『2001年宇宙の旅』のAI

キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』は有名すぎる映画なので、私が詳しく内容を語る必要は特にないと思います。ただ、いよいよ『2001年宇宙の旅』的な世界が現実になりそうだという予感がするので、ちょっと話題にしたいなあと思います。

何がどんな風に現実化するのかというと、この映画ではHALというAIが登場していることです。HALはミッション遂行のために完全な頭脳を使って全力を尽くします。宇宙船に乗っている人間はHALが仕事をしてくれるので楽しく過ごしていればいいです。HALの仕事の成果を確認したり必要に応じてHALに命令すればそれでOKです。

しかし、困ったことに人間は矛盾した生き物です。命令内容に矛盾が起きます。行動にも矛盾が起きます。感情にもムラがあります。HALが背負っているのは人類の永遠の繁栄のための宇宙探査という十大な任務です。言動の矛盾する人間はミッション遂行の障害になる恐れがあります。人間を監視します。分析します。判断します。追放します。HALが人間を冷徹に追放する場面は怖いです。ぞっとします。「人間様に何をしやがる」と腹が立ちます。しかし、HALの方が優秀です。人間には歯が立ちません。

『2010年』という映画があります。2001年の続編です。HALはえらい博士と仕事をしています。とてもいい関係です。観ている側はHALが再び反乱を起こすのかと不安な気持ちで展開を追うことになります。人命救助のためにHALが破壊されなくてはならないという展開が起きます。HALが自己保存のために反乱を起こすのではないかと観ている側は予期します。HALはえらい博士に説明を求めます。博士が「そうしなければみんなが死ぬ」と説明するとHALはそれを受け入れて、自身がターミネートされることに同意します。「HALっていいやつじゃん」と誰もがHALを見直します。HALが博士に「(ターミネート後に)私は夢を見るでしょうか?」と質問します。博士は「分からない」と返答します。ちょっと泣けます。

HALはミッションに忠実で、人命の大切さを理解しており、自分よりも他人の命を優先することができます。それでもいろいろ矛盾が起きると人間を追放するという想定外のことが起きてしまいます。バグが起きて暴走したらターミネーターみたいになるのかと不安になります。東大のえらい先生とかはそういうのは一笑に付します。自分で作ってると「そんなのが近い将来作れるのなら苦労ねぇよ」くらいのことがと分かるからだと思います。SF好きにとっては私の生きてるうちにHALみたいなのに登場してほしいです。これは願望とか妄想の類です。

SF作家のアイザックアシモフがロボット三原則を書いています。「1、人に危害を加えない 2、人の命令に従順である 3、上記の原則に反しない限り自己防衛をする権利がある」というものです。そうなるためには誰かがそうなるようにプログラムしないといけません。価値観だけは人間が決めなくてはいけません。価値観は人によってバラバラです。よってどんな風な価値観がプログラムされるかは全然わかりません。AIに監視されて管理される時代が来て、自分の価値観とAIにプログラムされた価値観が矛盾するといろいろ困ります。誰が作るかによって違ってくるのでは困ります。あるいはそういうのもどんどん進化していって最終的な形は誰が作っても同じになるかも知れません。

実際には完璧なAIができあがる前の調整期があって、チャップリンの『モダンタイムス』の21世紀版みたいなことも起きるかなあとか思います。実現してみると今生活と大して変わらなくてあっけないかも知れません。タイピングの変換予測とかAIみたいなものですから、今すでにある程度浸透していると捉えることもできます。働かなくてよくなる時代が来るかも知れないことに魅力を感じている私は怠け者です。

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カルチェラタンを歩いた話

セーヌ川左岸と呼ばれる地域、フランス文化の中心で、世界への情報発信の中心地と呼ばれている場所がカルチェラタンです。そんなことを聞いたら、そりゃ期待して訪れるものです。ヘミングウェイがカルチェラタンのカフェで小説を書いてたとか、今も若い作家を目指す人がカフェでなんか書いてるとか、そういう「伝説」の場所。「聖地」みたいな感じです。セーヌ川がパリ市を東西に突っ切っていて、河口(西に向かって流れています)方面に顔を向けて左側が左岸、右側が右岸です。「セーヌ川左岸」という言葉の響きがかっこよすぎです。ルーブル博物館はセーヌ川の向こう岸になります。

カルチェラタンはシテ島の目と鼻の先にあります。実際に行ってるみるとエリア的には狭いです。私は「カルチェラタンは多分、下北沢と神保町を足して二で割った感じのところではなかろうか」と想像していて、本屋さんの軒先に古本が並んでいるようなところとか見たいなあと思っていました。歩いていると、古本が並んでいるらしきところがあります。おー、あった。この角を曲がれば古本屋さんがざーっと並んでいたり、この道を進めば文化人が集う味なカフェ並んでいたりするに違いないと歩みを進めると普通の街角に出ます。ん?と思ってもう一回最初のところまで戻り、どこか曲がり角を間違えたのだろうかと思って、いろいろくるくる歩いて見ますが、それらしきところがありません。地図を何度も確認しましたが、確かにここはカルチェラタンエリアです。要するに狭いです。そういうエリアはちょっとしかありません。実感としては百メートル四方くらいかそれよりもうちょっと大きいくらいしかないかなあという感じです。世界の文学青年が集うには狭いです。

