台湾の沖縄人【台湾研究】

台湾は比較的日本人が多く暮らす土地だが、その中でも沖縄の人は独自のコミュニティを持っていて、それ以外の日本人のコミュニティとはやや雰囲気が異なる。私は海外での沖縄人の足跡に出会うと、ついつい憧憬や尊敬の念にかられ、大きな物語性を沖縄の人たちに見出そうとする心の動きの癖みたいなものがあるので、台湾の沖縄人コミュニティについても、同じような心の癖の角度から見ることになり、結果としてやや独特の雰囲気を持つコミュニティが存在するかのように見えるだけなのかも知れない。いずれにせよ、私が沖縄の人に独特の雰囲気があるなどと述べる場合は、沖縄の人への敬意を込めているつもりなので、もし、変な誤解をされたら撤回するが、できれば暖かく見守っていただきたい。

沖縄の人々の近現代史を考えれば、日本人社会の一員であることを強制されつつ差別も受けるという非常に難しい立場にたたされる場面が多いということに気づく。たとえば目取真俊さんが『神うなぎ』のような小説で、日本軍が守り切れなかった沖縄の村をアメリカ軍と交渉することで救った人物がスパイ容疑でリンチに遭うという深刻な物語を書いたが、これもまた沖縄の人への微妙な差別感情が日本軍人の内面に存在したからこそ、起き得たことではなかろうかとも思えてくる。たとえば東京でアメリカ軍と交渉する日本人がいたとして、スパイと即断して殺されることは考えにくい。飽くまでも日本軍が守り切れなかったので、現地住民はやむを得ずアメリカ軍と交渉することで治安を維持しようとしたのだから、落ち度は日本軍にある。

そのように複雑な沖縄の人々の立ち位置ではあるが、それは海外に行っても構造的なものが引き継がれてしまう。星名宏修先生の『植民地を読む』(法政大学出版局 2016)に収められている「植民地は天国だったのか―沖縄人の台湾体験」でも、その難しい立ち位置であるがゆえに、独特の苦難と経験があったことが述べられている。沖縄の人々は台湾に渡って後も一方に於いて日本人内部の階層の下部に置かれ、屈辱的な立場でありつつ、台湾人に対しては支配者の側として振る舞うことを求められたため、それだけでもアイデンティティクライシスを起こしそうなくらいに悩ましかったにもかかわらず、日本の敗戦によってそれはさらに複雑化した。台湾人や外省人からは、時として沖縄人は日本人ではなく漢民族の末裔として扱われ、一般の日本人よりも厚遇されたが、時として敗戦国民とみなされて挑戦的な言葉を浴びせられたりもしたし、場合によっては植民地支配に対する復讐の対象にもなった可能性も当該の著作では指摘されていた。沖縄の人は薩摩の侵攻を受けて植民地みたいにされてしまい、明治維新後も大久保利通によって強引に日本領に組み込まれたため、沖縄アイデンティティ的には被害者の面が強いはずなのだが、一方で、台湾のような植民地では加害者みたいに扱われるという複雑で悩ましいことがあったというわけなのだ。なんか私も書いていて、言葉のメビウスの輪をやっているような心境になってきてしまった。

世界中のどこに行っても沖縄の人は独自のコミュニティを持っている。私がアメリカに留学していた時も、そのコミュニティの結束の強さに驚いたことがあったし、南米でthe Boomが人気になったのも、多くの沖縄人が南米に渡り、沖縄文化を大切に受け継いできたからだ。サイパン島には日本人慰霊碑だけでなく沖縄人慰霊碑も別に立っている。

都内でも、たとえば上野公園の桜を見に行けば、日本各地の県人会が場所取りをしているが、沖縄の場合だけ宮古島島民会とか、石垣島島民会みたいにより細かなエリアに分かれていて、地元の結びつきが深いことがうかがい知れる。

そのように絆が強い理由はやはり、文化的な違いがあるからというような理由でヤマトから差別的な待遇を受けたからかも知れず、と考えると、ヤマトンチュの私は沖縄の人にはついつい優しくなってしまう。以前も沖縄の学生が実家へ帰る飛行機がどうこうと言い出したので、「レポート出したら帰っていいよ」と特別扱いしたことがある。沖縄の人なのだから、それでいいのだ。



バイデン氏の躍進‐予想を裏切りサンダース超え。で、トランプには勝てるのか?‐【Watch America】

私はスーパーチューズデーでは最も注目をあつめているサンダース氏が勝つと見ていたが、実際に蓋を開けてみると、バイデン氏がサンダースを超えて一位に躍り出た。バイデン氏が我々は社会主義革命を求めているわけではないとサンダース氏を牽制する発言をしたことは、cnnの配信で見たが、その言葉の通り、民主党の多数派はサンダース氏の言うようなガチ社会主義というわけではないというわけだ。民主党はマイノリティの声を拾い上げることに存在意義があると考えられているが、彼らはその手法として社会主義を選びたいとは思っていないようなのだ。むしろ、マイノリティの人々にも自由と民主主義の良い面を謳歌してもらいたいということなのかも知れない。

