JR藤沢駅構内のカレーステーション

中曽根政権期、国鉄が解体され、JRという新しい鉄道会社が誕生した。国鉄は国営だったが、JRは民営である。そのため合理的な経営が図られることが期待されるようになった一方で、それまで国鉄で働いていた多くの労働者が不要になるとの見通しがあり、まさか会社の経営が変わったのであなた辞めてくださいというわけにもいかず、人材をいかに活用されるかが議論の対象になった。国鉄には極めて協力な労働組合である国労があり、中曽根首相(当時)の狙いは、国労の解体にあったとの見立てもあって、それはそれで説得力のある見立てであるとは思うのだが、ここではそこには踏み込まず、人材活用の方に光を当てたい。

国鉄で労働者として勤務し、JRになってから行き場をなくしてしまった数万人規模の労働者の人たちは、JRの多角的経営というか、副業みたいな場へと異動させられていった。私の記憶が間違っていなければ、売店みたいなところとか、テーマパークみたいなところとかへ異動があったように思う。そして、そうしたJRの副業と人材活用の一環に、レストラン業があって、その一環としてJR藤沢駅にもカレー屋さんが作られたのである。

消費者の立場としては、カレー屋さんで働いている人が元国労かどうかということは関係がない。もともと鉄道の仕事をしていた人かどうか、そういったことはどうでもいい。問題はおいしいかどうかである。当時、まだまだ若かった私にとって、JR藤沢駅のカレーステーションは、ショッキングなくらいに私の心を揺さぶった。要するに、この駅のカレー事業は大当たりで、私は非常にこのお店を気に入り、一時は足しげく通ったものである。繰り返すが、私は決して、働いている人に同情して通ったのではない。駅で気軽にカレーが食べられるというコンセプトに感激し、実際にカレーもおいしいから、ますます感激の度を強め、通ったというわけだ。

最近、久々に立ち寄ったので、記念にカレーの写真を撮り、ブログでも記事として残しておきたい。安くておいしいカレーが通りますよ♪



大磯と近代

大磯を歩いてきた。大磯は興味深い場所だ。まずなんといっても風光明媚だ。天気が良ければ富士山が見えるし、そのような日は相模湾の向こうに伊豆大島も見える。景色に占める海と山、人の世界のバランスが絶妙で飽きない。海岸に出て右手を見れば伊豆半島で、左手を見れば江ノ島と三浦半島が見える。これほど贅沢な景色のあるところは日本中探してもそうはあるまい。

そしてもう一つ、おもしろいのは近代に入って別荘地として大磯は人気が高かったことだ。たとえば西園寺公望は大磯に本格的な洋館を建てた。もともとが幼少期のころの明治天皇の遊び相手で、明治・大正・昭和と政界に鎮座し、元老という実質最高権力者の位置に立ち、昭和天皇のアドバイザーというか教育係みたいな人物だった西園寺は、長いフランス生活から帰った後、しばらくの間、大磯で生活した。

旧西園寺公望邸

西園寺邸よりももう少し二宮方面へ歩くと、吉田茂邸もある。吉田茂は大磯で生涯を閉じた。彼の邸宅は見事なもので、まるで高級旅館である。このほか、原敬、大隈重信、西周、伊藤博文とビッグネームが並ぶ。そして私は山県有朋の名前がないことに気づいた。山県は小田原で別荘を構えていたが大磯には別荘を持っていなかったということなのだろう。で、漠然とではあるが、あることに気づいた。明治から昭和初期にかけての政界は、厳密にではないにせよ、ある程度、漠然とではあっても、小田原派と大磯派に分かれていたであろうと言うことだ。
旧吉田邸
小田原にいた山県有朋は政党政治を重視せず、超然内閣路線の支持者だった。戦前の帝国憲法では議会に勢力を持っていない人物が首相に指名されることは制度上可能だった。山県は議会の意向を無視した、すなわち、超然とした内閣が組閣されるべきとした政治思想を持ち、国民から嫌われまくって生涯を終えた。

一方、山県とはライバル関係にあった伊藤博文は党人派だった。伊藤の時代に政党政治はまだ、やや早すぎた可能性はあるが、伊藤の理想は現代日本のように、選挙で選ばれた議会の人物が首相になり、議会と行政の両方を抑えて政策運営をすることだった。イギリス型議会政治を目指したと言ってもいいと思う。この伊藤の理想を大正時代に入って実現したのが、初の平民宰相として歴史に名を遺した原敬であり、首相指名権を持つ元老は議会の第一党の党首を自動的に首相に指名する「憲政の常道」を作り上げた西園寺公望だ。伊藤博文、原敬、西園寺公望のような政党政治派の人材がこぞって大磯に別宅を構えたのは偶然ではないように私には思えた。おそらく一時期、大磯派の、即ち党人派の人物たちは東京から離れた大磯で密会して意思決定していたに違いあるまい。

