を皆殺しにした原住民の部族の人たちが死んで行きます。男たちは戦いで命を落とします。女性たちは戦いの足手まといになってはいけないので、集団でジャングルの中で首をつります。それはもう壮絶で見ていられません。日本軍が国際法で禁じられている生物・化学兵器を使用したとの説もありますが、証拠は多分、ないでしょうけれど、使ったとしても不思議ではないとは思います。国内事情ですので、国際法とは関係ありませんし、その効果を試してみたいという動機があったとしても驚くには価しません。

それはそうとして、原住民の男たちは誇り高き戦士として近代化された日本軍と堂々と戦い死んで行きます。私にはそれに対しても違和感を拭い去ることができません。霧社における日本人虐殺事件は、小学校の運動会が標的にされており、逃げまわる小学生やお母さんたちを銃や刀で武装した男たちが追い回して全員殺しています。そのような行為をする者が誇り高き戦士だと私にはどうしても思えないからです。日本軍の基地に突撃したとかなら、話は違ってくると思いますが、そうではなくて、今風に言えば完全にソフトターゲットを狙っています。

日本人も責められるべき点はあります。原住民を心底見下しているということが分かる場面や台詞が何度も挿入されますし、当時は実際にそうだったのだろうと想像することはできます。また、原住民の部族出身で日本名をもらって巡査になった花岡一郎次郎兄弟の遺書では、原住民に対する労働のさせ方に重大な問題があった(日本人の好む働き方を強要することで、原住民のプライドを傷つけた)とされていますから、確かにプライドを傷つけることは時には殺意をも生むことは確かにその通りだと思います。しかしやはり、だからと言って小学生とお母さんを皆殺しにすることに一理あるとは、やはりどうしても思えません。私は霧社を訪問したことがありますが、戦前に建てられた日本人慰霊碑が国民党の時代になって破壊されており、破壊された礎石だけが残っているのを見て、率直に恐怖を感じました。

この映画のよかった部分をあげるとすれば、原住民の歌と踊りです。台湾の原住民の人たちは歌と踊りが格段に優れていることで有名です。私も聴いたことがありますが、迫力と哀切に満ちていて、ほれぼれする、本当に素敵な音楽です。この映画でも彼らの歌と踊りに触れることができます。凄惨な殺し合いの後でその場面が挿入されているため、一瞬戸惑います。殺戮の直後にあまり素晴らしい歌声なので、自分が何の映画を観ているか分からなくってきます。感情を揺さぶられます。ここは演出の勝利と言えるかも知れません。

ただ、この映画によって歴史を語られることは迷惑のようにしか思えません。「台湾の親日」は様々な場面で語られることですし、その例として『海角七号』と『KANO』がよく引き合いに出されます。『セデック・バレ』を含む三本の映画は、同じ制作チームで作られていますので、三本をセットで考えないと、彼らの伝えたいことを汲み取っていくことは難しいです。『海角七号』では日本に対する喪失が語られ、『セデック・バレ』では、はっきり言えば日本に対する激しい憎悪が語られます(これを単なる憎悪ではないと弁ずることはいくらでも可能です。ですが、枝葉末節を省いて虚心坦懐にこの映画を観れば、憎悪という言葉がやはり一番当たっているように私は思います)。『KANO』では一転して、親愛が描かれます。それだけ複雑だということです。


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台湾映画『海角七号』の喪失感

台湾で途轍もない人気を誇り、記録的な興行成績をあげた映画です。終戦直後と21世紀の現代の二つの恋物語が交互に語られます。

終戦直後の恋は、台湾で教鞭をとっていた日本人の教師が、敗戦に伴い日本へ引き揚げることによって喪失された恋の物語です。男性教師が女学生に向けて「台湾を引き揚げるのは自分の本意ではない。戦争に敗けたんだからしかたない」という意味の手紙を送りますが、何十年も経ってから配達されます。郵便事故ですが、女学生は捨てられたと思っていたけれど、そうではなくて国際社会の動きという個人ではどうにもできない事情によって引き離されたのだという釈明をようやく読むことができます。