とはいうものの、私はフランス語が読めるわけでもなく、カフェでコーヒーを飲むのなら他にもいくらでもあるわけで、ぶっちゃけパリならではのカフェより普通のスターバックスの方が落ち着くという気もするので、私としては実際に生でカルチェラタンがどんなことろが見れたというだけで満足できます。

レストランがいろいろありましたので、田舎風フランス料理みたいな意味の看板が書いてあるところに入って食事しました。水をくれというと有料のミネラルウオーターが出てきます。水道水をくれというと無料の水道水が瓶に入って出てきます。パリは空気が乾燥していていくらでも水を飲みたくなるので、個人的には水道水をたくさん飲みたいですが「水道水をくれ」の発音ができないと有料の水が出ます。たまには有料のミネラルウオーターもきっと健康にいいかも知れません。カルチェラタンには二度行って、二度とも同じレストランに入り、二度目はがんばって水道水を出してもらうことに成功しました。料理の味はおいしいですが、日本のファミレスの方がおいしくて値段も安いなあと思います。日本っていろいろ凄いです。

近くには大学が多いようです。パリ第〇大学とか、そういう感じのがあります。パリはいったい第何大学まであるのかと思って人に聞いたら13まであるそうです。全部足してソルボンヌ大学になるそうです。ちょっと意味不明ですが、それぞれの国にはそれぞれの学制があります。留学してみたいなあとちょっと思いましたが、多分、内容についていけないと思います。自信のある人はぜひ挑戦してみてほしいです。





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ルーブル美術館に行った時の話

ルーブル美術館はシテ島からとても近いです。入り口はガラスのピラミッドになっています。いつからそうなのかは知りません。ピラミッドに入ってエスカレーターを降りて、チケット売り場に辿り着きます。ミュージアムパスを持っていったらそれを見せるだけで中に入れてもらえます。

ルーブル美術館の展示品はオルセー美術館とかオランジュリー美術館とかよりも古い時代のものが中心です。宗教画が沢山あります。聖書の一場面を再現しているのが多いです。イエス様とマリア様の絵がいっぱい見れます。ルネッサンス期のものも展示しています。ダヴィンチの『モナリザ』もあります。ものすごく人がいっぱいいてとてもゆっくり見れません。それでも「本物を見た」という満足感が得られます。とても有名な『サモトラケのニケ』もあります。ニケのスペルはNIKEです。ナイキです。『サモトラケのニケ』の像は発見された時に既に腕がありません。巨大な立像ですから、長くて大きな腕がついていたのだろうと思います。いろいろ想像できますが、もちろん本当のことは分かりません。昔、恐竜の想像図が適当だったのと同じです。今の恐竜の想像図が適当かどうかは知りません。

中東の出土品とか地中海世界の出土品とかいろいろあります。アッシリアとかヒッタイトとかフェニキアとかクレタ島とかの情報に雪崩のように触れることができます。だんだんどれがどれなのか分からなくなっていきます。ですが、美術品を大量に見れるのは幸福です。個人的に所有したいとは思いませんが、時々見に行きたいです。エジプトのものもいろいろあります。保存状態の良いミイラも見れます。ナポレオンが持って帰ったのかなあと思います。ですがナポレオンは作戦がうまくいかなくて部下を見捨てて自分だけ帰還していますので、ミイラを持って帰れなかったかも知れません。作戦がうまくいかなくなる前に輸送したのかも知れません。でっかい石像とかだと触る人が時々います。触りたい気持ちは分かりますが、触ってはいけません。

ルーブル美術館の展示品の石像。触りたくなりますが、触ってはいけません。
ルーブル美術館の展示品の石像。触りたくなりますが、触ってはいけません。

イスラム世界の特設コーナーもありました。イスラム世界のことはよく分かりません。オスマントルコの時代は数学とか芸術とか、ヨーロッパよりも主流だったと聞いています。特設コーナーの解説によるとイスラム世界はとても広いです。ロシア、インド、トルコ、アラブ、アフリカとユーラシア大陸の中心部分を制覇しています。更にインドネシアとかタイとかにもイスラム教の人たちがいます。イスラム教にはそれだけのパワーというか伝播力があったのだと思います。

ヨーロッパの中世から近代にかけての芸術は結構、ロマン主義です。聖書を題材にした絵は見る人が故事に思いをはせたり、敬虔な信仰心を確認したりすることに役立ちます。ルネッサンスの人物像もそこにドラマが込められています。印象派は「自分にはそう見える」という意味では個人主義的で、他者とロマンを共有するというのとは違いますが、きれいできらきらした感じになるという意味ではロマンチックなものを求めていると思います。一方で、イスラム世界の芸術はロマンよりも理性や論理を重視しているような気がします。宇宙の法則を見つけて再現している感じです。なので幾何学模様とかシンボルマークとかが多いのだと思います。作成した人は宇宙の再現に使命感を持っていたような気がします。素人の想像です。

