安倍政権をそろそろ採点してみる【2020】

稀に見る長期政権の安倍政権ではあるのだが、ほんのわずかかもしれないものの、やや、陰りが見え始めている。政権は一度沈み始めれば速く、人々は泥船から飛び降りることになる。果たして安倍政権は今、政権末期なのだろうか?また、世の中や社会のために終わるべき政権なのだろうか、続くべきだろうかというような感じのことを考えてみたいと思う。キーワードは経済、新型肺炎、憲法改正あたりだろうか。

まずは経済だが、これはもはや三角というかバツに近い。アベノミクスで日本には確かに復活の兆しが見えるかのように思えた。野田政権の時代に7000円くらいだった株価が24000円くらいまで回復したのだから、これは正しく評価されなければならない。しかし、アベノミクスによって成し遂げられたのは、多分、これだけだ。「積極的な財政出動」はどういうわけか躊躇しつつの財政出動に変わっており、財政均衡主義にとらわれている。アベノミクスの3本の矢の一つである、財政出動は打ち上げ花火で終わってしまった。もう一本の産業育成はどうだろうか。何か新しい産業は育成されたのだろうか?アメリカのGAFAみたいな企業は別に登場していない。ソフトバンクは今自社株買いオペレーションで株価を持ち直しているが、全体として大変なことになっている。自社株買いオペで株価維持というのは、なかなか厳しい状態にあることを逆に示しているとすら言える。農業がその目玉というが、農業で世界競争に勝てる分野はそこでがんばって研究し、働いてきた農家の方々がえらいのであって、この分野は安倍政権が始まる前から強いし、政権に旗振りをしてもらう必要はない。旗を振るだけで何もしないのであれば、そんな政治は不要である。大胆な金融政策も申し訳ないが、あれ、そういえばそんなこと言ってましたよね。な感じである。3本の矢は、有機的なつながりを保ちながら他の政策とも融和しつつ成果を期待するものなので、それぞれが独立して行われるべきものではない。だが、長い安倍時代、3本の矢はそれぞれ気まぐれに放たれ、あんまり遠くまで飛ばず、最近は矢玉も尽きた感が強い。消費増税を2回もやっていて、3本の矢は増税の結果、その効果は吹っ飛んでしまったと言ってもいいだろう。国民生活は更に水準が下がった。このような政権が本当に必要なのか、私には疑問である。

私は安倍政権を頭からディスるつもりはないので、経済に関してはバツではあるものの、新型肺炎については△くらいにしておきたい。新型肺炎の水際せき止め作戦は失敗したが、だからと言って、それを安倍首相の責任に帰するのは、ややかわいそうではないかと思える。新型肺炎なのだ。飛沫感染する死ぬかも知れない伝染病なんて、一体、前回流行したのはいつなんだ?と思うくらい、記憶にない。それこそ1000年ぐらい前の京都みたいな話になるのではないだろうか。森鴎外はドイツでコッホという医者に学び、伝染病の権威になって帰ってきたが、はっきり言って大事なところで能力を発揮したとは言い難い。日清戦争とそれに続く台湾鎮定戦では兵隊たちが栄養失調でばたばた死んでいったが、森鴎外は伝染病だと言って譲らず、要するに誤診して兵隊の犠牲を増やした。飛沫感染で大事になることなんて、近代日本では滅多になかったのだ。731部隊はそういったことを研究していたらしいが、なにかを完成させる前に日本は戦争に敗けたような印象だ。それ以後の伝染病となると、もはやhivくらいしか思いつかず、hivの感染経路は飛沫ではないので、新型肺炎の上陸と広がりは近代日本の初めての経験なのだ。どうすればよかったという正解はなく、確かに初動で鈍かったようには思うが、それだけでバツ印を与えるのは気の毒だ。とはいえ、新型肺炎予防のために不要不急の外出を控え、マスクも買えないという不便もあるので、困っていることは確かではあるのだが。

さて、安倍首相は充分に首相生活を満喫したはずだし、政治家としてこれで満足じゃないのですかとも思えるのだが、それでも彼はオリンピックと憲法改正をなんとか実現したいらしい。オリンピックも新型肺炎で危ぶむ声が上がっており、ロンドンからは東京でできないのならロンドンで、という動きもあるようだ。オリンピックが中止になる予言はいろいろ出回っていたが、まさかここまでリアリティのある話になるとは考えもしていなかった。だが、安倍首相がやりたいのはオリンピックだけではない。憲法改正については今もかなり本気であり、可能性を追求する動きに変化はなさそうだ。安倍氏は実務は菅氏に支えられていて、内閣を麻生氏に支えられていて、党内のことは二階氏に支えられている。この3人の担ぐ神輿が安倍政権であるともいえるのだが、一蓮托生を自他ともに任じる菅氏はともかく、麻生氏と二階氏が安倍氏を支え続けるのかどうかは注目点の一つだったと言える。で、最近は二階氏が安倍氏四選を容認するっぽい発言をしていて、麻生氏も安倍氏が憲法改正したければ、四選めざさねばならないとする発言をして、要するに四選に発破をかけている。二階・麻生が四選支持ということになれば、安倍氏四選はそれなりにリアリティを持っていると言うことだ。自民党の規約を変えなければいけないはずだが、もう、どうにかしてやるつもりなのだろう。中曽根だって選挙で勝って任期を延長を勝ち取ったのだし、シャア少佐だって戦場で手柄を立てて出世したのだ。次の選挙で自民圧勝すれば、安倍四選がないわけではない。安倍氏が四選すれば、憲法改正に取り掛かるのかも知れないが、景気をなんとかしろよと私は思う。私は憲法9条を死守せよとか別に思わないが、絶対に変えなければならないとも思わない。日本人は憲法解釈と運用によって事実上改憲をしている。それは賢者の知恵みたいなものだから、それでいいじゃない、と思うのだ。それに憲法改正をしている場合ではない。経済だ。経済。

次の衆議院選挙で自民圧勝は多分ない。経済は消費増税により崩壊過程に入っているようにすら思える昨今であり、新型肺炎も収束の兆しは見えない。オリンピックももしかたらやれないということになれば、自民圧勝なんてあるわけないじゃん。としか言えないだろう。経済を良くする首相は果たしてどこにいるのか…。



アメリカ大統領選挙2020を読む【バーニー・サンダース編】

バーニー・サンダース氏が順調に勝ち進めている。先日のニューハンプシャーでおこなわれた民主党予備選挙で一位を獲得し、おそらく今後も各地で一位を獲得しそうな勢いなのである。民主党の有力候補たちとしてはバイデン氏、女性のウオーレン氏が注目されていて、最近になってブルームバーグ氏が注目を集めている。historiajaponicaは公共放送ではないので、独断と偏見に基づき、この事情をやや深読みして仮説を立ててみたい。

気になるのは、ブルームバーグ氏が今頃になって名乗りを上げてきたということだ。どうして今ごろ名乗りを上げたのだろうか?ブルームバーグ氏はニューヨーク市長もつとめたのだから、ド素人の政治家というわけでもないし、巨大な経済ニュースメディアのBloombergのオーナーなのだから、選挙資金も潤沢に違いない。しかし、既に予備選挙が始まってしまってから名乗りを上げるというのは、どういうことなのだろうか。このまま放置するわけにはいかないので慌てて出馬せざるを得なくなったとみるのが普通だろう。

