国家というのは結局のところ国籍を持つ国民のためのシステムであって、税金を対価に様々なサービスを得られるという程度のものでしかないように思えるのですが、どうお考えになりますか?

近代国家は憲法に基づいて運営されるわけですが、その憲法には理念や価値観が書き込まれているわけですね。それはフランスの自由平等博愛であったり、アメリカの王権に対する抵抗であったり、中華民国の民族主義であったり、明治日本の天皇であったり、現代日本の平和主義であったり、いろいろあるわけですけど、国民はその理念を共有し、国家が理念通りに仕事をしているかどうかを監視していくことになるという体裁になっているわけです。そのように考えると、公共サービスを評価する際も、憲法の理念に適っているのかどうかが重要であるため、たとえば日本であれば、とある公共サービスは基本的人権の保障に適うのかどうかが議論されなくてはならないみたいなことになってきますし、そういう理念・価値観がなければいかなる公共サービスも、それがいいサービスなのかどうなのかについて評価する基準を失ってしまいます。また、公共サービスを維持するためには税金払うどころか兵隊にもならなくてはいけないような国もあるわけですね。

以上のようなわけですので、国家は税金を対価として公共サービスを提供する程度のシステムなのではなく、何が良い公共サービスなのかを決める、理念・価値観を統制するシステムであり、システムの維持のためには時には流血を求めることもあるほどに厳格なシステムであるということが言えるかなと思います。

尚、最近はGAFAMのように国家をも凌駕する企業が登場してきましたから、今後、しばらくの間は、価値観を決めるのは誰なのか、それは国家なのかgoogle様なのか、のようなせめぎ合いが続くのではないかと思います。



選挙区割りについて政府が示した10増10減案(最大格差1:1.999)についてどう思いますか?

一票の格差を是正することももちろん大事なわけですが、では過疎地の人たちの意見が汲み上げられなくても別にいいのかということも問われなくてはいけないと思います。アメリカでは下院の選挙区が人口動態に影響されるのに対して上院は人口に関係なく各州に平等に割り当てられていますので、人口の少ない州でもある程度、自分たちの代表を中央に送り届け、声を反映させることができるようになっているわけですけれども、日本の場合は参議院でも多少は緩いとはいえ一票の格差が問題視されますので、下手をすると島根県の人たちの声は衆議院でも参議院でも反映されないということにもなりかねません。私は一票の格差を是正するには、実は議員の数をどんどん増やす方向でやるのがいいと思っています。鳥取県とか島根県の議席を減らすのではなく、都会の議席をもっと増やすのです。イギリスで学生が議員に当選することがありますけど、あそこは下院の議員数が人口に対してとても多いんですね。その方が議会に多様な声を入れやすく、政治家の息子じゃなくても政治家になれる社会を作りやすいと思います。



大阪府にまつわる体験、エピソード、雑感、知識、トリビア等をお聞かせ下さいませんか?

大阪市役所が淀屋橋にあるわけですけど、そのすぐ近くに適塾跡があるんですね。で、淀屋橋ってどういうところかというと、江戸時代は日本中の諸藩の蔵屋敷がひしめき合い、諸藩の御用を請けるための商人がひしめき合い、流通のために舟がぎっしりとひしめき合う日本経済の中心であったわけですよね。福沢諭吉の父親も蔵屋敷で働くお侍さんで、諭吉はその空気を吸って育ち、すぐ近くの適塾で学んだということになります。戦前は大阪の方が東京よりもモダンでおしゃれで発展していたと言われていますが、それは江戸時代からの経済的な基礎があったからで、しかも適塾はまさしく日本近代を支える人材を育てた場所だったわけですから、私は先日適塾跡を歩き、ふと「全てはここから始まった」とつぶやいてしまいました。



経済学的に有利な旅行先といったらどこでしょうか?

貧しい国です。以下に理由を述べます。

マルクス経済学の観点に立てば、貧しい国に行き寄付をするなどして貧しい人に分配しなくてはいけませんから、貧しい国に行くことは正しいと言えます。但し、消費して楽しむことは悪徳になりますのでお勧めできませんし、革命で打倒される可能性もありますから、用心が必要です。とはいえ、経済学的には打倒されることが正しいということになります。打倒されるために貧しい国に行ってください。

一方で、自由主義的な経済論理で考えるとすれば、やはり貧しい国が正しいと言えます。貧しい国に行き、贅沢をして楽しみ、トリクルダウンを起こして地域の人たちの生活を豊かにするのです。革命で打倒される恐れはありませんが、ぼったくられる恐れはありますけれども、この考え方で行けば、金持ちがぼったくられることはトリクルダウンの果実をより大きくする現象だということができますので、是非、ぼったくられてください。フリードマンが世界はフラットになると言いましたけど、それは上に述べたような現象により貧しい地域が豊かになって産業発展するからなのです。

さて、もう一つ、カレンシーから考えてた場合、貧しい国は大体カレンシーも弱いですから、世界でも特に信用力の大きい日本円をばらまいて贅沢してください。それは正しいことです。

最後に、ご質問者様のご質問内容はかなり意味がよく分からない感じのものだと思わざるを得ないのですが、真剣にお答えしている私は、一円の得にもならないので、経済学的には間違っていますが道徳的だなあと思い自画自賛でございます。しかしながら、このような行為もまたギフトエコノミーの概念で説明できるかも知れないので、もしかすると私は今、ギフトエコノミー経済学の観点から言って正しい行為をしているのかも知れません。お後がよろしいようで。



「消費税を下げれば消費が増えて経済が改善する!」という主張をする人がいますが、そんなに単純なものではない気がします。本当にそうなのでしょうか?

