カレーうどんは和食と言えますか?

言えると思います。

たとえば天ぷらはそもそも西洋人の食べ方をマネして始まったものです。

すき焼きも西洋人の肉食をマネして始まったものです。

お寿司は冷蔵庫がないと今と同じスタイルになりません。

ですので、そもそも和食は西洋化・近代化の影響を色濃く受けているものだと考えるべきであって、そうするとカレーうどんだって立派な和食だと考えていいと思うのです。



ドイツ語を修得すると、ドイツ人と会話できることを除いて、具体的にどのようなメリットがありますか?

ゲーテのようなドイツ文藝を直読みでき、ヘーゲルのようなドイツ哲学を直読みできるため、ナチスのプロパガンダを直読みすることにより彼らがいにしてドイツ人民をペテンにかけたのかを分析できるようになります。ナチスは頭の悪い大衆を騙したのではなく、優れたインテリを騙したのであり、博士号を持つゲッペルスか巧みにドイツの人文知識の伝統を利用したナチス宣伝を推し進めたのだということにも気付くことができるはずです。それはたとえば、ドイツはマルチンルターの宗教改革が始まった土地であり、皇帝や教皇、貴族の支配を受けない自由都市の気風を重んじる土地であり、要するに伝統を打破することを良しとする伝統があると言えるようなことろがあって、だからこそ、リーフェンシュタールの意志の勝利というタームがウケたりしたというようなことです。



アメリカでは勉強だけしかしていないナードは大学入試ではじかれやすいそうですが、日本では学力さえ担保すれば入学が可能です。となるとアメリカでは日本でいう「地味だけど勉強はできる人」は割をくっていますか?

そうかも知れないと思います。

私のようなタイプがアメリカでまともに進学できるとはとても思えません。いはゆる良い大学に入るためには、高校での成績の平均やボランティアなどの課外活動の実績性格や人間性などについて好意的に書かれたレコメンデーションさらにできればスポーツや芸術活動での実績があり可能であれば家が名門の方が有利です。

自嘲的に述べますが、私のように寝込みがちで欠席が多くスポーツもできず両親自己破産で自分の世界に閉じこもりがちな勉強しかできない人間にチャンスは来なかったでしょう。

ペイパーテストオンリーで大学受験できる日本だから慶應に入れたので私は日本の偏差値偏重に助けられました。



アメリカ人の中にも「気弱で繊細、自己主張が苦手」という人物はいますか?彼らはアメリカの文化の中でどのような評価をされてるの?

バツクトゥザフューチャーでマイケルJフォックスのお父さんがそんな感じに描かれていて、そんなんじゃダメだから生まれ変わらなくてはならないとのメッセージが込められていると思います。一方で、そのように彼が生まれ変わっていくことを観客が肯定的に受け取るためには、彼という人物に対してある程度の好感がなくてはならず、やはり、彼は少なくとも強欲でも悪辣でも暴力的でもない心のきれいは人でもあると言えるので、そういう人物に好感を持つのは世界共通ではないかなとも思います。



「日本人」という大きな主語で語る時の前提の定義として大事にしているものは何ですか?

「私は日本に住んでいるが、自分のことを日本人だとは思っていない」

「父母は日本人だが、私は自分のことを日本人だとは思っていない」

「私は日本に住んだことはないが、自分のことを日本人だと思っている」

という感覚を持って生きている人が、少数ではあるけれども、確実にいるということを意識するようにしています。

私がそのような人たちのことについて直接言及することはあまりないですが、「日本生まれで日本で暮らす、自分のことを日本人だと認識している日本人」が全てだとは言い切らない形で言葉を構成するように自然となっていきます。




中産階級がやたら重視され保護する流れになる理由にはどのようなものが考えられますか?貧富の差が拡大してレアになっているから?

中産階級とは、衣食住に困らず医療も充分に受けられる普通の人々のことを指しますから、医者や弁護士などの社会的地位がなくとも幸福度は充分に高い階層であると言えると思います。中世の王侯貴族より現代の中産階級の方が幸せだと言われるくらいに発展した現代社会の恩恵を実感できる普通の人たちですよね。ですから、そういう人たちがたくさんいることは素晴らしいことだと思います。貧富の差が拡大したことによりレアになっているのももちろん重要なファクターだと思います。

但し、分厚い中産階級が形成されるにはわりとハードルの高い条件をクリアしなければならないということも私は指摘せざるを得ないと思います。それは普通の人が中世の王侯貴族並に満足して暮らすためには、それに相応しい経済成長が社会全体で実現されていなければならないということです。そもそも「普通の人」はそんなに凄い仕事はできません。言われたことを真面目にこなす小市民です。そのような人たちがガッツリ楽しく生きられるということは、企業や国家が手厚く分配しても尚余る富を得ている時に限られます。

アメリカでは第二次世界大戦後に分厚い中産階級が登場し、戦争から帰ってきた若者たちが結婚して車と家を持ち、自分の事業を展開し、田舎なら農場を経営して幸せな家族を築くというモデルを確立しました。人はそれをアメリカンドリームと呼んだりしました。ベトナム戦争後、アメリカの国力の相対的低下に伴い中産階級はしぼみ、今やアメリカの田舎の方はヘル・アメリカになっているとよく言われます。私がアメリカに留学した経験からもそれは分かります。デトロイトは巨大な廃墟でした。

で、日本の場合、それは70年代から80年代に形成されていきました。田中角栄が気前よく公共投資にお金を使ったので、隅々までお金がいきわたり、誰もが自分を中産階級だと感じることができる、人類の歴史でも極めて珍しいであろう現象が起きました。今では信じられないことですが、当時はシンガポールや香港の人たちが一度は日本を旅行したいが日本の物価は高く、うちにそんな金があるわけないと嘆いていたような時代です。90年代以降、バブルの崩壊と増税により、中産階級はしぼみ始め、もはや見る影もなくなりつつあります。

