第二次世界大戦が起こる前に日本から参戦しなかった国へ脱出した人は終戦まで無事に暮らせた人はいましたか?

南米の日系人を思い浮かべました。戦争と全く関係のない生活を送りながらも、彼らは日本が戦争に勝てるかどうかを非常に気にしていました。終戦後、日本の敗戦を信じる人と信じない人との間で抗争が起こります。敗戦を信じる人を負け組と呼び、信じない人を勝ち組と呼んだそうです。南米では戦争の展開が日常生活と全く関係がなかったということが以上のことから分かるわけですが、当然、「負け組」が正しかったわけですけれども、戦後の怒涛の日本の発展は、あたかも日本が戦勝国であるかのような錯覚を与えるものであり、生涯、日本は勝ったのだと信じていた人もいたそうです。

これがハワイであれば、日本の勝ち負けは日系人の生活に直接影響を与えたに違いありません。また、ニューカレドニアへ移民した人たちは戦後、集団で帰国しますけれども、地勢上、ガダルカナルに近く、やはり戦争の行方は有形無形の影響を与えたに違いないと想像できます。

南米って、もしかしたら、とてもいいところなのかも知れません。行ったことはないですが。



15,6世紀にヨーロッパが東南アジアを植民地にできるほど東南アジアとヨーロッパとの間に格差が生まれてしまったのはなぜですか?

たとえば日本や中国のように、ある程度の規模の大きさがある東洋の国はそう簡単に植民地にはされないわけです。ベトナムも規模がある程度大きい国だと思いますが、ベトナムが植民地になったのは19世紀で、大航海時代の時は、まだヨーロッパはそこまで強くなっていませんでした。

一方で、インドネシアの場合、特に一つにまとまりのある国や社会だと、インドネシアの人々は認識しておらず、バラバラだったらしいのです。そうするとオランダ人はインドネシア全体を相手に戦う必用はなく、少しずつ拡大していけばいいし、現地の有力者と提携して他の有力者を潰すというようなこともできるわけですね。インドネシアのバリ島の王家が滅亡したのは19世紀初頭のことです。徳川家康の時代にはインドネシアに根を張り始めていたオランダですが、全部獲るのに何百年もかけたわけですね。バリ島の王家は最期、一族全員で突撃し滅亡する道を選んだそうなのですが、オランダ兵の側は、その鬼気迫る様子に恐怖を感じたらしいです。

おそらくフィリピンやマレーシアなども同じような事情だったのではないかなと思います。

ですので、東洋の国々が植民地になったかならなかったというようなことを考える際、国民国家としての意識が成立していたか、いなかったかのあたりが運命を分けたのではないかなと思います。

中国の場合は国民国家ができあがってくるのは20世紀に入ってからのことですが、それ以前から、皇帝の主権という考え方があったので、ロシアとも条約を結んだりして自分たちの利益を守ることができたと言えるかも知れません。産業革命に成功した後のヨーロッパには勝てませんでしたが、大航海時代くらいなら十分に対抗できたわけですね。フランシスコ・ザビエルは中国での布教を目指しましたが、結局、マカオどまりでした。奥地に行きたくても許可を得られませんでしたし、その程度の力しかなかったわけです。

日本の場合も天皇の主権・武士の実権の及ぶ範囲に関する認識があったために、豊臣秀吉九州で日本人が奴隷にされている様子を知って伴天連追放令とか出してそれが有効に機能したわけですね。博多の黒田氏がポルトガルと結んで京都を狙うみたいなことにはならなかったわけです。まあ、仙台の伊達氏は支倉常長をヨーロッパに送って、あわよくば連合して徳川と戦おうとしていたみたいですから、一歩間違えば日本もインドネシアみたいに各地の諸侯が各個撃破されていたかも知れません。



自由主義と新自由主義はどう違うのですか?

