鎌倉のDandelion Chocolate

江ノ島電鉄鎌倉駅を降りて小町通の方へ行く地下道の手前にDande Lion Chocolate鎌倉店がある。今まで一度も入ったことがなかったのだが、せっかくブログもしているのだし、時間もあるし、通りかかったのだからと考え、思い切って入ってみた。お店の構えはとてもオシャレでやや気圧されてしまうし、ちょっと階段を上がらなければお店に入れないし、反対方向の駅の自転車置き場みたいなところから人が出てくるので、やや敷居が高く、お店に入るにはちょっとした決心が必要だ。

このお店は入ってみて正解だった。第一にそんなに高くない。いろいろスイーツを頼めば高くつくかも知れないが、ちょっとした時間潰しで看板商品らしきホットチョコレートを飲むだけなら、慌てなくても大丈夫だ。ホットチョコレートの容器もオシャレで眺めているだけで楽しい感じのものだ。一階にグッズも売っていて、テイクアウトでもイートインでも一階のレジで支払いをする。お店の経営方針なのだと思うが、店員さんは美男美女だ。私の前にレジに立っていた二人組の女性は、イケメンの店員さんの接客を受けてややハイテンションになっていた。私がレジにたどり着いたときには、接客してくれる人もかわいい女性店員さんにバトンタッチされていて、その徹底ぶりに感心してしまった。

二階に階段であがって向こう側にJR鎌倉駅が見える席に座った。カフェの席から駅が見えるのはけっこう楽しい。鎌倉駅をこんな風な角度から見たのは初めてだった。

カフェでもレストランでも、雰囲気・接客・お料理がほどよく快適なものでないとテンションは下がる。この3つが揃えば少々高くてもいい経験になるのだが、揃わない場合はお値段で妥協してほしいとつい思ってしまう。たとえば前回鎌倉に行った時に入ったカフェはとてもおいしかったが接客がひどかったのでトラウマレベルの経験になった。で、今回のDande Lion Chocolateはどうかというと、雰囲気・接客が素敵で、ホットチョコレートは余分な甘みがなくてとてもおいしかった。特に冬の寒い日に飲むのは最高だ。マシュマロがサービスになっていて、自分でとるのだが、苦みのあるホットチョコレートを飲んで小さなマシュマロを食べるのも悪くない。甘いのが好きな人も納得できる、苦みのあるおいしいホットチョコレートだった。鎌倉でお勧めのカフェと自信を持って言うことができるが、さっき公式HPを見てみたところ、どうも京都が発祥の地のようだ。京都はレストラン・カフェ方面で侮るべからざる底力を持っている。大学生が多く、彼ら・彼女たちによってレベルが維持されているのだろうか。『タレーランの事件簿』でも、そういった京都の良さが上手に描かれていて、さぞかし京都の大学生は幸福だろうなと思ったが、京都でいろいろなものを追求したカフェやレストランがあっても違和感がない。重厚な京都のカフェが鎌倉にも出店しているのがDande Lion chocolateなのだろう。京都を歩くのが好きな人が鎌倉を歩くのが好きな可能性は高いので、戦略としては正しいはずだ。

入ったのは午後6時過ぎの客足が多くても不思議ではない時間帯だったし、午後8時で閉店なので、この時間帯に稼がなくてはいけないはずなのだがガラガラだった。京都の本店が大いに成功しているので、その余力で鎌倉店が運営されていて利益は二の次なのかも知れない。伊豆や箱根に利益はどうでも良さそうな感じの博物館や美術館がたくさんあるが、そういう感覚でオープンされてお店なのだろうか。




皇居に行って、大嘗祭のお宮を参観してきたよ

12月初旬は前の天皇陛下、要するに今の上皇陛下の時代に、より市民に開放された皇室づくりの一環として、皇居が解放され、皇居の中の紅葉を人々が見られるようになった。今まで行かなかったのだが、今年は特別だ。今年は皇居で大嘗祭が行われたので、新築の大嘗宮が今も皇居に立っており、そのお宮を参観できるというのだから、実物を見る絶好のチャンスなのだ。というわけで、千代田線の二重橋前で下車し、坂下門から入って皇居の乾通りから大嘗宮まで、さらに二の丸あたりを歩いて大手門から出てきたことについて、なるべく要点を絞って書き残しておきたい。

まず戸惑ってしまうのは、お堀の内側から石垣を見ると言う点だ。いつも外側からしか見ないので、内側がどうなっているのかあまり考えたことがなかったし、一生見る機会もないんじゃないかくらいに思い、要するに、まあ、別にいいやと想像力を膨らませることもしていなかったのだが、内側から見ると石垣は極めて巨大である。安土桃山式の大阪城の石垣のように石が整列している場所もあれば、もうちょっと古い戦国風のギシギシ石を詰め込んだ石垣もあった。建造時期の違いによるのかも知れない。太田道灌が江戸城を作った部分が残っていて、その上に徳川家康が増築させて、場合によってはその後の将軍による回収部分などもあって、その時代、その時代の特徴のようなものが残されているのではないかと私には思えた。フランスバルビゾン村近くにあるフォンテーヌブローの城が増築時期によって建築様式が異なり、ここに来ると建築史が分かるというのが観光客を誘う文句になっているのだが、ちょっとそれに近いものを皇居=千代田のお城に見出すことができそうに思えたのだ。