消費税を下げた結果、企業が好機到来とばかりに値上げした場合、確かに消費者にとっては何の恩恵もありません。しかしながら、企業の利益が大きくなれば、それらの利益は働く人の給与や設備投資などに回るわけですので、行政が吸い上げて行くのとは意味合いが全く違うように思います。消費増税の結果の物価高は単なるコストプッシュインフレみたいなもので景気にいい影響はありませんが、企業が値上げして売り上げ・利益を大きくすることは、民間で回る資金が増えるということですから、景気の拡大にいい影響を及ぼすと私は思います。



アメリカ、中国、ロシアは間違いなく大国ですが、インド、日本、ブラジルなどとなると、なんて微妙です。そこで、大国の定義を教えてもらえますか?

ハードパワーとソフトパワーという概念である程度説明できるかなと思います。

ハードパワーの代表的な例は軍事力です。たとえばアメリカ様に逆らったらトマホークとか撃ち込まれるので怖いので従おうと。ですから、巨大な軍事力を持つことは大国の条件の1つと言えると思います。ロシアの場合、軍事力は熊の如くに怖いと思われていたら、実はそうでもなかったというのがバレているところですね。

他に経済力もハードパワーに入ると思います。誰しも背に腹はかえられないわけですから、たとえば80年代の日本の企業がアメリカの企業を買収した場合、資本の論理は絶対ですから、買収された側の企業は親会社の日本企業の言う通りに動かざるを得ない。さもなければ首になるというわけですよね。ですから、80年代・90年代の日本は大国の条件の1つである経済力をがっちり持っていたと言う事ができると思います。今は偉大なる中国様がそうであるというわけですよね。

じゃ、ソフトパワーとは何かというと、価値観です。たとえば自由と民主主義の価値観を共有する国々で連携するという場合、それらの国々はアメリカ様に軍事力で脅かされたから連携するのではなく、自分たちの価値観を守るために自発的にがんばるというわけですよね。アメリカ様の自由と民主主義の価値観はそういう意味ではある程度イメージ戦略ではあるし、実際には軍事力にも助けられてもいるんだけれども、それなりに成功していると言えるのではないでしょうか。共産主義もソフトパワーとしては非常に優れていて、多くの人が共産主義の理念のために自らの命を省みずに使命を果たそうとしたと言えると思います。

かつての日本帝国はハードパワーでは世界をびびらせることができましたけれど、ソフトパワーはなかったと言えます。神道の価値観を広めようとして皇民化とかやったわけですけど、神道は価値観というよりも感性に近く、天皇との結びつきを感じられる人でなければ受け入れることのできないものですから、これを植民地の人々に崇拝せよ迫ったところで限界があったわけですね。

あと、エンタメもソフトパワーに入れていいと思います。日本のエンタメが好きだから日本語を勉強し、親日家になり、日本に留学して帰国後も日本と祖国の親善のために尽くすという人が実際にいるわけですけれど、そういう人が大勢いれば究極には日本の安全保障にも影響すると私は思います。最近は韓国がそこに着目して何十年もかけてエンタメ大国になったわけですね。これはもう素直に韓国の戦略勝ちを認めなくてはいけないと私は思います。アメリカのハリウッドにもそういうパワーはもちろんあるわけです。

ついでなのでもう少し踏み込むとですね、技術力・工業力はハードパワーかなと。たとえば台湾は半導体で世界をリードしているわけですが、これは台湾の安全保障と密接につながっています。かつて日本が半導体で世界を支配するんじゃないかくらいの勢いがあったことがあって、その時はアメリカが日本を小突きまくって半導体を手放させたわけですが、これもアメリカとしては日本にハードパワーを持たせたくなかったということであったと言えるだろうと思います。

でご質問への回答ですけれども、大国の条件にはハードパワーとソフトパワーがあり、ハードパワーには軍事力・経済力・技術力・工業力があって、ソフトパワーには価値観の伝播力、エンタメ力、インフルエンサー的なパワーというものがあると。「大国」と呼ばれるにはそれらの複合度合いによって決まってくる、掛け算の問題だと思いますが、たとえばアメリカの場合、軍事・経済・エンタメ・価値観の分野で大国ですからさすが超大国と言われるだけのことがあるということが分かります。日本の場合はまだぎり経済大国かも知れませんが、もはや可もなく不可もない国になってきた感じもします。韓国が新しくエンタメ大国として列強に加わりつつあり、やがて経済大国になるポテンシャルもあると。台湾も半導体大国として頭角を現しているわけですが、やがて経済大国にもなり得る。のような感じではないでしょうか。



小沢一郎はなぜチャンスがあったのに総理大臣にならなかったのでしょうか? あの時、何があったんですか?

