リバタリアニズムとリベラルの違いは、何ですか?

リベラルには反ファシズムという程度の意味合いしかないと私は思っています。リベラルの概念は幅が広いため、誰もが「我こそはリベラルである」と主張します。ちなみに私自身も私のことをリベラルだと思っています。社会主義者も資本主義者も自由主義者ももしかしたら共産主義者も場合によっては皇国史観支持者も自分のことをリベラルだと考えています。で、リバタリアニズムはそのように多種多様なリベラルの中の一派であって、完全自由を理想とし、あらゆる権力の介入を嫌います。私自身もかなりなリバタリアニズム的思考を持ちます。念のため補足しますが、「弱肉強食が当然」などという浅はかな考えを持つ人物はリバタリアニズムに向いていません。徹底的に自由を追求した時、人は誰もがその才能を発揮し得るというのがその理想であって、それは確かに飽くまでも理想とするところに過ぎず実現されていない場合はまだまだ多いとは思いますけれども、それは克服されなければならない問題であって従容として受容すべきことではなく、克服するために自ら行動すべしというような感じに考えているわけです。「天は自ら助くる者を助く」を素朴に信じているとも言ると思います。



儒教⽂化圏の問題提起が近代化に与えた影響は何ですか。また、 それは現代のアジア社会において有効だと思いますか?

北京大学で起きた反日的愛国運動を五四運動と呼び、その中心になつたのは北京大学関係者たちで作った新青年という雑誌でした。魯迅の弟の周作人が、与謝野晶子の貞操論と呼ばれるエッセイを中国語に翻訳し、それが新青年に掲載されます。このエッセイでは、親に決められた結婚相手と一生暮らし、心の中でほかの相手を想っているのは、とんでもない浮気者で、自分の意思で結婚し、好きな人と一途に結ばれることこそ真の貞操観念で、仮に相手のことを好きではなくなつたら離婚した方が当人たちのためであるというような内容だったのですけれど、編集サイドは読者に意見を求めました。中国社会も与謝野晶子の言うような価値観を採用すべきかどうか誌上で討論しようと言うわけです。私は掲載された投書を全て読みましたが、その大半は自由恋愛は家制度の維持という観点から望ましくないと言うものでした。中華圏は家制度について日本人よりも遥かに深刻に考えていますが、実際、近代化された後の中華圏の様相を観察する限り、台湾香港もシンガポールもご本家中国も出生率は1程度に落ち込んでおり、家制度の維持などとてもおぼつかない状態になっています。儒教的家制度と近代化は両立しないと思います。どちらが正しいのかというより、どちらを選ぶかと言うことかなと思います。



様々な時代背景の話で、日本の場合は“明治”“近代化”がキーワードとして登場する事が多いのですが、結局のところそこで無理やり文化が接木されその恩恵も弊害もごちゃ混ぜな今という事なのでしょうか?

そんな風に言えそうな気もしますねえ。関東大震災が起きた日、永井荷風は山之上ホテルでランチするのですが、日本人が西洋人の猿真似ばかりをして、似非西洋人になっていることへの天罰だ、というようなことを書いています。石原慎太郎さんが東日本大震災を「天罰だ」と言って批判されましたが、おそらくは永井荷風をぱくったんだと思います。で、江藤淳さんが若いころの評論で日本の文芸作家たちはフランス自然主義を採り入れて、近代文学者に「なりおおせた」というような表現を使っていたと思いますが、以上述べたように、日本の近代化が無理に無理を重ねた自己否定と猿真似の複合物なのだということについては、それに対する批判があたかも伝統でもあるかのように繰り返されてきました。とはいえ、私たちは近代人としての思考が身についていますから、今さら封建社会に戻ったところで適応できず、近代的な生活がしたいとの希望はもちろんあります。ですから、おっしゃる通り、弊害も恩恵もごちゃ混ぜな今なのだと思います。



私は歴史が超超苦手です。学校では、100点満点中20点とかとってました。いま、旧約聖書を読みはじめて、「ああ、歴史がもっと好きだったらな」と思います。貴方の力で、僕を歴史好きに変えてくれませんか?