バイデン氏がここまで勝ち上がってきたのは、民主党多数派がバイデン氏でいこうとまとまったのが大きいと言えるのだが、その背中を押したのは、やはりバイデン氏がアフリカ系アメリカ人からの厚い支持を得ているということは大きかっただろう。スーパーチューズデーの直前、サウスカロライナの予備選挙でバイデン氏は勝利を得たが、やはり黒人層の支持が勝因として大きかったことは誰もが認めているところだ。オバマ大統領の副大統領を務めていたという経歴が、黒人層からの厚い支持につながっている。クリントン夫妻も黒人からの支持は厚いと言われていたが、オバマ氏との距離感が微妙だったヒラリーよりも、ガチでオバマを支えた印象のあるバイデンさんの方がより信頼されているということなのかも知れない。一方でサンダース氏は黒人層からはさほど人気がないと言われてはいたものの、やっぱりそれは本当だったと弱点を見破られてしまうことになってしまった。

私はサンダース氏の弱点はあまりにガチで社会主義者であるため、途中で民主党内部から、社会主義は実はあんまり…という声が起きて人々がついてこなくなる可能性にあると考えていたが、それはスーパーチューズデーの後に起きるような気がしていた。しかし実際には、それはスーパーチューズデーに合わせるようにして起きたということになる。cnnはサンダース氏に注目していたが、今ではすっかりバイデン氏への注目度を上げており、もはや民主党はバイデン氏の勝利で決まりそうな勢いだ。とはいえ、バイデン氏とサンダース氏の差は小さく、これからどうなるかもうしばらく見て行かないと軽々に先を見通すことができない事態に立ち至ったようにも思える。

だが、気になるのは、バイデン氏で本当にトランプ氏に勝てると彼らは考えているのだろうかという点だ。トランプ氏に勝てなければ、今回の一連のできごとは所詮は民主党内のコップの中の嵐のようなものに過ぎない。トランプはヒラリーに勝った男であり、強烈な個性に対する人気が衰えているようにも見えないし、弾劾も乗り切ったので、政権発足以来、実は今が一番パワーがある状態とも言えそうだ。サンダース氏は前回、もうちょっとでヒラリーを超えそうなくらいのところまできた。民主党内でもっともヒラリーをおびえさせたのはサンダースだっただろう。それゆえに、トランプ対サンダースは見ものになると私は思っていたし、直接対決は是非一度は見てみたいものだった。普通な人に見えるバイデン氏にそれだけの存在感を発揮できるだろうか。




東京オリンピックは延期がベストなのではないかなあと思う件

疫病の流行で、東京オリンピックの開催すら危ぶまれる昨今ではあるのだが、IOCのけっこうえらいおじさまが、東京オリンピックは来年やればいいじゃないかと通信社のインタビューに答えていたのを見た人は多いと思う。私は、これはIOCが日本にかけた温情とか武士の情けみたいなものであると同時に、利権共同体♪として、おいしい思いも諦めなくていいよね!とするIOCからのシグナルなのではないかと私には思える。中止論とか、ロンドンでやったらどうか説とかあるが、それはあまりにかわいそうなので、来年にずらして東京でやらせてあげようということだ。アメリカのテレビ局が大金をはたいて放送権を買ったりとかの都合もあって、それでIOCは潤うはずなので、みんなでせかっく潤えるのに、中止にしたら、もったいなさすぎる。来年に持ち越そうよというわけだ。

安倍首相は今のところ、なんとかして今年の夏に東京でオリンピックの開催を果たそうとしているように見える。4月ごろには収束したと世界に発表したいので、ここで感染の拡大をなんとしてもとどめるために記者会見まで開いて学校は一斉休止という思い切った措置に出た。私はこの措置自体はこれでいいと思う。インフルエンザでも学級閉鎖があるというのは、そういう措置が有効だと認められているからだ。なら、一斉にそうすれば新型肺炎はある程度押しとどめることができるかも知れない。但し、会社もお店も開いていて、人々は電車に乗っている。学校が休みになってうかれた子どもたちは街を出歩くに決まっているようにも思えるし、なんといってお卒業式の生徒さんだったら、私的にパーティでも開いて卒業式をやろうとするだろう。卒業式がないのもあんまりと言うものだ。というわけで、学校閉鎖は多少の効果はあっても、完璧な効果を期待できるようなものではないということだ。感染はかなり広がっているらしいので、学校だけ休みにしても追いつかないのではないかとの不安が残る。

軽症のかぜだったら病院に行かないでほしいとのお上からのお達しも、変な話だとは思うが、合理性が全くないわけではない。患者が病院に押し寄せれば、病院が主たる感染ルートになりかねないし、患者が多すぎて医療崩壊してしまい、致死率が上がるというのも避けたいに違いない。気持ちはよく分かる。しかし、どうも、新型肺炎が多くの場合、軽症で改善するとの指摘を信じ、できることなら、仮に新型肺炎に感染していたとしても軽症で済むのならそのまま自宅で自力で治してもらい、感染していたことすら無かったことにしてほしいとの、涙ぐましい願いを感じ取ることは難しいことではない。これ以上、感染者がバンバン出ているとの報道が世界に流れるのはなんとかして食い止めたいし、海外メディアは結局のところ日本の報道を参考にして本国にニュースを送っているので、日本の報道にあんまり騒いでくれるなとの願いもにじんでいて、実に涙ぐましい。だが、翻せば、それくらい楽観できないほど広がっているとの見方もできるわけで、仮に一定期間、新しい感染者が0である状態が続かなければ収束宣言が出せないという場合、それは当面難しそうだ。毎日数名、或いは十数名、日によってはもう少し多く報告されている。全体から見れば少ない数字かも知れないが、収束宣言は出せない。

