香港理工大学の陥落と香港人権法

香港理工大学に学生たちが立てこもり、それを警察部隊が包囲殲滅したことは記憶に新しい。細部が分からないため、安易な独断は避けたいが、一部報道では実弾が使用されていたとも言われているし、逮捕された学生たちがその後どうなっているのか定かではないということも気がかりでならない。香港理工大学の学生たちからの情報発信が極端に少なく、オンラインで探しても彼らの直接のメッセージが見つからないので、不可解ではあるが情報が限定的になってしまい、もどかしい思いをした。一部では相当数の命が失われたのではないかとの不安をかきたてる内容のものがインターネットで出回ってはいるが、一方で辛くも脱出した学生たちの姿もあったようなので、助かった人がいるということは大変にいいことなのだが、全体像が見えないのでもどかしい。最後まで残った少数の学生たちが降伏する様子はyoutubeでみることができた。一時は千人にも上る学生たちが立てこもっていたにもかかわらず、降伏した学生の数が極端に少ないように見えたが、そこもはっきりとしたことは分からないのである。

香港理工大学が「戦場」になり、事実上の包囲戦が行われたことは世界中に知れ渡り、多くの人が不安や恐怖を感じたはずである。そのような中、アメリカではマルコルビオと確かもう一人の協力者の二人の上院議員が提出した香港人権法が通過した。香港の一国二制度を揺るがせにした場合は相応しいペナルティを与えるとする内容のもので、中国側は激しく反発しているらしい。アメリカの中華圏へのコミットメントを考えてみた場合、台湾に対しては長年、台湾関連法によって武力行使を名言する形で厚い支持を与えていたと言えるが、香港の場合は中英が同意した一国二制度があるため、やや距離をとった傍観のようなところがあり、台湾に対する態度と香港に対する態度には温度差があった。また、香港人権法も、ペナルティを与える程度のことであって、武力行使などは全く選択肢に入っておらず、コミットメントの意思・度合い、ともに台湾に対するそれと比べればやはりやや低いと言えるだろう。ただ、私がオンラインでマルコルビオの演説の動画を見たところ、中国語の熱い感謝のコメントが多くみられ、香港のことで心を痛めている多くの人が、マルコルビオたちの今回の行動に支えられているということが分かったような気がする。

香港の一連の騒動は、双方関ヶ原のつもりで臨んでいることは間違いないのだが、互いに出口戦略らしきものが見当たらず、予断を許さない。このまま旧正月までもつれ込めば、北京政府が最終的な問題解決を選ぶことも決して非現実的な想像ではない(慎重に言葉を選んだつもりです。ご了解いただきたい)。一方、香港経済は明らかな落ち込みを見せており、1パーセントあまりのマイナス成長と言われているが、実際にはそのようなものではすまないだろう。主たる産業である観光は壊滅状態で、回復するのに10年20年かかるだろう。というか、回復しないかもしれない。金融はシンガポールへ脱出しているらしい。一般消費は当然目も当てられないことになっていると推量できる。今後彼らはどうするのだろうか…と心配になるし、同情を禁じ得ない。香港ほどおもしろい土地はそうは存在しないと私は思っている。とても素敵で美しく、食事がおいしい素晴らしい都市なのだ。東洋の真珠は守られなければならない。

香港の騒乱について、私なりの考えがまとまったので、備忘のために書いておきます

11月に入り、香港の事態は予断を許さぬ、はっきり言えば楽観的な結末を想像しにくい事態に陥っている。

香港市民側の死者が出たこと。自殺か他殺か分からない死者が急増していること、香港理工大学では戦争と形容したほうがより適切と思える包囲戦が行われ、果たしてどの程度の犠牲者が出たのか、測りがたい事態に立ち至っており、それでもデモの鎮静化の様子はないことなど、いずれにせよ、市民側がひくことはなさそうに見える。

一方で、北京政府が引くこともなさそうだ。当初、行政長官の辞職や問題の発端になった送中法案の撤回などで、北京政府は妥協して事態を収めることを考えていたことは間違いないように見える。だが、香港市民の要求が更に大きなものになり、特に普通選挙の実施で両者は全く相容れることができなくなってしまい、最近は北京政府側も考えを改め、場合によっては強制的鎮圧を現実的な選択肢として考えているように見えるのだ。なぜそう見えるのかというと、私は新唐人テレビ、アメリカの声中国語版など、西側プロパガンダ系中国語メディアを見て情報収集をしているのだが、その映像を見る限り、警察側の行動に遠慮がなくなっていることが見て取れるし、個々の隊員は香港市民のデモに対して怒りを感じているように見受けられる。つまり、警察側は暴力的に市民を制圧することにためらいはないのである。当然、より上層部からの示唆なり指示があってのことと推察することができる。

香港は東洋の真珠とも呼ばれた世界の憧れの都市である。文明的でおしゃれで民度の高い香港市民が、たとえば第二の天門事件のようなことが発生してその犠牲になることは、想像するだけでも忍び難い。そのようなことは発生してほしくない、なんとか避けてほしい。しかし、事態はどうもそこまで進まなければ収まる様子はないようだし、市民、警察の双方がそこまで行ってもいいと腹をくくっているように見えてならないのだ。