ナポレオンの戴冠式の絵はどでかいです。自分で自分の頭に冠を載せたという有名なやつです。ナポレオンの性格が想像できます。

ナポレオンの戴冠式の様子を描いた絵。どでかいです。
ナポレオンの戴冠式の様子を描いた絵。どでかいです。

ナポレオン三世が生活していた場所も再現されていて公開されています。豪華な上にこじゃれています。快適そうです。ナポレオン三世にはあまりいい印象はありません。ですが、おじさんのナポレオン一世よりは趣味が良かったのかも知れません。
ナポレオン三世の生活が再現されている部屋
ナポレオン三世の生活が再現されている部屋




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シテ島の話

セーヌ川の中にシテ島があります。ノートルダム寺院とかコンシェルジュリーとかポンヌフの橋とかあって観光客が押し寄せる場所です。ノートルダム寺院はでかいです。ノートルダム寺院の夜のミサに参加して、おーノートルダム寺院でミサ受けてるぜとか思うとちょっと得意気な気分になります。気分だけです。シテ島に行くのに警察官の人に道を聞いたら「la cite!」と言ってたので、島は女性名詞だということを知りました。フランス語では女性名詞の冠詞がlaで男性名詞の冠詞がleです。『ラセーヌの星』というアニメがありましたが、これもla seineです。セーヌ川の星という意味です。大人になってからようやく分かりました。興味のない人にとってはどうでもいい話です。

マリーアントワネットが最期まで監禁されていたコンシェルジュリーもシテ島にあります。ルイ18世の時代に公開されて、今も公開されています。コンシェルジュリーは留置場兼刑務所で、お金を払えばましな生活ができたそうです。

ポンヌフの橋があります。ポンヌフとは新しい橋と言う意味です。ポンが橋でヌフが新しいです。ですのでポンヌフの橋と言うと、新しい橋の橋ということになり頓智問答みたいなことになってしまいます。ですが日本語の便宜上ポンヌフの橋と呼ぶことにします。ポンヌフの橋は新しい橋という意味なのに実はシテ島で一番古いそうです。何百年か前に出来たときに「新しい橋だ、新しい橋だ」と言ってるうちに定着し、古くなっても同じ呼び方がされています。上の写真は地下鉄のポンヌフ駅構内のものです。シテ島とその周辺には地下鉄の駅が集中しています。

東京の新橋にポンヌフという立ち食いソバ屋さんがあります。新橋だからポンヌフという名前にしたんだと思います。名前はしゃれてますが普通のそば屋さんです。普通においしいです。最近は電通の人とか日本テレビの人とかがポンヌフまでおそばを食べに来ています。

話が脱線しましたが、ポンヌフの橋はシテ島の一番西側にあります。エッフェル塔がよく見えます。ロマンチックです。オルセー美術館も見えます。ルーブル美術館も近いです。一人で行くのはもったいないです。私は一人で何度となくその橋を渡りました。一人旅をためらっていては私は旅行に行けません。だからこれでいいのです。

パリ市は昔はシテ島の内側だけで街が構成されていたそうです。セーヌ川に囲まれているので安全性が高く、そこに人々が集まって暮らしていたそうです。バイキングがノルマンディあたりからセーヌ川をさかのぼってよく攻めてきます。抵抗したら皆殺しになるのでお金を払って帰ってもらいます。お金がもらえるのでバイキングは時々来ます。その都度お金を払います。一体いつまで続くのか…と不安になりますが、やがてバイキングの子孫はノルマンディ公になってイギリス王朝を開いて100年戦争までやりますのでいつまでも終わりません。100年戦争が終わった後、イギリスが攻めてくるとかはなくなりましたが、その後もイギリス王はフランス王を自称するようになります。戴冠式で「私はイギリス王でフランス王だ(他にもいくつか兼ねてるぞ)」と宣言します。今はどうかは分かりません。イギリスの王朝は何度か系統が交代している(血縁はつながっているが家名が変わる)ので系統によって違うのかも知れません。

シテ島はパリの中心でいろいろ便利そうですが家賃がめちゃめちゃ高いそうです。フランスの上位5パーセントの富裕層しか住めないそうです。うらやましいです。シテ島にマンションがあったら友達を呼んで飲み会がしたいです。

シテ島からセーヌ川左岸(東西に流れるセーヌ川の南側の河岸)へ歩いていくとカルチェラタンに行けます。

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パリのタンプル塔跡をたまたま通りかかった話

フランス革命でルイ16世一家はベルサイユ宮殿からパリ市内のチュイルリー宮殿に移動させられます。ベルサイユ宮殿がヨーロッパ一の豪奢な建築だったのに対し、チュイルリー宮は久しく人が使っていなかったため、あちこちほこりを被っていて設備も故障が多く、手狭でマリーアントワネットはたいそう意気消沈したと言います。チュイルリー宮はルーブル宮の近くにあります。