皇居の内側から見た石垣

皇居内の冬桜

では、どんな風にいろいろなものが重なっているのかというと、まずは太田道灌の土地の匂いがふんだんに残る田舎城、敢えて言えば豪族風。森が鬱蒼としていて、森の中に城主が暮らしている感じ。そしてその上に、ドカーンと徳川幕府の武家風が乗っかっている。今回訪問してみても、基本は徳川時代の造りや区画が皇居の雰囲気を決める最大の要素だということがよく分かった。江戸時代の武家風、特に将軍とか大大名とかは雄大なものを好む。巨大な松。巨大な池。中国の古典にインスパイアされて再構成された自然・宇宙。のようなものだ。皇居のそれはとてつもなくでっかいのだが、もうちょっと分かりやすいのは京都の二条城のお庭とか、名古屋の徳川美術館のお庭とか、福岡の大濠公園とか、そういったところを歩いてみると分かる。お殿様一人が「うーむ。よい気分である」と言うためだけにとことん凝った庭造りがなされている。江戸城の庭造りも凝ってはいるが、広すぎてやや持て余しているようにも見えた。そしてその上にあるのが近代天皇の世界だ。近代天皇は非常に安定した政治的アクターだが、江戸城内の土地建物ベースで見る限り、それは徳川氏の巨大な遺物の上に乗っかっている程度のものに見えた。現代の天皇陛下が活動される御所の範囲はそんなに広くなく、今回は遠くからなんとなく見える程度の距離で見せてもらえたが、鉄とコンクリートで京都の御所っぽいものを外国人にもおーっと思わせる程度に権威主義的に作ってあるという印象で、正直に言ってあまり素敵ではなかった。誤解のないように言っておくが、私は現代の天皇制度を支持している。

太田道灌の時代を連想させる皇居内の豊かな自然

京都御所は桜の季節に一般開放されたときに中を見たことがあるが、江戸城に比べれば手狭なものの、庭の造り込みが素晴らしく、いい意味で異世界であり、なるほど殿上人の浮世離れした世界という印象で、このような芸術作品みたいな空間が大切に維持・継承されることの意義はよく感じることができた。今の京都御所は幕末に燃えたものを再建したものだが、これは確かに再建する価値おおいにありというか、再建しなければもったいないと思えた。天皇様が京都御所でお暮しになる方が日本人の感性には会うのではないだろうかとも思える。それぐらい江戸城はだだっぴろい。
皇居内のすばらしい自然。美しい紅葉。

そのだだっぴろいものを管理しやすくするためにコンクリートやアスファルトが使用されている。たとえば徳川時代のものと思しき建物の壁もコンクリートで固めてあるし、プレハブみたいな建物もあって、管理しやすければOK感が半端ない。道もコンクリートかアスファルトだ。江戸城がだだっぴろくて管理に困るというのはすぐに想像がつくが、なので効率よくやっちゃおうという、近代日本の官僚制度の特徴がよく分かるように思えてならなかった。この発想法で、日本は北から南までコンクリートとアスファルトで敷き固められ、どこへ行っても似たような風景が広がることになったのだろう…という感想を持った。
御所の遠景

宮内庁近景

とはいえ、まだまだ見どころはある。なんといっても大嘗宮の現物が見えるのだ。柳田国男先生とか、折口信夫先生が書き残したものを読み、後世の者は「ふーん。そうなのか」と思うしかなかったが、儀式は見れなくとも儀式が行われた建物を見ることができれば、より本質に迫った理解ができるようになるはずだ。で、そのお宮なのだが、想像していた以上に大きい。新しい白木の建物。伊勢神宮みたいだなあと思った。驚きだったのは、太陽の光を反射する白木の建物は、まるで黄金のようにキラキラしていたのだ。なるほど、最初にこのような建築を思いついた2000年ぐらい前の人(もし天武天皇が最初だったら1300年ほど前ということになる)は、白木が黄金色に輝くことを狙ってこんな風にしたのだと私は気づくことができた。伊勢神宮が20年に一度立て直されるのも、建物の耐用年数というよりも、黄金色に反射できる年数が考慮されてのことではなかろうか。
大嘗宮を正面から撮影した写真。壮絶な人ごみだった。警察の人も大変そうだった。

そして最後に休憩所に立ち寄ってのどが渇いて疲れていたのでジョージア微糖のガンダムコーヒーを飲んだ。運がいいことにシャアとララァの絵の入ったのがでてきた。
皇居二の丸を過ぎたあたりにあった休憩所で買ったジョージア微糖のガンダムコーヒーの缶に描かれたシャア