多分、あまり違わないのです。もともとアダムスミスが経済は人それぞれ自由に勝手にやるのが一番いい結果になると、神の見えざる手に導かれるとしたのが自由主義の嚆矢になると思いますけれども、フランス語でこれをレッセフェールと言いますが、ある時からレッセフェールではダメだという意見が生まれ、レッセフェールのままだと貴族や地主、資本家などのアッパークラスが永久に人々を搾取するという問題を持つ人が生まれてきてですね、トマスモア的ユートピアは自然に生まれて来ないので、意図的にヘーゲル的社会変動を起こさなければならないという共産主義革命思想が生まれたり、そこまでやらなくても政府の意図的な財政運用で人々は豊かになれるとするケインズ経済学的思想が生まれたり、いやいや中央銀行が金融を緩めたり引き締めたりするだけでどうとでもできるとするマネタリスト思想が生まれたりして、20世紀はアダムスミス的ではない形での経済金融政策が様々に議論されたのですが、21世紀に入るか入らないかくらいのころに、「ちょっとまて、アダムスミスで良くね?レッセフェール最高じゃね?」と言い出したのが新自由主義者なのだと私は理解しています。ですので、自由主義の中に古典的自由主義と新自由主義が存在し、古典的自由主義と新自由主義の違いは流行した時期の違いだけであるということではないかなと思います。



織田信長の最終的な目的は何だったんでしょうか?争いのない平和な世の中の実現?天皇になり代わる?

信長は日本平定を実現した後は、中国大陸へ攻めていくことを考えていたらしいんですね。で、リアリストの信長が、本心で世界制覇的なことを構想したかと考えてみると、ちょっと怪しいと思えてしまってなりません。だとすれば、中国大陸に戦争に行く真の狙いは、日本国内は息子たちに統治させるとして、明智光秀羽柴秀吉徳川家康のような、やたらと優秀で織田の天下を狙いかねない、日本平定後は用済みの武将たちをていよく大陸に送り込んで全滅させようと目論んだのではないかという気がしなくもありません。秀吉が朝鮮出兵したときに家康が白けていたのも、そもそもの信長の大陸侵攻案の真の目的を見抜いていたからだつたとすれば、そのことから、なかなか香ばしい、人間関係の複雑さを感じ取れると言えるのではないかなと思います。




私は歴史が超超苦手です。学校では、100点満点中20点とかとってました。いま、旧約聖書を読みはじめて、「ああ、歴史がもっと好きだったらな」と思います。貴方の力で、僕を歴史好きに変えてくれませんか?

1人でいいので、好きな歴史上の人物を選んでください。そしてその人物の人生を他人に語るにはどうすればいいかなと考えてください。プレゼンをするようなイメージです。最初のうちはざっくりとしたあらすじみたいなことしか語れないかも知れませんけれど、だんだん調べていくうちに詳しくなっていき、周辺情報もどんどん取り入れて充実したプレゼンができるようにというのを掘り進めていくと自分でやっていてもとてもおもしろいですし、幅や深みも出てくると思います。

たとえば、織田信長が好きだとしますよね。最初の段階で知っているのは桶狭間の戦い本能寺の変だけかも知れません。ですが、関連書籍を読んだりしているうちに、桶狭間の戦いの敵方である今川義元に関することも分かってきます。徳川家康も登場してきます。桶狭間の地形について詳しくなってきたり、信長の伝記を書いた太田牛一とか、ヨーロッパに信長のことを報告したルイスフロイスとか、次々と関連人物が出て来て、その人ってどんな人なんだろうとかやっているうちに戦国から安土桃山まで詳しくなっていくようなイメージです。

私、一時、溥儀にはまっていて、映画の『ラストエンペラー』を繰り返しみたんですけど、その映画の中には、中国の抗日運動の発端である五四運動についても触れられているし、袁世凱もチラっと出てくるし、蒋介石の話題も出るし、昭和天皇の話も出てきますから、映画に登場する様々な場面や話題を完全に理解しようとするだけで膨大な知識量を要します。結果として非常に勉強になるんですね。更に詳しく考えていけば、なぜ毛沢東の話題は出ないのかとか、そういえば張学良は出てこないのはなんでだろうとか、再現なくどんどん新たな追加の考察材料にも出会うことになります。

旧約聖書がお好きでしたら、直球で古代史ですから、エジプトのファラオに関する知識も必要ですし、バビロニアに関する知識も必要になります。無数の映画や小説で旧約聖書に関する知識が関連しており、たとえばジェームスディーンの『エデンの東』は、なぜそういうタイトルなのかとか、ゴーギャンが描いたタヒチの絵画で真ん中にいる女性が木の実をとろうとしているのは、どういうことが言いたいのかとか、そのあたりは無数にいろいろあるわけですね。ギリシャ語やヘブライ語についても造詣があるともっと深い議論ができるでしょうし、更に日本語の文語訳と現代語訳の違いについても議論の対象になります。

そのようなイメージで取り組まれてみてはどうでしょうか?