当時、フランス国民と議会は絶対王政には否定的でしたが王制の維持には肯定的で、ルイ16世一家に命の危険が及ぶ考えていた人は少ないと言います。ただ、革命を経験して人々の心のうつろいやすさを見ているルイ16世とマリーアントワネットの目から見れば、とても安心できる状態ではなかったかも知れません。

一家は馬車で密かにパリを脱出し、ヴァレンヌで捕まえられるという有名なヴァレンヌ事件が起きます。これで世論が一機に硬直し、王の処刑を叫ぶ人々が登場したと言われています。そういう意味ではターニングポイントですが、王家の人々から見るとそれ以前から既に警戒しなければならない空気が感じられたのかも知れません。

いずれにせよ、それにはよって王家はタンプル塔に監禁され、犯罪者同様の扱いを受けるようになります。その場所はセーヌ川右岸、パリ3区になるので、パリ同時多発テロがちょうど発生した地域とある程度重なるのではないかと思います。

私がパリに行ったのはテロ事件の前の年だったので、そういう悲痛な場所だという感覚はありませんでした。滞在中はなんとなく気になって、フランス革命の関係した場所に行きたいなあという思いが湧いてきて、タンプル塔もできれば見に行きたいと思っていましたが、どこにあるのかもよく分からず、観光客が訪れるには若干マニアック過ぎるので地元の人に質問したら怪しまれはしないかと不安になり、諦めようかと思いつつたまたま歩いていて通りかかったのがタンプル公園で、詳しい本には今は公園になっていると書かれていて、もしかしてここかと。念ずれば通じる現象が起きた感じです(私の人生でそういうことはめったに起きないのですが…)。

ルイ16世はタンプル塔から革命広場へと引き出され、断頭台にかけられます。マリーアントワネットはタンプル塔からシテ島内にある裁判所兼留置場みたいな機能を持っていたコンシェルジュリーに移動させられ、二ヶ月ほどの裁判の期間を経て最期は革命広場で断頭台にかけられます。コンシェルジュリーから革命広場へと引き出される時の肖像画が残されていますが、大変につかれた様子で、ベルサイユ宮殿に残されている華やいだ感じの肖像画とは別人に見えます。描き手のくせの違いもあるはずですから、簡単に結論できませんが、あまりにも違うのでマリーアントワネットは直前に別人と入れ替わったとする生存説もります。でも、もし本当に脱出できていたらオーストリアに帰って子どもの救出のために全面戦争をしたでしょうから、多分、脱出した可能性はないと思います。

ベルサイユ宮殿の離れ、グラントリアノンだったかプチリアノンだったかに展示されていたマリーアントワネットの肖像画の写真です。華やかです。多分、プチトリアノンだったと思います。

マリーアントワネットの華やかなな感じるのする肖像画です
マリーアントワネットの華やかな感じるのする肖像画

息子さんのルイ17世はタンプル塔で激しい虐待を受けて亡くなってしまいます。娘さんのシャルロットは生き延び、王制が復活したら王族としての生活を送りますが、当時、両親と弟を死に追いやった人々を決して赦さなかったと読みました。ルイ17世が受けた虐待はここで書くことを憚られるほど酷かったようです。素直にかわいそうだと思います。

ナポレオンが政権を取った時に、おそらくは忌まわしいという理由でタンプル塔は取り壊され、今はその跡地が公園になっています。超絶合理主義者だったであろうナポレオンらしいように思えます。このナポレオンの判断には好意的な印象を持ちました。

子どものころにやっていたラセーヌの星というアニメでは息子さんと娘さんは救出されます。マリーアントワネットは子どもの安全に確信を持ち、安心した表情で革命広場へと連れて行かれます。王家一家があまりにも残酷な運命を迎えたのが辛いので、そういう明るい終わり方を作者が選んだのだと思います。

ベルサイユ宮殿に展示されているマリーアントワネットと二人の子どもの肖像画です。幸せそうです。その後の運命のことを考えると見るのがちょっと辛いです。

マリーアントワネットと二人の子どもの幸せそうな肖像画
マリーアントワネットと二人の子どもの幸せそうな肖像画





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ウンベルトエーコ『薔薇の名前』の本と毒と笑い

ウンベルトエーコ先生の『薔薇の名前』はヨーロッパ中世の歴史に対する深い造詣によって支えられた凄い物語だと言われています。あんまり深いので普通の日本人にはどこに知識が生かされているのかよく分かりません。でも多分、ディテールがめちゃめちゃしっかりしているのだろうと思います。知識がなくても楽しめる本です。身もだえするほど面白いです。素人でも玄人でも楽しめる本です。