もっとも、それはあまり長くは続かなかった。伊藤は暗殺され、原敬は鎌倉の腰越に別荘を移した。原はその後東京駅で暗殺されている。西園寺も大磯を離れ、昭和期は静岡県で過ごしている。東京から遠すぎるので、226事件の時、西園寺は無事だった。いずれにせよ、党人派はバラバラになってしまったわけだが、その現象と戦前の政党政治の失敗が重なって見えるのは私だけだろうか。もちろん、樺山資紀みたいな党人派とか超然内閣とか関係ない人も大磯に別荘を持っていたので、私に垣間見えたのは、そういった諸事のほんの一部だ。

大磯はそういった近代日本の縮図の一端を垣間見せてくれる土地であり、やはり風光明媚なことに変わりなく、都心からもさほど離れているわけではないということもあって、非常に魅力的な土地だ。できれば私も大磯に別荘がほしい。ま、それは夢ってことで。



さようなら、ラーメン

最近、あちこちの、いろいろなラーメン屋さんを訪れてみて、自分なりのとある結論にたどり着いてしまった。それは、おいしいラーメン店はあんまり多くないということだ。これは世界一のラーメン大国である日本のラーメン店がおいしくないはずがないと信じていた私にとって、かなり驚愕すべき結論なのだが、やむを得ない。実感に基づく結論なのだから。少々、海外生活が長かったことがあって、日本のラーメン店はやや疲れる。店員さんが早口なので、何を言っているのかよく分からないときがあるし、そもそも最初の訪問では麺の硬さとか普通でお試しするに決まっているのに、硬めにしないなんて素人…という目で見られた日には、私としてもやや受け入れがたい心境になる。

それよりも、何よりも、日本に帰ったらいろいろなラーメンを食べ歩きたいと念願していたのだが、私の味覚が変わってしまったのか、それとも期待が過大過ぎたのか、おいしいラーメン店は想像していたほど多いわけではなく、ラーメンの食べ歩きはお金と時間の無駄であり、健康を害する可能性が上がってしまうという悲しい結論に達してしまったのだ。

たとえば、藤沢駅近くの横浜家系ラーメンは味が濃いだけで、麺も良くなく、おいしくなかった。

藤沢駅近くの横浜家系ラーメン。味が濃くて麺がぐったりしており、おいしくなかった。

鎌倉の某歴史ありそうなラーメン店も、申し訳ないがおいしくなかった。

鎌倉の某歴史ありそうなラーメン店のラーメン。麺が伸びていて悲しかった。

このほか、二子玉川の高島屋の裏の某九州ラーメンも伸びていておいしくなかった。果たして10年前、訪れた際、こんなにおいしくなかっただろうか…と過去の思い出を再点検しなければならないような心境になった。足を運ぶラーメン店が多ければ多いほど、がっかりすることが多くなってくる。要するにリピートすべき真実に嬉しいラーメン店は限界があるということだ。悲しいが、だったら、今後は、もう新しいラーメン店を開拓するのはやめておこうと私は思うようになった。

おいしいラーメン店は存在する。下高井戸の大であったり、湘南海岸の一風堂などは素晴らしいラーメン店だ。今まで一度もブログで書いてはいないが、長後駅近くのラーメン店も素晴らしい。だが、そういうお店は少ない。全体の二割程度ではなかろうか。過去、タバコをやめ、お酒をやめた私は、ここで宣言する。ラーメンも卒業であると。ありがとうラーメン。そしてさようなら。

ラーメンの名誉のために述べるとすれば、私がビーガンとか菜食主義に関心が向き始めているので、肉と合う食事に関心が向かなくなりつつあることもあるかも知れない。だとすれば、ラーメンが悪いのではなく、私が悪い。今後は菜食や発行食など、健康生活に関する話題を多く扱っていきたい。そのうち肉を食べなくなると思うが、魚をやめるまでは少し時間がかかるかも知れない。繰り返す。ありがとう、そしてさようなら、ラーメン。