言語の覇権は帝国主義、植民地主義、二つの大戦を経て結局は英語が握り世界語になりましたが、フランス語やスペイン語が覇権を握る可能性はあったのでしょうか?

やはり英語が一番強いという事実は揺るがなかったと思います。福沢諭吉が長崎と大阪オランダ語を勉強し、江戸へ移ってから横浜で外国語をたくさん目にするんですけど、看板とかが全然読めなくて驚くんですね。看板はどこも英語であると知り、彼は急いで英語の勉強を始めます。これはつまり、19世紀半ばの段階で横浜で暮らす欧米人たちの間で既に英語優位が確立されていたことを意味します。

じゃ、フランス語はどうだったのでしょうか。フランスは長くヨーロッパの大国として認知されていましたが、それは主としてブルボン王朝からナポレオン時代にかけてのことであって、本格的に帝国主義が世界に広まる19世紀後半から20世紀前半に於いては、ちょっと弱い国に転落していました。ナポレオン3世はベトナムを植民地化しましたが、それはむしろ数少ない成功例と呼ぶべきであって、日本での英仏代理戦争と言える戊辰戦争イギリス側の勝利、インドでもイギリス勝利、アフリカでもイギリス勝利ですから、科学技術の発展により世界が狭くなった20世紀ではフランスに世界を主導するだけのパワーはありませんでした。パリ解放でシャルルドゴールが連合軍から戦車をかしてもらってパリ入城の先頭に立ちますけれども、このエピソード自体が、フランスは名目上の戦勝国でしかないことを示しています。

じゃ、スペインですけど、スペインが隆盛を極めたのは大航海時代ですから、ナポレオンどころの話じゃないんですよね。南米諸国は次々と独立するし、メキシコはナポレオン3世の計略でフランスが獲得しかけたこともあります。米西戦争でももちろんアメリカの勝ちです。

というわけで、スーパーパワーがスペイン→フランス→イギリス→アメリカへと変化していく中、我々はちょうど、英米という2つのスーパーパワーの時代の終わりごろを生きていることになると思いますから、そりゃ英語だよな。と言わざるを得ない感じではないかと思います。

さて、今後、中国がスーパーパワーになるかと言えば、私は難しいと思いますが、世界的な天下三分の計みたいな感じで米中が勢力圏を分け合うことはあり得ると思います。



ゴジラと戦後

『ゴジラ』は大変に有名な日本の怪獣映画シリーズですが、実は戦後の日本人の心理を非常に巧みに表現した映画としても知られています。特に1954年に公開された『ゴジラ』の第1作は、戦争が終わってからまだ9年しか経過していない時期でしたので、戦争に対する日本人の心境というものがよく表現されており、映画そのものが第2次世界大戦のメタファーであるとすら言えるかも知れない作品です。

まずは1954年版の『ゴジラ』第1作のあらすじを確認し、それから、この作品のどの部分がどのように日本人の戦後の心理と関係しているかについて考えてみたいと思います。

この映画では、まず、数隻の船が原因不明の事故で沈没するというところから始まります。日本ではこのような事故がなぜ起きたのかを解明しなければならないということで、大きな話題になるのですが、そのようなことをしているうちに、今度は巨大な生物が日本領のとある島に上陸してきます。その巨大生物は島の人々を襲い、建物を破壊するわけなのですが、東京から科学者たちが送られ、科学者たちはその生物の写真を撮ったほか、生物が通った後に大量の放射性物質が残されていることを発見します。このことから、権威ある科学者は、太平洋で核兵器の実験が何度も行われたことにより、海底生物が突然変異を起こしたのだと結論します。そして、その島には古くからゴジラと呼ばれる巨大生物の伝説があったため、目の前の突然変異生物をゴジラと呼ぶことにするのです。