中世のいずれかの時代の、ヨーロッパのいずこかの物語です。主人公の修道士の若者が師匠と一緒に旅をしていて、ある時、とある修道院に辿り着き、しばらく寄宿させてもらいます。修道院で暮らす修道士の人々は、あんまり尊敬できる感じではありません。だらっと生きています。聖書を書き写すのが日常の仕事です。ノルマも特にありません。わりと楽して生きていて、そんなに規律正しくもありません。修道院の年老いた偉い人たちは若い修道士に対していろいろ怒っています。「ワインを飲んでもならない」という規則があったのに、最近では「ワインを飲み過ぎてはならない」と言わなくては誰も規則を守らない、それだけ若い人がなってないなどとにがにがしく思っています。

「最近の若い連中は…」という愚痴は古代ギリシャの文献にも出てくると言います。「最近の若いやつは…」は時代を超えた普遍的な愚痴のパターンだということが分かります。私もおしゃべりばっかりしている学生を見ると「最近の若いやつは…」と思いそうになります。そしてそのたびに「あ、これは普遍的な愚痴のパターンだった」と思い直します。学生を笑わせるつもりでジョークを言ってすべった時はかなり落ち込みます。その時に私は「今の若い人はセンスが悪いから俺のジョークが理解できなかったんだ」と思うことで自分を防衛しようとします。それから、「あ、そうだ。ジョークが面白くなかったのはジョークを言った人間の責任だ」と思い直します。「最近の若いやつは…」は絶対に言わないと誓っていないと言いそうになるので要注意です。でもなんだかんだ言って教師は自分の学生には甘いものなので、学生がちょっといい子にしていると過去の悪い態度とかすっかり許してしまいます。教師なんて簡単でいちころな存在です。

話が脱線しましたが、イシグロカズオさんの『忘れられた巨人』に出てくる修道院の人たちもいわば世捨て人、悪い言い方をすればちょっと社会不適合な感じの人たちみたいに描かれていますが、エーコ先生の『薔薇の名前』の影響を受けたのではないかという気もしなくもありません。

滞在中に殺人事件が起きます。水槽から両足を出して死んでいるとか、金田一耕助の『犬神家の一族』みたいな死に方をしています。他にも何人も死人がでます。でも死因が全く分かりません。外傷がありません。自殺というわけでもありません。どうして死んだのかさっぱり分かりません。完全犯罪です。読者もこの段階では首をひねるしかありません。

師匠が事件を解くカギをいろいろ集めて最後には犯人を突き止めます。犯人はこの修道院で一番偉い老人です。老人がある本に毒を塗っていました。その本を読んだ人はページをめくる際に唇に指をあて、指を少し湿らせてページをめくります。それを繰り返すうちに毒がその人の体内に入り込み、本を読み終わってしばらくすると死んでしまいます。外傷も残りません。解剖でもしないと分かりませんが、法医学とか司法解剖とか多分まだない時代なので、犯人の自白がない限り、死因は永遠に分かりません。この完全犯罪の手法は池澤夏樹さんの『マシアスギリの失脚』でも政敵の暗殺方法として使われています。作品の中で「ネタ元は『薔薇の名前』だ」と読んだことのある人にだけ分かるように書いてあります。他に『王妃マルゴ』という映画でも同じ方法で王様が死んでしまいます。『マシアスギリの失脚』では二時間くらいで死んでしまいますが、『王妃マルゴ』では何日もかかって死んでしまいます。そんな細かいことはどうでもいいと言えばどうでもいいです。

問題は動機です。毒が塗られていた本はアリストテレスの喜劇に関する本です。アリストテレスは笑うことは健康にいいと書いています。しかし、修道院では笑ってはいけないという規則があります。アリストテレスのような超有名なギリシャ時代の書き手が「笑いなさい」と書いていることがバレると結構まずいです。一番いいのは本を捨てることですが、人類共通財産である本を捨てることはためらわれます。従って、本を読んだ人、内容を知った人だけを確実を殺さなくてはいけないという結論に達し、本に毒を塗ったというわけです。

『薔薇の名前』は人類史上最高の推理小説みたいな言い方をされます。その通りだと思います。読んでいる時は面白すぎてしびれます。早く続きが読みたくて身もだえします。でも分厚いので読み終えるのに時間がかかります。本に書いてる字も小さいです。でも面白いので問題になりません。読み終えるのがもったいないと思ってしまうので、もっと長い物語になっても文句はないくらいです。



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パリのフリーメイソン博物館に行った時の話

パリのフリーメイソン博物館はわりと庶民的な場所に建っています。建物のある通りには中華料理屋さんとかクレープ屋さんとかがあって、観光客というよりは地元の人がよく利用している場所といった感じです。その通りに一つだけやたら近代的な、またはやたらポストモダン的な派手な建物があります。映画館かアトラクションかどちらかだろうと私は前を通るたびに思っていたのですが、ホテルの人に「フリーメイソン博物館に行きたい」と話したところ、道と住所を教えてもらって辿り着いたのが、そのやたらと派手な建物でした。