1人でいいので、好きな歴史上の人物を選んでください。そしてその人物の人生を他人に語るにはどうすればいいかなと考えてください。プレゼンをするようなイメージです。最初のうちはざっくりとしたあらすじみたいなことしか語れないかも知れませんけれど、だんだん調べていくうちに詳しくなっていき、周辺情報もどんどん取り入れて充実したプレゼンができるようにというのを掘り進めていくと自分でやっていてもとてもおもしろいですし、幅や深みも出てくると思います。

たとえば、織田信長が好きだとしますよね。最初の段階で知っているのは桶狭間の戦い本能寺の変だけかも知れません。ですが、関連書籍を読んだりしているうちに、桶狭間の戦いの敵方である今川義元に関することも分かってきます。徳川家康も登場してきます。桶狭間の地形について詳しくなってきたり、信長の伝記を書いた太田牛一とか、ヨーロッパに信長のことを報告したルイスフロイスとか、次々と関連人物が出て来て、その人ってどんな人なんだろうとかやっているうちに戦国から安土桃山まで詳しくなっていくようなイメージです。

私、一時、溥儀にはまっていて、映画の『ラストエンペラー』を繰り返しみたんですけど、その映画の中には、中国の抗日運動の発端である五四運動についても触れられているし、袁世凱もチラっと出てくるし、蒋介石の話題も出るし、昭和天皇の話も出てきますから、映画に登場する様々な場面や話題を完全に理解しようとするだけで膨大な知識量を要します。結果として非常に勉強になるんですね。更に詳しく考えていけば、なぜ毛沢東の話題は出ないのかとか、そういえば張学良は出てこないのはなんでだろうとか、再現なくどんどん新たな追加の考察材料にも出会うことになります。

旧約聖書がお好きでしたら、直球で古代史ですから、エジプトのファラオに関する知識も必要ですし、バビロニアに関する知識も必要になります。無数の映画や小説で旧約聖書に関する知識が関連しており、たとえばジェームスディーンの『エデンの東』は、なぜそういうタイトルなのかとか、ゴーギャンが描いたタヒチの絵画で真ん中にいる女性が木の実をとろうとしているのは、どういうことが言いたいのかとか、そのあたりは無数にいろいろあるわけですね。ギリシャ語やヘブライ語についても造詣があるともっと深い議論ができるでしょうし、更に日本語の文語訳と現代語訳の違いについても議論の対象になります。

そのようなイメージで取り組まれてみてはどうでしょうか?



ゴジラと戦後

『ゴジラ』は大変に有名な日本の怪獣映画シリーズですが、実は戦後の日本人の心理を非常に巧みに表現した映画としても知られています。特に1954年に公開された『ゴジラ』の第1作は、戦争が終わってからまだ9年しか経過していない時期でしたので、戦争に対する日本人の心境というものがよく表現されており、映画そのものが第2次世界大戦のメタファーであるとすら言えるかも知れない作品です。

まずは1954年版の『ゴジラ』第1作のあらすじを確認し、それから、この作品のどの部分がどのように日本人の戦後の心理と関係しているかについて考えてみたいと思います。

この映画では、まず、数隻の船が原因不明の事故で沈没するというところから始まります。日本ではこのような事故がなぜ起きたのかを解明しなければならないということで、大きな話題になるのですが、そのようなことをしているうちに、今度は巨大な生物が日本領のとある島に上陸してきます。その巨大生物は島の人々を襲い、建物を破壊するわけなのですが、東京から科学者たちが送られ、科学者たちはその生物の写真を撮ったほか、生物が通った後に大量の放射性物質が残されていることを発見します。このことから、権威ある科学者は、太平洋で核兵器の実験が何度も行われたことにより、海底生物が突然変異を起こしたのだと結論します。そして、その島には古くからゴジラと呼ばれる巨大生物の伝説があったため、目の前の突然変異生物をゴジラと呼ぶことにするのです。

最初は船を襲撃し、その次に島を襲撃したゴジラは、いよいよ東京に上陸します。このことは大変に有名ですから、多くの人が知っていると思いますけれども、銀座の建築物を破壊したり、国会議事堂を破壊したりする場面はとくに有名なのですね。

ゴジラには武力攻撃が加えられ、一旦ゴジラは海へと帰って行きます。ゴジラが再び上陸してくる前に、ゴジラを倒さなくてはなりませんから、ある若い科学者が発明した、生命体を破壊する新兵器を使用し、海底にいたゴジラはそれによって苦しみ出し、海面に浮上して、悲しそうな最期の叫び声を上げて絶命していきます。若い科学者は自分が作った新兵器が悪用されることを恐れており、それを回避するため兵器の資料を燃やして捨てますが、自分の頭脳の中にも作り方が残っていて、自分が作り方を知っているわけですから、自分自身が消滅しなければならないと考え、海の中のゴジラとともに死ぬことを選ぶというものです。ターミネーター2のラストみたいですよね。