最近、香港の人民解放軍の兵士たちがマスメディアの前に登場することがあった。彼らは路上のバリケードを片付けるというわりとあっさりとした任務を終えて去っていったのだが、世界に与えたインパクトは重大なものがある。北京政府には香港の人民解放軍を動員することもできるのだということを無言で示したのだ。どうなっているかは分からないが、広州、深圳あたりに戦車が集合するようなことにでもなれば、武力による鎮圧が現実的な日程にのぼってきたということができるだろう。もちろん、戦車が集合しているかどうかを確認する術はないので、全ては事が終わってからわかることになるだろう。

複数のメディアが一日に何度も香港からライブ放送しているのは、一つにはアクセスを稼げるということもあるだろうが、ライブ放送することで秘密裏に処分されることを避けようとする意図があるのではないかとも思える。カメラがオンになっている前で、戦車が遠慮なく進むというのはやりにくいに違いない。だが、このようなことまで話として出てくるということは、事態がそれだけ切迫しているということだ。これほど歴史が緊迫することは、あまりない。私個人も最近は情報収集に忙しく、疲労困憊した。

今後、香港はどうなるのだろうか?普通選挙が実施されるようになれば、やがては世論を背景にした独立政府が目指されるだろう。もちろん、北京政府は認めないだろうから、事態は泥沼化する。最悪の場合、香港はシリアのような混乱状態が常態化することも考えられる。東洋の真珠は守られなければならない。

イオンのミスタードーナツで、イオンについて考えた

イオンは全国に500店舗くらいあるらしい。47歳都道府県全てを網羅していると言っても過言ではない。3000市町村を完全カバーというわけにはいかないようだが、銀座のような超都心にはなく、限界集落のような地域にもないので、「中流=生活圏にイオン」という理解でさほど外れてもいないような気がする。イオンは消費者フレンドリーで物価も割安であり、ミスタードーナツやサイゼリヤのようなお店もあって言うことはないはずなのだが、最近、やや雲行きが怪しいらしい。イオンは現在、減益が話題になっている。やや衝撃的だったのは、私が今回、ちょっと休憩のつもりで入店したミスタードーナツがイオンの当該店舗から撤退する旨の張り紙がされていたことだった。もうイオンでは商売にならないということなのだろうか。イオンは割安、リーズナブル戦略を用いているため、客単価は低い。ミスタードーナツですら、やや高額に感じられるほど、イオンの食料品売り場は価格が安く設定されている。ミスタードーナツのような歴史ある市民の味方をも敬遠するほどに、人々の財布が硬くなっているということなのかも知れない。尤も、近隣のマクドナルドは堅調に見えるため、消費増税の影響かどうかは測りがたいとも思えた。まあ、関係ないはずもないのだが。

イオンの発展は自民党が無理押しした大型店舗法の改正と関係がある。大型店舗法はそもそも商店街などの個人商店を守ることを目的とした法律で、アメリカのJCpennyみたいなモールが進出して個人商店を圧迫することを防ぐことを目指していた。ちなみにJCpennyはバックトゥザフューチャーでマーフィーとドクが犬を使ってタイムマシーンの実験をする場所である。どうでもいいと言えばどうでもいいが。

自民党は資本家+農家の支持によって成り立っている政党であるため、個人商店の票を失うのは痛い。しかし一方で、アメリカからの要求は厳しかった。JCpennyみたいな大型店舗が世界一豊かな日本で商売できるように法律改正せよとねじ込み、自民党は応じざるを得なかった。ここは自民党のもろさやぶれを露呈したものだと言えなくもないだろう。一方に於いて個人商店主の利益を守る政党でありながら、一方に於いてはアメリカの利権も守らなくてはならず、常にではないが時として利益が相反し、自民党はそのバランスをとるために苦悩せざるを得なかった。批判というよりは、同情したい。結果、大型店舗法に関しては、自民党は妥協し、改正して大型ショッピングセンターやモールが国内で作れるようになった。

では、JCpennyがあちこちにできたかと言えば、そのようなことは起きなかった。繊細な日本の消費者が喜んで財布のひもを開けるような商品を大味なアメリカの大型店舗が提供できるわけではなかった。フランスカルフールも、日本の市場に於いては同じだった。大型店舗法の改正によって最も大きな利益を得たのは、間違いなく日本資本のイオンである。日本の消費者という手ごわい客層を相手に心の機微をつかむ商売ができ、かつニチイなどの積み重ねて資本力のある企業は限られていた。一時期、大型店舗はイオンの独壇場のようにすら見えたほどだ。

イオンが伸長した結果、各地の商店街がシャッター通りとなり、個人商店は店じまいし、人々は自動車に乗ってイオンへ行き、必要なものをまとめ買いするようになった。消費生活がある程度アメリカ的になったということもできるだろう。だが、これをして日本の商店街をつぶしたのはイオンだとか、法律を改正した自民党の陰謀だとか、或いはアメリカの陰謀だなどと言うのは早計である。確かにJCpennyみたいな店舗が出せるように法律を変えたのは自民党であり、変えさせたのはアメリカであり、漁夫の利を得たのはイオンである。だが、人々がイオンを選ぶにあたって、なんらの強制も働いてはいない。政府や国家、政権政党がプロパガンダをして、或いはイオンで買わなければペナルティなどの暴政を行うことによって消費者をイオンに集中させたわけではない。人々は自発的にイオンを選んだという事実を忘れてはいけないだろう。消費者は自発的にイオンを選び、個人商店を見捨てた。イオンの発展は国民の意思の帰結であるとすら言えるだろう。従って、シャッター通りが生まれた責任をイオンに問いかけるのは間違っている。責任を負うべきなのは、消費者だ。

