現在高校生です。将来は映画監督になりたいのですが、どのような訓練をすればいいのでしょうか。また、今は文学作品を読み漁り、映画を沢山見ているのですが、これはあっているのでしょうか?

渋谷にドキュメンタリー映画の学校があります。その学校に行ったからと言って映画監督としてやっていけるというわけではないですが、そういう学校に行くことで情報も得られるし、その方面に詳しい友人も得られるかも知れません。ドキュメンタリー映画を舐めてはいけません。低予算で作れる一方で、監督がどれくらい問題を深堀しているかがバレるのがドキュメンタリーです。

おそらくエンタメ系の映画監督をなさりたいのだと思いますが、なんらかの形で世に出て行けば、エンタメ系への道も開けて来るのではないかと思います。

例えば原田眞人監督はクライマーズハイや関ケ原、燃えよ剣などドラマ映画で著名な人ですが、最初の映画はおニャン子クラブのドキュメンタリー映画でした。私は最近、初めてそのおニャン子の映画を観たのですが、真剣な練習風景には引き込まれてしまい、この人は最初の作品からすでに天才だったのだと恐れ入りました。

そういうわけですので、えり好みせず、自分の才能を発揮できそうな好機があれば、乗って見るべきです。

文学作品を読み漁り映画を沢山みていらっしゃるとのことですが、これは映画監督をめざすかどうかにかかわらず、教養人として当然の努力ですので、がんばってください。



なぜヨーロッパ人は第二外国語、第三外国語を短期間に習得できるのでしょうか?

ヨーロッパ言語同士であれば文法が似ていて語彙も共通しているものが多く、生活していく中でも他のヨーロッパ出身の人に出会って会話する機会が多いですから、習得しやすいということはあると思います。

ついでに言うと、日本語韓国語は文法が酷似しているほか、中国語は文法こそ違えども、漢字を使えば互いになんとなく意思疎通できるという面がありますから、日本人でも韓国語と中国語をメインに学べばわりと多言語話者になれる可能性はあると思います。私は中国語はがんばった自信ありますが、韓国語は途中でやめてしまいました。ただ、非常に似ていますから、きちんと続けていればかなり話せるようになったはずだと思いますし、今も機会があればまた取り組みたいと思いっています。



台北の友人(本省人)を久しぶりに訪ねたのですが、友人は周囲の人と話す際にも北京語ばかりで話し、台湾語をほとんど話しません。台北では台湾語は近い将来途絶えるでしょうか?

私もそんな気がします。

私の知る範囲で言えば、台北及び新北市あたりは本省人も外省人も北京語さえ話せればいいという雰囲気があって、30代以下は北京語しか話さないのが普通な気がします。20代の学生でも、おじいちゃんおばあちゃんとは台湾語を使うけれども学校ではオール北京語が普通でした。私は近いうちに北部の台湾語話者はいなくなると思います。

南部の台湾語話者はかなり根強く残り続けるのではないかなとも思います。とはいえ、数十年の差、世代的には2世代かがんばっても3世代でなくなっていくのではないかという気は確かにします。おそらく、今、南部で暮らしている人は、私の意見を聞けば怒って否定するでしょう。南部で台湾語がすたれることなどあり得ないと。

上海を旅行した時、若い人も上海語を使っていましたから、大陸では普通話と現地語が共存しているのだなということが感じられましたけれど、台湾では国民党が北京語オンリーで推し進めたために、それがスタンダードになってしまい、北京語の方がかっこいいという刷り込みも強くなっていて、ちょっと引き返せない段階に入ったと言う気はします。



30歳近くになり友達が居ません、どーやったら友達が出来ますか?マジで0です

資格を取ったり趣味のための教室に通うのが王道かなと思います。で、まずは友達ではなく恋人を作るのです。意外かも知れませんが友達よりも恋人の方が作りやすいです。というのも友情とは互いに敬意を払い合う純粋な感情であるのに対し、恋愛は互いの欲望を満たすものですから魚心あれば水心、割れ鍋に綴じ蓋で、30前後の男女であれば最もパートナーを必要とする年代ですから、恋人を最も作りやすい時期です。ですから恋人を得られそうならささっとそうしましょう。そのようにして恋人の友達と友達になります。



リバタリアニズムとリベラルの違いは、何ですか?