ではこの映画のどの部分が戦争とつながっているのでしょうか、まず1つには、ゴジラが核兵器の影響で誕生したということがあります。これは単に、戦後に何度となく行われた核実験への批判が込められているというだけではなく、太平洋戦争末期に、日本の広島と長崎に対して原子爆弾が使用されたことへの激しい批判も込められています。映画の中で、「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた」という台詞を述べる女性が出てきます。この一言だけでも、観客は、ゴジラの存在そのものが、広島と長崎で使用された原子爆弾のメタファーなのだということに気づかされます。

ゴジラは東京の広いエリアを破壊しますが、避難した人々は燃える東京の街を見つめて涙を流し、若い男性がなんども「ちくしょー!」と言いますが、これは、私はもちろん当時のことを経験していませんけれども、間違いなく、東京大空襲の記憶をよみがえらせる場面であることは議論するまでもありません。1954年ですから、観客の大半は戦争の記憶を抱えており、当時であれば、誰かに解説されるまでもなく、その場面が東京大空襲を思い出したに違いないのです。また、ゴジラが海へと帰って行った後の東京では怪我人があふれ、ゴジラが残した放射線を浴びてしまった子どもが出てくる場面もありますが、これもまた、原子爆弾を思い出させるものであり、当時としては、非常に生々しい場面として受け取られたであろうと思います。

さて、ここまでの段階でゴジラはアメリカ軍、或いは原子爆弾のメタファーであるとの見方ができることは、まず問題なくご理解いただけると思います。ですが、ゴジラが背負っているものは、それだけではありません。ゴジラは太平洋で戦死した日本兵たちのメタファーでもあると、これまでにも多くの批評家が指摘しています。以下にそれについて、できるだけ簡潔にご説明したいと思います。

日本兵のメタファーであるゴジラは、戦後の復興を楽しむ日本人たちに、戦死した自分たちの存在を忘れさせないために東京湾から上陸してきます。この時、ゴジラは復興している銀座を破壊し、政治の中心である永田町の国会議事堂も破壊しますが、決して皇居へと進むことはありません。

ゴジラの最期の姿も、日本兵たちを思い出させるのに充分な演出がなされています。一つはゴジラという黒い巨大な物体が一度は海面に浮上するものの、再び沈んで行くわけですが、その姿は戦艦大和の沈没を思い出させるとの指摘があります。また、ゴジラの最期の叫び声が非常に悲しいものであるわけですけれども、ゴジラは東京を破壊したにもかかわらず、このような声を出して死にゆくわけですが、これは観客がゴジラを憎むことができないような演出なわけですけれども、ゴジラは多くの戦後に生き残った日本人に対して見せる、戦死した日本兵の姿だと理解すれば、観客がゴジラを憎まず、ゴジラの死に苦しみを感じるように意図したものであると考えることもできるということなのです。

この映画の音楽は日本人の多くが聞いたことのある、迫力のあるものなのですが、重低音で、音が次第に大きくなっていくのですけれども、これはゴジラが次第に東京へと近づいてくることへの恐怖を表現していると言えるのですが、同時に、ここまでに述べたような、激しい恨みを抱いた日本兵の足音であるという解釈が可能であり、そう思って聞くと、更に、この音楽の持つ重みのようなものが感じ取れると思います。

この映画作品は全体として、平和を訴えるものであり、映画の最後の場面で、老いた科学者が今後も第2、第3のゴジラが現れてくる可能性を指摘しているのですが、これは、戦争が繰り返されることへの批判であると受け取ることもできます。

今回はゴジラで考察してみましたが、日本の戦後のあまりにも多くの小説や映画は戦争と関係しており、極論すると、敗戦という非常に大きな経験をした日本で制作された作品の大半は、戦争の記憶から完全に自由になれない時代が長く続いたと言うことも可能です。もしまた機会があれば、違う作品でも論じることができればと思います。ありがとうございました。



少なく無い数の日本人が致命的ではない失敗に対して、非寛容的な態度になりがちなのは、何故ですか?