ランドマークプラザの新感覚ラーメン店AFURI

先日、エコールドパリの展覧会を見るために横浜美術館へ行った際、ランドマークプラザで昼食をとろうと思い立ち寄った。横浜でも最もおしゃれで楽しい集客力のあるエリアであるため、いろいろなお店が入っているのだが、以前から気になっていたラーメン店であるAFURIに入ってみることにした。そして、このお店が新感覚のラーメン店であるということに気づいた。

どのように新感覚なのかというと、まずはフレンチカフェバーかと目を疑いたくなるような白を基調とした明るい店内が挙げられる。ラーメン店といえば普通はやや薄暗く、いい意味でぎとぎと感があり、その雰囲気が客を誘うというようなものだが、このAFURIはそれを拒否しているということが私にはよく分かった。新感覚の何かを消費者に提供しようとしているし、お店としては、それが理解できる人にだけ来てほしいという思いもあるのだろうし、今後はそうお客が増えるという確信も持っているに違いないとすら私には思えた。メニューには、ビーガン向けのラーメンもあり、私は食べなかったので、上手に想像することができないのだが、ビーガン向けのラーメンが現実問題として可能なのだろうかという大きな疑問が生まれてくるとともに、自信を持ってメニューに載せている以上、それは実現したのだろうし、そのことについて私は驚嘆した。私もいずれはビーガンになりたいと最近思い始めているので、これは重要な要素なのだ。何年かかけてビーガンになると思う。とてもすぐには無理ではあるが。

厨房には女性のスタッフが目立った。ラーメン店は通常、男の世界だ。体育会系のちょっとこわもてなお兄さんが元気よく声を出してラーメンを作ってくれるのがラーメン店の醍醐味みたいなところがあって、客はお兄さんの指示に全面的に従うという、ややマゾ的要素が強いのがラーメン店である。個人的な信念としては、成功する人間にはある程度マゾ的要素が必要だと思っているので、ここで述べていることは誉め言葉なのだが、AFURIはそこからも脱却しようとしている。カフェレストランみたいな感覚で、ビーガンも安心して入れる新感覚のラーメン店を彼らは目指しているのだ。

さて、おいしいかどうかは重要な問題なのだが、ちょっとぬるかった…そして、やや麺が伸びていた…。ラーメンを食べに入って、ラーメンがぬるくて麺が伸びている時の心理的ショックはかなりのものだ。厨房であたふたしている様子が見て取れたので、もしかするとたまたま私のラーメンだけそうだったのであって、他のお客さんのラーメンはそうではないのかも知れない。ならば偶然なので、仕方がないが、もしいつもそうなのだとすれば、改善できるポイントなのではないかと思う。いずれにせよ、これからの新感覚ラーメン店なのだから、見守りたい。



エコールドパリとギヨーム

先日、横浜美術館で開催されているルノワールと12人の画家たちと題された展覧会へ行ってきた。大人1枚1700円で、最近の展覧会は大抵の場合、結構な金額がするため、うかがうかどうかについて、やや慎重になってしまう。個人的な展覧会選択基準はテーマが絞り込まれているかどうかということが注目ポイントで、ここがしっかりしていれば一本の映画をみたり、一冊の本を読んだりしたのと同じくらいの感想を得ることができ、いい勉強になった、得難い経験だったと思えるのだが、絞り込まれていなければ、単なる陳列であり、あまり勉強にならずにがっかりしてしまうといったあたりを気にしてしまう。で、今回はルノワールと12人の画家たちなので、タイトルだけみればぼやけている。ルノワールなの?それともいろんな画家たちなの?は?となるのだが、オランジェリー美術館の収蔵品をかなりまとめて持ってきてくれた展覧会だということだったので、やっぱり行くことにした。そして、美術館向かう電車の中で、あ、これはエコールドパリの画家たちがテーマなのだなと気づいた。最初からエコールドパリとしてくれれば良かったのに、とも思ったが、ルノワールという名前に集客力があるのだから、なんとかルノワールという言葉を展覧会の正式な名称に入れ込みたかったのだろうと企画された人たちの考えていることを想像したりしてみた。