シャアの反対側に描かれているのはララァだった

もう二度と皇居に入ることはないかも知れないが、私は単に皇居に入ったけの人物ではない。ジョージア微糖のガンダムコーヒーを飲んだことで、私は皇居でコーヒーを飲んで帰ってきた男になれたのである。なかなかおもしろい経験ができました。

安全と秩序維持のため、警察官のほか、多くのスタッフの方々が寒空の下を立っていた。多くの人がこごえて震えていたし、独り言をつぶやいてやや壊れかけている人もいた。参観客は珍しがってよく歩くからそれでいいが、じっと立ってしごとするスタッフの方々は大変に違いない。ねぎらいの気持ちを持ちたい。




『この世界の片隅に』の聖地巡礼をしてきた

この世界の片隅に』で泣いた日本人は数知れずで私もその一人だ。原子爆弾という非常に重い問題と、戦争というもう少し一般化可能な、しかし人間同士が命のやり取りをするという普遍的に難しい問題と、すずさんという稀有なキャラクター、顔も美しいが声も美しいのんとすずさんのシンクロ率の高さによって人々は心をわしづかみにされてしまった。

いつか呉に行きたい。すずさんの景色が見たいと思った人は多いはずであり、聖地巡礼で呉を訪れた人、或いは何度も呉に通った人は大勢いるに違いない。私も呉に行きたい、一度でいいから行ってみたいと思っていた。祖父が海軍の人でレイテ沖海戦から生きて帰って呉で終戦を迎えている。情報収集准尉で、原子爆弾関連のこともかなりの程度で知っていたという話だったので、全く縁もゆかりもない土地でもないのである。

先日、広島に一泊二日の出張があって、二日目の午前中だけ自由な時間があったので、朝6時に起きて呉に行き、午後の仕事の前に原爆ドーム、平和記念資料館を見学するという慌ただしい日程を組んだ。広島に行けばお好み焼きもあるし、野球が好きな人にとっては広島カープも魅力なのかも知れないし、私としては浅野40万石の広島城も訪れたいとも思ったが、限られた時間で広島という土地に敬意を払いつつ、聖地巡礼という本意を果たすには、こうするしかなかった。

まず呉まで行ったが意外と遠い。広島駅から一時間くらいかかってしまった。呉駅で降りたものの、土地勘もないし迷って歩いている時間もないので、駅の様子だけ急いで撮影して広島へ帰還することにした。

呉駅の外観
呉駅の外観

とんぼ返りではあったものの、やはり現地に行くというのは有形無形に学べることがある。実際に呉へいく電車の窓から瀬戸内海を見ていて気付いたのだが、延々と対岸が見える。いくら瀬戸内海が狭いとはいえ、対岸が近すぎないか?あそこはもう四国なのか?という疑問が湧き、そんなわけがないのでiphone11で地図と格闘して分かったことは呉の対岸にはけっこう大きな江田島があるということだった。江田島といえば海軍兵学校のあった場所で、江田島関連の本も出ている。映画とかも探せばあるかも知れない。私は江田島の名前は知っていて、海軍の学校があったことも知っていたが、みたことがないので江田島は江ノ島みたいな感じのところなのだろうと勝手な想像をしていたが、違う。江田島は呉港を包み込むように浮かんでいて、たとえば敵が海から来ても直接呉に攻め込むことを困難にしている。天然の要害なのである。制空権をとられてしまえば、あんまり関係はないけれど。とはいえ、このようなことは行ってみてやっと気づくことの一つではないだろうか。

江田島と思しき対岸

『この世界の片隅に』の終盤で呉の街に明かりがつく場面があって、その時の呉の街は対岸にいる若い海軍の兵らしき男たち越しに見えるような構図になっているのだが、あの場面は江田島兵学校から見える終戦後の呉ということだったのだ。聖地巡礼によって得られることは大きい。呉駅には『この世界の片隅に』のポスターも貼られていて、これは呉駅の面目躍如であって、素晴らしきファンサービスである。ブログに掲載したくて撮影したが、著作権とかいろいろあるので、ポスター以外のものも入るようにして、私のオリジナル作品には見えない、一目で駅に貼られたポスターだと分かるように撮影した。知的財産権の侵害との指摘を受ければ削除しなければいけないが、今回の記事は作品への敬意を込めているので、理解を得られれば幸いだ。