村八分の文化の名残だと思います。たとえば武士は失敗すると切腹することで過ちをチャラにしてもらい名誉を維持されるということになっていたわけですが、江戸時代、東海道中膝栗毛でも分かるように、町民たちは道徳倫理のために命まで差し出すつもりはなく、弥次喜多の無茶し放題を爆笑しつつ共感するようなメンタリティを持っていたわけですね。つまり江戸時代は武士・町人・農村で価値観や行動規範がばらばらだったと言えると思います。

ところが明治に入り、徴兵制度が始まると、全員にあたかも武士であるかのような厳しい倫理観を持つことが求められるようになっていきます。ですが大半が農村出身者ですから、士道に背いているとみなされると農村的感性で村八分にしてしまう。たとえば捕虜になって帰ってきた人は帰還兵として遇してもらえなかったりするわけです。戦後の援護の手続きをするために役所に行くと露骨に後回しにされ、抗議すると、だってあなたは捕虜だったじゃないかと言われてしまったりしたそうです。

で、戦後になると徴兵もないですし、農村も少なくなって、みんな都市部でモダンな生活を送っているはずなんですが、規範から逸脱すると村八分という感性は21世紀になっても根強く残っており、SNSが発達したために、逸脱した人物がいると国民を挙げて村八分にするという現象に至ったのだと思います。



幸若舞継承者の子孫のお稽古場を訪問させていただいたら、日本史への理解がぐっと深まる経験になった。

評論家活動をしている友人が都内某所の日本舞踊教室へ行くというので、一緒に伺わせていただくことになった。その友人は仕事の一環としてそちらへよく行くそうなのだが、私は完全に役に立たない立場でただの見学者でしかなく、本当に一緒に行っていいのかやや不安だったが、せっかくなので行かせていただくことにした。そしてそれは非常に貴重な経験になった。

幸若舞のお師匠の先生の名前は幸若知加子先生とおっしゃるお方で、その名の通り、歴史ある幸若舞継承者の子孫の方なのだが、普段は若柳恵華先生というお名前でご活躍されているのだという。で、どうしてお名前が2つあるのかという疑問にぶち当たるのだが、まずはその理由を説明するところから、由緒ある幸若舞と日本の歴史の深い関係について述べてみたい。この記事は先生からたくさんの聞かせていただいたお話を基礎として私なりの解釈を加えたものになるため、もし間違っていて、関係される方からご指摘を受ければ内容は訂正したいと思う。

先生にどうして2つお名前があるのかということなのだが、幸若舞はかつて江戸幕府の音曲役として支援を受けて発展していたものの、明治維新になると支援が受けられなくなり、おそらくは新政府から迫害される恐れもあったため、幸若舞の看板は一旦下ろし、表向きは普通の日本舞踊のお師匠様として活躍しつつ、信用できる人たちの間だけで密かに幸若舞が継承されることになったということなのだった。まさに秘伝の舞である。なので先生にも表のお名前と幸若舞の正当な継承者としてのお名前の2つがあるというわけだ。

ここで疑問に思うのは、なぜ江戸幕府が幸若舞を支援していたのかということなのだが、それが、徳川家康の父親が幸若舞の担い手だったというのである。徳川家康の父親といえば松平広忠だが、この人物が幸若舞を担い、家康の腹違いの兄弟が継承していったと言う。つまり徳川将軍家と幸若舞の家元のお師匠様は親戚筋ということになり、幕府の支援・保護を受けていたとしても納得できることではあるのだ。ここで、私はふと、あるところで「徳川家康は源氏の子孫ではなく、家康の実家の松平氏はそもそも猿楽師をしていた」という話を聞いたのを思い出した。もしその人が幸若舞のことをあまりよく知らず、「猿楽のようなもの」という認識だったのだとすれば、幸若知加子先生からおうかがいしたお話と、以前、私がよそで聞いたことのある話は一致する。

長々と沿革を書いてしまっているが、ここからさらに幸若舞の本質に踏み込んでみたい。幸若舞とは天皇家とも関係の深い陰陽道の思想を継承する舞であり、能の源流であり、もしかすると雅楽とも関係のある実に古い踊りであって、北極星・北斗七星をメタファーにした足の動きをするのが特徴で、独特の摺り足をしたりドンと舞台を踏んだりするとのことで、それはお相撲のしこにも通じるものがあるのだということだった。日本で最初にお相撲をとったのは野見宿禰であると日本書紀に書かれているが、であるとすると、幸若舞は日本書紀以前の時代にまでそのルーツを遡って求めることができるということになる。摺り足は空手のような日本武術の基本的な動きであり、時代劇でもうまい人はきちんと摺り足を使って殺陣をするのだから、私はそのとき、日本の伝統芸術の基本中の基本の足の動きを宗家のお師匠様に教えていただいているということになっていたのである。源氏物語からアダプテーションした『葵上』という能の演目では、六条御息所が生霊となって現われて舞台をドンと踏み込んで音を響かせるが、これも源流は同じであろう。北極星は道教で天皇大帝とも呼ぶので、日本の天皇という称号の源流である可能性が極めて高いと思うのだが、それを表現する足の動きを幸若舞が継承しているのだとすれば、ここは完全に私の推測になるのだが、幸若舞は天皇家のための呪術を担っていた可能性が高いのではないだろうかと思えた。陰陽道は遅くとも天武・持統の時代には確立されていたため、幸若舞は飛鳥時代にまで遡ることができるということなのだ。