では、どのような事情なのだろうか。今さら念押しすることもないのだが、このままいけばサンダース氏が勝つ可能性はかなり高い。サンダース氏には金はないかも知れないが、金のない選挙が似合うのがサンダース氏であるため、それは致命的な問題にはなり得ない。社会的に圧迫されている層からの厚い支持と地名度があるうえに、妥協なき鋭い眼光と演説で、俺はやってみせると闘志に燃える老人の姿は実に絵になる。そのガッツはアメリカ人の大いに好むものでもあるはずだ。

ウオーレンさんは女性として初のアメリカ大統領に就任する可能性を持っているという点で注目されるべきなのだが、サンダースおじいちゃんが元気なうちに大統領になってもらわないと残念だと思う層は、今回はサンダースで、と流れていきそうに思える。サンダース氏とウオーレン氏という個性あふれる二人が戦おうかという段階で、バイデン氏には勝ち目がない。バイデン氏はまるで民主党のマケインとでもいいたくなるほどの普通な人感が溢れており、ちょっと前なら古典的アメリカのおじさん風で絵になったかも知れないが、21世紀にはもはや似合わない。アメリカでは堂々たるおじさんがリーダーになるという時代は終わり、トランプ、サンダース、ヒラリー、ウオーレンのようなキャラクターの明確なタイプに人気が集まるように傾向が変わってきている。

で、このままいけば、ウオーレンさんを抑えてサンダース氏が勝ちそうな勢いなのだ。だが、サンダース氏は社会主義者を堂々と表明している。ウオーレンさんはリベラル感が強いし、アメリカの民主党は社会主義ではなく、「リベラル」を好む政党であったはずなのだが、サンダース氏のキャラが強烈なので、票がそちらへと流れていく様相を示しているわけなのだが、このような事態は古典的リベラルの人々にとっては、あまり望ましいことであるとも言い難い。アメリカは国是、国体、国家の運命のようなものとして独立自尊を重んじるため、社会主義は本来受け入れることができないのだ。リベラルな人々もアメリカの自主独立憲法を尊重する前提でのリベラルなので、社会主義とは違うのである。

ウオーレンさんがサンダース氏をとめることができないということが分かってきたので、おそらく民主党の奥の院の人たちが慌てて意思統一を図り、ブルームバーグ氏に出馬を請い、彼もそれに乗ることにしたというのが真相ではないだろうか。

だが、民主党予備選ではサンダース氏が勝ちそうな気がどうしてもしてしまう。キャラクターの立ち方が普通ではない。前回のアメリカ大統領選挙では、誰もがトランプ氏を注目した。トランプ氏が嫌いな人でも、なぜ私はトランプ氏が嫌いなのかと一生懸命主張する人がいたが、要するに話題の中心はトランプ氏であった。今回はそのような話題の中心になっているのがサンダースというわけなので、ブルームバーグ氏は大金を注いで短い夢を見るだけで終わるのではないかと思えてならない。

私は民主党を支持するわけでも共和党を支持するわけでもないが、仮に民主党が勝利を狙う場合、トランプ氏と互角で叩ける民主党の候補はやはりサンダース氏以外にはあり得ないだろう。トランプの金持ちキャラとブルームバーグの金持ちキャラは被っており、どっちが票を集めるかといえば、よりおもしろいトランプである。トランプ氏とサンダース氏であればキャラが被らないため、より鮮明な資本主義トランプvs社会主義サンダースの構図で選挙が戦われることになるし、多分、選挙としては一番おもしろい。トランプとサンダースが討論大会をやるとか、想像しただけでめちゃめちゃおもしろいし、絶対に見てみたいではないか。

ややうがったところを述べるとすれば、トランプ氏の支持層とサンダース氏の支持層には被っている部分がある。白人労働者階級のグループで、彼らは社会的に見捨てられているとの憤りを持っていて、前回はトランプに期待をかけたが、今回はトランプとサンダースのどちらへ流れるか、今の段階で票読みできない。しばらくは見守るしかないのだが、白人労働者階級がアメリカ大統領選挙の結果を左右するというのも珍しい事態のように思えるので、その意味でも興味深い。




臨時軍事費特別会計の功罪を考えてみる

日中戦争から太平洋戦争にかけての時期の戦費の調達について議論されている書籍やドキュメンタリーの類はあまり多くない。読者や視聴者も戦場でのエピソード、または近衛文麿、木戸幸一、東条英機などの人物像や政治的な動きなどに関心が向きやすいし、私もそっちの方から入ったので、分かりやすいとも思うから、やむを得ないのだが、じゃあ、戦費のことはどうなってたのよ?という疑問は常にあった。しかも、戦費に関する説明があったとしても、一側面だけ切り取ったもので、全体像のようなものが分からず、かえって理解に苦しんだこともある。私は過去に1940年代の国家財政に占める軍事費の割合が7割~9割程度にまでのぼったとする記述を見たことがあるが、いろいろなことに疎いため、では限られた税収の大半を軍のために使ったとして、それで他の官僚機構は機能していたのだろうか?地方自治体とかどうなっていたのだろうか?と素朴な疑問を抱き、どこにもこたえが見つからないことに煩悶したりもした。

そういった私の疑問にすぱっと答えてくれたのが、臨時軍事費特別会計に関する知識だった。恥ずかしいことに最近になって、ようやく、そういうのがあったということを知った。臨時軍事費特別会計がなんなのかというと、要するに一般会計とは別に組まれる戦争するときに必要な予算のことを指す。一般会計は年度との関係で毎年3月31日までに国会で成立させる必要があり、歴代の首相はそれを最優先の政治課題として取り組むのだが、戦争はそのような日本の会計年度に合わせて始めたり終わらせたりできるようなものではない。しかも、タイミングを逃すといろいろ困るので、一般会計とは別に必要に応じて予算を組み、事実上執行しつつ議会に事後承認を求めるというやや乱暴なものだ。野党の政治家が予算を人質にして内閣を追い詰めようとするのは今も昔も変わらないのだが、軍事特別会計に関することでそれをやったら統帥権の干犯問題に抵触する恐れがあるし、そのようなことになったら場合によっては暗殺されてしまうため、政治家たちも敢えてそこに手を突っ込むことはなかったらしい。つまり事実上ノーチェックで軍事費は承認されたというわけだ。

では、その財源はどうしたのだろうか?日本帝国政府が戦時公債を発行すると日本銀行がそれを買い取り、それら公債を各金融機関に売る。各金融機関はそれを個人・法人などの客に売り込むという仕組みになっていたらしい。日本銀行が国債を引き受けるのは今も当時も同じというわけだ。各金融機関は日本銀行の公債を買い受けるために涙ぐましい努力をした。たとえば郵便局の場合、国債購入を促す広告を出しまくり、国債を買うことは資産の購入と同じであり、人生設計に役立つし、しかもお国が戦争するのに貢献できるのだから、立派なご奉公ですというようなロジックで一般消費者への説得が行われていた。植民地でも公債の購入は熱心に促されたのだが、皇民化運動の重要な動機付けとして、皇民なんだから戦争に協力しましょうね。戦争に協力するというのはどういうことかというと、お金ですよ。お金。ぶっちゃけ国債を購入することですよ。というようなロジックが働いたと見て、まず間違いがない。

このような戦費調達システムは、末端の国民が全てをはぎ取られるというリスクはあったが、国家というレベルで見れば無限に資金調達が可能であるということを示したものだ。政府は日本銀行が全て買ってくれるので安心して公債を発行することができたし、臨時軍事特別会計のための資金は基本的に公債で賄われた。日本がどのようにして戦費を調達していたのかという私の疑問に対する回答は極めてクリアーなものになった。軍事費がいかに膨大なものになろうと、一般会計が圧迫されることはなく、従って、戦争中に国家の会計の9割が軍事費だったとしても当面は困らなかったのだった。