さて、イオンがあんまり盛り上がっていないことに話を戻したい。或いは人々の生活が脱自動車化したことにより、イオンまで行くのが大変なので、結果としてイオンに人が集まらなくなったのかも知れない。または、日本人の消費のスケールのようなものがいよいよ本格的に縮小し、イオンの創意工夫では対応しきれないところまで来たのかも知れず、案外便利なアマゾンプライムが日本市場のイオンに対する挑戦者として登場したことが大きいのかも知れない。ローソンもネットスーパーをやっているし、ネットでスーパーマーケットということになれば、市民はあらゆる商品の値段を徹底的に比較することができるし、手間をかけずにあちこちに注文できるため、イオンの充実した品揃えはあんまり意味をなさなくなってきたのかも知れない。イオンに行けばなんでも揃う時代が終わりを告げようとしており、今後はスマートフォンさえあればなんでも買えるので、店舗とかいらなくない?という時代に突入することもあり得る。今日はイオンへちょっと足へ向けただけで、いろいろと感じたので、ここに備忘として書き残すことにした。

さっきイオンの株価を検索してみたが、こちらもあまり盛り上がってはいない。イオンの株主になれば、買い物のたびに割引があり、本当かどうかは知らないが毎日ミネラルウオーターがもらえるらしい。お得なのだが、リーマンショックで一度残酷な感じになっていて、アベノミクスの大相場で大いに盛り上がり、今、アベノミクスの終焉が明らかな中、消長気味である。

ネットでの消費が主役になった場合、趣味はショッピングとか、趣味はウインドウショッピングの人はどうすればいいのだろうか。あ、ネットサーフィン…。

日中戦争9 西安事件‐蒋介石と張学良

満州事変とそれに続く満州国建国の宣言が蒋介石の国際連盟への提訴により国際問題化し、日本はリットン報告書の採択を拒否し、「国際連盟から脱退すれば連盟の規約にしばられず、経済制裁を受ける理由もなくなるから、脱退しまえばいいんじゃね?」という奇怪のレトリックを思いついて日本は国際連盟を脱退してしまうことになります。現代日本人から見ると、実にもったいないの一言に尽きますが、当時の日本の意思決定担当者たちの考えの甘さ、取り返しのつかないほどの大きなミスがあったことは認めざるを得ません。

ですが、奇妙なことにその後しばらくの間、日本と蒋介石政府との間での友好関係が深まっていくことになります。短い期間のことですので、すっとばしてもいいくらいなのですが、なぜ友好関係が深まったかを考えることは、当時の東アジアの事情がどうなっていたかを理解するのに役に立つと思いますから、ちょっとここでがんばって考えてみたいと思います。ま、結論から述べるとと、要するに日本は満州地域から外へ出て行って占領地を広げたりするつもりはないということを行動から明らかにしていき、蒋介石は共産党との戦いを先に終わらせたかったので、ま、取り敢えずそれでいっか。ということになり、喧嘩する理由がなくなってしまったわけです。

で、張学良という人がいて、この人は関東軍の協力を得ながら満州地方を支配していた張作霖の息子さんになるわけですが、関東軍の河本大作大佐が張作霖を殺害し、張学良氏は張作霖氏の後継者ということになるわけですけれど、満州事変で満州という土地も張学良から奪いとって溥儀を擁立して満州国を作ったという流れになっており、張学良からすれば、親父が殺され領地が奪われたわけですから、最大の敵はやっぱり日本になると思います。

その張学良氏は蒋介石氏の部下の立場として蒋介石軍に参加し西安方面で共産党軍との戦いをやっていたわけですが、戦いが遅々として進まず期待通りの戦果の報告が蒋介石のところへ届きません。で、彼は督戦、するために、要するにもっとまじめに戦争しろとハッパをかけるために西安に行くんですけれど、1936年12月12日、蒋介石の予想を超えた事態が起こります。張学良氏に逮捕監禁され、共産党との協力を約束させられるというわけです。蒋介石氏は西安で、昔、楊貴妃が遊んでいた温泉施設が残っている建物を臨時の執務室に使っていたそうなのですが、張学良が掴まえに来たと知ると急いでそこから逃げ出そうとして果たせず、捕まったそうです。私もその現場を見に行ったことがありますが、唐の時代の楊貴妃と、20世紀の蒋介石のイメージが上手に重ならずに、頭の中での処理にやや苦労した記憶があります。