で、エコールドパリの仕掛け人が誰なのか、この展覧会では分かるようになっている。エコールドパリを直訳すれば、パリの学校という意味になるが、この場合、パリの画家たちの集まり、パリの画壇、パリ派などの意味で使われる。映画人のニューヨークスタジオとか、政治の世界の吉田学校とか、外務省のチャイナスクールとかと似た感じだと思えばいいのではないだろうか。で、このエコールドパリを仕掛けた画商がポール・ギヨームという人物なのである。私はポール・ギヨームなんて人のことは全然知らなかったし、過去にオランジェリー美術館には何度も足を運んだし、バーンズコレクションとか見に行ったりして印象派の絵は見慣れているはずなのに、或いはバルビゾン村まで出かけて、バルビゾン派の絵についても多少の理解はあるつもりだったのに、このポール・ギヨームのことを知らなかったというのは、われながら勉強不足を認めざるを得ない。

で、どうしてこのギヨームなる人物が仕掛け人と私が断定しているのかというと、今回の展覧会ではセザンヌとかモディリアーニとかマティスとかいろいろな人の絵が展覧されているが、複数枚、ギヨームの肖像画が展示されていた。企画の人が、裏テーマはギヨームだよ。本当の主役はギヨームなんだよと、私に語り掛けているようにすら思えた。たとえば、ゴッホはタンギー爺さんという絵で画商の肖像画を描いている。画家にとって画商のプロモーションは極めて重要なことで、多分、画商が神様みたいに見えてくるので、画家としてはその人の肖像画を描かざるを得ない心境になるのではなかろうかと想像してしまった。実際、ゴッホはその死後に弟のテオの奥さんがプロモーションをかけたことで、きわめて高い評価を得るに至ったのだから、絵の力量だけでなくプロモーション力の重要さは強調しても強調しすぎることはないだろう。

そういうわけで、今回の展覧会では、ポール・ギヨームなるパリの画壇の黒幕がいたことを知れたことは個人的にはとても勉強になったのであります。ルノワールの女の子の絵とか、そういうのもたくさんあるので、美術史がどうこうとか、画壇がどうこうとかみたいな絵の周辺的なことよりも、絵そのものを楽しみたいという人にとっても充分見ごたえのある展覧会だったと思います。1920年代、30年代の作品が多く、第一次大戦後のいわゆる戦間期、フランスの隣国であるドイツではナチスが台頭しようとするきな臭い時代に描かれたと考えて見学すれば、絵画の持つ臨場感が更に大きくなるのではないだろうか。



江ノ島の児玉神社の28センチ榴弾砲

お天気のいい日はどうしても江ノ島に行きたくなる。特に冬はそうだ。短い日照時間を利用して外を歩き、美しい自然に触れて体調や情緒を整えることは現代人にとっては特に必要なことのように思える。私のようなそもそも情緒不安定になりがちな、原因不明な体調不良を起こし勝ちな人物なら尚のことだ。たとえばしばらく抑うつ感の強い状態が続いて寝込んだりしてしまうと、セロトニンのレセプターが減少しているはずなので俄かに運動や散策をしても気分が晴れるとは限らない。日々、気分が晴れる運動を続けることでレセプターが増え、セロトニンを取り込むことがやりやすくなり、いろいろな不調は改善しやすくなる。独自の健康に対する理論だが、さほど間違ったところを指しているとは思わない。2020年のお正月期間、江ノ島に日参して実感していることだ。ゴーン逃走についても、江ノ島で考えたし、山口敬之氏と伊藤詩織さんの裁判のことについても江ノ島で考えた。

以前は江ノ島へ行くと言っても江ノ電小田急の駅を降りて江ノ島の見える海岸までたどり着いたことで満足していたのが、何度も通ううちに島へ渡るだけの気力と体力が得られるようになり、更に上へ上へと昇っていく気力と体力も生まれるようになり、そして遂に、ちょっとマニアックなスポットともいえる児玉神社にたどり着くことができた。身近なところに児玉神社。驚きである。

明治新政府は古事記・日本書紀をベースにし、キリスト教を参照して明治天皇を神格化することに腐心したことの一端については、聖徳記念絵画館に関する記事で述べた。明治新政府は新しい神話体系を作ろうとしていた。明治神宮、東郷神社、児玉神社、靖国神社のような場所が存在するのは近代以降の人もまた神になれるということを示し、近代化後の神話体系の確立が進められたことの証左であると言える。本当に児玉源太郎が神なのかどうかは問うても意味はない。そういうことは関係なく、近現代史マニアとしてはシビれる。