さて、とはいえ、軍が動けば単なる金融ゲームの話ではなくなる。実際に鉄や銅や石油が消費され、食料が消費され、お金と物資の交換が起きる。これはハイパーインフレの要因になった。終戦直後に新円に切り替えられたのは、巨額の公債発行残高をなんとか処理するために、円を思いっきり低く切り下げることで、借金の額面は同じでも実質的に棒引きにするという知恵が用いられたからだ。

あれ?どっかで聞いたなと思うと、それは今のリフレ派が主張していることと同じである。日本の借金は1000兆円あるかも知れないが、金融政策を用いればどうにでもできるというわけだ。

戦争中、日本銀行の買い取った国債を他の金融機関が買い取り、更に個人に売りつけるという仕組みは、金本位制の名残があったために、本当に日本銀行がお金さえ発行すればすむことなのかどうなのかの見極めが当時の人につかなかったからだ。対米戦争が始まったとき、日本はとっくに金本位制ではなくなっていたが、やはりお金には実質的な裏付けがなければ値打ちがあるとは信じることができないとの関係者たちの想いがあって、とにもかくにも日本銀行の経営を安定させるために末端に売りさばいた。現代では、日本銀行が無限に円を発行できるという前提で、更に国債を金融機関などに売りつける必要はなく、日銀が持っていればそれでOK。というような話にまで認識は煮詰められている。

というようなわけで、お金を無限に生む仕組みによって日本軍の戦費が支えられていたということを今回は述べた。但し、繰り返すが、マネーゲームではなく、実際に戦争に必要な物資と円の交換があったのだから、無限の公債発行は円の暴落をもたらし、国民生活のレベルで言えばハイパーインフレを招く。これは短期的に相当な混乱をもたらすだろう。このハイパーインフレを恐れる人と、まだまだそれを恐れる段階ではないと考える人との間で、今の日本では政策決定の綱引きが行われている。当時はたとえ恐れがあろうとなんであろうと、とりあえず戦争に勝ってから考えようという感じで滅亡まで走り切った。やはりそれは教訓にした方がいいだろう。


岡本かの子‐女性崇拝

岡本太郎の母としても知られる文筆家の岡本かの子が、読売新聞紙上において『女性崇拝』という題の論評を発表したのは、1936年の1月20日だ。この年、その一か月後に226事件が起きていることを思えば、日本はいよいよ動乱へと国を挙げて飛び込んでいこうとする不安な時期でもある。かの子の『女性崇拝』にも、その不安はかすかに投影されている。ただ、太宰治の私信ほど、切迫したものではない。満州事変以降、日本は世界の孤児になり、それでも世界の干渉を振り切るだけの体力を持っていた。たとえ国際連盟から脱退していたとしても、日本を押さえつけることができる国などなかった。1936年となれば、まだ盧溝橋事件も起きていない。だからこそ、日本人は迷っていたと言うことができる。果たして以前のように国際秩序へ帰って行くべきだろうか。それとも、日本独自の路線を追求するべきだろうかと。どちらを選ぶかについて、まだ辛うじて時間が残されていた。そういう時期だったのだ。

では、辛うじて日本独自の路線を歩むとして、それはどんな路線なのだろうか。岡本かの子は女性崇拝のありようをイギリス、フランス、日本で比較している。案外と、イギリス人は女性を尊重していそうで、文章などを読めば女性に対する嫌味が強い。フランス人は女房の言いなりになるのでちょうどいいと思っている。さて、日本だが、日本はいわゆる武士道の国だ。だが、たとえば秀吉が淀殿に入れ込んでいるときでも、正妻の北政所の権利が侵害されることはなかった。日本版女性崇拝も捨てたものではない。かの子はそう述べている。当時の世相から考えれば、かの子は秀吉と北政所のことを例に出し、日本が独自路線を進み得ることを暗に示した。

結果、日本帝国は滅亡したわけだが、昭和11年の段階でそれが分かる人などいるはずがない。詩人でフランスから派遣されたクローデルでさえ、日本は賢明な選択をすると本国へも訴えていた。そのような時代背景を考えてかの子の文章を読めば、より深いものも見えてくる。フェミニズムは尊重するべき思想だが、そのフェミニズムも国際政治の影響を強く受けるということを、かの子の文章から見出すことができるだろう。尤も、戦前といえば暗いイメージが強いが、かの子のようなフェミニストの文章が新聞に掲載されるということは、大正デモクラシーの成果は失われていないわけなので、そのあたりは歓迎すべき材料のように思う。




河井案里議員の記者会見を論じる

昨年から、河合案里議員がウグイス嬢に多めの報酬を支払ったことが法律違反の疑惑を招いている。ウグイス嬢にちょっと多めに報酬を支払ったというだけで、議員辞職しろとか言われるのは、過酷すぎるようにも思えるので、そのあたりは気の毒だとも思う。他ではもっとうまくやっているのに、要するにやり方が下手だったということでしかない。自民党内のしがらみが見え隠れするので、河合夫妻を敢えて窮地に落とし込んでやろうという人々がいそうにも思えるし、こういったことは、そのあたりに黒幕がいそうな気もする。証拠はなくて気がするだけだが、ウグイス嬢に報酬多めというのは、巨悪にしては話が小さすぎるので、なんか陰謀のにおいがしないわけでもないのである。

そういうわけで、同情すべき点が多々あるようには思うのだが、その後の河合陣営の動きは非常にまずいものではあった。全然巨悪とかじゃないので、早い段階で謝罪会見とかしていればけっこう生き延びるチャンスはあったようにも思えるが、河合議員は貝の如くに押し黙り、結果として世論を敵に回すことになってしまった。貝のように押し黙ってしまったのは、どうすればいいか分からないからで、それだけ本来の性格は素朴なのだと見ることもできるだろう。様々な傍若無人伝説があるが、そんな風にしかできない不思議系なのであるということで、だいたい説明がつきそうにも思う。繰り返すが、ウグイス嬢への給料多めだったというだけだったので、巨悪でもなんでもないのに、下手を売ってしまった。一番まずかったのは、記者会見というか、記者との立ったままのブリーフィングがいろいろな意味で残念な感じになってしまっていたのである。

まず、年末年始、記者はきわめて悪い感情を河合夫妻に対して持つようになっていたことは容易に察することができる。真冬である。にもかかわらず、河合事務所の近くでひたすら記者たちは張り込みを続けていたらしい。となれば、体力的にも精神的にも記者たちは追い込まれる。私も張り込み取材の経験はあるが、あれは結構堪えるものだ。なぜ、こんなことをしなければならないのかと記者は考えるようになり、冬の冷たい風が吹きすさぶ中、暖かい部屋で休息しているであろう河合議員への憎悪は増幅されやすくなる。しかし、上司の命令があるので記者は帰るわけにもいかない。早く記者会見をしてくれよとの不満が湧いてくる。そしてようやく河合議員が登場したのだが、警察の捜査に協力しますを繰り返すだけで、何を考えているのか、どうしたいと思っているのか、本人の主張はなんなのか、とうとう、全く案里氏の声が届かない記者会見になってしまった。これでは文字にすることができない。従って、河合議員の立ち会見は空虚なものであったとする内容のことしか書けない。記者は何日も待たされた挙句に空虚なブリーフィングに立ち会わされたので、報道に悪意がどうしても滲んでしまうことになった。ブリーフィングを終えて、河合議員が屋内へと入っていったあとの満面の笑顔を撮影されてしまい、しっかり報道されてしまったのも、記者が悪意を持ったことの帰結である。