で、蒋介石氏が逮捕監禁されている時、果たしてどのようなやりとりがなされていたのかということは今も謎であり、推察はできても確認できない流言飛語もいろいろあって分からないことだらけなできごとだったわけですけれど、その後は完全にというわけではないですが、中国は原則として挙国一致で日本と戦うという方針を示すようになり、十五年戦争の歯車が大きく動き出すことになります。日中戦争が本格的に始まる盧溝橋事件と第二次上海事変は西安事件が発生した翌年のことです。第二次上海事変は相当に大規模な激戦だったことは知られており、日本側の死傷者も多く、双方が充分に準備をして本気でぶつかり合ったことは関係資料をぱらぱらっと見るだけでも分かります。繰り返しになってしまいますが、西安事件で事情が変わったのだということがよく分かります。せっかくの短い日中デタントは喜ばしいことだとは思うのですが、残念ながら日本には戦争を止める装置が機能停止になっているような感じで戦争をやめようとする意思決定できない状態になってしまっていたことも災いして、戦火は広がって行ったと言えます。

私は張学良氏のインタビュー動画やインタビュー本などをある程度目を通しましたが、そこはかとなく感じるのは、実は蒋介石と張学良との間にある互いに理解し合う友情のような関係があったのではないかということです。蒋介石氏がどのように話していたかは私は知りませんが、張学良氏は蒋介石氏に対して、わりと理解のある言葉を発しています。張学良氏は残り人生のほとんどを国民党に軟禁されて過ごしたのですが、だからといって憎悪の言葉が出て来ることが言えば、全くそんなことはありません。この辺り、日本人の我々にはもはや理解不可能な中国的な人間関係の築き方の難しいところをはらんでいるのかも知れません。西安事件にはいわゆるコミンテルン陰謀説みたいなものもあって、それについては半分は本当で半分は伝説みたいなものではないかと重います。コミンテルンが絡んでいたのは本当かも知れませんが、蒋介石氏と張学良氏の相互理解の関係はコミンテルンとは関係ありません。そしてなぜ、おそらくは逮捕監禁中にとんでもない目に遭わされたであろう蒋介石氏と、残り人生を軟禁された張学良氏の間にそこはかとない友情が感じ取れるのかということは、もっと別の奥深い繰り返しになりますが、日本人には理解し得ない何かがあるような気がします。ただし、中国語のインタビュー本を読んだ際、張学良氏が若いころは随分もてたと自慢していていて、実名を出して〇〇に住んでる〇〇さんと付き合ってたとか書いてあったんですけれど、そんなことをしゃべったら相手が迷惑するのではないかとそっちの方が心配になってしまいました。

今後の予定としては、盧溝橋事件、第二次上海事変、そして論争多き南京事件へと回を重ねて進めて行きたいと考えています。




日中戦争8 日本の国際連盟脱退

満州事変について調査したリットン報告書については前回触れましたが、日本にとっては必ずしも不利な内容のものと言えるものではありませんでした。敢えて言えば、リットン卿は名を捨て実を得るという提案を日本にしたわけですが、日本は名も実利も両方もらわないと納得できないとごね始めたわけです。想像が入りますが、世界は日本帝国の強欲さにドン引きしてしまったのではないかと私には思えます。

ジュネーブの国際連盟本部では松岡洋右が熱弁を振るい、日本軍の行動の妥当性を主張しました。当時の世界情勢は第一次世界大戦後の平和志向の時代へと移行していましたので、あからさまな侵略戦争は国際法違反と認定されていましたが、松岡は満州事変は侵略戦争ではなく、ウッドローウイルソンの提唱した民族自決の精神に基づき、地元住民の自発的な独立運動であると強弁し、これは満州国の建国はその帰結であるとして一歩も譲ろうとはしなかったわけですね。しかしながら、国際連盟で議論されている最中に関東軍は熱河作戦を行って占領地を広げようとしましたから、日本の侵略意図に対する疑念は更に深まり、松岡の立場はますます厳しいものへと変わっていきます。

一方で、裏側でイギリスから国際連盟とは別の交渉テーブルを用意しないかと打診されていたことが最近の研究で分かっているようです。国際連盟のようなお上品な場所では、日本は正しいと言い続けるしかない。日本国内からの訓令もあるでしょうから、松岡さん、あなた板挟みで辛いでしょう。イギリス、フランス、日本などの世界の強国が本音で話し合える裏交渉の場を設けて、みんなでちょっとづつ得をすることについて具体的に考えましょうと持ちかけて来たというわけです。松岡はこの提案に乗り来だったようです。松岡洋右というと、ちょっと申し訳ないのですが、ややヒステリックでエキセントリックで独善的な人物という印象があるのですが、イギリスとの裏交渉に乗ろうというのは、なかなかに現実的です。ワシントン体制で日英同盟は解消されましたが、イギリスとしては元同盟関係国である日本への手心ということもあったかも知れません。ところが、日本からは裏交渉なんかせずに国際連盟脱退の覚悟も辞さずで押し切れないかと訓令が来ます。当時、日本の内閣行政の中核的な役割を果たしていた内田康哉がそういった趣旨の訓令を発していたようです。

松岡はそれに対する返信として「外交は腹八分目でなければならない」と述べているのですが、外交官は飽くまでも本国の代表者。本国から訓令がくれば、外交官一人の思想や判断よりも訓令が優先されます。そしてとうとう松岡は国際連盟の脱退を発表し、世界を愕然とさせヨーロッパを出発します。松岡の日記にはその時の外交的失敗に対する後悔の念が記されているそうですが、上に述べたような経緯を見ると、確かに外交的な敗北感に苦しむことになってしまいそうに思います。