呉駅のこの世界の片隅にのポスター
呉駅に貼られた『この世界の片隅に』のポスター

急いで広島駅までもどり、路面電車で原爆ドームへ向かったが、電車が故障で止まってしまい、徒歩で到着することを目指したものの、ちょっと距離を感じたのでやむを得ずタクシーに乗車した。原爆ドームを見て戦慄し、平和記念資料館では涙なしには展示内容を見続けることができなかった。展示がリニューアルしたとは聞いていたが、犠牲者の個々人の方々の生活やお顔の写真、プロフィールなどがたくさん分かるようになっており、現実に生きていた市井の人が原子爆弾によって焼かれたのだということをより理解しやすくなっているように思えた。うんと以前に訪れた時、壊れた時計や熱で溶けた瓶などは確かにショッキングではあったけれど、どこの誰がどんな風に亡くなったのかというような情報が少なく、ただ、ショッキングなだけで、考えたり感じたりすることがあまりうまくできる内容ではなかったような気がした。ワシントンDCのホロコースト記念館を訪問した際、数多の個々人がどこでどんな風に亡くなったのかを戦後の調査で明らかにし、記念館訪問者にも分かるようにしていた展示は現実感があって、自分にそれが起きないとう保障はないという心境になり、真剣に考える契機になった。そして広島や長崎の平和祈念館もこのように個々人のことが分かるようにした方がいいのではないだろうかと思っていたのだが、展示内容はそのようにリニューアルされていたので、私は納得もした一方で、その問題の深刻さを突き付けられたような気がしてショックは大きかった。とはいえ、平和祈念館を訪問してショックを受けない方が問題があるので、私がショックを受けたのは正常なことだ。
原爆ドーム
原爆ドームを北側から見た光景。限られた時間内で急いで撮影した。『この世界の片隅に』のすずさんは反対の方角からスケッチしていたはず。

犠牲者の生前の写真や遺品などとともに、訪問者にショックを与えるのは経験者によって描かれた数多の絵である。原子爆弾の使用直後の写真は少ない。写真を撮っている場合ではなかっただろうし、撮影に必要な機材も吹っ飛んでしまっていて写真が残されているなどということはあまり期待できない。少ない写真によって当時の状況を知ろうとするドキュメンタリーなら見たことがあるが、限界があった。デジタル的な観点からの写真論になっており、肝心の悲しみや悲惨さからは結果的に溝のできる内容になってしまっているように思えてしまったのだ。原民喜の『夏の花』はショッキングだが、読者の想像力に大きく委ねられなければならないものだった。絵はそれらの諸問題を克服する表現手法だ。個別の絵に関することをここで書くのは避ける。とても私が分かったような気持ちで評論できるようなことではない。そうするには重すぎる。

このような絵がたくさん集まったのはNHKが広島の人々に呼び掛けたからなのだそうだ。経験者が生きているうちに、絵という手法で記憶を後世に残そうと考えた人がNHKにいたのだ。NHKには批判も多いが、このようなことはNHKでなければできないだろう。この点は大きく評価されなければならないと私には思える。

横浜の日本郵船歴史博物館

荒井屋万国橋店のすぐ近くに、日本郵船歴史博物館がある。たまたま通りかかって、おっこれはややマニアックでおもしろそうと思い、迷わずはいってみた。建物の中に入ると受付があり、受付の向こう側の展示品の撮影は禁止だが、受付の手前の建物の雰囲気とか天井とか撮ってもいいと言ってもらえたので、天井を撮ってみた。悪くない。大正の終わりくらいから昭和の初め頃の雰囲気の天井だ。明治時代の和洋折衷は基本木造で、大正に入るとフランク・ロイド・ライトのデザインした帝国ホテルみたいにレンガ造りが増えてくるのだが、昭和の初め頃には巨石風、コンクリート風みたいなのが増え、やや重厚長大になる。特に関東大震災の後の復興ラッシュで、東京から横浜にかけてのエリアは急速にモダンで頑丈な西洋建築が増えていったのである。たとえば日本橋の高島屋もクラシカルモダンの雰囲気を残すいい建築物だが、昭和の初期のものだ。建築史をきちんと勉強している人であれば、もうちょっと詳しいことが言えるのだと思うけれど、私は自分で歩いて見聞した範囲のことしか言えなくて誠に申し訳ない。

で、展示の内容なのだが、これもなかなか面白い。日本の船舶による流通の近代史みたいな話になっていた。幕末、西洋の圧力から日本は海外との人・物・金の交流を始めることになるのだが、当初は欧米の船会社が日本にやってきてぼろ儲けして帰るというモデルが確立されたものの、日本資本のナショナルフラッグキャリアーがやっぱほしいよねということになり、三菱の岩崎弥太郎が日本郵船を作って日本資本の貨客船の交通網が世界中で次第に確立されていくことになったというわけだ。飛行機ならJAL、お船なら日本郵船という感じだろうか。

日露戦争の時は官民一体で戦争にあたっていたわけだが、たとえばロシア艦隊の母校である旅順港の入り口に船を沈めて通行不能にするという作戦が行われた際、沈められた船は日本郵船から提供されたものだった、というような豆知識も手に入ったりするのである。日本海海戦の直前、迫りつつあったロシアバルチック艦隊を発見したのも日本郵船の船だったみたいな話もあって、東郷平八郎の感謝状も展示されていた。