さて、ここでもうちょっと考えてみたいのだが、仮に収束したとして、夏の東京オリンピックは盛り上がるだろうか?世界中の人が感染を警戒して、集まって来ないだろう。それは風評被害かも知れないが、外国の人からすれば、わざわざ感染するかも知れないと思って日本に渡航する義理はないため、やっぱり敬遠されてしまうだろう。閑散としたオリンピックはきっと悲しいものに違いない。私は最近は、どうも東京オリンピックがバブルを産み、その後のバブル崩壊の要因にすらなるのではないか、だったらいっそのことやめてしまえばいいのではないかと思っていたが、最近は少し考えが違う。というのも、関係した人たちの苦労を考えると、やっぱり気の毒で、やめればいいじゃんとは言えない。ならば、延期でどうだろうか?IOCも助け船を出してくれているのだから。もうちょっと言うと、欧米での感染の流行はこれからだ。仮に日本で収束しても、世界中から人が集まれば、やはり東京が主たる感染ルートということになってしまう。それを避けるためにも、来年でいいのではないだろうか。

サンダース氏の弱点

2020年のアメリカ大統領選挙がいよいよ本格化しようとしている。
民主党指名争いでは、私はバーニー・サンダース氏が勝利する可能性が非常に高いと思っているし、実際にこれまでの流れを見ても、このままサンダース氏で決まってしまいそうな勢いだ。バイデン氏はどうしてもやや古い政治家の印象があり、多くのアメリカ人がマケインとバイデンとペンスを写真を見せられて、さて誰がバイデンでしょうと言われると間違えそうな気がしてしまう。バイデン氏は個性という点で非常に劣勢だ。ブルームバーグ氏は金持ち過ぎるのが逆効果な面がある上に、スキャンダルまで持ち上がり、しかも個性という点でとてもサンダース氏ほどおもしろくない。サンダース氏のおもしろいところは、78歳という高齢にして挑戦者という極めてアグレッシブなポジションに立っており、民主党のエスタブリッシュメントとも距離を置いている生き方にダンディズムを感じさせるところだ。

だが、彼にもやや弱点らしいところが見えてきた。彼が人気の大きな理由の一つは、彼が社会主義的な政策で社会的弱者を救おうとしているところにあるが、また同時にそれが弱点にもなっているのである。社会主義者であるがゆえに、過去にソビエト連邦とどのような関りがあったのかは陰に陽に人々が知りたがっているところで、仮にも冷戦中、事実上の敵国同士て火花を散らしたソビエト連邦と内通していたというような印象を与えるエピソードがあれば、それはライバルたちから見て、格好の攻撃ポイントになることは必至だ。前回ヒラリーが自分のメールを自分のサーバーで開いたというだけで、あれだけ大事になり、ヒラリーだけは絶対に嫌という層が形成されていったことを思えば、仮にそれが過去のことであったとしても爆弾になり得る。今は証拠がないので疑惑や悪い想像のような範囲のものだが、証拠が出てくれば何もかもめちゃくちゃになってしまうだろう。ましてやプーチンからの支援を受けているのではないかとも勘繰られているのだから、やはり証拠が出れば即アウトになる。もちろん、本人はそのようなことを認めていないし、今後も否定し続けるだろう。もっとも、ビル・クリントンがホワイトハウスの執務室で研修生と浮気したことについては、彼はテレビカメラの前で涙を浮かべて国民に謝罪し、そこまで反省しているのなら、ま、いいんじゃない。といった程度のゆるしを得たことがあるから、証拠が出てきたとしても、あのバーニー・サンダースが涙を流して国民に許しを乞うたということになれば、形成の再逆転の芽はある。

弱点はそれだけではない。今のサンダース氏の立場で社会主義という言葉を振りかざしても、人々はまだそれがどれだけ体勢に影響するのかよく分からないので様子見みたいなところがあるが、サンダース氏勝利が現実味を増してくると、そもそものアメリカの国是である自由と民主主義が社会主義と許容できるかという原則論にぶつかってしまう。ライバルはここを突いてくるだろう。共和党であれば民主党であれ、アメリカの憲法の理念を受け入れるという範囲の中での政権争いなのだから、そこから逸脱している可能性の高いサンダース氏にはやがてそれに関わる厳しい論難があると覚悟した方がいい。もっとも、アメリカの憲法が本当に社会主義を許容しないかどうかについて本気で考えたことのある人は少ないだろうから、サンダース氏が堂々と社会主義こそアメリカニズムだとするような逆転の発想的演説をして、国民がそれを受け入れるならば、サンダース氏にはまだ可能性が残されることになるだろう。

