シンデレラはパーティーでどんな踊りを踊ったのですか?やっぱりワルツですか?

「シンデレラはパーティーでどんな踊りを踊ったのですか?やっぱりワルツですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

思考実験的に述べます。シンデレラという物語の起源ははっきりしないため、分からないとしか言いようがありません。しかし、我々が知るシンデレラはグリム兄弟が整理してまとめたものあり、グリム兄弟がドイツの人だということを手掛かりに考えてみたのですが、ドイツ語圏で男女がともに躍る音楽にはレントラーとヴィエンナワルツがあるものの、グリム童話が成立した時期にはまだヴィエンナワルツは成立していません。とすれば、レントラー一択になります。レントラーは4分の3拍子の素朴な音調のダンス音楽ですが、これをワルツの前身と見るか、ワルツの一種と見るかで結論は変わることでしょう。



坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、木戸孝允、高杉晋作、この中でもっとも過大評価されていると感じる人は誰ですか?

「坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、木戸孝允、高杉晋作、この中でもっとも過大評価されていると感じる人は誰ですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

坂本龍馬ですかねえ。うさんくさいというか、怪しいというか、西郷隆盛が便利に使っていた男なんだけど、だんだん図に乗ってきたので殺された(んじゃないかな)というか、大政奉還のアイデアも彼のオリジナルじゃないですし、亀山社中・海援隊の事業も西郷とイギリスのための政商みたいな会社ですからねえ。ただ、それでも、これだけ多くの人に愛されるんですから、プレゼン能力は半端なかったんでしょうから、女性にはもてたでしょうねえ。やっかんじゃいますね。



1858年にアメリカに領事裁判権と関税自主権のない不平等条約(つまりアメリカ側が不利)を江戸幕府が締結することに成功していたら明治維新は起こらなかったでしょうか?

「1858年にアメリカに領事裁判権と関税自主権のない不平等条約(つまりアメリカ側が不利)を江戸幕府が締結することに成功していたら明治維新は起こらなかったでしょうか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

明治維新が起きた最大の要因は、徳川慶喜にこけにされた島津久光がきれまくって大久保一蔵と西郷吉之助に倒幕を命じたことにありますから、不平等条約はあんまり関係ないと思います。



机上の空論を見事なまでに体現した事例はありますか?

「机上の空論を見事なまでに体現した事例はありますか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

東条英機の国防圏の設定は机上の空論に過ぎませんでした。彼はインドネシアのパレンバン油田を獲り、そこと日本との間の航路を守るという構想を立て、航路を守る海域を守る海域くらいまで日本の哨戒ラインを広げ、後はそれを防衛し続ければアメリカを倒すことはできなくとも、不敗の態勢は維持できるとの考えを持っていたそうです。実際には哨戒ラインが広すぎたために防御は手薄になり、アメリカの潜水艦が悠々と奥深く入ってきて次々の日本の船を沈めるという展開になりました。また、アメリカ側はじっくり考えて一番攻めやすいところに集中すれば良かったのですが、日本側はどこを攻められてもいいようにガチガチにする必要があり、広すぎる防衛圏の維持に疲れ果て、各個撃破されてしまいました。



『戦後日本』の転換点を三つあげるとすれば、何ですか?

「『戦後日本』の転換点を三つあげるとすれば、何ですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

一度目はサンフランシスコ条約と日米安保の同時発効

二度目はプラザ合意

三度目は堀江貴文さんの逮捕

と思います。一度目ですが、日本が主権を回復したわけですから、あの時からが実際に戦後が始まったと言えると思います。で、二度目なんですけど、それまでは高度成長も含んで戦後の復興が続いたとも言えるんですけれど、世界が、主としてアメリカから「日本は既に復興期を過ぎている。世界で一番金持ってる。これからはアメリカが日本を甘やかすことはしない」と宣言され、加えて「アメリカはベトナム戦争で疲弊し、もう世界の警察もおりたい。というわけで、日本よ、後はよろしく。ガクっ」となり、日本は張り切って「はい。私たちは永遠にアメリカ様の下請けです」と応じたのがプラザ合意だったと理解しています。以後、日本はアメリカから容赦なく追い詰められ、円高になり、産業は失い、規格は英語圏に準ずるという、世界で最も豊かな敗戦国の姿を世界に晒すことになりました。とはいえ、日本にはまだまだ世界的な存在感を発揮するチャンスはありました。90年代から2000年代にかけてIT分野に於いてアジアで先進的な地位を確立していましたし、アジア全体の発展ぶりから見て、ITでアジアを制することができれば世界の覇者になれるという空気は確かに当時ありました。しかし、当時のIT分野で最も急進的な立場だったと言える堀江貴文さんが逮捕されたことで、日本でITをやることはハイリスクであるとの認識が世界に広がり、誰も日本でITをやりたがらない、日本のITには投資が集まらない、優秀な人材はシリコンバレーへと流れていく、失敗して帰ってきた人材は見捨てるという風潮が普通になってしまい、現代日本はIT発展途上国に堕してしまったと私は考えています。5年くらい前まではそれでも何とか日本に勝機はあると私は信じる努力をしていたのですが最近は諦めました。



映画やゲームの戦闘シーンではよく使われるナイフですが、実際の戦闘でナイフが使われることはあるのですか?