日本郵船は日本の近現代史を支えたという誇りがあって、それでこのような博物館も作ったのだろう。日本郵船で働く人は、うちにはこんな歴史があるんだ。と得意な気持ちになるだろうし、職場を誇れるのであれば、それは素晴らしいことだ。

建築も興味深く、近代史の一端に触れることができ、企業の心にも触れることができたるような、素敵な博物館だった。




横浜の荒井屋の万国橋店の牛鍋ランチ

近代的日本料理の一つに牛鍋・すき焼きが挙げられる。牛鍋とすき焼きの厳密な違いについては問わない。というのも、すき焼きをあんまり食べたことがないので違いをよく知らないのだ。多分、牛鍋はあくまで鍋だが、すき焼きはあくまで焼き物という違いなのではなかろうか。いずれにせよ、日本人が牛肉を食べるようになったのは幕末になって横浜が開港し、西洋人が牛肉を食べるのを見てマネするようになったのが始まりだと言っていい。日本帝国のオーナーだった元勲たちが明治天皇に牛を食させ、おいしいと言ったと新聞に書かせたというエピソードも残っている。明治天皇はこの他にアンパンも食べておいしいと発言したことになっているが、今回はパンについては踏み込まない。

徳川慶喜京都で政権を担っていた時期、横浜から豚肉を運ばせて楽しんでいたとするエピソードもあるため、おそらくは日本人は本当に豚や牛を食べなかったのだろう。将軍ですら横浜から運ばせなければ豚肉すら手に入らなかったのだから。

で、荒井屋なのだが明治創業とのことで、幕末よりも一世代後の時代の開業らしいから、やや文明開化♪的なものからは時代的にずれる。とはいえ老舗であることに違いなく、実際に牛鍋のランチを食べたらおいしかった。やっぱり昼食時は忙しいのか、牛鍋はやや冷めていたが、お店の人の感じがよかったので、敢えて問うまいと私は思ったのだった。東京・横浜を歩いておもしろいのは日本近代と関連するものが時には荒井屋のように今にも続く形で存続しているものに触れられることだろう。関西の場合は、京都・奈良・大阪のトライアングルにより秀吉以前のおもしろいものがたくさんあるのとは雰囲気を異にする。九州など、更に一歩遠くへ行けばそれぞれの土地の大名家の話がおもしろいのだが、横浜は天領だったので、大名家の話は特にない。とはいえ、荒井屋のようなお店があるのが、横浜の魅力の一つであることは間違いない。




小田原でお猿さんに会ってきた

先日、天気が良かったので小田原へ行ってきた。当初の目的は小田原城の見学だったが、小田原城まで行ってみたものの、なんとなく気が向かなかったので天守閣には入らなかった。大人520円くらいしたのだが、多分、500円ほどの価値があるとはちょっと思えなかったのだ。ただ、天守閣から相模湾がよく見えるだろうと思ったので、後で海岸まで歩いたので、それは記事の後半で少しだけ触れることにする。

小田原城の天守閣

江戸から駿河辺りまでの地域は徳川直轄の天領だったため、西日本や東北地方のような大大名の存在感はあまりないが、その中で小田原藩は10万石を有するなかなかの大大名だった(時代によって増減するし、藩主も変わるため、10万石はざっとした目安と思っていただきたい)。日本に浪漫主義を普及させるパイオニア的な存在だった北村透谷は小田原藩士の息子だったが、透谷のような、やや破滅的な人生を歩んだ人物が文学史に名を残せる程度に活躍できた理由としては、彼の生地と東京との地理的な近さが関係するのではないかと私には思えた。たとえば太宰治のような東北人や川端康成のような関西人が中央で活躍するには、やはり東京帝国大学に入学するとか、どこぞの官吏になるとかなどの修業を積んで世の中に認められるプロセスに入ろうとするが、実家が東京に近い透谷の場合は自由民権運動に啓発されて大いに暴れて資金的に苦しくなれば、一旦実家に引っ込むと言う手段を選ぶことが可能だったため、必ずしもがり勉しなくてもよかった。で、女学校の英語の先生になって、奥さんがいるのに女学生に入れ込んでしまい、最後は樋口一葉が遊びに来てくれなかったことを苦にして自ら命を絶ったとも言われている。やや中二病なのだが、それもまた透谷の魅力と思ってあげれば彼に対する愛情も増すと言うものである。実際、日本型近代を社会・市民の生活の面から解き明かしたいと願う人にとって、透谷は非常に魅力的な研究材料なのだ。島崎藤村が透谷に影響され、立派な浪漫主義的創作を手掛けるようになった。

小田原の北村透谷の碑。藤村の手書きとのこと。

山形有朋のような元老が小田原に居を構えたのも、静かで風光明媚でありながら、東京へのアクセスが良いという抜群の立地だったからだ。小田急は維新のニューエリートが暮らす小田原・箱根と東京をつなぐ目的で建設が進められたと言っても良い。歴史のある民間鉄道だが、国策鉄道であったため、小田急の蓄積は大きい。