特に、28センチ榴弾砲の砲弾が展示されているとなれば、しびれないわけにはいかない。日露戦争の203高地攻防戦はバルチック艦隊の到着以前に完了させる必要があったため、目に見えない締め切りに追われる戦争だった。児玉・乃木コンビは当初、兵力を犠牲にすることを覚悟で行った強襲突撃によって突破しようとしたが、最先端近代兵器である機関銃に前進を阻まれ、あまりの戦死者の多さに戦慄した。まさかこんなことが起きるとは想像もしていなかったのだ。司馬遼太郎は多大な犠牲者が出た責任を乃木に求めているが、必ずしも正確ではない。児玉源太郎もうっかりしていて、乃木の窮状に気づくのが遅かった。彼らは日清戦争の時と同様に、気合と統率でなんとかなると思い込んでいたのかも知れない。乃木がどうしていいのか途方に暮れてしまい、攻めるに攻めあぐねる状況に陥ってしまったとき、満州方面の主戦場で指揮を執っていた児玉源太郎が短期間、旅順方面に出張してきた。児玉は当事者能力を半ば失っていた乃木に代わり、作戦を指揮して内地から届いた28センチ榴弾砲を使用して203高地を猛爆し、突破口を開いた。

あまり称賛すると思想的に偏っていると思われてしまうので、この辺りにしておくが、上記のエピソードにはしびれざるを得ない。要するにどうしていいか分からなくなってしまったが、なんとかしなければならないという絶体絶命の時にトリックスターの如くに現れた児玉源太郎がさっと指揮をしてなんとかしたのが203高地と28センチ榴弾砲のエピソードというわけなのだ。児玉神社という言葉の響きからは、困ったときになんとかしてくれそうな霊験がありそうな気がするではないか。本当に霊験があると思って頼ってしあったらオカルト主義者みたいに思われてしまうが、霊験がありそうに思えるだけならセーフだ。

そういうわけで、児玉神社に28センチ榴弾砲の砲弾が展示されているというのは、それは正しく児玉の「なんとかする」パワーの象徴であり、まことにふさわしいのである。



聖徳記念絵画館に行ってきた

明治天皇の人生を日本画40枚と西洋画40枚で表現した聖徳記念絵画館は、知る人ぞ知る近現代史探求のおすすめスポットだ。ここでは3つの観点から、日本近現代史を理解・考察するための材料を得ることができる。まず第一は建物だ。大正中期に建設が始まり、大正末期、昭和が始まる直前に完成している。従って、日本近代がいよいよ成熟しようとする時代の息吹がこの建物には宿っていると言っていいだろう。どういうことかというと、明治時代の和洋折衷建築は木造が中心で、昭和の近代建築は鉄筋コンクリートみたいになっていくのだが、大正期は石を多用しており、昭和に近づけば近づくほど、コンクリートの要素が大きくなるが、この建物のような場合だとそのあたりの流行の変化を取り入れつつ、石もコンクリートも用いているわけで、日本郵船の横浜支店よりはやや古いと思うのだが、やや古い分、石の分量が多いというあたりに着目すればより興味深く観察することができるだろう。アイキャッチ画像では建物の中心部分のみ撮影している。検索すればすぐ出てくるが、多くの場合、この建築物は正面から撮影されており、左右対称のシンメトリーに注目が集まる。実際に行ってみて、正面から印象を確認してみるのもいい経験になるはずだ。

日本郵船歴史博物館の天井
日本郵船歴史博物館の天井

さて、次の楽しみ方としては、当然、絵の内容である。明治天皇の前半生は日本画で描かれており、生誕、元服、即位などの様子が宗教画の聖母子像の如くに神々しくかつ具体的に描かれている。これらの絵が描かれたのは後の時代になるものの、記憶している人が多くいる時代に描かれたものであるため、その記録性は高い。中には徳川慶喜が二条城で大政奉還をしたときの絵、教科書に出てくるあの有名なやつとか、勝海舟西郷隆盛の江戸薩摩藩邸での会見の様子を描いたものとかもあってとても興味深い。