リベラルには反ファシズムという程度の意味合いしかないと私は思っています。リベラルの概念は幅が広いため、誰もが「我こそはリベラルである」と主張します。ちなみに私自身も私のことをリベラルだと思っています。社会主義者も資本主義者も自由主義者ももしかしたら共産主義者も場合によっては皇国史観支持者も自分のことをリベラルだと考えています。で、リバタリアニズムはそのように多種多様なリベラルの中の一派であって、完全自由を理想とし、あらゆる権力の介入を嫌います。私自身もかなりなリバタリアニズム的思考を持ちます。念のため補足しますが、「弱肉強食が当然」などという浅はかな考えを持つ人物はリバタリアニズムに向いていません。徹底的に自由を追求した時、人は誰もがその才能を発揮し得るというのがその理想であって、それは確かに飽くまでも理想とするところに過ぎず実現されていない場合はまだまだ多いとは思いますけれども、それは克服されなければならない問題であって従容として受容すべきことではなく、克服するために自ら行動すべしというような感じに考えているわけです。「天は自ら助くる者を助く」を素朴に信じているとも言ると思います。



儒教⽂化圏の問題提起が近代化に与えた影響は何ですか。また、 それは現代のアジア社会において有効だと思いますか?

北京大学で起きた反日的愛国運動を五四運動と呼び、その中心になつたのは北京大学関係者たちで作った新青年という雑誌でした。魯迅の弟の周作人が、与謝野晶子の貞操論と呼ばれるエッセイを中国語に翻訳し、それが新青年に掲載されます。このエッセイでは、親に決められた結婚相手と一生暮らし、心の中でほかの相手を想っているのは、とんでもない浮気者で、自分の意思で結婚し、好きな人と一途に結ばれることこそ真の貞操観念で、仮に相手のことを好きではなくなつたら離婚した方が当人たちのためであるというような内容だったのですけれど、編集サイドは読者に意見を求めました。中国社会も与謝野晶子の言うような価値観を採用すべきかどうか誌上で討論しようと言うわけです。私は掲載された投書を全て読みましたが、その大半は自由恋愛は家制度の維持という観点から望ましくないと言うものでした。中華圏は家制度について日本人よりも遥かに深刻に考えていますが、実際、近代化された後の中華圏の様相を観察する限り、台湾香港もシンガポールもご本家中国も出生率は1程度に落ち込んでおり、家制度の維持などとてもおぼつかない状態になっています。儒教的家制度と近代化は両立しないと思います。どちらが正しいのかというより、どちらを選ぶかと言うことかなと思います。



様々な時代背景の話で、日本の場合は“明治”“近代化”がキーワードとして登場する事が多いのですが、結局のところそこで無理やり文化が接木されその恩恵も弊害もごちゃ混ぜな今という事なのでしょうか?

そんな風に言えそうな気もしますねえ。関東大震災が起きた日、永井荷風は山之上ホテルでランチするのですが、日本人が西洋人の猿真似ばかりをして、似非西洋人になっていることへの天罰だ、というようなことを書いています。石原慎太郎さんが東日本大震災を「天罰だ」と言って批判されましたが、おそらくは永井荷風をぱくったんだと思います。で、江藤淳さんが若いころの評論で日本の文芸作家たちはフランス自然主義を採り入れて、近代文学者に「なりおおせた」というような表現を使っていたと思いますが、以上述べたように、日本の近代化が無理に無理を重ねた自己否定と猿真似の複合物なのだということについては、それに対する批判があたかも伝統でもあるかのように繰り返されてきました。とはいえ、私たちは近代人としての思考が身についていますから、今さら封建社会に戻ったところで適応できず、近代的な生活がしたいとの希望はもちろんあります。ですから、おっしゃる通り、弊害も恩恵もごちゃ混ぜな今なのだと思います。



私は歴史が超超苦手です。学校では、100点満点中20点とかとってました。いま、旧約聖書を読みはじめて、「ああ、歴史がもっと好きだったらな」と思います。貴方の力で、僕を歴史好きに変えてくれませんか?

1人でいいので、好きな歴史上の人物を選んでください。そしてその人物の人生を他人に語るにはどうすればいいかなと考えてください。プレゼンをするようなイメージです。最初のうちはざっくりとしたあらすじみたいなことしか語れないかも知れませんけれど、だんだん調べていくうちに詳しくなっていき、周辺情報もどんどん取り入れて充実したプレゼンができるようにというのを掘り進めていくと自分でやっていてもとてもおもしろいですし、幅や深みも出てくると思います。

たとえば、織田信長が好きだとしますよね。最初の段階で知っているのは桶狭間の戦い本能寺の変だけかも知れません。ですが、関連書籍を読んだりしているうちに、桶狭間の戦いの敵方である今川義元に関することも分かってきます。徳川家康も登場してきます。桶狭間の地形について詳しくなってきたり、信長の伝記を書いた太田牛一とか、ヨーロッパに信長のことを報告したルイスフロイスとか、次々と関連人物が出て来て、その人ってどんな人なんだろうとかやっているうちに戦国から安土桃山まで詳しくなっていくようなイメージです。