もう一つの恋物語は現代です。台北の都会で夢破れ故郷に帰った若い男性と日本人の音楽マネージャーをやっている女性が一瞬だけ恋におちますが、女性は日本で仕事をすることに決めて日本に帰ります。

この映画では、終戦によって一度は失われた日本との絆が21世紀、再び結ばれるものの、やはり日本人は台湾人を袖にするということが言いたいことらしいです。台湾人のえらい教授の先生がそういう風に言っていました。

司馬遼太郎の『街道を行く 台湾編』で、著者がご婦人から「何故、日本は台湾を捨てたのですか」と詰問され返答できなかったというエピソードが入っていたらしいですが、問題意識は共通しています。私もこの本は読んだのですが、そんなことが書いてあったかどうかは忘れてしまいました。ただ、司馬遼太郎さんが台湾のことを書いた時代と今とでは何十年もの隔たりがありますので、司馬さんの本を主たる根拠にして現代の台湾人を語るには限界があるような気もしなくはありません。

このような映画で、なぜそこまで「日本」という記号を切ないまでに美化するのか、私にはちょっと理解しかねるところがあります。東日本大震災以降、日本では一機に親台湾の空気が生まれ、いわば日本と台湾は相思相愛とも言えますが、真実には互いを互いに都合の良いように投影しているのではないかと私は思っています。そもそも美化しているかどうかも、ちょっと複雑なところで、『セデック・バレ』と『KANO』をセットにして考えなくてはいけません。

台湾の日本語世代は年齢を重ねた人が増え、もはやほとんどいないに近いところまで来ていますが、日本に対する喪失感をテーマにしたこの映画が記録的なヒットになったということは、もっと若い世代の人たちも日本に対する喪失感が理解できる、共感できる、世代を超えて共有できるものがあるということを示しています。私個人としてはちょっと、やはり、はかりかねる面もなくはないのですが、投影しやすい対象なのかも知れません。これは日本人がアメリカに対して投影するものと似ている部分とそうでないものの両方があるように思います。


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映画『ラスト、コーション』の愛国無罪

政治的メッセージ、性描写がともに過激だということで大変話題になった映画です。日中戦争の最中、対日協力者の中国人を殺害するために学生たちが集まります。人殺しはよくありませんが、何しろターゲットは「売国奴」です。もうちょっと言うと、20世紀初頭に中国で燃え盛った愛国主義と深くつながっています。欧米と日本によって瓜分されかかっていた中国で愛国主義が盛り上がり、愛国無罪、愛国心によって行うことは全て正義だ、愛国のためならなにをしてもいい、という思考様式が生まれてきます。良いとか悪いとかはともかく、そういう流れになっていきます。『大紅燈籠高高掛』という映画の問題意識である「新しい中国」には愛国主義も含まれており、一連の流れの一部として捉えることができると思います。

それはおそらく今日までも引き継がれていると思いますが、中国では愛国主義とは考えただけでも涙が浮かんでくるほどの美しい理念であり、愛国無罪とは切実な響きを持つ若者の合言葉のような感じになっていると私は理解しています。当時の大学生は超エリートですから、祖国中国のために「売国奴」を殺そうと集まるのは、まさしく青春、切ないほどの若者の叫びのようなものだと受け取っていいと思います。日本で言えば安保反対闘争みたいな感じです。その是非善悪について議論するつもりはないです。主役の湯唯という女優さんがそれは美しい人ですから、「あぁ、きれいな人だなぁぁ」とうっとりして観る目的でも全然いいと思います。主人公の女性が対日協力者の標的に近づき、愛人関係を結び、殺害の目的を達するための隙を伺おうとします。その時の性描写が非常に過激で、ここまでやっていいのか、『愛のコリーダ』か、と思います。

主人公の女性は本気で標的を愛してしまうようになり、いざ暗殺結構の直前になって標的に対して「逃げて」と伝えます。標的の男性は慌てて自分の車に逃げ込んでことなきを得、主人公の女性と仲間の学生たちは捕らえられ、処刑されてしまいます。恐ろしい内容です。

