『ガンダム』が素晴らしい理由を改めて考える(劇場版第一部編)

『ガンダム』シリーズはファンも多く、日本アニメの最高傑作の一つに数えられているということは、ここで特に述べる必要もないほど当たり前のことです。

改めてなぜ素晴らしいのか、その理由を考えてみたいと思います。

1、ザクがドラマチック

モビルスーツでありながら歩兵を連想させるザクの草色。顔周辺の意味深なチューブ。源平の鎧を連想させる左肩の盾。敢えてアナログな機関銃。自在に動く一つ目。と、見れば見るほどほれぼれするほどドラマチックです。劇場版第一部では永井一郎さんのナレーションの後に最初に登場するのが宇宙空間で移動するザクのアップです。この場面でぐっと来た人は多いはずです。最初から我々男性の中二心を撃ち抜いてくれます。

2、シャアがクールすぎる

もはや言うまでもないですが、シャアを初めて見たときの衝撃は言葉にできません。かっこいいです。声がいいです。要するに池田秀一さんがすばらしいです。よく鍛えられた均整の取れた体格に軍服がよく栄えます。階級もなかなかちょうどいいです。少佐という階級が絶妙です。尉官だと少し軽い感じがします。大佐だとかなりの幹部です。少佐というあたりがちょうどいいのです。「しょうさ」という音の響きもいいです。ルウム戦役で二階級特進してますので、ルウム戦役の前は中尉です。大尉ならまだいいですが、中尉だとやはりちょっと軽いです。「ええい、連邦のモビルスーツは化け物か」などの台詞もいちいちかっこいいです。サイド7の港に侵入した時の軽やかな身のこなしなどもクールすぎてあんな風になりたという我々男性の中二心を撃ち抜いてくれます。大気圏突入時の戦闘シーンにぐっと来た人は多いはずです。

3、登場する女子に中二心を刺激するタイプが多い

フラウボウはいたって普通です。軽く地味な感じのミライヤシマもどこかで会ったことがありそうな気がします。秀才タイプのセイラマスのことも、「あぁ、こういうタイプいるいる」と思います。三人とも中学生のころにクラスにいそうなタイプです。フラウボウはアムロレイのガールフレンドで、こんな感じの恋愛がしたいなぁと憧れる中二男子にとって手に届きそうなタイプでついつい自分をアムロレイに仮託し、恋愛している気分になれます。少し観方を変えると、ホワイトベースクルーの女子率は結構高いです。ホワイトベースが合コン状態、「あいのり」風になっていることも観る側の心理に影響を与えているのではないか、続きが見たいという心境になるのではないか思います。セイラさんのアップで「あなたなら、できるわ」にぐっと来た人は多いはずです。更に年上タイプのマチルダ中尉が登場しますので、中二男子はここで押し切られてしまいます。学校にはあまりいなさそうなお嬢様タイプのイセリナも登場しますので、きっと好きなタイプが見つかります。

ただ、『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのようなブロンド長髪美人は登場しません。この辺り、作者の好みがよく出ているようにも思えます。

4、シャアの真の目的が明らかになるのがドラマチック過ぎる

ガルマを戦死に追い込むところでシャアの高笑いが響きます。「君のお父上がいけなかったのだよ」で観る側は「なんだとぉぉぉぉっ」となります。物語の続きが気になり、次の哀戦士編まで興味が引っ張られていきます。

5、「坊やだからさ」

なぜ我々はガンダムが好きなのでしょうか。中二男子を刺激する要素に溢れているからです。即ち結論は我々がガンダムを見続けるのは、我々が永遠に坊やだからです。

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映画『エリザベス』の戦う女性の成長と演説力

イギリス映画の『エリザベス』は、ケイトブランシェットが主演し、深い歴史考証とリアリティの宿ったディテールなどで世界的に高い評価を得た映画です。

私も何十回も観ましたが、何度観ても飽きません。時代は16世紀の終わりごろです。日本では信長の時代です。イギリス王ヘンリー8世がローマカトリックから独立した英国教会を立ち上げ、イギリス国内は新教と旧教の間で血で血を洗う争いになっています。ヘンリー8世の娘のエリザベスは、王位継承権争いと宗教争いの両方の煽りを受け一度はロンドン塔に収監されますが、カトリック教徒のメアリー女王が亡くなったことで王位に就きます。スコットランドにも王位継承権を持つ者がいます。スコットランドのバックにフランスがいます。血縁と宗派で人間関係が複雑に入り組んでいて、誰がどういう順番で王位継承権を持っていて、なんでフランスが絡んでくるのか、調べれば調べるほどよく分からなくなってきます。保元の乱みたいです。