もっとも難しいのは、本当にサンダース氏が当選した場合である。有権者は今の段階で、サンダース氏がサン・シモンの空想的社会主義みたいな国を建設してくれるというある種の幻想に浸っている人が多いように思える。しかしアメリカはそのような建付けにはなっていないため、サンダース氏の社会主的政策がことごとく実現しないことは目に見えている。オバマケアのような社会主義の入り口みたいな政策であれだけ揉める国なのだ、より本質的な社会主義を目指すサンダース氏が軋轢を引き起こすことは必至だし、仮にサンダース氏が妥協的になったとすれば有権者の幻滅も必至だ。サンダース氏は早晩、進退に窮することになるだろう。

そういうわけでサンダース氏を手ぐすね引いて待っているのがトランプ氏だ。トランプ氏はおそらく民主党で勝ちあがってくるのはサンダース氏だと見ているはずだ。そして、私が上述したような諸事情はとうに承知の上でサンダース攻略の知恵を練っているに違いないし、不都合な証拠だって手を広げて探しているところかも知れない。トランプ氏としては誰が民主党で勝ち上がってきたとしても勝てると踏んでいると思うが、サンダース氏をつぶすことについてはより入念であるはずだ。サンダースとトランプという稀有な大統領選挙本選を、私は結構楽しみに待っているし、サンダース氏が勝てば、それはそれで面白く、お手並み拝見したいところだ。




【アメリカ大統領選挙】3月3日のスーパーチューズデーでは、サンダース氏が圧勝する

共和党はトランプ氏でいくとして、トランプ氏をなんとか倒したい民主党の候補者選びのための予備選挙が熱い。だが、本当は熱くない。既に結果は大体見えている。サンダース氏が今後もあらゆる予備選挙で他候補を圧倒し、民主党の大統領選挙候補者としての地位を獲得するのはほぼ間違いないと私は見ている。以下にその理由を述べる。

まず第一に、圧倒的な知名度である。サンダース氏に匹敵する地名を有する候補者はいない。バイデン氏は確かに有名だが、インパクトが少なく、ぱっと見凡人であるため、現状ではややもすると忘れられてしまいがちだ。ブルームバーグ氏の場合、確かに知名度はあるが、それはブルームバーグニュースを見るインテリ層に限られている。特に民主党員の場合、社会的な弱者が集まって人にやさしい政治を求めるという傾向が強いため、インテリだけに知られているブルームバーグ氏はさほど強力な対抗馬とはなり得ないと私は見ている。しかも、こう言ってはなんだが、ニュース配信サービスに自分の名前をつけるというのは、ちょっとこの人物の性格に疑問を持ってしまう。たとえば正力松太郎氏が日本テレビを作った時に、正力テレビにしていたらどうだろうか?フジテレビが鹿内テレビとか、ライブドアが堀江インターネットサービスとかであれば、みんなドン引きである。そういうわけで、私はややブルームバーグ氏そのものにちょっと懐疑的な面があるのだが、それをおいておくとしても、圧倒的な大金持ちで、お金にまかせた緊急選挙活動が本当に有権者の心に届くかは、どうしても疑問に思えてならないのだ。

第二に、サンダース氏に対する民主党有権者の厚い信頼感を無視することはできないだろう。社会主義はアメリカの国情とは違うものだ。だが、社会的弱者の人たちは、社会主義的なメッセージをサンダース氏が発することに強い共感を示しているように私には見える。サンダース氏が社会主義的なメッセージを発することによって、世の中は、弱い人たちがいるということを思い出し、話題にし、気にかけてくれる。経済的に恵まれない人であっても、暖かいベッドとスープを得る権利があるのだということに気づかせてくれるのだ。そのような人たちのサンダース氏への信頼は厚い。ブルームバーグ氏が巨大な資金力で選挙活動をやればやるほど、そういった人々はしらけてしまい、サンダース氏へのより強い支持を誓うことになるだろうから、ブルームバーグ氏に勝ち目があるとはとても思えない。場合によっては、ブルームバーグ氏は選挙戦の途中で撤退するのではないだろうか。弱い人の味方であるサンダース氏というイメージは多くの人々を魅了しており、このようなことはリンカーン以来くらいの感じではないだろうか。ヒラリーは人気のある候補だったが、大金持ちで多分実はいやな感じの人に違いないと多くの人が感じていたし、ケネディも人気はあったが、大金持ちのおぼっちゃまで、やや距離のある人だった。サンダース氏にはそのような嫌味がない。

第三に、サンダース氏への注目度が圧倒的である。私はこの記事を書く前に、サンダース氏が風邪を引けばニュースになって、ブルームバーグ氏が風邪をひいてもニュースにならないだろうというようなことを考えていた。ところが、先ほどBBCのニュースで、サンダース氏の演説中に小鳥がやってきて近くにとまったという話題をしていた。小鳥が来ただけでニュースになるのである。サンダース氏を支持するかしないかは別にして、彼の動静についてはみんな知りたがっていると言うことの証左であるように私には思えた。