最初は船を襲撃し、その次に島を襲撃したゴジラは、いよいよ東京に上陸します。このことは大変に有名ですから、多くの人が知っていると思いますけれども、銀座の建築物を破壊したり、国会議事堂を破壊したりする場面はとくに有名なのですね。

ゴジラには武力攻撃が加えられ、一旦ゴジラは海へと帰って行きます。ゴジラが再び上陸してくる前に、ゴジラを倒さなくてはなりませんから、ある若い科学者が発明した、生命体を破壊する新兵器を使用し、海底にいたゴジラはそれによって苦しみ出し、海面に浮上して、悲しそうな最期の叫び声を上げて絶命していきます。若い科学者は自分が作った新兵器が悪用されることを恐れており、それを回避するため兵器の資料を燃やして捨てますが、自分の頭脳の中にも作り方が残っていて、自分が作り方を知っているわけですから、自分自身が消滅しなければならないと考え、海の中のゴジラとともに死ぬことを選ぶというものです。ターミネーター2のラストみたいですよね。

ではこの映画のどの部分が戦争とつながっているのでしょうか、まず1つには、ゴジラが核兵器の影響で誕生したということがあります。これは単に、戦後に何度となく行われた核実験への批判が込められているというだけではなく、太平洋戦争末期に、日本の広島と長崎に対して原子爆弾が使用されたことへの激しい批判も込められています。映画の中で、「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた」という台詞を述べる女性が出てきます。この一言だけでも、観客は、ゴジラの存在そのものが、広島と長崎で使用された原子爆弾のメタファーなのだということに気づかされます。

ゴジラは東京の広いエリアを破壊しますが、避難した人々は燃える東京の街を見つめて涙を流し、若い男性がなんども「ちくしょー!」と言いますが、これは、私はもちろん当時のことを経験していませんけれども、間違いなく、東京大空襲の記憶をよみがえらせる場面であることは議論するまでもありません。1954年ですから、観客の大半は戦争の記憶を抱えており、当時であれば、誰かに解説されるまでもなく、その場面が東京大空襲を思い出したに違いないのです。また、ゴジラが海へと帰って行った後の東京では怪我人があふれ、ゴジラが残した放射線を浴びてしまった子どもが出てくる場面もありますが、これもまた、原子爆弾を思い出させるものであり、当時としては、非常に生々しい場面として受け取られたであろうと思います。

さて、ここまでの段階でゴジラはアメリカ軍、或いは原子爆弾のメタファーであるとの見方ができることは、まず問題なくご理解いただけると思います。ですが、ゴジラが背負っているものは、それだけではありません。ゴジラは太平洋で戦死した日本兵たちのメタファーでもあると、これまでにも多くの批評家が指摘しています。以下にそれについて、できるだけ簡潔にご説明したいと思います。

日本兵のメタファーであるゴジラは、戦後の復興を楽しむ日本人たちに、戦死した自分たちの存在を忘れさせないために東京湾から上陸してきます。この時、ゴジラは復興している銀座を破壊し、政治の中心である永田町の国会議事堂も破壊しますが、決して皇居へと進むことはありません。

ゴジラの最期の姿も、日本兵たちを思い出させるのに充分な演出がなされています。一つはゴジラという黒い巨大な物体が一度は海面に浮上するものの、再び沈んで行くわけですが、その姿は戦艦大和の沈没を思い出させるとの指摘があります。また、ゴジラの最期の叫び声が非常に悲しいものであるわけですけれども、ゴジラは東京を破壊したにもかかわらず、このような声を出して死にゆくわけですが、これは観客がゴジラを憎むことができないような演出なわけですけれども、ゴジラは多くの戦後に生き残った日本人に対して見せる、戦死した日本兵の姿だと理解すれば、観客がゴジラを憎まず、ゴジラの死に苦しみを感じるように意図したものであると考えることもできるということなのです。

この映画の音楽は日本人の多くが聞いたことのある、迫力のあるものなのですが、重低音で、音が次第に大きくなっていくのですけれども、これはゴジラが次第に東京へと近づいてくることへの恐怖を表現していると言えるのですが、同時に、ここまでに述べたような、激しい恨みを抱いた日本兵の足音であるという解釈が可能であり、そう思って聞くと、更に、この音楽の持つ重みのようなものが感じ取れると思います。

この映画作品は全体として、平和を訴えるものであり、映画の最後の場面で、老いた科学者が今後も第2、第3のゴジラが現れてくる可能性を指摘しているのですが、これは、戦争が繰り返されることへの批判であると受け取ることもできます。

今回はゴジラで考察してみましたが、日本の戦後のあまりにも多くの小説や映画は戦争と関係しており、極論すると、敗戦という非常に大きな経験をした日本で制作された作品の大半は、戦争の記憶から完全に自由になれない時代が長く続いたと言うことも可能です。もしまた機会があれば、違う作品でも論じることができればと思います。ありがとうございました。



日本の都道府県はすべて県に統一されていないのはなぜでしょうか?