当時の日本では国際連盟からの経済制裁に対する不安感が強く、国際連盟から抜ければ経済制裁されなくてもすむではないかというほっとしたというような声もあったようですから、当時の日本がかなりの近視眼的な意思決定に捉われていたように思えます。いつかこのブログで述べることになると思いますが、太平洋戦争もかなりの近視眼的な発想で始められたように私は考えています。

で、いずれにせよ日本は以上の経緯を辿り、世界から孤立するようになり、札付きの悪であるナチスドイツしか相手にしてくれなくなったので同盟関係を結ぶほどのずぶずぶの関係になり、それ以外の諸国、要するに連合国は敵は日本とドイツなりという感じでちょうどいい感じに結束し、日本帝国は滅亡の穴へと落ち込んでいくことになります。述べていて暗い心境になってきましたが、もう何回か日中戦争について述べたいと考えており、引き続いて太平洋戦争に入るかと言えば、そのように考えてはおらず、ポストコロニアル的な視点から台湾についてしばらく研究してみて、それからできれば満州国のこともやって、太平洋戦争に入ってみたいと思います。認めます。私、日本近現代史のマニアなんです。お付き合いいただければ幸いです。




日中戦争7 リットン調査団

満州事変が起き、満州国が誕生して溥儀が執政に就任するという流れが東洋で起きている一方で、西洋では中華民国から満州国は国際法違反によってつくられたものだとする提訴が国際連盟に対して行われ、日本側でも国際法に違反していないことは証明できるという姿勢を貫き、要するに諸方面が同意した上でイギリスのリットン卿を団長とするリットン調査団が組織されます。

実際に満州地方を歩いた期間はそこまで長かったわけではなく、東京や北京なども訪問し、日中双方の要人、その他当事者そのものと言える溥儀とも面談するなどしてリットン卿は実際のところを判断しようとしたわけです。調査と言っても諜報活動のようなことをしたというよりは、公正明大且つ貴族的優雅さを忘れぬ態度でジャッジしようとしたのがリットン調査団の仕事で、その成果がリットン報告書というわけです。

リットン報告書は北京で書かれ、当時の知識人らしく「満州とは」くらいの大上段から始まっています。リットン卿はインド総督もした人ですから、東洋についてはよく知っているという自負もあったのでしょう。カエサルの『ガリア戦記』で「ガリアは3つに分けられる」から書き出しているのを理想とする人が多いので、どうしても、ついつい、満州とは、中国とは、日本とは、みたいな大袈裟な話から入っていきたくなるのかも知れません。また、リットン卿としても自分の知性を発揮する絶好のチャンスでしょうから多少気負った感じもあったのだろうと思います。

リットン報告書では歴史的経緯を説明した上で、満州国は国際法違反であると結論しています。当時の国際法は、国際連盟の精神と連動して整備されたようなものだと言っていいと思うのですが、19世紀的な弱肉強食の世界、国益のために戦争をする世界、侵略戦争を是とする世界を辞めましょうという精神で構成されています。ウッドロー・ウイルソンの民族自決もその精神の一部であり、侵略戦争ダメ絶対!=諸民族は自分たちで意思決定する権利がある。他民族に意思決定されない(注意 民族とは何かという問題は今回はちょっと置いておきます。またいずれ議論できる日も来ることでしょう)。という思想が当時は特別重視されていました。第一次世界大戦でヨーロッパが荒廃し、科学技術の進歩が良かったのか悪かったのか大量破壊が可能になってしまい、もはや戦争はできない、戦争やってたら人類の文明が滅んでしまうという危機感が出発点になっています。この考え方は第二次世界大戦後の国際法にも影響していて、たとえばポツダム宣言でも日本の将来の政治形態は日本人が自分で決めると書かれてありますし、東京裁判でキーナン主席検事が「人類の文明を守るための裁判」と主張したのも、第一次世界大戦で世界は戦争には懲り懲りだと思ったのにも関わらず、また世界大戦をやってしまったので、第三次世界大戦を予防するための裁判だ!と言っているわけです。ここでは、その是非善悪を問うているのではなく、そういう考え方で彼らが仕事をしていたということを理解するために議論しています。東京裁判については考え方が分かれるでしょうが、一応、私はここに述べているような視点で理解しています。

で、以上のような国際法の観点から言って、満州国は国際法違反だとリットン卿は判断しました。満州地方は日本軍によって占領されていて、溥儀は傀儡に過ぎない。従って、溥儀を君主と仰ぐ満州地方人民の自発的分離独立運動と認めることはできないので、民族自決の精神にも合致しないと判断したわけです。さて、ここからがさすがは世界一の二枚舌の国であるイギリスらしい解決方法が提案されます。日本側はリットン卿に対し、主として2点を強調していました。