やはり議論を呼ぶのは、何故、対日協力者の「売国奴」が逃げ切り、愛国者が敗北するという結末になるのか、どうしてそういう結末にしたのか、ということになると思います。アイロニーという味方もあるかも知れませんし、列強に踏みにじられる中国人の悲しみを込めているという解釈も成り立たないわけではないです。それは観る人がそれぞれに解釈すればいいと思います。

張愛玲の原作の題名は『色、戒』ですので、色に溺れることを戒める、語感としては色に溺れて愛国を忘れてんじゃねえよ、ということではないかなあと思いますが、原作読んでないですし、映画と原作は別のものです。

対日協力者の役をしているトニーレオンの北京語は発音も正確だとは思いますが、広東語母語者なので、北京語の持つ迫力のようなものがありません。北京語母語者が遠慮なしに話すと江戸っこべらんめえ的な押し出しがありますが、トニーレオンの北京語はそういう感じではないです。中国語母語者の人が聴いたらどう思うかがちょっと気になります。トニーレオンは『非情城市』で台湾語の台詞を練習しましたが、全然うまくならないので、話すことができない人という設定になったそうです。売れている人はいろいろ大変です。

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中国映画『大紅燈籠高高掛』の新しい中国

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辛亥革命の後の時代で、共産中国が成立する前の時代。いわゆる民国期が物語の舞台です。登場する人々は辮髪を切っているので、清朝の時代は終わっていると推量できますが、貧富の差が激しく、大金持ちが複数の妻を持つことが普通の時代として描かれています。つまり、共産中国はまだ誕生していない時代です。

主人公の女性は大学で半年ほど学んだ後、とある大金持ちの家に四番目の妻として迎え入れられます。夜ごと、ご主人様がどの妻のところに通うかが女性たちの関心事です。ご主人様がよく通ってくれれば、その女性のメンツは立ち、鼻も高く、扱いも良くなります。中国の伝統的な価値観に従えば、男の子をもうけることが必須条件とも言えますので、仮に妊娠すれば自分のポジションは一機に上がりますし、男の子が生まれれば、もはや不動の地位を得ることができます。他の女性が弟を産む可能性もありますが、それはそれで権力争いとしては別のフェーズに入ります。

中国の近代化が始まり、一夫多妻のような「前近代的」な習慣には否定的な声が生まれていた時代ですが、男の子を確実に確保するためには一夫多妻の方が都合が良く、世論が喧々諤々していた時代です。女性はまだ人格を持つ存在として認められず、財産としてやりとりされていた時代とも言えます。

当時の中国は欧米と日本に瓜分される不安がかなり真剣に高まっていた時代で、中国が消滅するのではないかと中国人が危惧していた時代です。欧米や日本のように強い国に生まれ変わらなくては未来はない、しかし、そのためには何をどうすればいいのかを当時の北京大学の若い学生や知識人たちを中心に盛んに議論されました。

日本やアメリカからの留学帰り組は、新しい中国建設には民衆の改造が必須で、一夫多妻や家同士の結婚という概念を批判し、双方の意思に基づく自由な恋愛による結婚を提唱します。「家」を確実に存続させるという価値観が強かった当時は、自由な恋愛感情に基づく結婚に反対した人も大勢いたようです。

そういう背景を考えながらこの映画を観ると、主人公の女性が大学まで行くほどの高い教育を受けることができる、新しい女性であるにもかかわらず因習的な一夫多妻制の犠牲者になっていく様子を描くことが中国の近代化の問題意識と深く結びついていることが分かります。というかそういうことを意識せずにみると単なる嫉妬物語になってしまうので、映画の伝えたいことを汲み取って行くことができないと思います。

女性同士の合従連衡があり、裏切りもあり、最後は妻の一人が不倫していたことがばれて殺されてしまいます。それを知った主人公の女性は正気を失って終了です。あり得る悲劇を全部突っ込んでくるのが中国映画、という気がします。

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台北郊外の淡水エリアはちょっと奥まで歩いた方がおもしろいという話

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台北郊外の淡水エリアは、台北市を突っ切る淡水河の河口エリアになります。海水と淡水の混じり合う場所で、風通しもよくて気持ちよく、日本で言えば湘南、藤沢みたいな感じのところです。台北のウオーターフロントです。景観もいいです。