さて、小田原といえば後北条氏であり、北条早雲とか北条氏政のような戦国の大大名ということになるのだが、後北条氏はやはり地方政権の色の強いものだった。武田信玄上杉謙信の侵攻をゆるさなかったという点で特筆されるべきではあるが、飽くまでも京の中央政治から見れば、地方政治によくある事件の一つに過ぎない。小田原が中央政治とかかわりを持つのは秀吉の小田原侵攻によってである。当時の秀吉は既に豊臣姓と関白職を得ており、家康からも臣下の礼をとられていたため、怖いもの知らずに上り詰めていて、天下統一したも同然だったが、小田原城の陥落によってそれが完成されるという節目としての要素があった。小田原以東・以北の戦国大名たちは京都の中央政治に対するリアリティの認識がやや欠けており、秀吉の勢力拡張も様子見を決め込んでいたようなのだが、上杉謙信をして徒労のうちに越後へと帰らせた天下の名城である小田原城がいよいよ陥落するということになって、認識を改めた。秀吉が覇者であり、自分たちの存続は秀吉にかかっているというものだ。小田原には仙台の伊達氏、山形の最上氏も秀吉の陣営に参じている。小田原攻城戦では、秀吉と家康のつれしょんエピソードのほか利休の弟子の山上宗二が秀吉に惨殺されたというエピソードもあり、小田原城内の人物が特にこれといった活躍をしていないにもかかわらず、秀吉を題材にした創作物では小田原は好んで使われる舞台だと言える。秀吉は小田原城主が切腹すればそれ以外の者は全員命を助けるとの条件を出した。信長が死んだときに秀吉が攻めていた備中高松城と同じ条件である。城内の主と家臣の利益を相反させるという点に於いて高度な心理作戦であり、秀吉の人間性がいかにクズかがよく分かるのだが、高松城ではそれでも飢えと戦いながら持ちこたえようとしていたのだから、秀吉よりも高松城の人々の方がよほど称賛されるべきではないかと思える。小田原城は100日の籠城でいわゆる小田原評定によって無為に日を重ねたが、早雲以来百年の名城であるにも関わらずややあっけない。もはや時代は秀吉と誰もが観念していたのだろう。

江戸時代に入れば小田原藩が成立し、東海道の小田原宿も整備され、街道沿いの宿場町兼城下町というわけなので大いににぎわったに違いない。小田原城の敷地内にはお猿さんの檻があっただけでなく、立派な樹木も多く、紅葉の季節には美しい植物も見られた。庭に散在する余裕のある大名家が存在してこそ、このような文化的遺産が残されたのだ。

小田原城内の紅葉
小田原城内の美しい紅葉

小田原と言えば蒲鉾である。小田原駅前の鈴廣の売店で試食した蒲鉾のオーガニック感は半端なく味が濃くて申し分なかった。というか感動的だった。蒲鉾ストリートみたいなところもあって、食べ歩きできるのだが、そこで買った揚げたてのさつま揚げも驚異的なおいしさだった。もはやコンビニのおでんのさつま揚げは無理だ。さつま揚げは九州料理だと思い込んでいた私は、認識を改めなくてはならない。海鮮に恵まれた城下町の小田原は練り物王国でもあったのだ。小田原おそるべしなのである。海岸も美しかった。いつもは鎌倉江ノ島あたりから相模湾を小田原方面に向かって海を見ているのだが、今回は反対だったまた違った雰囲気があって楽しかった。大きな発見はこの辺りの海岸では丸い石がたくさん積み重なっていると言うことだった。
小田原の海岸

小田原のさつま揚げ
小田原で食べた揚げたてのさつま揚げ





松屋のオリジナルカレーを食べてきた

松屋が12月1日でオリジナルカレーの販売を中止するというニュースが持ち上がったのは昨日のことである。そして、昨日のうちに、松屋がカレーの販売を中止するのではなく、販売するカレーが変更されるのだということまでが明らかになった。カレーがなくなるとすれば、ショッキングだが、カレーが変更されるというだけであれば、そのショック度合いはそこまで高くはない。とはいえ、今販売されているカレーはなくなるのである。通信販売としては残されるとのことだが、店舗で出されなければやがて忘れられ、知らないうちに通信販売も終了するだろう。

で、実は私は松屋でカレーを食べたことがない。松屋は牛丼屋さんだと信じていた私にとって、松屋でカレーを食べるとの選択肢は最初からなかった。しかしである。ネットでは「あのおいしい松屋のカレーがなくなる」との悲鳴が響いていた。そんなにおいしいのか?しかももうすぐ食べられなくなるのか…では食べようと決心した私は近くの松屋まで出かけたのである。

結論から言えば、松屋のオリジナルカレーは椅子から落ちてもおかしくないほどおいしい。とてもおいしい。しかも安い。コスパ最強である。ブラックカレー風で、ペッパーの風味がきいており、充分に辛い。カレーは辛くなくてはいけないが、これくらい風味がきいて辛いのだから、人気が出て当然だ。このおいしいカレーの販売中止ということになれば、ファンは悲しむだろう。ファンが大勢いることは間違いない。おいしくて、安いのだから。