さて、私の脳裏に、陰陽道と関わりがあり、かつ徳川家康とも関わりのある人物の名前が頭にふと浮かんだ。織田信長である。信長は本能寺で自害する前に「敦盛」を舞ったことで知られていて、これは当時、本能寺から生き延びた女性たちの証言が残っているため、まず間違いなく「敦盛」を舞ったに違いないのだが、この「敦盛」は幸若舞なのだという。で、故竹内睦泰氏が語ったところによると織田氏は忌部氏の子孫であり、忌部氏とは中臣氏などとともに朝廷の祭祀を担当した家柄であるため、当然、陰陽道とも関わりがあることになる。だとすれば、織田信長は忌部氏の子孫であり、陰陽道に関する知識も豊富であったということになり、陰陽道の精神を継承する幸若舞とも深くつながっていたのだから、人生の最期に幸若舞のレパートリーである「敦盛」を舞ったということは納得できるのだ。信長と家康は今川義元を殺した後で清州同盟を結ぶことになるのだが、そもそも信長が忌部氏から続く陰陽道の継承者で、松平氏が幸若舞の継承者であったとすれば、今川義元がいなくなった後の時代の東海地方で両者が同盟を結ぶのはごく自然なことであるとも言えるだろう。私の完全な妄想だが、もしかすると信長と家康は幸若舞の人脈を通じて以前から密かに連絡を取り合って居り、桶狭間の戦いで今川義元が殺されたのも、今川の武将として戦いに参加していた家康が信長に協力していたからではなかろうか…などと私は妄想してしまった。だとすると幸若舞はギルドのネットワークみたいな感じで影響力を持っていたかも知れないのである。

以上までに述べたことが全て本当だと仮定した場合、これまでとは日本史に関して見えてくる景色が違ってくる。日本史に関わる理解もいろいろと変更されなくてはならなくなるかも知れない。実際、長い日本の歴史を通じて構築された複雑な人間関係・血脈・宗教的つながり、芸術的つながりなど、複数のルートで人はつながっていて、教科書に書かれている歴史はそのほんの上澄みをなぞっているに過ぎないに違いなく、いろいろと探れば関係者だけが密かに継承している歴史・事象・伝承などがたくさんあるに違いないと私は思ったのだった。

幸若知加子先生は、東京コレクションで「敦盛」を舞った時の動画を見せてくださったのだが、その時の先生が謳った「人生五十年」は軽やかな歌声でありながら、少し物悲しい、うまく表現できないが小さな女の子が「通りゃんせ」を歌っているような印象のものだった。数多のドラマや映画で信長が敦盛を舞うシーンが入れ込まれて来たが、どれも気合の入った野太い声の「敦盛」が多く、幸若知加子先生の動画の歌声とは全然印象が違う。人生の最期にあの信長が舞ったのだから、より迫力が出るように演出に力が入ったのだとは思うが、信長の肖像画を見れば、かなり繊細な性格であったことが想像できる。実際には幸若知加子先生の舞のように、もっと軽やかで、悲しげで、品性を感じる舞いだったのかも知れない。



国家というのは結局のところ国籍を持つ国民のためのシステムであって、税金を対価に様々なサービスを得られるという程度のものでしかないように思えるのですが、どうお考えになりますか?