私、一時、溥儀にはまっていて、映画の『ラストエンペラー』を繰り返しみたんですけど、その映画の中には、中国の抗日運動の発端である五四運動についても触れられているし、袁世凱もチラっと出てくるし、蒋介石の話題も出るし、昭和天皇の話も出てきますから、映画に登場する様々な場面や話題を完全に理解しようとするだけで膨大な知識量を要します。結果として非常に勉強になるんですね。更に詳しく考えていけば、なぜ毛沢東の話題は出ないのかとか、そういえば張学良は出てこないのはなんでだろうとか、再現なくどんどん新たな追加の考察材料にも出会うことになります。

旧約聖書がお好きでしたら、直球で古代史ですから、エジプトのファラオに関する知識も必要ですし、バビロニアに関する知識も必要になります。無数の映画や小説で旧約聖書に関する知識が関連しており、たとえばジェームスディーンの『エデンの東』は、なぜそういうタイトルなのかとか、ゴーギャンが描いたタヒチの絵画で真ん中にいる女性が木の実をとろうとしているのは、どういうことが言いたいのかとか、そのあたりは無数にいろいろあるわけですね。ギリシャ語やヘブライ語についても造詣があるともっと深い議論ができるでしょうし、更に日本語の文語訳と現代語訳の違いについても議論の対象になります。

そのようなイメージで取り組まれてみてはどうでしょうか?



ゴジラと戦後

『ゴジラ』は大変に有名な日本の怪獣映画シリーズですが、実は戦後の日本人の心理を非常に巧みに表現した映画としても知られています。特に1954年に公開された『ゴジラ』の第1作は、戦争が終わってからまだ9年しか経過していない時期でしたので、戦争に対する日本人の心境というものがよく表現されており、映画そのものが第2次世界大戦のメタファーであるとすら言えるかも知れない作品です。

まずは1954年版の『ゴジラ』第1作のあらすじを確認し、それから、この作品のどの部分がどのように日本人の戦後の心理と関係しているかについて考えてみたいと思います。

この映画では、まず、数隻の船が原因不明の事故で沈没するというところから始まります。日本ではこのような事故がなぜ起きたのかを解明しなければならないということで、大きな話題になるのですが、そのようなことをしているうちに、今度は巨大な生物が日本領のとある島に上陸してきます。その巨大生物は島の人々を襲い、建物を破壊するわけなのですが、東京から科学者たちが送られ、科学者たちはその生物の写真を撮ったほか、生物が通った後に大量の放射性物質が残されていることを発見します。このことから、権威ある科学者は、太平洋で核兵器の実験が何度も行われたことにより、海底生物が突然変異を起こしたのだと結論します。そして、その島には古くからゴジラと呼ばれる巨大生物の伝説があったため、目の前の突然変異生物をゴジラと呼ぶことにするのです。

最初は船を襲撃し、その次に島を襲撃したゴジラは、いよいよ東京に上陸します。このことは大変に有名ですから、多くの人が知っていると思いますけれども、銀座の建築物を破壊したり、国会議事堂を破壊したりする場面はとくに有名なのですね。

ゴジラには武力攻撃が加えられ、一旦ゴジラは海へと帰って行きます。ゴジラが再び上陸してくる前に、ゴジラを倒さなくてはなりませんから、ある若い科学者が発明した、生命体を破壊する新兵器を使用し、海底にいたゴジラはそれによって苦しみ出し、海面に浮上して、悲しそうな最期の叫び声を上げて絶命していきます。若い科学者は自分が作った新兵器が悪用されることを恐れており、それを回避するため兵器の資料を燃やして捨てますが、自分の頭脳の中にも作り方が残っていて、自分が作り方を知っているわけですから、自分自身が消滅しなければならないと考え、海の中のゴジラとともに死ぬことを選ぶというものです。ターミネーター2のラストみたいですよね。

ではこの映画のどの部分が戦争とつながっているのでしょうか、まず1つには、ゴジラが核兵器の影響で誕生したということがあります。これは単に、戦後に何度となく行われた核実験への批判が込められているというだけではなく、太平洋戦争末期に、日本の広島と長崎に対して原子爆弾が使用されたことへの激しい批判も込められています。映画の中で、「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた」という台詞を述べる女性が出てきます。この一言だけでも、観客は、ゴジラの存在そのものが、広島と長崎で使用された原子爆弾のメタファーなのだということに気づかされます。