淡水駅は台北のMRTの終点の駅ですが、その日、駅を降りるととてつもない人の数にちょっと驚いてしまいます。台湾人の人がよく訪れる観光地ですし、日曜日だから当たり前と言えば当たり前です。

暑さに耐えながらてくてく歩き、お腹がすいたので食事ができそうなお店に入り、「やっぱ天気のいい休日はビールでしょう」と思って、ビールとポテトフライ、オニオンリングフライをお店の人に頼みました。お料理が出てくるのがとても遅くて、全くおいしくなくてちょっとがっくりしました。ビールのおかわりを頼みたかったのですが、お店の人が相手にしてくれないので、おかわりを頼むのも一苦労です。目もろくに合わせてくれません。お店の人は隣の白人のおじさんにはニコニコです。屈辱感に打ちのめされます。「こ…これって人種差別?いや、きっと自分に問題があるんだ…」などと解決しない無限の思考ループにはまってしまいます。

お店の人は冷たかったが、ビールは冷えていなかった
お店の人は冷たかったが、ビールは冷えていなかった

しかし、せっかく来たのですから、気を取り直して散策再開です。韓国人の観光客が多いです。てくてくもっと駅から離れた奥の方に歩いていくと、感じの良さそうなカフェが沢山あります。もうカフェの立ち並ぶエリアのちょっと前にあったスターバックスでコーヒーを飲んでしまったので、もう一回コーヒーを飲みたいと思いません。「次に来ることがあれば、このエリアに立ち寄ろう」と私はリベンジを誓ったのでした。どうも私がさっき入ったお店は一見の観光客相手の、「はずれ」なお店だったのかも知れません。

台北はコーヒーのお店がとても多いです。台湾の人はかなりのコーヒー好きです。『去年マリエンバートで』というフランス映画のタイトルをそのままお店の名前にしているところもあって、お店の看板には『去年マリエンバートで』と北京語で書いてあります。多分、いろいろこだわっているお店なのだろうなあと思います。

『去年マリエンバートで』と北京語で書かれたカフェの看板
『去年マリエンバートで』と北京語で書かれたカフェの看板

更にその先まで歩くと旧イギリス領事館があります。過去の領事裁判権などについての解説があって、いろいろ勉強になります。19世紀な感じのする、日本で言えばグラバー邸みたいな感じのところですが、1971年まで領事館として使われていたというのでちょっとびっくりです。

旧イギリス領事官の外観
旧イギリス領事官の外観

旧イギリス領事官の中の様子
旧イギリス領事官の中の様子
旧イギリス領事官から見える淡水河の景観
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『ライシャワーの日本史』の戦後の日本

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東京生まれのアメリカ人の日本通、日本大使を務めたこともあるライシャワー先生による日本解説書です。近代以前、明治から太平戦争まで、戦後の3つの部分で構成されていて、どれも内容はたいへん緻密で私の知らないこともたくさん書かれてありました。

興味深いのは戦後について大変細かく書かれていること、それが必然的に日米関係史+自民党戦国史になること、アメリカ人に分かるように意識して書かれていることです。英語版が1978年、日本語版が1986年に出版されていて、ちょうどアメリカ人が真剣に日本人との付き合い方に不安や悩みを抱えていたころにあたります。

日本はバブルの絶頂期をいよいよ迎えるという時期です。世界第二位の経済国家で、アメリカの東アジア政策にとってはなくてはならない存在で、世界的にも行儀のよい人々として知られ、日本の評判は上々と言えば上々。しかしながら、日本の国内世論はアメリカ軍基地に対しては否定的で安全保障条約に反対するためには暴動とも言って良いほど激しいデモが行われ、時には感情的な反米が表に出ることに戸惑いも感じるし、何といっても日本車がアメリカ市場を席捲してデトロイトは壊滅への道を辿り、日の出の勢いの日本がアメリカをも飲み込むのではという恐怖を与える存在にまで成長していた時代です。