徳川慶喜と大政奉還
徳川慶喜が二条城で大政奉還の意思決定をしている時の様子を描いた絵

実際に二条城に行ってみると、その時の様子が人形で再現されていて、それはそれでおもしろいが、かえってリアリティを損ねており、実感が伴わない。一方で、この絵の場合、実際の記録や関係者の記憶を集めて再現しているため、当時の様子を想像しやすい。司馬遼太郎は『最後の将軍』で、将軍という高貴な人が陪審と顔を突き合わせることはないから、慶喜は別室にいたとしているが、この絵を見る限り、思いっきりみんなの前に登場しているし、相当に情報収取して描いているに違いないのだから、おそらくこのような感じであったと考えて差し支えないのではなかろうか。慶喜が大政奉還したその日に薩摩・長州・岩倉グループによって討幕の密書を得たが、幕府が消滅したのでそれが実行できなくなったと言われていて、慶喜の智謀の深さを示すエピソードになってはいるが、当日は薩摩の重役小松帯刀が二条城に来ていて、積極的に大政奉還賛成を唱えたという話もあるし、小松帯刀は病死さえしなければ新政府の重鎮、場合によっては総裁にすらなっていたであろう人物だということも考えると、どうも慶喜によるフェイントで薩長立ち尽くした説にはなんとなく信用できない面があるのではないかという気もしてくる。こういったことは記録的な面で信憑性の高いこの絵画をじっと立って見つめることで気づいてくることなので、その一事をとってみても、実際に足を運ぶことには大きな意味があると言えるだろう。

西郷隆盛と勝海舟の会見は三田の薩摩藩邸で行われたため、三田に近い田町駅には両者のレリーフを見ることができる。このレリーフは聖徳記念絵画館の絵を参照して作られたものに違いない。西郷隆盛の顔は写真の顔によく似ており、一部に流れる西郷隆盛の写真は別人説を吹き飛ばす威力を持っている。繰り返すがここの絵は記録性を重視しているため、描き手は登場人物の顔について、相当に情報収集しているに違いなく、顔を見て知っている人からも情報を得た上で描いているのだ。田町駅のレリーフはそのうち写真を撮ってくるのでしばしお待ち願いたい。

さて、3つ目の楽しみ方だが、それはなぜ、このように明治天皇の人生を記録することを目的とした美術館が存在するのかについて推理することだ。実際に訪問して見てみれば分かるが、明治天皇の人生を辿るということにはなっているが、その辿り方はあたかも福音書のイエスの生涯を描く宗教画の如くにドラマチックで威厳に満ちており、記録性と同時に物語性も重視して描かれた絵が並んでいる。

伊藤博文や山形有朋のような元勲たちは、明治天皇を新しい日本という神聖な物語の主人公に置くことによって、新しい日本神話的帝国を建設しようとしたことと、それは無縁ではない。伊藤たちは新しい神話を必要としていた。それは古事記・日本書紀をベースにしていはいるが、西洋のキリスト教の如き原理原則・プリンシパルを堅持することのできるパワーを持つものでなくてはならず、それだけの説得力を持ち合わせるのは、彼らの持つカードの中では明治天皇しかなかった。従って、新しい都市である「東京」では、明治天皇の神話をもとに国民国家の首都になる必要があったため、皇居・明治神宮・靖国神社などの神聖スポットを建設することにより、近代東京が天皇の首都であるとする演出の舞台になっていったのだと理解することができるだろう。皇居に行った時、近代天皇制は徳川の遺産の上に近代的官僚制度が作り上げた幻影みたいなものだという印象を得たが、幻影を担保するために周辺諸施設が建設されたと考えても間違っているとは言えないだろう。一応、誤解のないように申し述べておくが、私は近代天皇制度は支持している。

いずれにせよ、以上のような理由で近代日本を理解するのに、非常にお勧めなのが聖徳記念絵画館なのである。



代々木の学金ラーメン

学金ラーメン店は気づいたときには既に存在していたので、相当な歴史のあるラーメンのお店なのだと勝手に解釈している。ただ、以前はなんか名前が違ったような気もするが、或いは考え過ぎで、最初から学金ラーメンだったのかも知れない。私の頭の中では、当初「九州ラーメン大学」みたいな名前だったのが、いつの間にか、学金ラーメンになったように思えるのだが、人間の記憶なので頼りにならない。無意識のうちに記憶は編集されてしまう。

いずれにせよ、私がこのラーメン店に入るのは実に数年ぶりのことなのだが、とても混んでいて人気のほどがよく分かった。なぜかくも人気があるのかと問えば、それは兎にも角にも美味しいからで、九州ラーメンの豚骨味は東京ラーメンを圧倒し、日本全国を席捲しているようにすら見える。

九州ラーメンなのだから、言うまでもなく麺は細麺であり、細麺である以上、麺の硬さは普通よりも硬めが理想であると言える。もちろんバリカタ、ハリガネを注文する猛者もいるが、短時間でささっと食べ終えるのが原則だとすれば、スープを吸って柔らかくなるのを待つ時間が長すぎるのもまたあまりよろしくないのではないかという気がする。従って、麺の硬さはやや硬い状態で注文する、「硬め」がやはり理想なのだと個人的には考えている。