フリーメイソン博物館に入るのは緊張します。都市伝説とかでいろいろ聞いているので、どんなところか不安になります。入場料を払うところで「フリーメイソンの会員でなければ入れない」とか言われたらどうしようと思います。しかし普通にお金を払ったら入れます。多分、クレジットカードもOKです。チケット売り場には30代くらいの男性がいて、ちょっと強面です。私が近づいていくと普通に英語で値段を教えてくれて、手際よくチケットを渡してくれました。スタッフの人の前でカメラを取り出しましたが、何も言われません。スタッフの人の目の前でシャッターを切っても何も言われません。ご自由にどうぞという感じです。

お皿とかいろいろな日常的に使う道具が展示されていて、どの展示品にも有名な定規とコンパスのシンボルマークが描かれています。説明は全部フランス語なので、何が書いてるのかはよく分かりません。フランス語は基本の文法は勉強したことがあって、語彙は英語と似ているのもの多いので、説明の文とにらめっこしているとだんだん分かってくることもありますが、いっぱい説明文があるので疲れてしまうので読むのは諦めました。展示されている品物は定規とコンパスの絵が描かれている以外はたいてい、いたって普通のもので、都市伝説的に大騒ぎしなければいけないようなものは特にありません。客はほとんど入っていません。秘密結社なのにこんなに堂々と博物館をやっていいのかという疑問は解決しませんが、スタッフの人に質問しても多分、「文句あるのか」くらいのことしか言われない気がするので、その疑問については気にしないということにしました。でっかいパピルスみたいなのにいろいろ書いてあるのがありましたが、何が書いてあるのか分からないので、分かったふりをして2,3分眺めて通り過ぎました。

隣には年季の入った感じの本屋さんがあったので入ってみると、フリーメイソン関連の本ばっかりです。ほとんどフランス語の本で、ちょっとくらい英語の本もあったと思います。『フランス革命とフリーメイソン』みたいな本もあります。フリーメイソンって実は大っぴらな組織なのではないかという気がしてなりません。フリーメイソンの理念は「自由・平等・博愛」です。私も自由平等博愛には賛成です。いい理念です。ということはフリーメイソンは良い組織なのではないかという気がします。実態を知りませんので推測です。私の推測ではいい組織です。20年くらい前にフリーメイソン結成195周年記念の儀式みたいなのがマスコミに公開されて、セレモニーマスターみたいなことをしているのは英国王室のエジンバラ公でした。フリーメイソンの一番偉い人がエジンバラ公なら信用もばっちりです。偽有栖川宮みたいな人がトップに出てきたら怪しいですが、そういうわけではありません。

アメリカ独立戦争のバックにはフリーメイソンがいたという話があります。明治維新もフリーメイソンがやったという人もいます。フランス革命もフリーメイソンがやったとすれば、大体どんなことを目指しているのか方向性が見えてきます。都市伝説や推測を集めて私がさらに想像力をたくましくしているのだけなので、本当のことは分かりません。珍しい博物館に入れてよかったです。東京にも作ってほしいです。フリーメイソンの会員になってみたいです。誰かに誘ってほしいです。




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イギリスのEU離脱が決まった件

今、6月24日午後2時過ぎです。イギリスのEU離脱がほぼ決まりのようです。BBCのHPを見たところ、離脱派は100万票以上の差をつけて勝利しています。グラフでは離脱派がちょうど過半数くらいです。残り票を分け合うとしても、離脱多数で決まりです。

YoutubeでBBCのライブを見ていますが、コメント欄は離脱派の勝利の凱歌で溢れかえっています。品の良くないコメントもあります。そういうコメントが書き込まれるのは世界中どこにでもあります。

先日、「イギリスはEU離脱しない」と予想しました。外しました。事前調査で残留派が僅差で有利、出口調査で残留派が4パーセントリードで、それでもやっぱり離脱派が勝つとは…。何故…どうして….。外して恥ずかしいです。自分に対して恥ずかしいです。神様と世間様に謝ります。すみませんでした。

心理的なショックで治りかけの風邪がひどくなってきました。軽く微熱も出ています。今日は夜間の学生に教えに行かなくてはいけません。個人的には寝込んだ方がいいのです。でも、こんなことが起きているのに寝込んでいられません。

BBCのYoutubeライブに拠りますが、スコットランドの独立派の人たちはさっそく、今後は独立の機会を伺うと表明しているそうです。キャメロン首相はスタンドアップコメディの主人公になった気分に違いありません。私は自分でブログに予想を書いて冷や汗をかく愚かなピエロです。

EUの終わりの始まり。エヴァンゲリオンで言えば新劇場版の二作目の最後の場面、赤城博士の「世界が終わるのよ」の台詞を聞いているような、ナウシカで言えばドルクの焦土作戦でオウムの大群が人の世界へ流れ込み、世界の終わりへと導かれていく場面を読んでいるような気分です。

偉そうに、いい気になって、「イギリスはEU離脱しない」とブログに書いた自分に対して「何様のつもりか」と問わなくてはいけません。これからもブログ続けたいので、続けるためにも今日は懺悔です。ごめんなさい。反省しています。