県の語源は中国の郡県制という行政システムだと思いますが、県を置く場合には、中央の命令に従う行政組織が存在することが前提になったのではないかと思います。廃藩置県の際、藩があった地域であれば、藩主を県令・県知事に任命して体裁を整えることができたと思いますが、東京・大阪・京都のような首都級の主要都市には藩主がおらず、当面は中央直轄で行くしかなく、しかも、当時はまだ東京・大阪・京都が並立した状態であり優劣をつけることができなかったため、その3都市は府にしたのだと思います。北海道の場合も、松前藩主を県令・県知事に任命するのではなく、広大な土地を直轄にしたかったため、県という名称が相応しいと考えられず、府にするわけにもいきませんから、道にしてみようかということになったのではないかと思います。沖縄県の場合、明治天皇が琉球王を藩王に封じる手続きが採られていますから、中央に従う行政システムが存在するということで県になったのではないかと思います。ではいつ東京府が東京都になったのかというと、戦争中に東京府と東京市の二重行政を解消することで行政にかかる費用を削減しようという話になり実現したものです。この時に「都」という名称を採用したことについては、想像になりますけれども、廃藩置県のころは東京と京都のどちらが優位なのかということは薩長藩閥には判断のつかないところがあったものの、昭和初期の東大を卒業した官僚たちの意識として東京が日本の中心であることに疑問がなくなっており、「都」という分かりやすい名称を選ぶことにためらいがなかったのではないかと思います。思いますばかりですみません。



地中海世界を襲った謎の民族である「海の民」はどんな民族であったと考えていますか?

ギリシャ人の原型だと思います。海の民の来襲はゲルマン民族の大移動のようなもので、それ以前にギリシャに住んでいた人たちは殺されたか追いやられるかしていなくなり、住み着いた海の民が暗黒時代を経て文化的に発展しスパルタやアテネを建設したのではないかと私は想像しています。ホメロスが記述したトロイ戦争も、実は海の民の侵略戦争の一部であり、彼らがギリシャ地方を抑えた後に小アジアへと侵略エリアを広げたということが実際だったのではないかと思ったりもします。古代ギリシャの植民都市が東地中海各地に点在したことも、一度は世界を制覇したかに見えた海の民が衰退し、それでも拠点を残したのがギリシャ人の植民都市であると説明することも不可能ではなさそうにも思えます。



「長い18世紀」とはどのような時代だったのでしょうか?

17世紀の終わりごろ、イギリスで革命的王朝交代があり、これが名誉革命と呼ばれます。あの国は何百年もかけて革命していたようなところがあるわけですが、国王の権利を議会へと移譲していくという流れの中で、大きな節目になったのが名誉革命なわけですね。

で、19世紀のはじめごろ、ナポレオンの失脚があり、長いフランスの革命と大動乱が一旦落ち着きます。

このように、18世紀のちょっと前の時期からちょっと後の時期までの100数十年を長い18世紀と呼び、その期間の特徴としては、

①イギリスが立憲主義国家になった。(名誉革命の後、権利章典が採用され、イギリスは不文憲法の国王は君臨すれども統治せずの国へと変貌していった)

②そのイギリスが国力をつけ、フランスに対抗するようになっていった。

③今度はフランスで大革命が起きた。

④最終的にナポレオンが失脚し、先に革命に成功していたイギリスが勝利した。

という流れになりますから、西欧でのパラダイムシフトが起きた時代であると言えると思います。19世紀は近代の始まりという非常に特殊な時代でしたが、近代の重要な要素の一つである民主主義を育んだ長い18世紀はその準備期間であったと言えるのではないかと思います。