前回、トランプ氏が勝利したのは考えてみれば妥当なことで、トランプが好きな人も嫌いな人もトランプ氏のことを話題にしていた。誰もヒラリーのことをそこまで話題にしなかった。選挙は話題になった方が勝つし、サンダース氏は今、ノリに乗っていて、誰もが話題にしたくなるキャラクターになっている。ネバダでも圧勝したサンダース氏は、この勢いで最後まで走り切りそうに思える。

もちろん、長い選挙戦には何があるか分からない。実はサンダース氏がアンドリュー王子と同じ趣味を持っていたなどのことがあれば、一機に風向きは変わるだろう。だが、サンダース氏ほどスキャンダルがなさそうな候補者はそうはいない。やっぱりこのまま行くのではないだろうか。




安倍政権をそろそろ採点してみる【2020】

稀に見る長期政権の安倍政権ではあるのだが、ほんのわずかかもしれないものの、やや、陰りが見え始めている。政権は一度沈み始めれば速く、人々は泥船から飛び降りることになる。果たして安倍政権は今、政権末期なのだろうか?また、世の中や社会のために終わるべき政権なのだろうか、続くべきだろうかというような感じのことを考えてみたいと思う。キーワードは経済、新型肺炎、憲法改正あたりだろうか。

まずは経済だが、これはもはや三角というかバツに近い。アベノミクスで日本には確かに復活の兆しが見えるかのように思えた。野田政権の時代に7000円くらいだった株価が24000円くらいまで回復したのだから、これは正しく評価されなければならない。しかし、アベノミクスによって成し遂げられたのは、多分、これだけだ。「積極的な財政出動」はどういうわけか躊躇しつつの財政出動に変わっており、財政均衡主義にとらわれている。アベノミクスの3本の矢の一つである、財政出動は打ち上げ花火で終わってしまった。もう一本の産業育成はどうだろうか。何か新しい産業は育成されたのだろうか?アメリカのGAFAみたいな企業は別に登場していない。ソフトバンクは今自社株買いオペレーションで株価を持ち直しているが、全体として大変なことになっている。自社株買いオペで株価維持というのは、なかなか厳しい状態にあることを逆に示しているとすら言える。農業がその目玉というが、農業で世界競争に勝てる分野はそこでがんばって研究し、働いてきた農家の方々がえらいのであって、この分野は安倍政権が始まる前から強いし、政権に旗振りをしてもらう必要はない。旗を振るだけで何もしないのであれば、そんな政治は不要である。大胆な金融政策も申し訳ないが、あれ、そういえばそんなこと言ってましたよね。な感じである。3本の矢は、有機的なつながりを保ちながら他の政策とも融和しつつ成果を期待するものなので、それぞれが独立して行われるべきものではない。だが、長い安倍時代、3本の矢はそれぞれ気まぐれに放たれ、あんまり遠くまで飛ばず、最近は矢玉も尽きた感が強い。消費増税を2回もやっていて、3本の矢は増税の結果、その効果は吹っ飛んでしまったと言ってもいいだろう。国民生活は更に水準が下がった。このような政権が本当に必要なのか、私には疑問である。

私は安倍政権を頭からディスるつもりはないので、経済に関してはバツではあるものの、新型肺炎については△くらいにしておきたい。新型肺炎の水際せき止め作戦は失敗したが、だからと言って、それを安倍首相の責任に帰するのは、ややかわいそうではないかと思える。新型肺炎なのだ。飛沫感染する死ぬかも知れない伝染病なんて、一体、前回流行したのはいつなんだ?と思うくらい、記憶にない。それこそ1000年ぐらい前の京都みたいな話になるのではないだろうか。森鴎外はドイツでコッホという医者に学び、伝染病の権威になって帰ってきたが、はっきり言って大事なところで能力を発揮したとは言い難い。日清戦争とそれに続く台湾鎮定戦では兵隊たちが栄養失調でばたばた死んでいったが、森鴎外は伝染病だと言って譲らず、要するに誤診して兵隊の犠牲を増やした。飛沫感染で大事になることなんて、近代日本では滅多になかったのだ。731部隊はそういったことを研究していたらしいが、なにかを完成させる前に日本は戦争に敗けたような印象だ。それ以後の伝染病となると、もはやhivくらいしか思いつかず、hivの感染経路は飛沫ではないので、新型肺炎の上陸と広がりは近代日本の初めての経験なのだ。どうすればよかったという正解はなく、確かに初動で鈍かったようには思うが、それだけでバツ印を与えるのは気の毒だ。とはいえ、新型肺炎予防のために不要不急の外出を控え、マスクも買えないという不便もあるので、困っていることは確かではあるのだが。

