黒船来航と明治維新の組み合わせに匹敵する事象は、日本以外の国ではどんな例がありますか?

日清戦争と辛亥革命の組み合わせはそれに匹敵すると思います。日清戦争以前、清は眠れる獅子と呼ばれ西欧列強も簡単に手出しできないと思われていました。日本が清に対して戦争を始めた時も世界は日本が勝つとは思いませんでした。実際、清の北洋艦隊はドイツから世界最大の戦艦を二隻持っていて、日本の艦隊よりも強いと考えられていました。陸戦でも清はドイツのクルップ社製の鉄の大砲を装備していたのに対して日本側は国産の青銅の大砲を使っていて、射程距離は清有利でした。兵隊の傘については、わざわざここで述べる必要もないでしょう。

にも関わらず、日本が局地戦が連勝し、下関条約で清は台湾を割譲したり、賠償金を支払ったりさせられて清は負けたわけですね。

これにより、世界の列強は、清弱いじゃんと気づき、弱いやつには何をしてもいいという鬼畜の発想で清分割へとひた走って行くようになります。

結果、反作用として清国内で外国憎悪が増大して義和団事件が起きて、西太后の判断ミスもあって北京が列強に占領される展開となり、清の権威が落ちて、一機に辛亥革命の機運が高まって行きます。

おそらく孫文と袁世凱と日本の諜報が結びついたことで、清朝瓦解が決定的になつたと言って良いと思います。後に袁世凱が皇帝即位を宣言した時、私の記憶では有賀某という男が顧問として袁世凱の近くにいたはずですが、日本は早い段階から孫文と袁世凱を後押しすることで、大陸への利権を拡大しようとしたと見て良いと私は思っています。

対華21か条の要求は、日本から、前に援助した時の密約守れよなということを言い出したのを袁世凱が暴露したのが真相であったろうと私は考えています。

少し脱線しましたが、日清戦争から辛亥革命またざつくり15、6年くらいで、タイムスパンとして黒船来航から明治維新までとよく似た感じだと思います。

徳川と清は外国勢力が来たことで滅亡したことが共通点ですが、徳川は慎重に外国との戦争を避けたのに対し、清は外国との戦争を選んだためにより大きな混乱を招いてしまつた点で大きく異なると言えます。徳川後の日本は統一された政府による近代化に成功したのに対し、大陸ではその後何十年も戦乱が続き、日本とは全く異なる運命を辿りました。その理由について考えるとまた長々と述べなくてはなりませんが、日本には様々な幸運が味方をしたと言うことはできるかなと思います。で、残念ながら、最近はそうとも言いにくくなつてきているように思います。

中産階級がやたら重視され保護する流れになる理由にはどのようなものが考えられますか?貧富の差が拡大してレアになっているから?

中産階級とは、衣食住に困らず医療も充分に受けられる普通の人々のことを指しますから、医者や弁護士などの社会的地位がなくとも幸福度は充分に高い階層であると言えると思います。中世の王侯貴族より現代の中産階級の方が幸せだと言われるくらいに発展した現代社会の恩恵を実感できる普通の人たちですよね。ですから、そういう人たちがたくさんいることは素晴らしいことだと思います。貧富の差が拡大したことによりレアになっているのももちろん重要なファクターだと思います。

但し、分厚い中産階級が形成されるにはわりとハードルの高い条件をクリアしなければならないということも私は指摘せざるを得ないと思います。それは普通の人が中世の王侯貴族並に満足して暮らすためには、それに相応しい経済成長が社会全体で実現されていなければならないということです。そもそも「普通の人」はそんなに凄い仕事はできません。言われたことを真面目にこなす小市民です。そのような人たちがガッツリ楽しく生きられるということは、企業や国家が手厚く分配しても尚余る富を得ている時に限られます。