今後、創業カレーなるものが登場するらしいのだが、その全容は現状では明らかではない。想像だが、オリジナルカレーの名称のまま値上げするのは難しいとの判断があって、商品名を変えて値上げするのではないだろうか。とはいえ、今はともかく、松屋のオリジナルカレーに敬意を表したい。




品川駅構内の和風スープストック

品川駅構内、ecute近く、立ち食いお寿司屋さんのお迎えにある和風スープストックのファンは多いはずだ。あっさりとしていながらダシが濃いという、和風料理の理想の姿がある。しかも、たとえばご飯は雑穀で、さらっと粉チーズがのっているなどという感動的な新しい味の演出もある。いい意味で手ごわく、感動的なまでに尊敬の対象であると言える。

上の写真は博多風のおかゆだが、柑橘系のにこごりを入れることであっさりすっきりとした、今まで知らなかった新しい味を提供してくれている。凄い。おかゆの中のつみれもただものではない。味が濃く、かつ、あっさりしている。凄い。本当にすごい。とにかくすごいのだ。リピしなかったらおかしいと、私はついつい思うのです。店員さんのフレンドリーさも普通ではない。日本の普通の食堂で店員さんは別にフレンドリーでなくても良くなってどれほど経つだろうか。しかし、ここは間違いなく経営の判断による教育なのだと思うけれど、店員さんはトップレベルにフレンドリーだ。フレンドリーかどうかはトリップアドバイザーのような世界的観光口コミサイトでも、ユーザーが重視するポイントの一つで、世界中の人がお店の店員さんがフレンドリーかどうかは気にする。何も日本だけの現象ではないのである。そして日本は店員さんフレンドリー大国だったが、最近は別にそういうこともなくなった。日本企業は今空前の人手不足が続き、誰でもいいから店員やってが身についてしまい、難しい教育をしてアルバイトの人に辞められると困るので、こういうことになったのではないかと思う。が、品川駅の和風スープストックはそうではない。凄いなあと思うのだ。

そうそう、いずれはお迎えの立ち食い寿司屋さんも食レポしたい。




成増のいくら丼

先日、音楽の関係で成増まで行ってきた。成増はやや遠いのだが、縁のある御仁がいるので、ここ数年は年に一回程度は成増にうかがっている。で、今回は駅を降りてからいつもと違うコースを歩いてみたのだが、ふと目に留まったのが海鮮丼のお店であった。あんまり派手派手しいわけではないが、確信的においしいものを出してくれているお店のように直観した。この辺り、実は見極めがとても難しい。新宿辺りであれば、派手なお店にはご用心だ。派手なだけでおいしくない場合が多い。世田谷であればオーナーシェフが多いので、ハイセンスなレストランはたくさんあるが、当然ながら高いのである。六本木や赤坂はその究極へ行こうとするのでもっと高い。普段行けない。では一方で地味なお店がいいのかと言えば、惰性でやっているお店、親から受け継いで慣性の法則だけで開店しているお店などモチベーションの低いお店があったりもするので、そういうお店はトラウマ的なショックを受けるため回避したい。

モチベーション高く、地味でおいしいお店に立ち寄るのは長年の勘によらなくてはならない部分も大きいので、やはり経験値がものを言うし、目を養う訓練をおこたっていると、すぐだめになってしまう。ひどい場合は値段が高くてモチベーションが低く、おいしくないというお店に当たることもある。普段から訓練していれば回避できるが、しばらく休養していると年に一回くらいはそういうところに当たってしまう。習慣と訓練はおそろしいものだ。

で、成増のいくら丼である。小さいお店でご夫婦で営んでいらっしゃる。持ち帰りもできるが、持ち帰ると却って不便な状況だったので、カウンターでいただくことにした。何も豪華なものはなく、食器も質素だが、おいしい。質素なカウンターがやけに懐かしい感じがするため、好感度がぐんぐんアップである。できれば通いたいのだが、遠いので難しい。また次回、成増に来た時には立ち寄りたい。

考えてみると成増は食に関してはなかなか手ごわい、いい街だ。東武東上線の駅構内のおそばやさんは絶品だ。駅を降りるとコメダ珈琲店があり、地下鉄成増駅を降りたすぐのところにはいいネタを仕込んでいる回転お寿司のお店がある。