では、どうすれば良かったのかということになるのだが、窮地に立たされた際、生き延びよう、有利に物事を運ぼうとすると、人は欲が出てしまい、あれもこれもとなってしまう。結果、失敗する。そうではなく、一点に絞らなくてはならない。記者会見は単に追求を交わすためだけにやるものではない。開く側の言いたいことを存分に主張して、世の中に訴えるという場でもある。案里議員は、自分の言いたいことを言うべきだった。言いたいことというのは、ウグイス嬢に多めにお金を払ったことがそんなに悪いのか?ということに違いない。普通に考えてもそこまで悪いとは思えない。巨悪とは全然違うわきの甘さ故の違反に過ぎない。そう主張すればよかった。多くの怒りたいだけの人は反発するだろう。金額の問題ではない、違反したことが悪いのだと。だが、確かにそれもそうだなと思う人もいるはずだ。味方は現状よりは増える。好意的中立の人も増やせたかも知れない。記者会見はそんなに何度も開けるものではないから、案里議員は貴重な好機を逃してしまったことになる。いいブレーンがいないのかも知れない。今から巻き返すとすれば、記者会見はやらない方がいい。今度記者会見があれば、議員辞職する・しないの話になるだろう。そうではなく、どこか一社を選び、独占インタビューに持ち込むのがいい。そこで主張したいことを主張すれば、案里担当の記者たちは驚き、記事を熟読し、自分も同じコメントをもらいたいとそれぞれに動き出す可能性はある。記者はそんなに考えて行動しているわけではないし、上司は特落ちを怖がっているだけで動きがあれば、「とりあえず行ってこい」しか言わないので、上のようなやり方でも充分に釣れるはずである。

ただ、懸念材料としては、1億5000万円の話がある。普通は1500万くらい党から受け取れるらしいのが、案里議員は15000万円もらっていたというものだ。あの話が出てから、自民党議員が公然と批判するという場面も見られた。別に自民党の中のお金を自民党員が受け取ったという話なので、犯罪ではないが、もうここまで来ると、党内で守ってもらえなくなってしまい、居続けることができなくなるという恐れはある。

そうはいっても、安倍首相は案里議員の辞職は話がややこしくなるのであんまり辞職してほしくないらしいし、どうも自民党内の政争という観点からも案里議員を残したいとの思惑もあるとかないとか、といったところらしい。ならば、安倍内閣が存続する限りは大丈夫かも知れない。今は有権者もそっぽを向いているが、案里議員の任期は、あと5年あるのだ。有権者が忘れてくれる可能性はあるし、がんばって仕事をしたら赦してくれる人も出てくるはずだ。私は別に案里議員を助けたいとも応援したいとも思わないが、ウグイス嬢に多めにお金を払っただけでキャリアが台無しにされるのは人間の情としてちょっとどうかと思うので、ちょっと書いてみました。





社民党はいつ失敗したのか

ちょっと長く政治ウオッチをしている人にとっては、わりと当たり前の内容になるとはおもうのだけれど、今、社民党消滅が現実的な日程に入っているぽいので、一応、私も長く政治ウオッチをしてきた一人として、節目のためにもまとめておきたい。キーワードは、土井たか子、小沢一郎、村山富市、そして福島瑞穂だ。もしかすると辻元清美についても語るべきなのかも知れないのだが、私はかの御仁についてあまりよく知らない。語り得ないことについては沈黙せよとウィトゲンシュタインは書いた。従って、辻元清美については触れない。

社民党の前身は社会党で、長い間、戦後日本の非自民として求心力を維持してきた。55年体制が確立されて以来、自民党が議席3分の2を獲得するのを防いできたのが社会党だと言っていいだろう。自民が280前後くらいの安定多数を得続けて来たなか、社会党は100前後で推移し、政権はとれないものの、無視できないだけの勢力を常に保ち、自民党が嫌いな人たちへの受け皿となっていた。社会党が存在しなければ、自民党はあっさりと憲法を改正していただろうから、今のような護憲対自主憲法という不毛な政治対立もなかっただろう。社会党が現実的な左翼・リベラルを堅持し続けたので、共産党は安心して極端な理想主義を打ち上げ続けることができたのだと言うこともできるだろう。自民党が資本家と地主の利益を代表し、社会党は労働者と弱者を守るために戦い続けて来た。読書が好きな人、映画が好きな人は素朴に弱い人の味方をすることに共感する人が多い。そういう人から見て、社会党は魅力的な政党だったはずだ。

社会党が特にその存在感を発揮したのが土井たか子の時代だったと私がここで述べて、異論を唱える人は少ないと思う。土井たか子は様々な意味でインパクトの強い存在だった。今ではそこまでではないが、当時、女性が党首になるというのは、凄いことだった。時代が変化しているということを彼女は自分自身によって証明していた。多くの人が憧れたし、今も、土井たか子を心の中の理想としてがんばっている人は多いはずだ。そして何よりも、参議院で自民党を過半数割れに追い込んだことは、その後の日本の政治史に強い影響を与え、今日もその影響下にあると言っていいだろう。以後、自民党は20年にわたり参議院の単独過半数を回復することはなかった。衆参のねじれは政治の意思決定を致命的に鈍らせることになった。そして自民党は公明党であれ、どこであれ、他党の協力を得なければ、政権を維持できない政党になった。今は衆参ともに自民が単独過半数を握っているが、それでも他党の選挙協力なしにそれは無し得ない。自民党はアメリカからの要求の受け皿として機能しているが、アメリカからの種々の要求に対し、「政権与党の理解を得るのが難しい」というカードを手にすることになった。自民党は必ず、公明党の同意を得なければならない。アメリカのためのポチ度数のようなものは下がった言えるだろう。功罪あるが、土井たか子がそれを成し遂げたという、そのメルクマール度、エポックメイキング度は忘れられることはないに違いない。

土井たか子が自民党を過半数割れに追い込んだ、あの参議委選挙の時、確かにいろいろなことが追い風になっていた。自民党は竹下時代に消費税を導入し、当時は3パーセントという、今の10パーセントに比べれば可愛いものだったが、日本人の消費の足を引っ張り、日本経済を頭打ちにし、日本人の生活水準を明白に押し下げる第一歩が踏み出されていた。更にリクルート事件で竹下退陣があり、自民党の評判は最悪だった。更に加えて、次の首相が宇野宗佑である。宇野氏自身にオーラがなかっただけではない。誰がどう見ても、竹下復権までのリリーフであり、多くの人が宇野宗佑首相に納得しているわけではなかった。小沢一郎が竹下と金丸信に首相になれと説得されて、何が何でも嫌だと断ったのは、宇野宗佑みたいになりたくなかったからだ。宇野氏はもはや亡くなられているので、故人のことを悪く言うことは気が進まない。死者への敬意は大事にしたいので、具体的なことは述べないが、これから参議院選挙という時期に、宇野氏個人のスキャンダルが持ち上がり、宇野氏が選挙演説に行くとかえって負けるから来ないでほしいくらいの感じになった。宇野氏は気の毒である。竹下時代のリクルート事件と消費税という負の遺産の責任を引き受けさせられ、且つ、スキャンダルにしても、まず間違いなく意図的な狙い撃ちだった。彼は引責辞任するためだけに首相になったようなものだ。まあ、そういうわけで、土井たか子は運が良かった。敵失があまりにも凄まじかった。土井たか子も他界している。故人に敬意を表すという意味で、やはり、その功績により光を当てたい。55年体制という、アメリカの軛みたいな構造を叩き壊す、その始まりみたいなのは、やはり土井たか子の功績なのだ。