さて、今回は「らーめん」を注文したのだが、お店の券売機には一番売りたい商品として「学金ラーメン」が大きく前面に押し出されていた。やや高いが、具の豊富さに私は圧倒されそうになった。とはいえ、麺とスープを楽しむのがメインであるのだから、具の多さに誘惑される理由はないと私は思い定め、決心し、お値段的にお得な「らーめん」にしたのであり、決してお金がないとか、貧しいとか、けちったとか、そのようなことではないのである。繰り返すが、決してそのようなことではない。

いずれにせよ、長年代々木の一番いい場所で営業している学金ラーメンは称賛と尊敬に値するのだから、今回、訪問した記念にこのブログでも称賛と敬意を表したい。



立って食べるお寿司をあなどってはいけない話

私の知る限り、都内には立ってお寿司を食べるお店二軒ある。このお店に共通しているのは、人通りの多い、競争の激しい、維持費のかかる場所で営業されているということだ。

前にもこのブログで書いたことがあるけれど、お寿司は難しい。客の立場としても難しいし、お店を出す側としても難しいだろう。ちょっと寂れたところのカウンターのお寿司より、断然人通りの多い回転ずしの方がおいしい。やはりいかなるサービスも何かに安住してしまって進化を止めてしまうと魅力をなくしてしまうものなのかも知れない。地方の寂れたお寿司屋さんだと、常連のお客さんが飲みに来ることで稼いでいるので、肝心のお寿司は明後日の方向になってしまっていて、一見の客がうっかり入ってみようものなら、トラウマ的にがっかりすることになる。地方とは限らない。都内や横浜でも、安住してしまっているところはがっかりな場合が結構ある。お店の看板とか店構えとか、そういうのを見るとそのあたりもだいたい分かる。

それはそうとして、立って食べるお寿司の場合、個々の客が場所を取らない。無駄に長居しないので客の回転がいい。結果、より安い値段でよりよいお寿司が提供できるというモデルになるらしく、私の知る二軒の立って食べるお寿司屋さんはどちらもとてもおいしい。

一軒は品川駅構内の立って食べるお寿司屋さんで、ここは通勤とか仕事中とかで立ち寄る人を当て込んでいるため、結構みんな味にはうるさい。居酒屋だったらごまかせるところが、昼間に来るのでそうもいかない。ネタはみずみずしく、シャリも硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどよいのである。要するにおいしい。ちなみにここではしめは葉ワサビだ。

もう一軒は渋谷にあって、やはり商業の激戦区なのだから、当然のごとくレベルを維持している。近くには有名チェーンのお寿司屋さんもひしめき合うのだが、こちらの立って食べるお寿司屋さんは客一人あたりのスペースが少なくていいことと、みんな長居しないので回転が良くなるため、小さな店舗で充分に営業できているらしいように見受けられる。ただ、働いている人がころころ変わるので、内実はちょっと厳しいのかも知れないが、お寿司を食べてがっかりしたことは一度もない。しめに赤エビを食べて頭をあぶってもらってお味噌汁にしてもらえるのは人生で何度も味わえるわけではない至福の時間になるのである。

渋谷の立って食べるお寿司屋さんで出していただいた、赤エビの頭の炙ったのを入れたお味噌汁。香ばしくてすばらしい。

お寿司屋さんに行って卵焼きを注文すれば、お店のレベルが分かるというある種の都市伝説がある。お寿司屋さんの板前さんは、この都市伝説に従って、まずは卵焼きを注文する客をひどく嫌うらしい。卵焼きはテリー伊藤の実家みたいな仕出し屋さんに頼めばいいわけだからお店で焼いているとは限らず、というか明らかに自分のところで焼いていない感じのお店も多いため、卵焼きでお店の味のレベルを測るというのはそもそも無理があるように思える。卵焼きが好きなら別にいいが、そうでなければ敢えて注文する必要なく、好きなものを頼んで食べればいいのではないかという気がする。好きなものを頼んでおいしくなかったら正々堂々と出て行けばよいのだ。個人的にはお寿司はネタももちろん大切だが、相当程度にシャリによって決まってくるのではないかと思う。硬すぎず柔らかすぎず、お酢の加減やシャリの切り加減など。これを細かに言い出すときりがないようにも思えるし、毎日大量にお寿司を握る板前さんの立場からすれば、そこまで考え抜いていられるかともお考えになられるかも知れない。当然オーバーワークにならない範囲で。ということにはなるが、いずれにせよシャリを食べれば一口で全部分かってしまうのである。