「映画やゲームの戦闘シーンではよく使われるナイフですが、実際の戦闘でナイフが使われることはあるのですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

私、聞いたことがあるだけで、本当かどうかは分からないのですが、台湾には台湾原住民と呼ばれる屈強な人々がいるんですけれど、中国との対立が最も激しかった時代には彼らが徴兵されて金門島に配属されることも多かったということなんですね。で、金門島から対岸の厦門まで結構近いので、屈強な彼らが深夜に泳いで厦門まで行き、人民解放軍の歩哨をナイフで殺して、また泳いで帰ってくるというような任務をこなしていたそうですよ。



旧日本軍では組織内に「忠誠心競争」という病がはびこり、それによって命令が伝達されるたびに厳しく解釈され、そのしわ寄せが最末端の兵士を酷く苦しめたのではないでしょうか?

「旧日本軍では組織内に「忠誠心競争」という病がはびこり、それによって命令が伝達されるたびに厳しく解釈され、そのしわ寄せが最末端の兵士を酷く苦しめたのではないでしょうか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

ご質問を拝読させていただき、ちょっと違うかなと思いました。陸軍エリートの間では階級の低い者が高い者を抑え込んで軍の作戦行動を決めてしまうという下克上がトレンドになっていましたから、忠誠心競争というよりはマウントの取り合いであったと見るべきと思います。その結果、最末端の兵士は消耗品扱いされました。本当に酷い話だと思います。



歴史上最も利他的だった人物とは誰ですか?

「歴史上最も利他的だった人物とは誰ですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

ぱっと思いつくのは西郷隆盛です。彼は島津久光と対立して奄美大島に島流しにされた時、暇なので熱心に儒教の勉強をしたようなのですが、敬天愛人の境地にたどり着き、利他的に生きるとの決心をしたのではないかと思える節があります。元々サイコパス的なまでに目的達成のためなら手段を択ばない性格なのですが、その目的を利他的に生きるに設定したのが奄美大島で過ごした時期ではなかったかと思います。ですので、恐ろしいくらいに他人に尽くす、自分を与える、自分の利益は考えないを徹底し、結果として徳川慶喜に対しても勝利していきます。西郷・大久保が倒幕の決心をしたのは島津久光に命じられたのが大きいと私は思っているのですが、このようなちびりそうな大事業に成功したというのも、自分を捨て、失敗すれば死ねばいいだけとのある種の開き直りが導きになったとも思えます。西南戦争はそもそも西郷が計画して起きたものではないですが、この時の場合は、弟子たちがどうしても勢いを抑えることができず、やっちまったものですから、もはや後戻りもきかないという段階になって、「そうか、しかたがない。俺も一緒に死んでやるよ」という釈迦と修羅が一緒になったような境地で臨んだのだろうという気がするのです。



中華文化の清明節と日本のお彼岸はすることが似ていますが、時期が近いだけで関係はないのですか?

「中華文化の清明節と日本のお彼岸はすることが似ていますが、時期が近いだけで関係はないのですか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

関係あると思います。日本のそういったことって結構、中国の道教の影響を受けているはずですから。「天皇」という名称を最初に使ったのは天武天皇ですが、北極星のことを天皇星と呼んでいるところからぱくっていると考えてさしつかえないと思いますし、伊勢神宮を整備したのも奥さんの持統天皇が藤原京を作ったのも、中国から来た陰陽道、要するに風水に基づいて進めたと考えて良いと思います。




もし、徳川幕府が何らかの理由で倒れ、天下統一される前の戦国時代のような状態で開国要求勢力が日本に到着したら、日本も清のような状態になっていましたか?

「もし、徳川幕府が何らかの理由で倒れ、天下統一される前の戦国時代のような状態で開国要求勢力が日本に到着したら、日本も清のような状態になっていましたか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

インドみたいになったと思います。インドは各地のマハラジャが互いに覇を競い合う状態であったため、イギリスがマハラジャAと組んでマハラジャBを滅ぼしたり、マハラジャCと組んでマハラジャDを滅ぼしたりを繰り返し、最終的にビクトリア女王を皇帝として戴くインド帝国になりました。清の場合は中央集権国家であったため、戦争に敗けるごとに列強に土地を切り与えねばなりませんでしたが、統一国家としてのまとまりを失うには至りませんでした。日本がもし戦国時代の状態で、英米仏露の艦隊がやってくるというようなことになれば、容赦なく、丸ごと飲み込まれるか、列強の間で分割され、日本という国は消滅したと思います。