アメリカ人の立場から見れば、日米安全保障条約のおかげで日本は平和を享受できるし、アメリカが好意的に日本を助けてやったおかげで日本は戦後の経済復興に成功したし、そもそも同盟国として一緒に世界秩序の維持のために役割を果たすはずの日本人がどうしてそんなにアメリカを困惑させることばかりするの?と不可解なことしきりだったに違いありません。アメリカはこんなに日本人を大事にしてあげているのにどうして?というわけです。

それがどうしてそうなるのかをライシャワー先生が噛んで含めるようにして説明しています。戦後の日本で平和主義が育ったことでベトナム戦争には首肯しがたい国民性になっていること、日米安全保障条約も戦争協力という意味では日本人の真情に合わないこと、日米経済摩擦などと言われるが日本人が優秀で勤勉で工夫もいろいろ凝らしているから、などの説明をしています。

アメリカ人が読めば、なるほど、そういうことなのか。と理解の助けになるでしょうし、日本人にとっても、日本の弁明書みたいな役割をしてくれている本です。

そうはいっても、今は昔。ジャパンアズナンバーワンの日本の絶頂期に書かれた本だと思うと、むしろ最近の停滞ぶりにまで思いが及び、懐かしいような気分で読んでしまいます。

私の子どものころはなんでも日本が世界一で、豊かで幸福で平和で、なんでも日本のものがいいに決まってるじゃんという時代でした。ああ、当時、こんな感じだよなあと懐メロを聴くような心境でページをめくりました。

近代以前や太平洋戦争以前のことも詳しく書かれていて、純粋に知的好奇心を満たすのにもちょうどいいです。書かれた時代背景を斟酌しながら読解するのもおもしろいと思います。分厚いのできちんと一言一句読み進めるのに時間がかかるのでちょっと疲れました。

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台北の中正記念堂に行った話

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とにかくでかいです。夏に行ったら暑いです。入り口から本命の建物に辿り着くまでやたら時間がかかります。大きな大きな石畳の庭園をこえて本命のでっかい建物の中に蒋介石の巨大な銅像があります。蒋介石のお墓ではありません。それは別の場所にあって、この場所は蒋介石氏の業績を称えることを目的としています。

中正記念堂
中正記念堂のメインの建物。辿り着くまでが長い。

陳水扁政権時代に入り口の門に書かれていた『中正記念堂』という文字は『自由広場』に変えられています。しかし、地下鉄の駅名は「中正記念堂」です。本命の建物には「中正記念堂」の看板がかかっています。この辺り、複雑な事情があって外国人が軽々にどうこう言えません。美形で背が高い衛兵が立っているので、衛兵を見るために来ている人も多いです。韓国人観光客が多かったです。

「中正」は蒋介石の号です。中正先生と言ったら蒋介石のことを指しています。ついでに言うと孫文の号は「中山」です。孫中山とか中山先生とか言ったら孫文のことを指しています。

観光客が大勢来ています。台北観光のメインです。上の方には巨大な像があり、階下では蒋介石の人生や業績が紹介されています。佐藤栄作と会談している写真とか、宋美齢と一緒の写真とかが展示されています。蒋介石はキリスト教徒で日本に留学経験があって、宋美齢に対してはレディファーストで接する紳士の感じな写真が多く展示されています。再現された執務室や愛車も展示されています。蒋介石の演説動画もみれますが、北京語とはだいぶ違うので、何を言っているかは字幕を見ないとよく分かりません。

中正記念堂
蒋介石の巨大な像。背後には彼の政治の理想が書かれている。

広大な庭には国家音楽院と国家戯劇院があって、いろいろなイベントが行われます。

地理的には牯嶺街に近く、裏の方には杭州小籠湯包というお店があります。

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台湾映画・エドワードヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』の牯嶺街に行った話

エドワードヤン監督の『牯嶺街少年殺人事件』は、台湾映画の中でも私が特に好きな作品です。エドワードヤン監督の先にエドワードヤン監督なく、エドワードヤン監督の後にエドワードヤン監督なしと思っています。