参議院で過半数を割った自民党は慌てた。当時の感覚としては、うまく説明できないが経済は底なしに悪くなり始めていて、国民に説明できない、にもかかわらず次の選挙があるし、どこから何に手を付ければいいか分からない。というあたりだったに違いない。自民党は党内の改革を模索するようになったが、30年間単独政権を続けていたため、変革のダイナミズムを失っており、何を改革していいのか分かる人はいなかった。党内の慣習とか人間関係の壁はあまりに厚く、動かしがたかった。マスメディアは、自民党には自浄作用がないと書き立てた。宇野退陣の後、その中で、宇野の次に首相になった宮澤喜一は相当な人材だったと私は思っている。当時の日本にとって宮澤喜一がいたことは救いだった。功罪あるし、評価は半ばすると思うが、少なくとも住専に公金を入れれば日本経済は復活するとする彼の見立てはかなり正確だった。だが、やはりマスコミが騒いだ。マスコミはまだ、日本が衰亡へのがけっぷちを歩いていることに気づいていなかったのだ。このような不毛なすったもんだが続く中、テーゼとアンチテーゼをぶつけ合って、ジンテーゼ、アウフヘーベン!イエス、高須クリニック!みたいな男が日本の政治の世界にパラダイムシフトを起こした。小沢一郎である。一応、ことわっておくが、宮澤喜一も故人であるものの、歴史の評価に耐え得る人物であると私は思うので、手心を加えるようなことはしない。その方が、より、宮澤に敬意を払っていることになるだろう。で、小沢である。

小沢は宮澤喜一に難癖をつけて、社会党が出した宮澤喜一不信任決議案に賛成すると脅しをかけた。宮澤喜一はサンデープロジェクトに出演し、生放送で田原総一朗に対し政治改革を必ず実現すると約束させられてしまった。日本の政治は、明らかに悪い意味でマスメディアのポピュリズムに浸食されていた。政治改革という言葉は濫用され、何をどうすれば政治改革が実現したことになるのか、誰にもよく分からなかったが、議論は選挙制度改革に矮小化され、宮澤は選挙制度改革の法律を成立させると田原に約束したのである。この法案については、特別委員会が設けられたものの、自民党内にも反発は強かった。政治家は長い年月をかけて地元の票を耕し続ける。選挙制度が変更されれば、これまでの票田開発は場合によっては無に帰するかも知れず、次の選挙で勝てるかどうかの保障もない、みんな嫌がっていたのだろう。宮澤の知らないところでクーデターが進み、委員長が廃案を宣言することで、この選挙制度改革は立ち消えになった。宮澤は田原総一朗との約束を守れなかった、嘘をついたと喧伝され、小沢がそれに乗った。小沢はおもしろい男だし、戦略的思考は匹敵するもののいないくらいの幅の広さを見せるが、いざ実行するとなると、その戦術はせこい。宮澤の知らないところで起きた、どちらかと言えば宮澤も被害者みたいな現象を宮澤の責任だと触れて歩き、社会党と協力し、小沢は一機に全てを手に入れようと画策したわけだ。小沢は政界全てを丸ごと呑み込もうとしたし、一時的にはそのような状態になった。小沢が宮澤を脅していた時、小沢の入っていた竹下派では小沢につくかどうかで人心が揺れていた。小沢は宮澤を脅してはいたが、真実の敵は宇野の次に宮澤を首相に指名した竹下だった。竹下派の議員たちは、竹下に忠誠を誓うか、小沢と新時代を作るか、どちらの方が現実味があるのか、或いはお得かについて悩んでいた。役者は竹下の方が上だった。小沢は衆議院竹下派の半分くらいを抑えていたし、もっといけそうだったが、参議院竹下派まで手が回らなかった。小沢と竹下の間で、参議院には手を突っ込まないとする紳士協定が結ばれたと言われているが、結果としては竹下は参議院竹下派を丸々自分の陣営に引き込み、小沢を孤立させた。小沢と心中してもいいという議員だけが残った。それでも40人ぐらいいた。羽田孜もいたし、奥田敬和もいた。自民党はリクルートと先の参議院選挙で傷つきまくっていたから、小沢一郎に希望を託せると思った人はそれなりにいたのだ。

宮澤喜一に対する不信任決議案は、小沢一郎とその仲間が社会党についたことで可決し、宮澤は総辞職ではなく解散総選挙を選んだ。もし、宮澤が総辞職をしていれば小沢は自民党内に残り、羽田首班内閣を成立させようと動いただろう。だが、総辞職になってしまったために、小沢一派はすぐに旗幟鮮明にする必要があった。自民党の首相に不信任の投票をしておいて、自民党に残ったまま選挙戦は戦えない。小沢は新政党を作り、羽田が党首になった。新政党は躍進したが、細川の日本新党の方が凄かった。細川一人で始めた日本新党は三十人以上の議席を獲った。小沢・羽田・細川連合に公明党や社会党など、非自民・非共産が全て糾合され、自民党は衆議院での過半数を失った。もちろん、結党以来初めてのことだ。宮澤の名誉のために述べておくが、自民党は一議席増やしている。しかし小沢たちが抜けたので、過半数には全く届かなかった。宮澤は気の毒なのは、宮澤以外の要因で政権の運命が決まったことだ。政治制度改革法案は宮澤の知らないところで廃案になり、その責任は宮澤が負わされた。選挙では議席を増やしたのに、小沢たちが抜けたことで、敗戦の責任を問われた。宮澤は辞任し、河野洋平が総裁になった。もちろん、河野洋平は首相にはなれなかった。

非自民の議員たちを抱え込んだ小沢は、人心糾合の策として細川護熙を首相に選ぶことにした。羽田を選ぶことが筋だが、羽田は地獄の底まで小沢と行動をともにするしかない。半面、細川は三十人以上の議員を持つだけでなく、新党さきがけとも気脈を通じていた。彼らに自由に動かれるのは困る。なら、首相にしてしまおうというのが小沢の考えだ。この時、密かに恨みを抱いたのが社会党だっただろう。この段階で、自民を除けば社会党が最も大きな政党だったし、小沢とも協力関係を築いているのだ。なぜ、社会党の党首を首相に選ばないのか?との疑問は持ったはずだ。小沢は初めから社会党を相手にしていなかった。おそらく、本音では嫌いだったのだろう。細川連立内閣は、バラバラの複数の政党の集合体だったから、いつ潰れるとも知れぬ不安定な状態だった。小沢は統一会派を作ることで、この不安定な状態を解消しようとしていた。それは小沢が自民党から渡辺美智雄を迎えるというもので、渡辺派議員の数が魅力だった。渡辺派を抱き込めば、社会党は必要ない。小沢が構想する統一会派には社会党は含まれていなかった。社会党議員は激高し、反発した。このころ、金銭スキャンダルで追い込まれ始めていた細川は予算を通していない段階で嫌になってしまい、首相の職を放り出した。小沢は羽田を次の首相にした。当時としては、他に駒がなかった。