小沢一郎さんは実は一度しか首相になれるチャンスはなかったんですけど、それは竹下登さんと金丸信さんが小沢さんに「次はお前がやれ」と説得したあの一回だけだったんですが、小沢さんは絶対にやりたくないと断ったんですね。

小沢さんは海部俊樹さんが首相をしている時に幹事長をやって海部さんがいかに竹下派からバカにされているかよく知っていた、或いは小沢さん自身が海部さんのことを思いっきり見下していたため、今ここで竹下さんの命令で首相になったら俺も海部と同じになると、そんなことできるか。と思ったんだと思います。だから、いつか竹下登を倒して自前の政権を作ってやろうと思ったところ、いろいろいじらしてしまって(この辺りは長くなりますから以下略)、今みたいになってしまったということだと私は考えています。



国際法で最も大事な概念は何ですか?

ルールを守って戦争するということだと思います。以上結論で、以下解説です。

17世紀のウエストファリア条約以来、国際法は戦争が起きることを前提になるべく人間らしい戦争になるように残虐行為には至らなくてもすむようにとの方向性で発展したと言えると思います。初めのうちはカトリックとプロテスタントが宗旨が違うからといって残酷な手法で殺さなくてもいいですよね。というようなところから始まり、やがてハーグ陸戦規定やパリ不戦条約で侵略戦争は原則禁止というところまで発展していったわけですね。第二次世界大戦後もあんまり酷いと国連安保理が経済制裁などの形で介入できるというようになってきたわけですが、常任理事国が酷かったりして機能しない場合もあるわけですけど、それくらいの曖昧な部分を残しておいたので国連は今日まで続いてきたわけですね。で、この数十年は流れがいろいろ変わってきて、遂にPKO活動などによって平和を強制するという新しい流れにはなりましたが、今のウクライナでの戦争を見ると、大国が戦争当事者になった場合にPKOできないということがはっきりわかったということが言えると思います。



米連邦準備理事会(FRB)が22年ぶりに0.5%の利上げを決めました。正直たった0.5%では預貯金の利子には全然意味がないように思いますが、企業や景気などの経済には大きな影響を与えるでしょうか?

マネーゲームは基本的に大量に投入してちょっと設けるというモデルです。個々人の生活にとってはどうってことないですが、投資家にとっては、米ドル買いの好機ということになりますので、結果として経済にはドル高円安効果をもたらすということになろうかと思います。円安は本来、日本の輸出産業にとって有利ですが、最近は輸出できるものがなくなってきたので、輸入品の価格が無駄に上がるダメージの方が大きいのが悲しいところです。



日本は国民国家 (nation-state) としての条件を満たしていますか?

ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』で無名戦士の墓について論じています。たとえばアメリカにはアーリントン墓地があり、そこには会ったことのない同胞が眠っていることをアメリカ人ならだれでも知っているわけですね。そしてその同胞はアメリカのために命をかけて戦った英雄なのだということもみんな知っている。その英雄のことを、顔も知らないのに戦っているところを想像し、命を落としたところを想像し、感動し、アメリカ人に生まれて良かったと思い、英雄への敬意と感謝の心を新たにするわけです。会ったこともない同胞のことを想像して感動して胸が熱くなる、自分に関わる物語だと確信して消費することができる。なぜ会ったこともない人のことを自分に関係する英雄だと確信できるのかと言うと、そういう風に新聞とか書籍に書かれているのを読んだからで、アメリカであれば、誰もが話せる前提になっている英語で書かれていると。これこそが国民国家が持つ必須の構造である、決定的な要素であるとすら言えることはよく知られていることと思います。

言うまでもなく日本の場合、アメリカのアーリントン墓地が九段下の靖国神社に相当するわけですね。私は祖父が戦死してますので、個人的に全く無関係とも言い難く感じますが、でも、祖父に会ったこともないし、何も祖父のことを考えるために、祖父以外の数百万柱の英霊も一緒に祀られている靖国神社に行く必要もないのですが、やはりそこには物語があって、多くの人が、同じ日本語を話す無名戦士が日本のために死んで行った英霊であると確信して胸が熱くなるわけです。やはり千鳥ヶ淵の雰囲気は靖国神社と隣接していて皇居のすぐ近くであるということの物語性・ドラマ性をつい私が頭の中で作り上げてしまって、やはりぐっと来るわけです。頭ではそれは所詮、フィクションであると分かっていても、やっぱりぐっと来てしまうのです。そして多くの人がおそらくそうなのです。それが良い事なのか悪い事なのかは論じていません。

そういうわけですので、靖国神社という無名戦士を思い出すための施設が存在し機能しているわけですから、日本が国民国家と言えるかと言えば、間違いなくその必須要件は満たしていると思います。