近代国家は憲法に基づいて運営されるわけですが、その憲法には理念や価値観が書き込まれているわけですね。それはフランスの自由平等博愛であったり、アメリカの王権に対する抵抗であったり、中華民国の民族主義であったり、明治日本の天皇であったり、現代日本の平和主義であったり、いろいろあるわけですけど、国民はその理念を共有し、国家が理念通りに仕事をしているかどうかを監視していくことになるという体裁になっているわけです。そのように考えると、公共サービスを評価する際も、憲法の理念に適っているのかどうかが重要であるため、たとえば日本であれば、とある公共サービスは基本的人権の保障に適うのかどうかが議論されなくてはならないみたいなことになってきますし、そういう理念・価値観がなければいかなる公共サービスも、それがいいサービスなのかどうなのかについて評価する基準を失ってしまいます。また、公共サービスを維持するためには税金払うどころか兵隊にもならなくてはいけないような国もあるわけですね。

以上のようなわけですので、国家は税金を対価として公共サービスを提供する程度のシステムなのではなく、何が良い公共サービスなのかを決める、理念・価値観を統制するシステムであり、システムの維持のためには時には流血を求めることもあるほどに厳格なシステムであるということが言えるかなと思います。

尚、最近はGAFAMのように国家をも凌駕する企業が登場してきましたから、今後、しばらくの間は、価値観を決めるのは誰なのか、それは国家なのかgoogle様なのか、のようなせめぎ合いが続くのではないかと思います。



英会話を短時間でマスターしたいです。時間はたくさんあります。出来る限り家で可能な方法が良いです。おすすめはなんですか?

朗読してください。可能な限り徹底的に朗読します。朗読の材料は街で売っている問題集、TOEICやTOEFLなどに対応した英文集のようなもので充分です。単語も覚えなくてはいけませんので、単語集を買ってきて朗読しましょう。単語の場合、完全に覚えきったものは本に直接斜線を引くなどして除外しても構いません。その覚えたはずの単語はまた忘れてしまうこともありますが、単語集を3,4冊こなすと、そのようなもれおちもだいぶなくなります。どういうわけかリスニング力も向上してきますので、朗読しない時はyoutubeでCNNなどのニュースを見るのが良いでしょう。英語コンテンツを見ていると、英語ネイティブの作ったオタク動画、政治評論動画、おバカ動画などがあなたへのお薦めに出てくるようになります。AIがあなたを英語ネイティブなのかな?と認識し始めているということになりますから、そのままそのように認識してもらい、私たちが日本語のゆっくり動画を見たりするのと同じような感覚で英語の「犬が好きな人にしかしないことトップ10」とか、「モテる仕草5選」みたいな動画を見て普通に楽しむような段階まで行ければ大丈夫と思います。半年から一年そのような生活を送ると、かなり良くなると思います。以前はTOEICやTOEFL、英検などを目標に置くのがいいと思っていましたので、そのように目標を持つと、わりとスパルタ風に勉強することになるんですけど、1年もそんなスパルタ生活を送るのはちょっと大変ですので、楽しむということに重点を置くのがいいのではないかなと最近は思うようになっています。



経済学的に有利な旅行先といったらどこでしょうか?

貧しい国です。以下に理由を述べます。

マルクス経済学の観点に立てば、貧しい国に行き寄付をするなどして貧しい人に分配しなくてはいけませんから、貧しい国に行くことは正しいと言えます。但し、消費して楽しむことは悪徳になりますのでお勧めできませんし、革命で打倒される可能性もありますから、用心が必要です。とはいえ、経済学的には打倒されることが正しいということになります。打倒されるために貧しい国に行ってください。

一方で、自由主義的な経済論理で考えるとすれば、やはり貧しい国が正しいと言えます。貧しい国に行き、贅沢をして楽しみ、トリクルダウンを起こして地域の人たちの生活を豊かにするのです。革命で打倒される恐れはありませんが、ぼったくられる恐れはありますけれども、この考え方で行けば、金持ちがぼったくられることはトリクルダウンの果実をより大きくする現象だということができますので、是非、ぼったくられてください。フリードマンが世界はフラットになると言いましたけど、それは上に述べたような現象により貧しい地域が豊かになって産業発展するからなのです。

さて、もう一つ、カレンシーから考えてた場合、貧しい国は大体カレンシーも弱いですから、世界でも特に信用力の大きい日本円をばらまいて贅沢してください。それは正しいことです。

最後に、ご質問者様のご質問内容はかなり意味がよく分からない感じのものだと思わざるを得ないのですが、真剣にお答えしている私は、一円の得にもならないので、経済学的には間違っていますが道徳的だなあと思い自画自賛でございます。しかしながら、このような行為もまたギフトエコノミーの概念で説明できるかも知れないので、もしかすると私は今、ギフトエコノミー経済学の観点から言って正しい行為をしているのかも知れません。お後がよろしいようで。