1は満州国は民族自決の理念に合致している。
そして2番目に、満州地方を手に入れるために、日本はめちゃめちゃ苦労したんだ。

ということです。1と2の言い分は完全に矛盾していますが、日本側は両方言い張りました。日露戦争で10万人の兵隊が死に、20億円の借金を作った。今もポンド建てで借金を返済している最中だ、そこを汲んでくれよと情に訴えたわけですね。で、リットン卿は日本側の主張1を認めてしまうとヨーロッパに帰ってあいつは馬鹿だと言われるのが嫌なので、1については明確に否定します。しかし、二枚舌が普通なので、日本が情に訴えて来た部分は受け入れてあげましょうという提案がなされました。満州国を独立国として認めることはできないが、日本に権益追求の優先権があることを認め、ついでに国際管理ということにして、ま、細かいことはこれから考えることにして、国際連盟の強い国でうまく分け合いましょうよ。日本は多めに獲ってもいいから、その他の国にもちょっとづつ分けてよ。そしたら、矛盾してるところとか、目をつぶってあげないわけでもないよ。というわけです。

満州地方がもし国際管理になっていたら、ロシアの南下も心配しなくていいし、国民党にも手が出せません。そして利権は日本に優先権がある。こんなにいい話はちょっと考えられません。なんとおやさしいイギリス様と思ってしまいますが、日本側は「満州国は民族自決の精神に合致する独立国だと認めろ」と強弁して話をまとめようとはしませんでした。ああ、これがニッポンの悲劇と思わず天を仰ぎたくなってしまいます。

次は国際連盟で松岡洋右が強弁している最中に起きた熱河作戦についてやってみたいと思います。




日中戦争6 満州国の溥儀

1932年3月1日、第一次上海事変の停戦協定もまだ結ばれていない最中、満州国の建国が宣言されます。満州国の政治的なトップに溥儀を執政として据えて、事実上の関東軍の傀儡国家を成立させたことになります。

満州地方を関東軍が占領した後、日本領にするか、どこかの軍閥と手を組んで自治領みたいにするか、独立国家にするかは意見が割れたようですが、結果としては溥儀を利用した独立国家にする道を関東軍は選びました。第一次世界大戦を経験した後の世界秩序の中で、露骨に日本領を拡大することは既に憚られる状態だったこともありますが、溥儀は満州民族の君主ですから、満州地方の住民の自主独立運動、民族自決の帰結として満州国が建国されたのだと強弁する材料にすることができたことや、溥儀は自前の軍隊を持っていませんから、一度取り込んでしまえばとことん傀儡として利用できる、溥儀に抵抗するだけの力はないと見抜いたということもあると思います。

溥儀は紫禁城から追放された後、天津の租界で、特にやることもなく適当に遊んですごしていたわけですが、関東軍からの満州行きのオファーに対し、共和制だったら行かない、帝政だったら行くとの条件を出し、関東軍サイドが帝政だと約束したことを信用して満州へと秘かにわたって行きました。

で、どうなったかというと、皇帝ではなく執政という最高行政官みたいな肩書を与えられたわけですから、ちょっと騙された感はあったのではないかと思います。溥儀は徹頭徹尾、清朝の再建のために日本を利用しようと考えていたところがあるようですが、日本側は清朝の再建は全然考えていなかったという温度差、不協和音を感じてしまい、溥儀についつい同情してしまいます。

溥儀は二年ほど執政としての立場を真面目にこなし、念願かなって満州国の皇帝に即位します。関東軍から見れば、満州国の皇帝で、溥儀の主観では清朝の復活です。やはり温度差、不協和音はあったと思いますが、溥儀としては皇帝に返り咲くことができたことで、それなりに満足はしたかもしれません。中国のドラマで溥儀を扱っているのを見ると、わりと日本が戦争に敗け始めて大変なことになっている時期に、何も知らず呑気にタバコを吹かしてご機嫌に遊んでいる溥儀が描写されていたりしますので、当時はご満悦だったというのが定説になっているのかも知れません。ベルトリッチの『ラストエンペラー』を見ると、ずっと悲劇的な人世で、そんなご満悦どころではないのですが、まあ、溥儀本人の主観を想像するに、天国から地獄へのジェットコースターを何度も経験していますから、相当に疲労困憊する人生だったのではないかと思います。

溥儀は正確には三度、皇帝になっています。一度目は光緒帝が亡くなった後に三歳で指名されて即位した時です。その後、辛亥革命で廃位されますが、袁世凱が亡くなった後で張勲のクーデター的策略で再度皇帝の座に座り、二週間にも満たない短い期間ですが、清朝が復活しています。そして三度目が満州国皇帝即位というわけです。

実に大変な人生です。その後、満州国建国についてはリットン調査団が入っていろいろ調べて、民族自決ではないと結論されてしまったり、日本の国際連盟離脱につながったり、ソ連邦参戦の時には口に出すのも憚られるような酷いことが起きたりと重苦しい歴史の出発点になったというか、満州地方に固執したために日本はほろんだみたいなところもありますから、満州は日本の重苦しい過去の中心みたいな場所なのだなあと、ブログを書きつつ、改めてためいきをついてしまいます。




アメリカ大統領選挙2020を読む‐バイデンさん編

来年のアメリカ大統領選挙に、オバマさんの時代に副大統領をしていたジョー・バイデンさんが出馬する意向を示したことが話題になりました。一時期はバイデンさんに関する話題で英語メディアはもちきりでしたが、最近はやや沈静化した感じなので、話題になりました、と過去形にしたいと思います。