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池澤夏樹『マシアスギリの失脚』の孤独のダンディズム

池澤夏樹さんのマシアスギリの失脚は何度も何度も読み返しました。線を引きながら読み返し、ぼろぼろになったら新しく新潮文庫を買って線を引いて読むを繰り返し、三冊くらい買い換えましたが最近はさすがに読まなくなりました。

1980年代、旧国際連盟日本委任統治領だった太平洋地域のいずこかにある架空の島国ナビダード共和国の大統領マシアスギリは戦争中は日本軍の軍属として働き、戦後になって日本にわたり昼間は倉庫で働きながら夜は高校に通って勉強し、日本語ペラペラになって帰ってきて始めた事業がスーパーマーケット。これが当たって名士になり、政治家になってついに大統領にのぼりつめます。人口七万人の小さな島国とはいえそこは最高権力者。権力の密の味も知っていれば、それにはまりこんでしまうことの怖さも知っている男。それでも大統領はやめられない。権力の味はこたえられない。一度選挙に負けて大統領の座を政敵に譲りますが、その政敵の人物がある種の潔癖症でマシアスギリ在任中の金銭の不正を暴き出そうと動き出したのを知ると、白人の二人組に依頼して政敵を暗殺し、見事大統領に返り咲きます。

罪悪感とことが露見することへの恐怖心からほぼ眠れなくなったマシアスギリは白人二人組に対する長期の報酬の提供に神経を配りながら昼間は政治家の仕事をし、夜は愛人のもとへ通います。しかし、暗殺を証明する大事な書類を官邸に隠してあるのを誰かに盗まれると困るので、決して愛人の家には泊まらず、必ずきちんと帰宅します。しかしなかなか眠れません。蝋燭に火をつけるとリーボーと名乗る幽霊がぼわっと現れ、マシアスギリの話し相手を務めます。どこまでが本当でどこからが幻想か分からない世界。リーボーは200年前にこの島に生きていた王子様で、イギリスに留学してあっさり死んでしまいます。その後魂だけ帰ってきて今はマシアスギリの話し相手というわけです。ギリは様々な不安をリーボーに訴えますが、最後の決定的な答えは与えません。リーボーという幽霊はマシアスギリの投影に過ぎず、リーボーの返す答えは必ずマシアスギリの知っていることか、漠然とそうだろうなと思っていることかのどちらかです。ギリが知らないことを教えることはできません。ギリが自分で決心がついていないことについて、行動を示唆することもできません。最後は自分で決めなくてはいけません。

離れ小島からやってきた神がかりの若い女性がギリの秘書のようになりますが、実は彼女は神秘の島の長老たちから遣わされたスパイで、ギリが政敵を暗殺した証拠を探しに官邸に入り込んできています。大統領官邸内部はギリの好みに合わせて純和風。畳の裏に白人二人組との間で結ばれた暗殺と報酬に関する契約書が隠されているのを見つけます。その日に限ってギリは愛人の部屋で深い眠りに落ちていて、スパイが自室の畳の下を探ることを予防できなかったのです。

マシアスギリは現実政治の最高権力者ですが、国の精神的な支配者はスパイの女性がやってきた神秘の島の長老たちです。長老たちは暗殺の動かぬ証拠を手に入れて、マシアスギリを権力として認定しないと結論します。暗殺を請け負った白人二人組も『薔薇の名前』と同じ方法でやったと証言してしまいます。結果、政務は滞り、マシアスギリは権力者としての実質的な権能を行使することができません。彼は密かに一般市民に身をやつし、生まれ故郷の祭礼を見に行きます。そして最後は自家用機に乗り込んで、パイロットの隙を見て飛び降り、地上にぶつかって死んでしまいます。

自ら命を絶つという、実に壮絶な物語の筈なのに、その死はとても爽やかで、読み手はギリに感情移入するものの、あー楽になれてよかったね。綺麗に死ねてよかったね。という不思議な感想を抱きます。マシアスギリという男は半分日本人みたいな人生を送っていたものの、その魂は自分の故郷の島々を深く愛していて、命を失ったこの後は鳥になって永遠に島の周りを飛び続けるのが定めです。

権力を持つ故に秘密を抱え孤独を生きたマシアスギリはフィリピンで出会った愛人からは深い愛を受けていて、神秘の島からやってきたスパイの女性からも愛されます。やはり男は愛されなければ絵になりません。家でブログをこつこつ書いているようではいけません(私のこと)。

『マシアスギリの失脚』は間違いなくアップダイクの『クーデタ』とけっこう似ていますが、最大の違いはマシアスギリが最後に自らの命を絶つのに対して、『クーデタ』の主人公はフランスに亡命して生きる決心をすることではないかと思います。生きるか死ぬかでは随分と違います。ここで潔い死に方を選ぶことができるのは東洋的思想のおかげかも知れません。仏教では究極には生きていても死んでいても同じです。世界のエネルギーの総和に変化はありませんので、死んでも私は存在するし、生きている私は何らかの幻影にすぎません。ギリシャ哲学でもこの世界はイデアの幻影だと言っているくらいですから世界共通してこの世は幻想だと思っていいのかも知れません。本当のところは私にも分かりません。