羽田首班内閣が誕生したものの、この政権は足元から崩れようとしていた。羽田を支える政党の一つである社会党が仲間外れにされたことに憤慨して、小沢とたもとを分かとうとしていた。手打ちが模索され、社会党の要求を小沢は受け入れることにした。社会党はメンツの問題として羽田内閣を一旦総辞職させるよう要求した。このある種の詰め腹的儀式が行われれば、我々は一度は損ねた心境を回復し、気分よく小沢に協力する。というわけだ。羽田の総辞職は飽くまでも儀式だから、次の首班指名では、当然、羽田に投票すると社会党は約束した。しかし、話はこのようには進まなかった。

羽田辞任後に改めて行われた国会での首班指名はテレビでも生中継されたが、中継を見る日本人の多くが、何が起きているのか理解できなかったに違いない。自民党と社会党が協力し、自社連立で非羽田・小沢政権を作ろうとしていた。自民と社会が手を結べば、小沢は少数派だ。たった一日で、テレビの中継が行われている中、権謀術策が繰り広げられた。自社連立で社会党党首の村山富市が彼らの首相候補になった。テレビの前にいた市民は、こいつら本気か?と耳を疑った。つい先日まで、自民と社会とはあれほど激しく争い、罵りあい、不倶戴天の敵であるかのように批判し合っていたではないか。あれはやらせだったのか?政治はプロレスなのかと。小沢は自民党を切り崩すために、海部を起用した。もはやプロレスなのだから、何でもありなわけだ。中曽根は思想信条の問題として社会党党首に投票することはできないと記者会見した。社会党内部でも自民党と連立することによしとしない意見はあったようだが、赤松が「社会党の首相を誕生させよう」と説得し、村山富市が首班指名されることになった。海部や中曽根の離脱もあって、自民党からは村山指名しなかった議員もある程度いたが、秘密投票なので、はっきりとは誰がそうしたのかは分からない。海部は善戦したが、村山が勝った。日本中で、何が起きているのか分からない人が大勢いた。私もそうだ。

村山は自衛隊の行進にも出かけて行ったし、社会党本部の前にあった、消費税反対の看板は撤去された。阪神淡路大震災で後手後手に回ったことで、村山への批判は強まった。社会党に投票していた人たちの多くが、自民党の政策をそのまま受け入れる姿勢を示した社会党に再び投票するわけにはいかないと考え始めた。社会党の終焉は誰の目から見ても明らかだった。本当に社会党が終焉する前に手を打つ必要があった。細川護熙が「黒衣に徹する」と新党の立ち上げに動いていた。新しい政党は民主党だ。非自民・小沢抜きが細川の提唱していたもので、菅直人とか鳩山由紀夫とかが参加し、このまま社会党に残っていては生き残れないと、多くの社会党議員、たとえば赤松とかが民主党に飛び移り、生き延びた。社会党にとどまった人たちは、政党を社民党に変え、自民党とは手を切り、孤高の政党を目指せるかどうか、やれるだけやろうと決心したに違いない。私はこの段階で、社民党にとどまった人たちのことは、その志に於いて、見るべきものがあると思う。その中に福島瑞穂がいて、彼女は長く党首を務めた。

福島瑞穂は、原点に立ち返り、護憲を貫いた。だが党勢は回復しなかった。非自民に投票したい人の票が割れたことは大きいだろう。今思えば、福島瑞穂の時代に、もう一歩、ビジョンが見えることを有権者に語り掛けていれば、社民党はもうちょっとなんとかなったかもしれない。たとえば山本太郎は小沢一郎に拾い上げられて気づくと、日本で一番目立つ政治家になっている。たとえば山本太郎を社民党に引き込んでいれば、いろいろ違ったかも知れない。ただ、山本太郎は、社民党に入るより令和新選組の方がやりやすいと考えた。それくらい社民党は魅力がなかったのだろうか。福島瑞穂の時代は結構長かった。巻き返すための手段はいろいろあったのではないだろうか。気の毒である。

こんなに長くなるとは思わなかった。手が痛い。私は政治信条としては自由を強く支持するので、あまり社会党とか社民党とは相性は良くない。しかし、今、消滅しようとしているあの政党のことを考えた時、彼ら、彼女たちに、巻き返しのタイミングはなかったのだろうかというようなことを思うようになった。そして書いてみたら、そのタイミングが見えるだろうかと思ってはみたが、具体的に、こうすればよかったというのは見当たらなかった。社民党を悪く書くために書いたのではない。同情して書いた。ソ連の消滅とか、いろいろ社民党にとって追い風にならないことは続いた。小泉純一郎の時代があったのも、社民党にとっては不運だったかも知れない。小泉は最盛期には支持率90パーセント越えだったし、このような時に社民党が党勢回復するなど考えにくい。小沢の政党は自民には勝てなかったが、他の野党の議席を奪い続けていた。

ああ、これ以上長くなると、本当に私が倒れてしまうので、終わります。私は社民党への善意でこれを書いた。社民党の方々、支持者の方々にはご理解願いたい。
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レ―リンク判事の東京裁判に関する議論

東京裁判が行われた際、オランダ代表として判事の席に加わったレ―リンク判事が、カッセーゼなる法学者と東京裁判の是非や意義などについて語り合った『レ―リンク判事の東京裁判ー歴史的証言と展望』を読んでいるところなのだが、非常に興味深い内容なので急いでシェアしたいと思い、ブログに書き込むことにした。

簡単に言うと、レーリンク判事は、裁判そのものがアメリカのやらせみたいなもので、マッカーサーはもちろんヤラセにする気まんまんで、ぶっちゃけ真珠湾攻撃のことさえ日本に償わせればあとはどうでもいいくらいに思っていて、更にキーナンみたいな二流検察官が起訴を担当していたんだけれど、マッカーサーに言われた通りにしかできない男なので、東京裁判はつまんない裁判だし、不均衡だけど、世界平和のための前例や先例を残すという意味では全く無意味とも言えないんじゃない。というような内容だった。

もう少し詳しく掘り下げたい。

レーリンク判事曰く、ナチスドイツの侵略性や犯罪性を指摘して裁判にかけ、個人の悪意を立証して刑罰を与えるのはロジックとしてはわりとシンプルなものであったため、ニュルンベルク裁判はそんなに難しくなかったのだが、東京裁判の場合はどこまでが侵略でどこからが自衛なのかはっきりせず、犯罪性についても部下がやったことについて知らなかったのに責任をとらされるとかそういうのもあって後味はあんまり良くなく、被告人たちの意識では自衛戦争を戦っていたのだから、悪意の立証とかも無理ゲー。みたいなことになっていた。

たとえば山下奉文司令官はフィリピン戦での将兵の残虐行為について責任を取らされて絞首刑になったが、レイテ沖海戦の後のフィリピン戦では山下司令部と戦線では物理的な連絡手段がアメリカ軍の攻撃によって絶たれてしまっていたため、そもそも山下司令官は残虐行為が起きていたことを知らなかった可能性があって、それでも部下の不始末で有罪と断定されることが果たして正しいのかどうか、レーリンク判事は疑問を呈している。

東条英機は証言台で日本にとってアメリカとの戦争は自衛戦争だったと言ったことはまことに正しいとんの判断を示していて、アメリカ側が真珠湾攻撃に対する犯罪性の立証に熱心であったとしても、ハル国務長官は日本が絶望して戦争をしかけてくるのを待っていたふしがあるし、アメリカ側として日本が攻めてきてくれれば正々堂々と戦争できるとジリジリ待っていたにも関わらず、うっかりしていて真珠湾での対応に遅れが出た。日本の外交電報を全部解読しているのだから、日本が戦争の決心をしたことはもちろん分かっていたし、野村大使らがハルに対して宣戦布告するのが遅れたのは交通渋滞があったからだとしている。