鎌倉駅前の銀のすずのアップルパイ

先日、音楽に関係する要件があるので、鎌倉に行った。しばらくは鎌倉に時々行くことになると思う。で、鎌倉駅についた後、約束の時間までどうしようかと思ってふらっと入ったのが、銀のすずというカフェである。確かに入り口は微妙であった。バーンっと大きな写真がある。男の人二人が和装で正座しているのだが、オーナーのご先祖様らしい。で、創業は天保六年となっている。想像だがお茶屋さんだったのだろう。多分。で、それはいい。ただ、大きいバーンという看板は確かにいろいろ考えさせられるものではあった。というのも、たとえば熊本県に行けば漱石が泊まった宿という看板があって、私は少年時代に父親に連れられて旅行した時に一度だけその看板を見たことがあるのだが、漱石の顔がバーンっと大写しになっているものだった。そりゃ、二百十日の舞台になったのはこのお宿なんでしょうけれど、漱石だって生きていれば旅行もするし、旅行すればどこかの宿には泊まるのだから、漱石の人生にちょっとでもかすっていれば、漱石のドアップ看板バーンはちょっといかがなものか、観光客目当てが分かりすぎはしないかという印象を持ったのだ。なので、銀のすずの前に立った時、その看板の存在は、このお店が微妙だということを表しているのだと気づくべきだったのだ。

しかし、疲れていた私は寒かったし雨が降っていたのもあって、あまり考えずに銀のすずに入った。カフェなんて、そんなに変わらないだろう。どこへ入っても大差ないさ。あっちにルノワールがあるけれど、ルノワールは都内にもある。銀のすずはここしかないのだから、一見の価値ありと踏んだのだった。で、あまりフレンドリーとは言えないお店の人に席を案内されたのである。お店の人はフレンドリーでないというよりも、なんとなく慣れていないというか、接客業のプロ意識に欠けている感じがするというか、都内であれば短期のアルバイトでも気合の入っている人に出会って敬服してしまうのだが、そういう気合を感じられないことにやや怪訝な思いがないではなかったが、都内と比べれば神奈川県下はそういう気合の入らない接客業の人は多い。都内と比べればその比率は半端なく高い。神奈川県をdisっているように思われるかも知れないが、私も神奈川県民なので、なにとぞおゆるしをねがいたい。ついでに言うと、星野珈琲店もフレンドリーではないという点で私は行く度になんとなくショッキングなのだが、チェーンのどの店舗に入っても店員さんが迷惑そうにしているので会社の方針なのかも知れない。私に問題がある可能性もあるが、コメダ珈琲店でそのように感じたことはないし、普通そのようなことは感じない。

それはそうと、次にメニューを見てその高さにひっくりかえりそうになった。ケーキセットで2000円前後という強気の価格帯である。今さら雨の晩秋の夜に安いカフェを求めて歩くことは難しいと思ったので、やむを得ずアップルパイのセットを頼んだ。安い方のセットを頼むと、それはエスプレッソの値段だというので、ブルーマウンテンのちょっと高いセットにした。エスプレッソとブルーマウンテンの違いで300円ほどの差があった。普通のカフェでエスプレッソとブルーマウンテンで300円も違わないだろう…。と思っても入ってしまった以上は後の祭りである。しかもお皿が出てくるのはとんでもなく遅い。お店の人はギャルソン的な立場の男の人がたった一人だけで、注文を聞くのもお皿を用意するのも下げるのもこの人がしているのだ。文句を言うのはかわいそうだと本を読みながらじっと我慢。カフェに入って我慢するとはどういうことかと首をかしげたくなったが、とにかく我慢で張学良に関する本を読んだ。私は以前から張学良氏についてはいろいろ関心があったが、この待ち時間の間の読書を通じ、更に深く彼のことを理解し、あ、なるほどと思うところがあったので、それはそれでまたブログに書きたい。近いうちにyoutubeの配信も再開したいので、配信再開の一報は張学良氏についてにしようかとも考えている。(シャア論考にするかも知れないが)

それはそうとして、歴史上の人物について大きく理解を深める程度の待ち時間があるカフェはそれ自体どうなのかとも思うが、私は読書の休憩のつもりでiphoneを取り出し、鎌倉 銀のすず で検索した。あまりの評判の悪さに驚いたが、いちいちもっともだとも思った。お店の人の対応は微妙で高い。鎌倉駅前の立地はそんなに偉いのかといわんばかりの随分な言いようである。星1つ、2つが目立った。分かる。理解できる。お料理もそこまでおいしくないとの評価もあった。銀のすずの名誉のために付け加えると、コーヒーとお料理はすばらしかった。あまりのおいしさに椅子から落ちそうなほどに驚いたのだった。椅子は落ちそうなほどやや微妙だった。なぜ
アップルパイにここまで研究が深まっていながら、インテリアに関する研究は微妙なのか…やはり鎌倉駅前という立地が驕りを生んでいるのかとも訝しんだが、いずれにせよ、繰り返しになるが、アップルパイとブルーマウンテンは最高だった。果たしてあんなにおいしいアップルパイを食べる機会を再び得られるだろうかと思えるほど、人生で最高においしいアップルパイだった。銀のすずのアップルパイは一度は試してみる価値があるのでおおいにお勧めだ。

ネット上では二度と行かないという人の声が多数だった。私ももう一度行くことはないと思う。だが、一度ぐらいは行ってもいいカフェであることは断言できる。