さて、安倍首相は充分に首相生活を満喫したはずだし、政治家としてこれで満足じゃないのですかとも思えるのだが、それでも彼はオリンピックと憲法改正をなんとか実現したいらしい。オリンピックも新型肺炎で危ぶむ声が上がっており、ロンドンからは東京でできないのならロンドンで、という動きもあるようだ。オリンピックが中止になる予言はいろいろ出回っていたが、まさかここまでリアリティのある話になるとは考えもしていなかった。だが、安倍首相がやりたいのはオリンピックだけではない。憲法改正については今もかなり本気であり、可能性を追求する動きに変化はなさそうだ。安倍氏は実務は菅氏に支えられていて、内閣を麻生氏に支えられていて、党内のことは二階氏に支えられている。この3人の担ぐ神輿が安倍政権であるともいえるのだが、一蓮托生を自他ともに任じる菅氏はともかく、麻生氏と二階氏が安倍氏を支え続けるのかどうかは注目点の一つだったと言える。で、最近は二階氏が安倍氏四選を容認するっぽい発言をしていて、麻生氏も安倍氏が憲法改正したければ、四選めざさねばならないとする発言をして、要するに四選に発破をかけている。二階・麻生が四選支持ということになれば、安倍氏四選はそれなりにリアリティを持っていると言うことだ。自民党の規約を変えなければいけないはずだが、もう、どうにかしてやるつもりなのだろう。中曽根だって選挙で勝って任期を延長を勝ち取ったのだし、シャア少佐だって戦場で手柄を立てて出世したのだ。次の選挙で自民圧勝すれば、安倍四選がないわけではない。安倍氏が四選すれば、憲法改正に取り掛かるのかも知れないが、景気をなんとかしろよと私は思う。私は憲法9条を死守せよとか別に思わないが、絶対に変えなければならないとも思わない。日本人は憲法解釈と運用によって事実上改憲をしている。それは賢者の知恵みたいなものだから、それでいいじゃない、と思うのだ。それに憲法改正をしている場合ではない。経済だ。経済。

次の衆議院選挙で自民圧勝は多分ない。経済は消費増税により崩壊過程に入っているようにすら思える昨今であり、新型肺炎も収束の兆しは見えない。オリンピックももしかたらやれないということになれば、自民圧勝なんてあるわけないじゃん。としか言えないだろう。経済を良くする首相は果たしてどこにいるのか…。



アメリカ大統領選挙2020を読む【バーニー・サンダース編】

バーニー・サンダース氏が順調に勝ち進めている。先日のニューハンプシャーでおこなわれた民主党予備選挙で一位を獲得し、おそらく今後も各地で一位を獲得しそうな勢いなのである。民主党の有力候補たちとしてはバイデン氏、女性のウオーレン氏が注目されていて、最近になってブルームバーグ氏が注目を集めている。historiajaponicaは公共放送ではないので、独断と偏見に基づき、この事情をやや深読みして仮説を立ててみたい。

気になるのは、ブルームバーグ氏が今頃になって名乗りを上げてきたということだ。どうして今ごろ名乗りを上げたのだろうか?ブルームバーグ氏はニューヨーク市長もつとめたのだから、ド素人の政治家というわけでもないし、巨大な経済ニュースメディアのBloombergのオーナーなのだから、選挙資金も潤沢に違いない。しかし、既に予備選挙が始まってしまってから名乗りを上げるというのは、どういうことなのだろうか。このまま放置するわけにはいかないので慌てて出馬せざるを得なくなったとみるのが普通だろう。

では、どのような事情なのだろうか。今さら念押しすることもないのだが、このままいけばサンダース氏が勝つ可能性はかなり高い。サンダース氏には金はないかも知れないが、金のない選挙が似合うのがサンダース氏であるため、それは致命的な問題にはなり得ない。社会的に圧迫されている層からの厚い支持と地名度があるうえに、妥協なき鋭い眼光と演説で、俺はやってみせると闘志に燃える老人の姿は実に絵になる。そのガッツはアメリカ人の大いに好むものでもあるはずだ。

ウオーレンさんは女性として初のアメリカ大統領に就任する可能性を持っているという点で注目されるべきなのだが、サンダースおじいちゃんが元気なうちに大統領になってもらわないと残念だと思う層は、今回はサンダースで、と流れていきそうに思える。サンダース氏とウオーレン氏という個性あふれる二人が戦おうかという段階で、バイデン氏には勝ち目がない。バイデン氏はまるで民主党のマケインとでもいいたくなるほどの普通な人感が溢れており、ちょっと前なら古典的アメリカのおじさん風で絵になったかも知れないが、21世紀にはもはや似合わない。アメリカでは堂々たるおじさんがリーダーになるという時代は終わり、トランプ、サンダース、ヒラリー、ウオーレンのようなキャラクターの明確なタイプに人気が集まるように傾向が変わってきている。

で、このままいけば、ウオーレンさんを抑えてサンダース氏が勝ちそうな勢いなのだ。だが、サンダース氏は社会主義者を堂々と表明している。ウオーレンさんはリベラル感が強いし、アメリカの民主党は社会主義ではなく、「リベラル」を好む政党であったはずなのだが、サンダース氏のキャラが強烈なので、票がそちらへと流れていく様相を示しているわけなのだが、このような事態は古典的リベラルの人々にとっては、あまり望ましいことであるとも言い難い。アメリカは国是、国体、国家の運命のようなものとして独立自尊を重んじるため、社会主義は本来受け入れることができないのだ。リベラルな人々もアメリカの自主独立憲法を尊重する前提でのリベラルなので、社会主義とは違うのである。