アメリカでは第二次世界大戦後に分厚い中産階級が登場し、戦争から帰ってきた若者たちが結婚して車と家を持ち、自分の事業を展開し、田舎なら農場を経営して幸せな家族を築くというモデルを確立しました。人はそれをアメリカンドリームと呼んだりしました。ベトナム戦争後、アメリカの国力の相対的低下に伴い中産階級はしぼみ、今やアメリカの田舎の方はヘル・アメリカになっているとよく言われます。私がアメリカに留学した経験からもそれは分かります。デトロイトは巨大な廃墟でした。

で、日本の場合、それは70年代から80年代に形成されていきました。田中角栄が気前よく公共投資にお金を使ったので、隅々までお金がいきわたり、誰もが自分を中産階級だと感じることができる、人類の歴史でも極めて珍しいであろう現象が起きました。今では信じられないことですが、当時はシンガポールや香港の人たちが一度は日本を旅行したいが日本の物価は高く、うちにそんな金があるわけないと嘆いていたような時代です。90年代以降、バブルの崩壊と増税により、中産階級はしぼみ始め、もはや見る影もなくなりつつあります。

これはマクロ的な産業政策と税制が間違っていたからなのであって、小泉・竹中時代の雇用政策に要因を求めることは正しくありません。経済成長が充分に確保されていれば、非正規雇用で時給5000円のようなことが実現でき、拘束時間の長すぎる正規雇用はちょっと…という雰囲気になっても全くおかしくなかったのです。

そして今、韓国台湾で中産階級が形成され、世界を席巻しています。

(注意点ですが、世界を席巻する中国人旅行者は、中国の国内では富裕層です。シンガポールは金持ちは多いですが、差別的搾取構造の上に存在する特権階級です。香港は内戦かと思うようなデモが起きて行こうは当面、判断を保留せざるを得ません)

韓国・台湾は経済成長が著しいため、手厚く分配することができるからです。

ですから、日本で中産階級を復活させるには、手厚く分配できるだけの経済発展が必要になります。もしここの部分を無視して、雇用形態だけで解決しようとすると、給料の薄い正社員と、使い捨てられる非正規雇用に溢れるヘル・ジャパンになるというか、今の日本はそうなっているわけです。

というようなわけでして、ご質問にきちんと答えることができたかどうか、長々となってしまいましたが、以上です。



日本の政治について学びたいです。 どのような順に学べば良いでしょうか。?

ご質問が漠然としているため、どんな風にするのがいいか少し考えましたが、漠然としている以上、まずは現状を知るというのがいいと思います。

今の首相は岸田さんですよね。岸田政権の特徴ってなんなんだろうな。というようなところから入り、軍事費を思いっきり増やしていることとか、宏池会という派閥出身の首相は30年ぶりのことだとか、高市早苗さんと岸田文雄さんは多分かなり一触即発とか、そういったアウトラインを把握し、より深く興味を持てる部分を深堀していくような感じがいいのではないかなと思います。やがて歴史に入って行き、遡って遡ってという風になっていきます。1年ぐらい続ければ、そこそこ語れるようにはなると思います。



沖縄返還時の機密文書漏洩裁判の西山大吉氏が亡くなりました。「外交や軍事などの機密保持」と「ジャーナリズムや国民の知る権利」のせめぎ合いについて、どう考えるのが良いでしょう?

実は西山記者は何も悪くありません。私の西山記者に対する印象は非常に悪いですが、何が悪いのかということを考えても、「これが悪い」というのが思い浮かびません。

新聞記者・ジャーナリストには取材の自由が大幅に認められています。それこそ盗撮・盗聴ですら赦される仕事です。問題は西山記者が情報を新聞記事にすることよりも野党の政争の道具に提供することを優先したことと、情報入手の方法が外務省事務官の女性との不倫行為によるものであったということでした。

まず情報を政争の道具にしたことについてですが、これにより、ジャーナリズムの仕事のために情報を手に入れたとする大義名分が崩れてしまいました。ですがそれは業界の論理であって、国民の知ったことではありません。国民の知る権利という観点から言えば、ジャーナリストが知らしめようと政治家が知らしめようと違いはありません。政治家の言論活動はジャーナリストと同様に、幅広く認められ、しかも国会内での言動は国会外で責任を追及されないという部分的な免責特権も持っていますから、当然、当時の社会党の横路議員が西山記者からもらった情報をどんな風に国会内で利用しようと問題はありません。西山記者が個人的な思想信条から横路議員に情報を託したことも全く悪くありません。