国民党が国共内戦で大陸を追われ、台湾に本体が移動してきたばかりのころ、大人たちは落ち込み、子どもたちに対する威厳も失っています。エーリッヒフロムの『自由からの逃走』の第一世界大戦後のドイツに状況が似ているかも知れません。または文革期に北京の大人たちが追放されたりして力をなくしていた状況とも似ているようにも思います。大人の言うことをきかない少年少女たちが徒党を組み、街を跋扈するようになります。50年代で、若い人はアメリカに憧れ、エルビスプレスリーの音楽を愛します。

中学生男の子が女の子と好きになった嫌いになった、みたいな話になるのですが、一緒に街を歩いている画面を観て「リア充め」と思います。ですが、最後は男の子が女の子を殺してしまうという衝撃的な展開を迎えます。その結末に至るまでの男の子と女の子の間の会話のやりとりがジュブナイル的でキラキラしていて、実はとても疲れる思春期の機微が描かれます。台詞のやりとりが10代らしい切実さに満ちています。切ないです。女の子がかわいいのでもっと切ないです。

私は画面の質感のようなものも好きです。やたらリアルでぐっとくる画面です。うまく説明できません。専門的な人ならフィルムや撮影技術によって説明できるかも知れません。

牯嶺街は地下鉄の中正記念堂駅から近いです。古い切手のコレクションのお店が沢山集まっています。郵政の本部が近いことも関係あるかも知れません。その他、古本屋さん、古銭屋さん、小劇場、カレー屋さんがあります。ディレッタントが好きな人が集まるエリアなのかも知れないです。カレー屋さんは日本人の方が経営されていますが、台湾人の好みに合わせてだいぶ甘口です。

映画は実際に起きた事件をモチーフにしています。私はVHSで見ましたが、DVDが出ていません。アメリカではブルーレイが出ているようです。とてもいい映画ですので、映画が好きな人は手段を講じて一度は観るべきと思います。私は「べき」とか「お薦め」とかはまずこのブログで書くことはないですが、この映画は本当にお薦めで、みるべきです。そう思います。




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中国映画『活きる』の中国人の自画像

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1940年代、さる大金持ちの息子が賭博にはまってしまい、財産を全て多分イカサマでとられてしまいます。アホな息子です。ただ、彼には一つだけ特技があり、それは影絵人形劇の裏方で歌うことです。日本で言えば文楽の語りをやる人みたいな感じです。生計を立てるため、彼は影絵人形劇キット一式を携えて旅の芸人をやります。その影絵がとても雅で、彼の歌いも迫力があり絵になります。身を持ち崩した彼は真摯に反省し、マジメになり、仕事に打ち込みます。

公演先で国民党軍に拉致されます。それまで清朝時代さながらの風景だったのが、突然近代が現れてくる雰囲気の変化は見事です。国民党軍に捕虜の同然の扱いであちこち連れまわされて、次は共産党軍の捕虜になり、身元は確かということで影絵の公演も好評で家に帰らせてもらえます。奥さんと二人の子どもがいます。上が女の子で下が男の子です。共産党政権が誕生し、彼の豪邸をイカサマで騙し取った男は反革命分子として処刑されます。もし賭博で家をとられていなかったら、主人公が処刑されいたかも知れません。禍福はあざなえる縄のごとしです。時代はやがて「大躍進」政策の時代を迎え、街中の金物が製鉄される最中、市民の士気を鼓舞するために彼はまた影絵の人形劇で人々を慰問します。下の男の子が自動車の事故で死んでしまいます。

やがて文革の時代を迎えます。上の女の子が結婚して出産します。文革時代なのでまともなお医者さんは追放されていて病院には子どもたちが医者を名乗っていますが実際には危機に対応できません。出産の時、生まれて来た男の子は無事でしたが、母体の出血が激しく亡くなってしまいます。

その男の子が少し大きくなった時、主人公の彼が男の子に「君が大きくなるころ、乗り物は牛ではなく飛行機や鉄道だ」と言って映画は終わります。

世界的にも高く評価されている映画だと思いますが、おそらく、中国人の心がうまく入っている映画なのではないかと思います。戦争と貧乏で苦労に苦労を重ね、子どもが死んでしまうという耐え難い悲劇にも遭うけれど、孫という希望がある。日本で言えば『おしん』です。戦争と貧乏を乗り越えて新しい時代を迎えるというお話しの流れが共感を呼び、僕のおばあちゃんも母親も食い入るようにおしんを観ていましたが、それはおしんが少し前の日本人の自画像を投影できる内容だったからだと私は理解しています。この映画も中国人にとってはそういう心境で観ることができる映画なのではないかなぁと思います。あるいは『火垂の墓』です。私はあの映画を観て、父親から聞かされた話と全く同じだと思って驚きました。