新鮮なネタを客にも見えるように透明なガラスの冷蔵庫に入れて保存し、必要に応じて取り出して握るというスタイルは、冷蔵技術なくしては考えられない。従ってお寿司は近代的な食品であり、伝統的食文化などという人をみると全然わかっていないのだなという気にもなる。とはいえ、お米もネタも思いっきりお酢につけて長持ちさせるという手法は江戸でも大阪でも行われていたし、どうもこれに関しては大阪が発祥とも言われているようだ。そういうのは伝統的食文化と言えるはずなので、大阪のバッテラとか、奈良の柿の葉寿司みたいなのがその範疇に入るのかも知れない。




鎌倉のDandelion Chocolate

江ノ島電鉄鎌倉駅を降りて小町通の方へ行く地下道の手前にDande Lion Chocolate鎌倉店がある。今まで一度も入ったことがなかったのだが、せっかくブログもしているのだし、時間もあるし、通りかかったのだからと考え、思い切って入ってみた。お店の構えはとてもオシャレでやや気圧されてしまうし、ちょっと階段を上がらなければお店に入れないし、反対方向の駅の自転車置き場みたいなところから人が出てくるので、やや敷居が高く、お店に入るにはちょっとした決心が必要だ。

このお店は入ってみて正解だった。第一にそんなに高くない。いろいろスイーツを頼めば高くつくかも知れないが、ちょっとした時間潰しで看板商品らしきホットチョコレートを飲むだけなら、慌てなくても大丈夫だ。ホットチョコレートの容器もオシャレで眺めているだけで楽しい感じのものだ。一階にグッズも売っていて、テイクアウトでもイートインでも一階のレジで支払いをする。お店の経営方針なのだと思うが、店員さんは美男美女だ。私の前にレジに立っていた二人組の女性は、イケメンの店員さんの接客を受けてややハイテンションになっていた。私がレジにたどり着いたときには、接客してくれる人もかわいい女性店員さんにバトンタッチされていて、その徹底ぶりに感心してしまった。

二階に階段であがって向こう側にJR鎌倉駅が見える席に座った。カフェの席から駅が見えるのはけっこう楽しい。鎌倉駅をこんな風な角度から見たのは初めてだった。

カフェでもレストランでも、雰囲気・接客・お料理がほどよく快適なものでないとテンションは下がる。この3つが揃えば少々高くてもいい経験になるのだが、揃わない場合はお値段で妥協してほしいとつい思ってしまう。たとえば前回鎌倉に行った時に入ったカフェはとてもおいしかったが接客がひどかったのでトラウマレベルの経験になった。で、今回のDande Lion Chocolateはどうかというと、雰囲気・接客が素敵で、ホットチョコレートは余分な甘みがなくてとてもおいしかった。特に冬の寒い日に飲むのは最高だ。マシュマロがサービスになっていて、自分でとるのだが、苦みのあるホットチョコレートを飲んで小さなマシュマロを食べるのも悪くない。甘いのが好きな人も納得できる、苦みのあるおいしいホットチョコレートだった。鎌倉でお勧めのカフェと自信を持って言うことができるが、さっき公式HPを見てみたところ、どうも京都が発祥の地のようだ。京都はレストラン・カフェ方面で侮るべからざる底力を持っている。大学生が多く、彼ら・彼女たちによってレベルが維持されているのだろうか。『タレーランの事件簿』でも、そういった京都の良さが上手に描かれていて、さぞかし京都の大学生は幸福だろうなと思ったが、京都でいろいろなものを追求したカフェやレストランがあっても違和感がない。重厚な京都のカフェが鎌倉にも出店しているのがDande Lion chocolateなのだろう。京都を歩くのが好きな人が鎌倉を歩くのが好きな可能性は高いので、戦略としては正しいはずだ。

入ったのは午後6時過ぎの客足が多くても不思議ではない時間帯だったし、午後8時で閉店なので、この時間帯に稼がなくてはいけないはずなのだがガラガラだった。京都の本店が大いに成功しているので、その余力で鎌倉店が運営されていて利益は二の次なのかも知れない。伊豆や箱根に利益はどうでも良さそうな感じの博物館や美術館がたくさんあるが、そういう感覚でオープンされてお店なのだろうか。