ウオーレンさんがサンダース氏をとめることができないということが分かってきたので、おそらく民主党の奥の院の人たちが慌てて意思統一を図り、ブルームバーグ氏に出馬を請い、彼もそれに乗ることにしたというのが真相ではないだろうか。

だが、民主党予備選ではサンダース氏が勝ちそうな気がどうしてもしてしまう。キャラクターの立ち方が普通ではない。前回のアメリカ大統領選挙では、誰もがトランプ氏を注目した。トランプ氏が嫌いな人でも、なぜ私はトランプ氏が嫌いなのかと一生懸命主張する人がいたが、要するに話題の中心はトランプ氏であった。今回はそのような話題の中心になっているのがサンダースというわけなので、ブルームバーグ氏は大金を注いで短い夢を見るだけで終わるのではないかと思えてならない。

私は民主党を支持するわけでも共和党を支持するわけでもないが、仮に民主党が勝利を狙う場合、トランプ氏と互角で叩ける民主党の候補はやはりサンダース氏以外にはあり得ないだろう。トランプの金持ちキャラとブルームバーグの金持ちキャラは被っており、どっちが票を集めるかといえば、よりおもしろいトランプである。トランプ氏とサンダース氏であればキャラが被らないため、より鮮明な資本主義トランプvs社会主義サンダースの構図で選挙が戦われることになるし、多分、選挙としては一番おもしろい。トランプとサンダースが討論大会をやるとか、想像しただけでめちゃめちゃおもしろいし、絶対に見てみたいではないか。

ややうがったところを述べるとすれば、トランプ氏の支持層とサンダース氏の支持層には被っている部分がある。白人労働者階級のグループで、彼らは社会的に見捨てられているとの憤りを持っていて、前回はトランプに期待をかけたが、今回はトランプとサンダースのどちらへ流れるか、今の段階で票読みできない。しばらくは見守るしかないのだが、白人労働者階級がアメリカ大統領選挙の結果を左右するというのも珍しい事態のように思えるので、その意味でも興味深い。




臨時軍事費特別会計の功罪を考えてみる

日中戦争から太平洋戦争にかけての時期の戦費の調達について議論されている書籍やドキュメンタリーの類はあまり多くない。読者や視聴者も戦場でのエピソード、または近衛文麿、木戸幸一、東条英機などの人物像や政治的な動きなどに関心が向きやすいし、私もそっちの方から入ったので、分かりやすいとも思うから、やむを得ないのだが、じゃあ、戦費のことはどうなってたのよ?という疑問は常にあった。しかも、戦費に関する説明があったとしても、一側面だけ切り取ったもので、全体像のようなものが分からず、かえって理解に苦しんだこともある。私は過去に1940年代の国家財政に占める軍事費の割合が7割~9割程度にまでのぼったとする記述を見たことがあるが、いろいろなことに疎いため、では限られた税収の大半を軍のために使ったとして、それで他の官僚機構は機能していたのだろうか?地方自治体とかどうなっていたのだろうか?と素朴な疑問を抱き、どこにもこたえが見つからないことに煩悶したりもした。

そういった私の疑問にすぱっと答えてくれたのが、臨時軍事費特別会計に関する知識だった。恥ずかしいことに最近になって、ようやく、そういうのがあったということを知った。臨時軍事費特別会計がなんなのかというと、要するに一般会計とは別に組まれる戦争するときに必要な予算のことを指す。一般会計は年度との関係で毎年3月31日までに国会で成立させる必要があり、歴代の首相はそれを最優先の政治課題として取り組むのだが、戦争はそのような日本の会計年度に合わせて始めたり終わらせたりできるようなものではない。しかも、タイミングを逃すといろいろ困るので、一般会計とは別に必要に応じて予算を組み、事実上執行しつつ議会に事後承認を求めるというやや乱暴なものだ。野党の政治家が予算を人質にして内閣を追い詰めようとするのは今も昔も変わらないのだが、軍事特別会計に関することでそれをやったら統帥権の干犯問題に抵触する恐れがあるし、そのようなことになったら場合によっては暗殺されてしまうため、政治家たちも敢えてそこに手を突っ込むことはなかったらしい。つまり事実上ノーチェックで軍事費は承認されたというわけだ。

では、その財源はどうしたのだろうか?日本帝国政府が戦時公債を発行すると日本銀行がそれを買い取り、それら公債を各金融機関に売る。各金融機関はそれを個人・法人などの客に売り込むという仕組みになっていたらしい。日本銀行が国債を引き受けるのは今も当時も同じというわけだ。各金融機関は日本銀行の公債を買い受けるために涙ぐましい努力をした。たとえば郵便局の場合、国債購入を促す広告を出しまくり、国債を買うことは資産の購入と同じであり、人生設計に役立つし、しかもお国が戦争するのに貢献できるのだから、立派なご奉公ですというようなロジックで一般消費者への説得が行われていた。植民地でも公債の購入は熱心に促されたのだが、皇民化運動の重要な動機付けとして、皇民なんだから戦争に協力しましょうね。戦争に協力するというのはどういうことかというと、お金ですよ。お金。ぶっちゃけ国債を購入することですよ。というようなロジックが働いたと見て、まず間違いがない。