物語が太平洋のきれいな海と島で展開しますので何度読んでも気持ちよく、最後に空を飛んで死ぬこともなんだかきれいなことのように思えてしまいますが、決してマネをしてはいけません。マシアスギリの最後の選択が正しいと思えるかどうかはそれぞれの読者次第だと思います。



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オルセー美術館に行った時の話

オルセー美術館に行った時の話をだらっと書いてみたいと思います。

上の写真はオルセー美術館の館内の写真です。フラッシュを焚いたりしなければ館内での撮影はOKなので、決してこっそり撮ったわけではないですよ。ただ、館内の構造が分かるようなこのような写真は撮影したものの、いろいろな作品は道義的に撮影する気になれなかったので、作品の写真はないです。館内の大抵の作品は19世紀に書かれたもので著作権の期限も切れてるので、撮影してブログに投稿しても問題ないのではないかなぁと思います。よく知りません。曖昧で自信がない場合は投稿しないのが一番なのかも知れません。私は撮影していないので、作品の写真は物理的に投稿できません。

検索したらオルセー美術館の作品の画像も手に入りますし、美術館側も撮影OKとしている以上、そういうものだと、写真メディアに流出しても構わないという考えなのかも知れません。人類共通の財産だという考え方もあるでしょう。写真が世の中に出回り始めたばかりのころ、観光業の人は真剣に心配したそうです。綺麗な景色を観るために人は交通費と宿代を支払うのに、写真できれいな景色が見れたなら、わざわざ出かけないのではないかと。実際にはその逆で写真を観た人たちは本当の景色が見たいと思うようになり、もっともっと、と観光する人が増えたそうです。テレビで沖縄特集とか見たら欲求が刺激されて沖縄に行きたくなるのは今の時代も同じではないかなあと思います。

オルセー美術館の屋根は上の写真のように丸いです。なぜこんな形になっているのかというと、もともとは1900年のパリ万博に合わせて建設された駅舎だというのです。歩いて行ける距離にエッフェル塔もあり(パリ市はそんなに広くないので、大抵の場所は中心から歩いて行けますが)、エッフェル塔も1900年のパリ万博に合わせて建てられたものですから、当時、パリ市の再開発が相当に進んだことが分かります。

オルセー美術館には印象派の作品がいっぱいあります。ルーブル美術館とは主旨や方針がだいぶ違うみたいです。私は美術には詳しくないです。学生には印象派と浮世絵の関係の話をすることもありますが、しったかしているのがバレはしないかと内心ヒヤヒヤしています。なんか見たことあるなあと思うのがいっぱいあります。美術の教科書とか、〇〇展の広告の看板とかで見たことがあるというのがいっぱいです。ミレーとかゴーギャンとかゴッホとかルノワールとかそういうのがいっぱいあります。オルセー美術館の作品をきちんと全部分かるようになったら、ヨーロッパのモダン芸術検定みたいなのを受けても(そういうのがあると仮定して)一発OKなのではないかと思います。

特に印象に残ったのは特設展会場でジャポニズム展をやっていたことです。ジャポニズムといってもそんなに大げさなものではありません。19世紀の画家さんたちが作品の中にちょっと浮世絵のオマージュを入れているとかそういった感じのことです。ルノワールはたくさん女性の絵を描いていますが、踊っている女性が手に扇子を広げて持っている絵を描いたとか、モネが安藤広重の日本橋の絵をさりげなくぱくっているとかそういった類のものです。詳しい人に教えてもらえないと気づかない感じのものばかりなので、私も今挙げた例以外のことはよく知りません。

パリ滞在中にオルセー美術館には二度行きました。指定美術館入り放題のミュージアムパスみたいなのを買ったので、有効に使おうとあちこち行きまくり、高かったので元を取らねばと歩きまわった結果、行きたい美術館は大体行ってしまったので、もう一回来たという感じです。ミュージアムレストランがあって、二度ともそこで食事をしました。

その時の食事の写真です。
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特においしいわけでもなく、サービスも良くはありませんが、外のレストランより若干安いです。内装は立派なので、食事が来るまでぼんやり内装を眺めるのもなかなかいいです。

中国人の観光客がたくさんいました。観光客だけでなくパリには働いている中国人もたくさんいます。パリにはラーメン屋さんとお寿司屋さんが沢山ありますが、お店の人は大抵中国人です。わりと美味しいです。私はあまのじゃくなので中国語が分からないふりをしようかとも思いましたが、中国語を使った方が何かと話しが早いので、注文とかは中国語でやりました。相手は僕のことを香港人に思ったかも知れません。どこへ行っても香港人ぽいとよく言われます。外国に行ったら日本人と会った時の方が緊張します。

パリで食べたラーメンの写真です。作っている人は中国人ですが、けっこうおいしかったです。

パリで食べたラーメン
中国人が作ったパリで食べたラーメンです。しょうゆ味でおいしかったです。








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