今は世界情勢がいろいろ微妙な上に変化が速く、中国が好きか嫌いかは別にして、中国人のことを知らなくてはいろいろ不便です。悪い面もたくさんありますが、こういう自画像を持っているんだということを知ることは意味があるように思います。時代を描くのなら、抗日戦争は入れないのかなあと若干の疑問は残りますが、この映画では抗日の要素は特に入れられていません。

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徳川家に見る「血統」のつなぎ方

天皇陛下がご譲位されるという話題で世間は持ちきりです。男性の皇族が減少していて、お子様も女の子が多く、天皇家の血統の行く末に不安を感じる人も多いようです。私も大丈夫かなぁ…。と思います。天皇陛下がごご譲位されるという200年ぶりくらいのイレギュラーな事態で「皇室典範」改定はもとより、皇位継承権のことや、旧宮家の復活、女系宮家の是非など、いろいろな議論がされています。突き詰めると、「血統」の維持を永続させるためにどうすればいいかで悩んでいるとも言っていいと思います。マッカーサー陰謀説もありますが、私はそれはないと思います。新大陸の人物ですから、血統の維持について深い理解があるわけではなく「天皇家さえ残ればいいんでしょ。じゃ、そうするか後は勝手にやってください」くらいにしか思っていなかったのではないか、今みたいになるというのはマッカーサーも想定していなかったのではないかという気がします。

そういうことで、例として徳川家はどうしていたかについてざっくりと書いてみたいと思います。

徳川家の「直系」を家康→秀忠→家光のラインだと認定する場合、このラインは四代目で断絶危機に陥ります。四代目の家綱に男子がいなかったので、館林徳川家を創設し、いわば独立して実家を出て行った綱吉を家綱の養子として迎え入れ、次へとつなぎます。いわばこの時点で徳川宗家の嫡流は失われ、血のつながりはまだまだ濃いものの別系統の流れに入ったと言ってもいいと思います。

しかしながら綱吉にも男子ができません。そこで、家光の三男の長男で、父親の時代に甲府徳川家を創設して独立していた家宣を養子として迎え入れ、後継者にします。しかしながら、数年で亡くなってしまい、息子の家継も早世し、今度こそ本格的に宗家が途絶えるという危機を迎えます。

そこで御三家登場となり、いろいろあって、紀州家の吉宗が八代目になります。その後は紀州系が宗家を相続することになり、徳川三卿も創設することで、尾張系には一切手が出せない状況を作ります。このあたりは吉宗が抜け目ない感じです。しかし、吉宗の嫡流は10代目で終了し、11代目は一橋家から家斉を迎えます。12代目、13代目と家斉系でしたが、13代目に男子がなかったので14代目を再び紀州家から迎え入れますが、男子なしで急逝。15代目の慶喜は水戸家出身の一橋育ちで他に人がいないからと将軍に就任します。

このように見てみると、とにかく分家をいっぱい作っておいたので、なんとか続いたということが分かります。徳川三卿は最後の方では養子をプールする場所になっており、当主が常にいなくてもオーケー、ちょうどいい男子がいたら養子として三卿に入れ、適当な落ち着き先が決まったら更にそっちへ養子に行くくらいの位置づけになっていきます。そういう仕組みにしておいたおかげで分家の中で適当な人物を徳川の血縁の中で融通し合って「家」を維持していたわけです。

そういう風に考えると、天皇家も分家が多い方がいいんじゃないかなあと思います。今の天皇は伏見宮家の子孫ですし、もっと辿れば天智系と天武系に皇統が分裂していた時も、勝利者だったはずの天武系に人がいなくなって天智系から人を融通して保っています。継体天皇の例もありますから、旧宮家復活が良さそうな気がします。