パル判事の日本無罪論は有名だが、レーリンクの日本擁護はあまり知られていない。パルの場合はインドが植民地にされているという問題意識、郷土愛、アンチ欧米みたいな感情とロジックが入り混じって日本無罪論にたどり着くのに対し、レーリンクの場合は普通に考えて法理論的に言ってこうなんじゃない?という論法なので、もっと注目されても良さそうにも思える。とはいえ、冷徹なロジカルシンキングと感情をベースにしたロジックの形成の境界の線引きはそこまで簡単ではないので、私のような人文、歴史、政治を中心に勉強してきた人間が法学についてあんまり踏み込んでえらそうなことは言えないのだが、まあ、レーリンク判事の述べている内容に引っかかるものは感じなかった。野村大使が交通渋滞で引っかかったあたりを読みつつ、なら野村大使がハルに電話で「宣戦布告する。書類は後で持っていく」と一言あれば良かったのだろうかとか、東京でグルー大使を呼び出して宣戦布告すれば問題なかったのでは?とか考えてみたりした。だがこういった周辺的なifはレーリンク判事の議論とは関係のないことではある。門外漢なので、思考がそのようにあちこちへ飛んでしまうのだ。

レーリンク判事は、日本を無条件降伏まで追い込み、政治や社会を根底からアメリカの望むものに変革しようとしていたらしき様子について、やっぱアメリカ人ってそうだよな…的な発言もしていたのだが、このあたりにヨーロッパ人のアメリカ人に対する冷めた視線を感じないこともなかった。ヨーロッパ人と話せばわかるが、彼らは本心ではアメリカ人のことが大っ嫌いだ。ファッションセンスと料理に対する感性が絶望的なくせに世界の支配者だと思っているあたりが受け入れられないらしい。アメリカ独立戦争以来の旧世界対新世界の対立は今日まで続いている。私の場合は「お前の英語はアメリカ人みたいで気に入らねえ」みたいに言われたこともある。なかなか根深い。

アメリカは南北戦争の時に南軍は壊滅的な状態まで追い込まれ、南部社会そのものが解体されるところまで追い込んだ。一方が一方を完全に滅亡させる戦争という意味ではローマ対カルタゴみたいな戦争だったわけで、この発想法で日本と戦争したために、無条件降伏にこだわり、無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾の使用まで行ってしまったという感じのことを私は読みながら考えた。そうかも知れない。第一次世界大戦でロシア、ドイツ、オーストリア、オスマントルコの皇帝たちがいなくなったが、いずれも革命によるもので国内的な要因の結果であり、戦勝国が敗戦国の政治体制を解体したわけではない。日本の場合は天皇こそ残ったが、憲法を替えたので、政治体制には革命的な変革が起きた。占領地の法令を変えてしまうことは、むしろ第一次世界大戦後の戦争の法の厳密化の流れの中で忌避されるべきものでもあった。

このようなことを考えると、何が正義で何が間違っているのか、だんだん分からなくなってくる。レーリンクの日本無罪論を振りかざしたところで、中国の人は納得しないだろう。とはいえ、レーリンクの議論も筋は通っている。ちょっと疲れてはきたが、飽くまでも考える材料にするという意味では、東京裁判に対して如何なる考えかたを持っている人であったとしても、この書籍を読むことには価値があるに違いない。



JR藤沢駅構内のカレーステーション

中曽根政権期、国鉄が解体され、JRという新しい鉄道会社が誕生した。国鉄は国営だったが、JRは民営である。そのため合理的な経営が図られることが期待されるようになった一方で、それまで国鉄で働いていた多くの労働者が不要になるとの見通しがあり、まさか会社の経営が変わったのであなた辞めてくださいというわけにもいかず、人材をいかに活用されるかが議論の対象になった。国鉄には極めて協力な労働組合である国労があり、中曽根首相(当時)の狙いは、国労の解体にあったとの見立てもあって、それはそれで説得力のある見立てであるとは思うのだが、ここではそこには踏み込まず、人材活用の方に光を当てたい。

国鉄で労働者として勤務し、JRになってから行き場をなくしてしまった数万人規模の労働者の人たちは、JRの多角的経営というか、副業みたいな場へと異動させられていった。私の記憶が間違っていなければ、売店みたいなところとか、テーマパークみたいなところとかへ異動があったように思う。そして、そうしたJRの副業と人材活用の一環に、レストラン業があって、その一環としてJR藤沢駅にもカレー屋さんが作られたのである。

消費者の立場としては、カレー屋さんで働いている人が元国労かどうかということは関係がない。もともと鉄道の仕事をしていた人かどうか、そういったことはどうでもいい。問題はおいしいかどうかである。当時、まだまだ若かった私にとって、JR藤沢駅のカレーステーションは、ショッキングなくらいに私の心を揺さぶった。要するに、この駅のカレー事業は大当たりで、私は非常にこのお店を気に入り、一時は足しげく通ったものである。繰り返すが、私は決して、働いている人に同情して通ったのではない。駅で気軽にカレーが食べられるというコンセプトに感激し、実際にカレーもおいしいから、ますます感激の度を強め、通ったというわけだ。

最近、久々に立ち寄ったので、記念にカレーの写真を撮り、ブログでも記事として残しておきたい。安くておいしいカレーが通りますよ♪



大磯と近代

大磯を歩いてきた。大磯は興味深い場所だ。まずなんといっても風光明媚だ。天気が良ければ富士山が見えるし、そのような日は相模湾の向こうに伊豆大島も見える。景色に占める海と山、人の世界のバランスが絶妙で飽きない。海岸に出て右手を見れば伊豆半島で、左手を見れば江ノ島と三浦半島が見える。これほど贅沢な景色のあるところは日本中探してもそうはあるまい。

そしてもう一つ、おもしろいのは近代に入って別荘地として大磯は人気が高かったことだ。たとえば西園寺公望は大磯に本格的な洋館を建てた。もともとが幼少期のころの明治天皇の遊び相手で、明治・大正・昭和と政界に鎮座し、元老という実質最高権力者の位置に立ち、昭和天皇のアドバイザーというか教育係みたいな人物だった西園寺は、長いフランス生活から帰った後、しばらくの間、大磯で生活した。

旧西園寺公望邸

西園寺邸よりももう少し二宮方面へ歩くと、吉田茂邸もある。吉田茂は大磯で生涯を閉じた。彼の邸宅は見事なもので、まるで高級旅館である。このほか、原敬、大隈重信、西周、伊藤博文とビッグネームが並ぶ。そして私は山県有朋の名前がないことに気づいた。山県は小田原で別荘を構えていたが大磯には別荘を持っていなかったということなのだろう。で、漠然とではあるが、あることに気づいた。明治から昭和初期にかけての政界は、厳密にではないにせよ、ある程度、漠然とではあっても、小田原派と大磯派に分かれていたであろうと言うことだ。
旧吉田邸
小田原にいた山県有朋は政党政治を重視せず、超然内閣路線の支持者だった。戦前の帝国憲法では議会に勢力を持っていない人物が首相に指名されることは制度上可能だった。山県は議会の意向を無視した、すなわち、超然とした内閣が組閣されるべきとした政治思想を持ち、国民から嫌われまくって生涯を終えた。