次にですが、女性事務官と「密かに情を通じ」て情報を手に入れた、その方法はどうでしょうか。これは感情的な問題として嫌な話ですし、他人の貞操権を侵害したわけですから民事上の問題があります。ですが、戦後は姦通罪がありませんから、刑事責任はありません。単に気持ち悪い、嫌悪感を抱かせるという類のことでしかありません。

また、彼が手に入れた情報は、なにしろ女性事務官から本物の書類を持って来させて得たものですから、偽情報であろうはずもないわけですね。

ということはつまり、国民的な批判が巻き起こり、毎日新聞が倒産するきっかけを作るところまで行った西山記者事件は、どこにも悪いところがないにも関わらず、国民が気持ち悪いと思ったから記憶に残る事案であったと言える、誠に不思議なケースであると思えます。

国民には実害がなかったどころか、日米の密約について知ることができ、それだけ利益があったはずなのに、みんなが拒否感情を抱いたというわけですから、本当に不思議な事案です。

ちなみに現場の記者同士、或いは記者と取材対象がそんな風になるなんて話は何度も聞いたことがありますし、記者が女性警察官と交際して公安が尾行したみたいな話もありますけど、倫理上良くないですが、そんなのいちいち問題にしていたら全ての報道機関が倒産してしまいます。

ついでに言うと私は西山記者の顔が嫌いです。



モンゴル帝国の最大版図を見て気が付いたのですが、現在の先進国の地域はモンゴル帝国の支配から逃れています。何か関係がありますか?

あると思います。皇帝が多民族を支配する地域では国民国家の形成が困難になりやすいですから、モンゴル人に長く支配された地域が近代国民国家の建設に乗り遅れるのは理解できることです。

近代国家は国民皆兵をやりたがりましたが、見ず知らずの人のために死に行く兵士を量産するには、国民国家の方が都合がいいのです。

そういうのを英仏日独伊は一定地域を同一言語で統一できていましたから、うまくやれていたということではないかなと思います。

アメリカとカナダは少し事情が異なるものの、憲法で押し切ったと言えます。

東欧はスラブ、匈奴、ムスリムがモザイクのように隣り合って暮らしていると思います。多民族共生は大切なことですが、国民国家の建設には不利で、そなような社会になつた理由の一つはモンゴル人の支配にあつたかも知れません。

中央アジアでも、トルコ人、ロシア人、コサック、ツングース、満州人、モンゴル人がひしめきあい、国民国家の建設に出遅れたという面はあると思いますが、これもモンゴル帝国の長い支配と関係あるかも知れません。



昭和天皇の関わった人物、側近は誰でしょうか?

昭和天皇が最も信頼した、側近中の側近は鈴木貫太郎であっただろうと思います。鈴木貫太郎は奥さんが昭和天皇の元お世話係をしていた女性であったということもありますが、鈴木貫太郎自身も昭和天皇の侍従長を務めたことがあったほか、226事件では殺されかけていますので、軍の暴走に対する警戒感は昭和天皇と共有していたに違いありません。昭和20年に入り、軍が本土決戦を主張する中、「こいつらヤバいから早く戦争を終わらせなければならない」と昭和天皇は考えたわけですが、終戦を実現するための首相に鈴木貫太郎が指名されます。憲政の理念では天皇に指名権はありませんが、鈴木が高齢を理由に首相を辞退しようとした際、天皇直々に頼んでいますから、鈴木内閣だけは天皇自身の意思が反映されて組織されと見て良いと思います。で、天皇の周辺を取り巻く、虚々実々の情報を持ち寄って天皇を操ろうとする魑魅魍魎みたいなやつらとは違い、鈴木は天皇の希望通りに戦争を終わらせ、終戦と同時に総辞職という綺麗な身の処し方もしていますから、天皇からの信頼・感謝は厚いものがあったに違いありません。