このような戦費調達システムは、末端の国民が全てをはぎ取られるというリスクはあったが、国家というレベルで見れば無限に資金調達が可能であるということを示したものだ。政府は日本銀行が全て買ってくれるので安心して公債を発行することができたし、臨時軍事特別会計のための資金は基本的に公債で賄われた。日本がどのようにして戦費を調達していたのかという私の疑問に対する回答は極めてクリアーなものになった。軍事費がいかに膨大なものになろうと、一般会計が圧迫されることはなく、従って、戦争中に国家の会計の9割が軍事費だったとしても当面は困らなかったのだった。

さて、とはいえ、軍が動けば単なる金融ゲームの話ではなくなる。実際に鉄や銅や石油が消費され、食料が消費され、お金と物資の交換が起きる。これはハイパーインフレの要因になった。終戦直後に新円に切り替えられたのは、巨額の公債発行残高をなんとか処理するために、円を思いっきり低く切り下げることで、借金の額面は同じでも実質的に棒引きにするという知恵が用いられたからだ。

あれ?どっかで聞いたなと思うと、それは今のリフレ派が主張していることと同じである。日本の借金は1000兆円あるかも知れないが、金融政策を用いればどうにでもできるというわけだ。

戦争中、日本銀行の買い取った国債を他の金融機関が買い取り、更に個人に売りつけるという仕組みは、金本位制の名残があったために、本当に日本銀行がお金さえ発行すればすむことなのかどうなのかの見極めが当時の人につかなかったからだ。対米戦争が始まったとき、日本はとっくに金本位制ではなくなっていたが、やはりお金には実質的な裏付けがなければ値打ちがあるとは信じることができないとの関係者たちの想いがあって、とにもかくにも日本銀行の経営を安定させるために末端に売りさばいた。現代では、日本銀行が無限に円を発行できるという前提で、更に国債を金融機関などに売りつける必要はなく、日銀が持っていればそれでOK。というような話にまで認識は煮詰められている。

というようなわけで、お金を無限に生む仕組みによって日本軍の戦費が支えられていたということを今回は述べた。但し、繰り返すが、マネーゲームではなく、実際に戦争に必要な物資と円の交換があったのだから、無限の公債発行は円の暴落をもたらし、国民生活のレベルで言えばハイパーインフレを招く。これは短期的に相当な混乱をもたらすだろう。このハイパーインフレを恐れる人と、まだまだそれを恐れる段階ではないと考える人との間で、今の日本では政策決定の綱引きが行われている。当時はたとえ恐れがあろうとなんであろうと、とりあえず戦争に勝ってから考えようという感じで滅亡まで走り切った。やはりそれは教訓にした方がいいだろう。


岡本かの子‐女性崇拝

岡本太郎の母としても知られる文筆家の岡本かの子が、読売新聞紙上において『女性崇拝』という題の論評を発表したのは、1936年の1月20日だ。この年、その一か月後に226事件が起きていることを思えば、日本はいよいよ動乱へと国を挙げて飛び込んでいこうとする不安な時期でもある。かの子の『女性崇拝』にも、その不安はかすかに投影されている。ただ、太宰治の私信ほど、切迫したものではない。満州事変以降、日本は世界の孤児になり、それでも世界の干渉を振り切るだけの体力を持っていた。たとえ国際連盟から脱退していたとしても、日本を押さえつけることができる国などなかった。1936年となれば、まだ盧溝橋事件も起きていない。だからこそ、日本人は迷っていたと言うことができる。果たして以前のように国際秩序へ帰って行くべきだろうか。それとも、日本独自の路線を追求するべきだろうかと。どちらを選ぶかについて、まだ辛うじて時間が残されていた。そういう時期だったのだ。

では、辛うじて日本独自の路線を歩むとして、それはどんな路線なのだろうか。岡本かの子は女性崇拝のありようをイギリス、フランス、日本で比較している。案外と、イギリス人は女性を尊重していそうで、文章などを読めば女性に対する嫌味が強い。フランス人は女房の言いなりになるのでちょうどいいと思っている。さて、日本だが、日本はいわゆる武士道の国だ。だが、たとえば秀吉が淀殿に入れ込んでいるときでも、正妻の北政所の権利が侵害されることはなかった。日本版女性崇拝も捨てたものではない。かの子はそう述べている。当時の世相から考えれば、かの子は秀吉と北政所のことを例に出し、日本が独自路線を進み得ることを暗に示した。

結果、日本帝国は滅亡したわけだが、昭和11年の段階でそれが分かる人などいるはずがない。詩人でフランスから派遣されたクローデルでさえ、日本は賢明な選択をすると本国へも訴えていた。そのような時代背景を考えてかの子の文章を読めば、より深いものも見えてくる。フェミニズムは尊重するべき思想だが、そのフェミニズムも国際政治の影響を強く受けるということを、かの子の文章から見出すことができるだろう。尤も、戦前といえば暗いイメージが強いが、かの子のようなフェミニストの文章が新聞に掲載されるということは、大正デモクラシーの成果は失われていないわけなので、そのあたりは歓迎すべき材料のように思う。