これはマクロ的な産業政策と税制が間違っていたからなのであって、小泉・竹中時代の雇用政策に要因を求めることは正しくありません。経済成長が充分に確保されていれば、非正規雇用で時給5000円のようなことが実現でき、拘束時間の長すぎる正規雇用はちょっと…という雰囲気になっても全くおかしくなかったのです。

そして今、韓国台湾で中産階級が形成され、世界を席巻しています。

(注意点ですが、世界を席巻する中国人旅行者は、中国の国内では富裕層です。シンガポールは金持ちは多いですが、差別的搾取構造の上に存在する特権階級です。香港は内戦かと思うようなデモが起きて行こうは当面、判断を保留せざるを得ません)

韓国・台湾は経済成長が著しいため、手厚く分配することができるからです。

ですから、日本で中産階級を復活させるには、手厚く分配できるだけの経済発展が必要になります。もしここの部分を無視して、雇用形態だけで解決しようとすると、給料の薄い正社員と、使い捨てられる非正規雇用に溢れるヘル・ジャパンになるというか、今の日本はそうなっているわけです。

というようなわけでして、ご質問にきちんと答えることができたかどうか、長々となってしまいましたが、以上です。



現在高校生です。将来は映画監督になりたいのですが、どのような訓練をすればいいのでしょうか。また、今は文学作品を読み漁り、映画を沢山見ているのですが、これはあっているのでしょうか?

渋谷ドキュメンタリー映画の学校があります。その学校に行ったからと言って映画監督としてやっていけるというわけではないですが、そういう学校に行くことで情報も得られるし、その方面に詳しい友人も得られるかも知れません。ドキュメンタリー映画を舐めてはいけません。低予算で作れる一方で、監督がどれくらい問題を深堀しているかがバレるのがドキュメンタリーです。

おそらくエンタメ系の映画監督をなさりたいのだと思いますが、なんらかの形で世に出て行けば、エンタメ系への道も開けて来るのではないかと思います。

例えば原田眞人監督はクライマーズハイ関ケ原燃えよ剣などドラマ映画で著名な人ですが、最初の映画はおニャン子クラブのドキュメンタリー映画でした。私は最近、初めてそのおニャン子の映画を観たのですが、真剣な練習風景には引き込まれてしまい、この人は最初の作品からすでに天才だったのだと恐れ入りました。

そういうわけですので、えり好みせず、自分の才能を発揮できそうな好機があれば、乗って見るべきです。

文学作品を読み漁り映画を沢山みていらっしゃるとのことですが、これは映画監督をめざすかどうかにかかわらず、教養人として当然の努力ですので、がんばってください。



なぜヨーロッパ人は第二外国語、第三外国語を短期間に習得できるのでしょうか?

ヨーロッパ言語同士であれば文法が似ていて語彙も共通しているものが多く、生活していく中でも他のヨーロッパ出身の人に出会って会話する機会が多いですから、習得しやすいということはあると思います。

ついでに言うと、日本語韓国語は文法が酷似しているほか、中国語は文法こそ違えども、漢字を使えば互いになんとなく意思疎通できるという面がありますから、日本人でも韓国語と中国語をメインに学べばわりと多言語話者になれる可能性はあると思います。私は中国語はがんばった自信ありますが、韓国語は途中でやめてしまいました。ただ、非常に似ていますから、きちんと続けていればかなり話せるようになったはずだと思いますし、今も機会があればまた取り組みたいと思いっています。



台北の友人(本省人)を久しぶりに訪ねたのですが、友人は周囲の人と話す際にも北京語ばかりで話し、台湾語をほとんど話しません。台北では台湾語は近い将来途絶えるでしょうか?

私もそんな気がします。

私の知る範囲で言えば、台北及び新北市あたりは本省人も外省人も北京語さえ話せればいいという雰囲気があって、30代以下は北京語しか話さないのが普通な気がします。20代の学生でも、おじいちゃんおばあちゃんとは台湾語を使うけれども学校ではオール北京語が普通でした。私は近いうちに北部の台湾語話者はいなくなると思います。

南部の台湾語話者はかなり根強く残り続けるのではないかなとも思います。とはいえ、数十年の差、世代的には2世代かがんばっても3世代でなくなっていくのではないかという気は確かにします。おそらく、今、南部で暮らしている人は、私の意見を聞けば怒って否定するでしょう。南部で台湾語がすたれることなどあり得ないと。

上海を旅行した時、若い人も上海語を使っていましたから、大陸では普通話と現地語が共存しているのだなということが感じられましたけれど、台湾では国民党が北京語オンリーで推し進めたために、それがスタンダードになってしまい、北京語の方がかっこいいという刷り込みも強くなっていて、ちょっと引き返せない段階に入ったと言う気はします。



30歳近くになり友達が居ません、どーやったら友達が出来ますか?マジで0です

資格を取ったり趣味のための教室に通うのが王道かなと思います。で、まずは友達ではなく恋人を作るのです。意外かも知れませんが友達よりも恋人の方が作りやすいです。というのも友情とは互いに敬意を払い合う純粋な感情であるのに対し、恋愛は互いの欲望を満たすものですから魚心あれば水心、割れ鍋に綴じ蓋で、30前後の男女であれば最もパートナーを必要とする年代ですから、恋人を最も作りやすい時期です。ですから恋人を得られそうならささっとそうしましょう。そのようにして恋人の友達と友達になります。