それとは別に、天皇本人の本音や愚痴のようなものをいろいろ聞いていたのは木戸幸一だと思います。内大臣として天皇と内閣のつなぎやくをしていたのが木戸幸一ですが、戦後、A級戦犯として終身刑を言い渡され、日本が主権を回復するまで服役します。戦争中、天皇は皇居内に建設した防空壕での生活を続けましたが、戦後も天皇は同じ場所での生活を続けました。周囲からもっと快適なところで生活するのはいかがかと提案された際、「木戸がまだ入っているから」と言って提案を退けたそうです。天皇自身が木戸のことを非常に近い人間関係であると認識していて、木戸に気を遣っているのが分かります。木戸の方も自分だけムショに入れられて天皇は全く何の被害もなかったことについて頭に来ていたらしい節もあるので、この2人に関してはやや友達のような、悪友とか同級生みたいな感覚があったのではないかなと思います。木戸は釈放されたのち湘南地方で暮らしましたが、昭和天皇が葉山御用邸に静養に来た際には、木戸はご近所の吉田茂と一緒にお呼ばれしていたそうです。



国債は借り換えで償還できるらしいですがそうなると税金による償還は必要なくないですか?

やろうと思えばできない話ではないのですが、政策通を自称する人たちができない理由をたくさん挙げて行くので、うまくいかないのです。できない理由にはそれぞれ尤もらしい根拠があるのですが、それを乗り越えてなんとかしようよ、というのが国債論議の本質なんじゃないかなと私は思いますので、かくも高い税金と不景気で国民が苦しみ、それがすでに何十年と続いているにもかかわらず、それでも税金で償還する方法にこだわるべきなのかどうか、もし他に方法があるのなら、その可能性を追求してみるということはやってもいいのではないかというようなことを私は思います。



権力構造の分析は困難であり、単純なものではないのにも関わらず、ロシアによるウクライナへの侵攻の発端となった原因はプーチンのみであると見做し、理解する人間がいるのは何故だ?国際政治学を学んでいないのか?

太平洋戦争が終わってから、GHQは戦争犯罪人の指名作業に入りましたけれども、彼らは日本の複雑な権力構造の理解に注力していきます。たとえば木戸幸一に対する尋問調書が出版されていますけれども、そういうものを読むと、アメリカ側が御前会議にどのような機能があったのか、統帥部にはどの程度の権限があったのか、誰が、どこで、どんな風に権力を使用したのか、或いはしなかったのかというようなことについて、非常に事細かに繰り返し、念押しするようにして木戸幸一に質問していることが分かるわけですけれども、読んでいる側も段々混乱してくるくらいに複雑ですし、人物も入れ替わりますし、慣例・暗黙の了解など、木戸幸一も厳密にどういうものかを説明できないものがいろいろ出て来て、それが日本の意思決定に最終的に大きな影響力を持ち、天皇ですら抗うことができないことがあったということがいろいろと述べられています。取調官が尋問しながら、どうして天皇も政治家も戦争したくないと思っていたのにあれだけの大戦争になったのか訳が分からないと思いながら質問している、その息遣いのようなものも感じられて、非常に興味深いのですけれども、結果、取調官が理解していったことは、真珠湾攻撃・対米開戦はどうも天皇の意思ではないらしいということのようだったのです。木戸は自分が書いていた日記を提出し、その日記の英訳を元に尋問が続けられましたが、木戸日記は東京裁判の起訴状の作成や共同謀議の成立の可否などについて大きな影響を与えたということが、尋問調書を読むととてもよく分かります。

そういうわけですので、おっしゃる通り、プーチンがどういう権力構造の中で意思決定したのか、彼に影響を与えていたのはどんなグループの誰なのか、ウクライナ侵攻を決意させるロシアの内部的要因にはどんなものがあったのか、などのことを分析していく必要はあると思いますけれども、戦後にならないと出てこないんじゃないですかね。



森喜朗氏はなんであんなに失言を繰り返すのに(神の国発言やウクライナに対してのもの)これだけ、長く権力を持ち続けられているのでしょうか?彼の権力基盤とは?