現状、トランプさんの再選があり得るかどうかを考えると、経済の状態、ロシアゲートの弾劾があるかないか、民主党から予想を超えたスーパースターが選挙に出馬するかの3つの要因で決まって来るように思えます。経済の状態は良く、少なくともトランプさんとしても2020年まではややバブっているらしいアメリカの景気を支える覚悟で臨んでいるようですが、ロシアゲートの弾劾についてはまだなんとも言えない部分がつきまとっています。まずジュリアン・アサンジ氏が何を話すかが注目されるわけですが、既に逮捕されてひと月ほど経つのに何も出てこないということは、アサンジさんは喋らないことで腹をくくっているのかも知れません。イギリスも死刑制度のあるアメリカにアサンジさんを引き渡すことはできないという姿勢を示していて、このままだと、アサンジさんはまたしても半永久的に隔離されたような生活を送ることになるだけなのかも知れません。ロジャー・ストーンさんがしゃべるかどうかに注目ですが、この人も一筋縄ではいかないでしょうから、全く見通しが立ちません。民主党サイドはなんとかロシアゲートで弾劾に持ち込みたいところのようですが、弾劾が成立させる決定打に欠いて困っているといったところかと思います。で、民主党からスーパースターが対抗して出馬するかどうかが鍵になるように思いますが、果たしてバイデンさんでトランプさんに対抗できるかと言えば、やや微妙なように思えます。トランプさんのおもしろくて分かりやすいキャラを支持する有権者が3割ぐらい確実にいて、トランプさんはその人たちの支持を確実に保つ方針で就任以来、できることをやってきた面があります。バイデンさんはトランプさんほどキャラが鮮明ではなく、お上品なお顔でいい人そうなのですが、選挙は目立ったもん勝ちみたいなところがありますから、やはりちょっとバイデンさんでトランプさんの首を獲るのはあまりなさそうに思えます。

ただ、バイデンさんがどんな人なのか調べてみると、最初の奥様と娘さんを交通事故で亡くしていて、2015年に息子さんを脳腫瘍で亡くしています。奥さんと娘さんと息子さんを亡くすというのは生涯にわたって苛まれる苦しいことではないかと思いますから、同情を禁じることができません。同情してしまいます。バイデン氏は人間的には相当に魅力がある人らしく、民主党、共和党を問わず友人が多くいるそうです。共和党の政治家のマケインさんが亡くなった時にスピーチしたというエピソードに、人間的な幅のようなものを感じさせます。一方で、女性に対して、ちょっと不謹慎な面もあることが話題になりました。トランプさんならいくらでもやってそうなことですが、普通の政治家にとっては致命傷です。息子と娘を亡くすという不幸に出会えば、頭の中の何かがおかしくなってしまっても不思議ではないとは思いますから、やっぱり同情しますけれど、バイデンさんではトランプさんにはやはり勝てないという気がします。

スピーチの天才とも言えるオバマさんがもう一回出馬という話もあるようですが、さすがにプーチンかよ、と突っ込まれるでしょうから、それはないと思います。ヒラリーさんがもう一度出馬しても全くおかしくはないのですが、今のところそういった話は聞こえてきません。あまり早い段階で名乗りを上げると不利なこともありますから、当面は様子見ということなのかも知れません。これから、いろいろな人が名乗りを上げていくでしょうが、私はアメリカ人の有権者ではないですから、少しずつちらちらと横眼で流れを読んでいきたいと思います。




日中戦争5 第一次上海事変‐世界の中心と川島芳子

1931年の満州事変以後、中国に於ける対日感情は極めて悪くなっていきます。日本製品排斥運動も盛んになり、日本の対中輸出は相当に下がって行ったようです。さて、そのような一触即発が続いている最中の1932年、上海という世界の中心都市で日中両軍の軍事衝突が起きてしまいます。世に言う第一次上海事変です。

なぜ私が上海を世界の中心と呼ぶのかというと、当時は日本を含む列強の租界が上海にあって、列強の利権が上海に集中していたからですね。たとえば上海を失うと金融面で支障をきたすとか、貿易面で支障をきたすとか、そういうことがあるので当時の列強は上海で面倒が起きるのをとても嫌がっていたわけです。日本はこの段階ではまだ国際連盟脱退という最悪の選択をしてはいませんでしたが、列強から煙たがられる要因はこの段階で既に生まれていたと言っていいのではないかとも思えます。

いずれにせよ、その上海で日本人のお坊さんが襲撃されて命を落とすという事件が起きてしまいます。一説には日本軍に操られた川島芳子が引き起こしたという話もありますが、真偽のほどは分かりません。田中隆吉という陸軍の人物が川島芳子と深い関係になっていて、田中隆吉の意向を受けて川島芳子がお坊さんの襲撃を謀略したという話なわけですが、それを言っているのが田中隆吉さん本人で、他に証拠があるわけでもなく、第一次上海事変で一番仕事をしたのは海軍陸戦隊ですから、なんで陸軍の田中さんが謀略したのかと言う風に考えると、やや、解せないところもないわけではありません。当時に日本軍は統帥という究極的に融通の利かない制度があって、陸海軍は別々の命令系統で動いていて、協力しあうというのは滅多にありませんから、陸軍の田中さんが川島芳子を使って謀略して海軍が戦争するという構図そのものが、ちょっとリアリティに欠ける部分はあるように思えてならないわけです。