一方、山県とはライバル関係にあった伊藤博文は党人派だった。伊藤の時代に政党政治はまだ、やや早すぎた可能性はあるが、伊藤の理想は現代日本のように、選挙で選ばれた議会の人物が首相になり、議会と行政の両方を抑えて政策運営をすることだった。イギリス型議会政治を目指したと言ってもいいと思う。この伊藤の理想を大正時代に入って実現したのが、初の平民宰相として歴史に名を遺した原敬であり、首相指名権を持つ元老は議会の第一党の党首を自動的に首相に指名する「憲政の常道」を作り上げた西園寺公望だ。伊藤博文、原敬、西園寺公望のような政党政治派の人材がこぞって大磯に別宅を構えたのは偶然ではないように私には思えた。おそらく一時期、大磯派の、即ち党人派の人物たちは東京から離れた大磯で密会して意思決定していたに違いあるまい。

もっとも、それはあまり長くは続かなかった。伊藤は暗殺され、原敬は鎌倉の腰越に別荘を移した。原はその後東京駅で暗殺されている。西園寺も大磯を離れ、昭和期は静岡県で過ごしている。東京から遠すぎるので、226事件の時、西園寺は無事だった。いずれにせよ、党人派はバラバラになってしまったわけだが、その現象と戦前の政党政治の失敗が重なって見えるのは私だけだろうか。もちろん、樺山資紀みたいな党人派とか超然内閣とか関係ない人も大磯に別荘を持っていたので、私に垣間見えたのは、そういった諸事のほんの一部だ。

大磯はそういった近代日本の縮図の一端を垣間見せてくれる土地であり、やはり風光明媚なことに変わりなく、都心からもさほど離れているわけではないということもあって、非常に魅力的な土地だ。できれば私も大磯に別荘がほしい。ま、それは夢ってことで。



聖徳記念絵画館に行ってきた

明治天皇の人生を日本画40枚と西洋画40枚で表現した聖徳記念絵画館は、知る人ぞ知る近現代史探求のおすすめスポットだ。ここでは3つの観点から、日本近現代史を理解・考察するための材料を得ることができる。まず第一は建物だ。大正中期に建設が始まり、大正末期、昭和が始まる直前に完成している。従って、日本近代がいよいよ成熟しようとする時代の息吹がこの建物には宿っていると言っていいだろう。どういうことかというと、明治時代の和洋折衷建築は木造が中心で、昭和の近代建築は鉄筋コンクリートみたいになっていくのだが、大正期は石を多用しており、昭和に近づけば近づくほど、コンクリートの要素が大きくなるが、この建物のような場合だとそのあたりの流行の変化を取り入れつつ、石もコンクリートも用いているわけで、日本郵船の横浜支店よりはやや古いと思うのだが、やや古い分、石の分量が多いというあたりに着目すればより興味深く観察することができるだろう。アイキャッチ画像では建物の中心部分のみ撮影している。検索すればすぐ出てくるが、多くの場合、この建築物は正面から撮影されており、左右対称のシンメトリーに注目が集まる。実際に行ってみて、正面から印象を確認してみるのもいい経験になるはずだ。

日本郵船歴史博物館の天井
日本郵船歴史博物館の天井

さて、次の楽しみ方としては、当然、絵の内容である。明治天皇の前半生は日本画で描かれており、生誕、元服、即位などの様子が宗教画の聖母子像の如くに神々しくかつ具体的に描かれている。これらの絵が描かれたのは後の時代になるものの、記憶している人が多くいる時代に描かれたものであるため、その記録性は高い。中には徳川慶喜が二条城で大政奉還をしたときの絵、教科書に出てくるあの有名なやつとか、勝海舟西郷隆盛の江戸薩摩藩邸での会見の様子を描いたものとかもあってとても興味深い。

徳川慶喜と大政奉還
徳川慶喜が二条城で大政奉還の意思決定をしている時の様子を描いた絵

実際に二条城に行ってみると、その時の様子が人形で再現されていて、それはそれでおもしろいが、かえってリアリティを損ねており、実感が伴わない。一方で、この絵の場合、実際の記録や関係者の記憶を集めて再現しているため、当時の様子を想像しやすい。司馬遼太郎は『最後の将軍』で、将軍という高貴な人が陪審と顔を突き合わせることはないから、慶喜は別室にいたとしているが、この絵を見る限り、思いっきりみんなの前に登場しているし、相当に情報収取して描いているに違いないのだから、おそらくこのような感じであったと考えて差し支えないのではなかろうか。慶喜が大政奉還したその日に薩摩・長州・岩倉グループによって討幕の密書を得たが、幕府が消滅したのでそれが実行できなくなったと言われていて、慶喜の智謀の深さを示すエピソードになってはいるが、当日は薩摩の重役小松帯刀が二条城に来ていて、積極的に大政奉還賛成を唱えたという話もあるし、小松帯刀は病死さえしなければ新政府の重鎮、場合によっては総裁にすらなっていたであろう人物だということも考えると、どうも慶喜によるフェイントで薩長立ち尽くした説にはなんとなく信用できない面があるのではないかという気もしてくる。こういったことは記録的な面で信憑性の高いこの絵画をじっと立って見つめることで気づいてくることなので、その一事をとってみても、実際に足を運ぶことには大きな意味があると言えるだろう。

西郷隆盛と勝海舟の会見は三田の薩摩藩邸で行われたため、三田に近い田町駅には両者のレリーフを見ることができる。このレリーフは聖徳記念絵画館の絵を参照して作られたものに違いない。西郷隆盛の顔は写真の顔によく似ており、一部に流れる西郷隆盛の写真は別人説を吹き飛ばす威力を持っている。繰り返すがここの絵は記録性を重視しているため、描き手は登場人物の顔について、相当に情報収集しているに違いなく、顔を見て知っている人からも情報を得た上で描いているのだ。田町駅のレリーフはそのうち写真を撮ってくるのでしばしお待ち願いたい。

さて、3つ目の楽しみ方だが、それはなぜ、このように明治天皇の人生を記録することを目的とした美術館が存在するのかについて推理することだ。実際に訪問して見てみれば分かるが、明治天皇の人生を辿るということにはなっているが、その辿り方はあたかも福音書のイエスの生涯を描く宗教画の如くにドラマチックで威厳に満ちており、記録性と同時に物語性も重視して描かれた絵が並んでいる。

伊藤博文や山形有朋のような元勲たちは、明治天皇を新しい日本という神聖な物語の主人公に置くことによって、新しい日本神話的帝国を建設しようとしたことと、それは無縁ではない。伊藤たちは新しい神話を必要としていた。それは古事記・日本書紀をベースにしていはいるが、西洋のキリスト教の如き原理原則・プリンシパルを堅持することのできるパワーを持つものでなくてはならず、それだけの説得力を持ち合わせるのは、彼らの持つカードの中では明治天皇しかなかった。従って、新しい都市である「東京」では、明治天皇の神話をもとに国民国家の首都になる必要があったため、皇居・明治神宮・靖国神社などの神聖スポットを建設することにより、近代東京が天皇の首都であるとする演出の舞台になっていったのだと理解することができるだろう。皇居に行った時、近代天皇制は徳川の遺産の上に近代的官僚制度が作り上げた幻影みたいなものだという印象を得たが、幻影を担保するために周辺諸施設が建設されたと考えても間違っているとは言えないだろう。一応、誤解のないように申し述べておくが、私は近代天皇制度は支持している。

いずれにせよ、以上のような理由で近代日本を理解するのに、非常にお勧めなのが聖徳記念絵画館なのである。