森さんが首相になったのは運が大きいと思いますが、その後も政界のドンみたいな立ち位置でいられるのは部下や後輩を見捨てないという点で卓越しているのではないかなと私は考えています。

森さんが首相になった時のことを振り返ってみたいと思います。小渕恵三首相が小沢一郎の要求する無理難題にどうやって応えればいいのか悩み抜いて倒れ、帰らぬ人となってしまうことがありました。で、自民党長老会議で次の首相を決めることになったのですが、この時に森さんを次に推すということで決まったと言われています。文字通り密室で首相を決めたことになりますから、それに対する批判も大きいですが、やはり当時日本の政治を仕切っていた経世会が小渕さんの次をどうするかをまだ結論を出すことができていなかったので、ワンポイントリリーフ的に森さんにやらせようということになったのだと思います。この時、加藤紘一さんは推されなかったわけで、これで加藤さんは長老たちを恨みに思い、加藤の乱をしかけて自ら政治生命を失っていく選択をすることになります。思うに、森さんのような調整型の政治家なら、長老たちの要求に上手に応えて適度なところで政権を次に渡すであろうと予想できたため、長老たちにとっては都合が良かった一方で、加藤紘一さんが首相になれば、当然、我を貫くでしょうし、長期政権を狙ってくるに決まってますから警戒したということなんだろうと思います。諸事情が森さんにとって幸運だったわけですね。首相になったのは運が良かったのです。

しかし、その後のことは、森さんの生き方のようなものと関係してくると思います。他人を裏切らない、後輩を切り捨てないというのが徹底していて、人間関係が続くんだと思います。分かりやすい例としては、小泉純一郎さんがどうしても郵政民営化をやると息巻いていた時期、森さんがチーズと缶ビールを持って小泉さんを訪問します、で、二人でビールを飲みながら話し、郵政民営化を諦めるよう、森さんは小泉さんを説得したということになっているのですね。話し合いが終わった後で森さんはメディアの前で「小泉は全然言うことをきかない。俺はもう匙を投げるしかない」と発言しています。この発言は実は小泉さんへの援護射撃だったのです。もはや森元首相をしても小泉純一郎を止めることはできないというメッセージを発することで、政界全体に小泉阻止を諦めさせようとしたと考えられています。ですから、小泉さんは当然、その後も森さんを大事にし続けることになるに決まっています。安部さんと森さんのことについては特に私はエピソードは知りませんが、安部さんも森さんを立てていたように思いますから、おそらく、折に触れて安部さんを助けていたのではないでしょうか。



自由主義と新自由主義はどう違うのですか?

多分、あまり違わないのです。もともとアダムスミスが経済は人それぞれ自由に勝手にやるのが一番いい結果になると、神の見えざる手に導かれるとしたのが自由主義の嚆矢になると思いますけれども、フランス語でこれをレッセフェールと言いますが、ある時からレッセフェールではダメだという意見が生まれ、レッセフェールのままだと貴族や地主、資本家などのアッパークラスが永久に人々を搾取するという問題を持つ人が生まれてきてですね、トマスモア的ユートピアは自然に生まれて来ないので、意図的にヘーゲル的社会変動を起こさなければならないという共産主義革命思想が生まれたり、そこまでやらなくても政府の意図的な財政運用で人々は豊かになれるとするケインズ経済学的思想が生まれたり、いやいや中央銀行が金融を緩めたり引き締めたりするだけでどうとでもできるとするマネタリスト思想が生まれたりして、20世紀はアダムスミス的ではない形での経済金融政策が様々に議論されたのですが、21世紀に入るか入らないかくらいのころに、「ちょっとまて、アダムスミスで良くね?レッセフェール最高じゃね?」と言い出したのが新自由主義者なのだと私は理解しています。ですので、自由主義の中に古典的自由主義と新自由主義が存在し、古典的自由主義と新自由主義の違いは流行した時期の違いだけであるということではないかなと思います。