ゴジラは東京の広いエリアを破壊しますが、避難した人々は燃える東京の街を見つめて涙を流し、若い男性がなんども「ちくしょー!」と言いますが、これは、私はもちろん当時のことを経験していませんけれども、間違いなく、東京大空襲の記憶をよみがえらせる場面であることは議論するまでもありません。1954年ですから、観客の大半は戦争の記憶を抱えており、当時であれば、誰かに解説されるまでもなく、その場面が東京大空襲を思い出したに違いないのです。また、ゴジラが海へと帰って行った後の東京では怪我人があふれ、ゴジラが残した放射線を浴びてしまった子どもが出てくる場面もありますが、これもまた、原子爆弾を思い出させるものであり、当時としては、非常に生々しい場面として受け取られたであろうと思います。

さて、ここまでの段階でゴジラはアメリカ軍、或いは原子爆弾のメタファーであるとの見方ができることは、まず問題なくご理解いただけると思います。ですが、ゴジラが背負っているものは、それだけではありません。ゴジラは太平洋で戦死した日本兵たちのメタファーでもあると、これまでにも多くの批評家が指摘しています。以下にそれについて、できるだけ簡潔にご説明したいと思います。

日本兵のメタファーであるゴジラは、戦後の復興を楽しむ日本人たちに、戦死した自分たちの存在を忘れさせないために東京湾から上陸してきます。この時、ゴジラは復興している銀座を破壊し、政治の中心である永田町の国会議事堂も破壊しますが、決して皇居へと進むことはありません。

ゴジラの最期の姿も、日本兵たちを思い出させるのに充分な演出がなされています。一つはゴジラという黒い巨大な物体が一度は海面に浮上するものの、再び沈んで行くわけですが、その姿は戦艦大和の沈没を思い出させるとの指摘があります。また、ゴジラの最期の叫び声が非常に悲しいものであるわけですけれども、ゴジラは東京を破壊したにもかかわらず、このような声を出して死にゆくわけですが、これは観客がゴジラを憎むことができないような演出なわけですけれども、ゴジラは多くの戦後に生き残った日本人に対して見せる、戦死した日本兵の姿だと理解すれば、観客がゴジラを憎まず、ゴジラの死に苦しみを感じるように意図したものであると考えることもできるということなのです。

この映画の音楽は日本人の多くが聞いたことのある、迫力のあるものなのですが、重低音で、音が次第に大きくなっていくのですけれども、これはゴジラが次第に東京へと近づいてくることへの恐怖を表現していると言えるのですが、同時に、ここまでに述べたような、激しい恨みを抱いた日本兵の足音であるという解釈が可能であり、そう思って聞くと、更に、この音楽の持つ重みのようなものが感じ取れると思います。

この映画作品は全体として、平和を訴えるものであり、映画の最後の場面で、老いた科学者が今後も第2、第3のゴジラが現れてくる可能性を指摘しているのですが、これは、戦争が繰り返されることへの批判であると受け取ることもできます。

今回はゴジラで考察してみましたが、日本の戦後のあまりにも多くの小説や映画は戦争と関係しており、極論すると、敗戦という非常に大きな経験をした日本で制作された作品の大半は、戦争の記憶から完全に自由になれない時代が長く続いたと言うことも可能です。もしまた機会があれば、違う作品でも論じることができればと思います。ありがとうございました。



少なく無い数の日本人が致命的ではない失敗に対して、非寛容的な態度になりがちなのは、何故ですか?

村八分の文化の名残だと思います。たとえば武士は失敗すると切腹することで過ちをチャラにしてもらい名誉を維持されるということになっていたわけですが、江戸時代、東海道中膝栗毛でも分かるように、町民たちは道徳倫理のために命まで差し出すつもりはなく、弥次喜多の無茶し放題を爆笑しつつ共感するようなメンタリティを持っていたわけですね。つまり江戸時代は武士・町人・農村で価値観や行動規範がばらばらだったと言えると思います。

ところが明治に入り、徴兵制度が始まると、全員にあたかも武士であるかのような厳しい倫理観を持つことが求められるようになっていきます。ですが大半が農村出身者ですから、士道に背いているとみなされると農村的感性で村八分にしてしまう。たとえば捕虜になって帰ってきた人は帰還兵として遇してもらえなかったりするわけです。戦後の援護の手続きをするために役所に行くと露骨に後回しにされ、抗議すると、だってあなたは捕虜だったじゃないかと言われてしまったりしたそうです。

で、戦後になると徴兵もないですし、農村も少なくなって、みんな都市部でモダンな生活を送っているはずなんですが、規範から逸脱すると村八分という感性は21世紀になっても根強く残っており、SNSが発達したために、逸脱した人物がいると国民を挙げて村八分にするという現象に至ったのだと思います。