そうはいっても、第一次上海事変が起きたことそのものは事実で、日本軍が戦いの初期段階で海軍陸戦隊と投入し、慌てて陸軍の師団も投入し、物量で中国側を圧倒していきます。

ここは私もよく分かっているわけではないのですが、中国側は第19路軍が上海までやってきて日本軍と衝突するわけですけれど、どうも蒋介石氏の本部と現場の司令官の間での意思の疎通がそこまでうまくいっていたわけでもなさそうなんです。蒋介石氏としても、世界の利権の集まっている上海で大規模な戦闘とか、本音ではやってほしくないんだけれど、第19路軍という下部組織の司令官がやる気まんまんで突っ走ってしまったところがあるみたいなんですね。1926年に蒋介石氏が上海クーデターというのをやってますけど、これは治安維持的な意味で、むしろ蒋介石氏は列強から歓迎されたみたいなところがあるんですが、第一次上海事変では日中双方がちの戦闘で、列強の市民が巻き添えを食うという構図ですから、だいぶ性質が違うものだと言えると思います。

で、繰り返しになりますけど、日本側に圧倒されて中国側は撤退することになります。撤退はしたけれど、善戦したということで、第19路軍は賞賛されたそうです。ただし、司令官の人物は第二次世界大戦が終わった後は蒋介石を離れて、中国共産党に参加していますので、やっぱりそもそも両者の関係はあまりいいものではなかったのかも知れません。

以上が、第一次上海事変のあらましということになるのですが、この時に日本側が勝ちすぎて、便衣兵狩りもやったらしく、中には中国人じゃないのに巻き添えになった外国人もいたらしくて、日本に対する警戒論がやたらと強くなっていったようです。そういう意味では上海の治安を維持する蒋介石氏対上海で派手にやらかす日本軍、みたいな印象が欧米諸国に刻印される大きなきっかけになったとも言えそうですから、将来の日本の運命を左右するできごとだったとも言えるように思います。




日中戦争4 満州事変‐石原莞爾と張学良

張作霖氏が殺害される事件が起きた後、息子の張学良氏‐この人は20世紀の東アジア関係史で最も謎に包まれた人物と言えるかも知れないですが‐が張作霖氏の軍隊と地盤を継承します。張学良氏にはいくつかの選択肢がありました。一つは南下の機会を模索するソビエト連邦と連携すること、もう一つは大陸での権益の拡大を模索する関東軍と連携すること、三つ目は軍閥が群雄割拠する中、力を伸ばしてきた蒋介石氏と連携することです。

で、結果として張学良氏が蒋介石氏との連携を選びます。普通に考えて、当時、張作霖氏が関東軍によって命を奪われたことは既に知れ渡っていましたから、人情の問題としても関東軍との連携はさすがにないだろうと思います。一部には実は張学良氏はソビエト連邦の工作員で、それで蒋介石氏に近づいたんだとする説もあるようですが、私は噂で聞いたことがあるだけなので、まあ、そういう噂もありますよ、くらいに留めておきたいと思います。張学良氏の回想インタビューは音声、動画、書籍など複数ありますが、私が中国語で発行された最近の回想ものの書籍では、若いころにどんなガールフレンドと付き合っていたかを張学良氏がいきいきと語っているような内容で、しかも実名を出していますから、本当にこんなものを外に出していいのかとも思いましたが、後に起きる西安事件については一切の口を閉ざしているあたり、墓場まで重大な何かを持って行ったことは確実で、それが何なのかは永遠の謎になると思います。

さて、張学良氏が満州地方で実力を保ちつつ蒋介石氏と連携することは、関東軍にとってはなかなか面倒なことだったと言えると思います。関東軍が割って入る隙のようなものがありません。全ては張作霖氏を殺害した河本大作大佐が悪いのですが、そっちの方は放置したまま、どうやって割って入るかということを考え抜いた石原莞爾が柳条湖事件を立案します。当時、中村大尉が諜報活動中に張学良麾下の部隊に殺害されたこともあって、現状をなんとかしようと関東軍が模索していた様子も感じ取れます。繰り返しになりますが、河本大佐の件をうっちゃってなんとかするというのは、ちょっと難しいことではなかったかとも思えます。

いずれにせよ、1931年9月18日、板垣征四郎大佐や石原莞爾中佐らが柳条湖での南満州鉄道を破壊し、それを国民党の軍の仕業であると自作自演して先端を開きます。土肥原賢二、甘粕正彦が奉天占領に動き、関東軍は満州地方全域を手に入れる方向で動いていき、天津で亡命生活を送っていた愛新覚羅溥儀を迎え入れて独立政権の確立を目指します。日本領にせず、独立傀儡政権の確立へと動いて行ったことは、パリ不戦条約のような第一次世界大戦後の新しい国際秩序の中で、あからさまな侵略行動がとれない時代に入ったからだと説明することもできると思います。