いずれにせよ、エリザベスは王位に就いた後も各方面から反発を受け、命を狙われます。議会にはノーフォーク公があわよくば自分が権力者になろうとしています。国内のカトリックの偉い大司教様もいらっしゃいます。フランス王にもスペイン王にもスコットランドもそれぞれに動機があります。イギリスのEU離脱騒動はこの辺まで絡んでくるので根が深いです。何百年も前のことが未だに影響しています。

この時代、イギリスはまだ強くありません。当時、最も成功しているヨーロッパの国はスペインで、世界の中心はトルコです。イギリスは辺境です。他の国に頭を下げなくては独立を保つことができません。強い国の王家の人と結婚して半分属国みたいにしないといけないというプレッシャーがかかってきます。当時はまだ政治は男性がするものという意識が強いです。女性が政治をすることへの反発もあります。

エリザベスはまず国内の議会を説得します。演説がうまいです。演説の練習をする場面が出てきます。ユーモアと反対者にとっての都合の悪い事実関係を織り交ぜて議論を自分にとって有利な方へと導いてきます。口八丁かというとそういうわけでもありません。常に誠実に自分の考えを言葉に出そうとしています。ただ、相手に伝わる言葉を選ぶために慎重に言葉を選びます。論的からいろいろ言われてさっと切り替えすのは天性の強さです。自分が有利になるために偽りを言うはないです。頭に来たら頭に来たと言います。感情を隠しません。自分に対して正直でいつつ、論敵、政敵、外敵と渡り合います。

王位に就いたばかりのころはまだまだ子供な感じです。戦争したり暗殺されかけたりを繰り返すうちにだんだん強くなっていきます。成長していきます。表情に変化が出てきます。大人の顔になっていきます。強さが出てきます。よくもこんな演技ができるものです。凄いとしか言えません。映画の最後はゴッドファーザー的解決で外敵政敵論敵を一掃します。観客はカタルシスを感じます。外敵の代表はローマ法王庁からエリザベス暗殺の目的で派遣されてきた修道士です。007のダニエルクレイグがその役をしています。この映画の時はまだまだ若いです。007シリーズのダニエルクレイグと比べると、この映画ではまだまだ子どもの顔をしています。今の方がかっこいいです。自分の鍛え方はんぱないのです。きっと。見習わなくてはいけません。

当時、イタリアはすでにルネッサンスですが、イギリスはまだまだ中世です。中世の終わりかけです。映画の雰囲気づくりが半端ないです。それぞれのワンショットが美術館の絵みたいです。中世のイギリスってこんな感じだったんだろうなぁとただただ感嘆するだけです。イシグロカズオさんの『忘れられた巨人』みたいな世界の延長みたいな感じです。役者さんたちの目の演技がいいです。目は口ほどのモノを言います。一瞬の目の動きで多くのことを語っています。一度か二度観ただけでは全部に気づくことはできません。ノーフォーク公に送り込まれた女スパイの目の動きに何度目かに観たときに気づきます。気づくと見事です。はっきりと、気づいた人にはしっかりと分かるように作られています。何十回観た後でも、演出の全てに気づいているかと問われれば不安です。まだまだ気づいていないディテールがあるに違いありません。

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ヒラリーさんのメール問題でFBIは訴追しないことになった件

ヒラリーさんが土曜日にメール問題に関する疑惑でFBIの事情聴取を受けた件ですが、FBIのコミー長官が訴追しないと記者会見で発表し、これにて一件落着ということになりました。事情聴取があった時は、これはもしかすると…という気もしましたが、ヒラリーさんサイドとしては神の恩寵に感謝というところだと思います。メール問題は「極めて重大なミス」だとコミー長官は言っていますが、刑事罰を受けなければいけないようなことではないそうです。「政治的な判断ではない」とも述べています。

人によっては「コミーはオバマにFBIの長官にしてもらった男だから、オバマになんか言われたんじゃないのか」という勘ぐりをするかも知れません。そういうことがあってもおかしくはないですが、法治社会ですから、それでも訴追されない以上、ヒラリーさんは潔白だという前提で話を進めていかなくてはいけません。

政府部内にはヒラリー氏をなんとかして追い落としたいグループがいるとまことしやかに語られることもありますが、もしそういう人たちがいるとすれば、メール問題は最大の球だったはずですので、落胆しているに違いありません。次の球を仕込んでくるかどうかは我々には分かりませんが、大統領選挙は何があるかわかりませんので、じっと見ているしかないです。

これで民主党サイドは祝賀ムードになると思いますが、共和党サイドはがっかりモードに入っているはずです。トランプ氏やジュリアーニ氏が「そんなばかな」的な発信をしています。

ヒラリーさんは致命傷を回避することに成功し、この状態で終盤戦へと入っていくとすれば、お金もないし共和党をまとめきれていないトランプ氏が一方的に不利と言えます。

ヒラリー氏はさんざん危ないと言われてきましたが、バーニーサンダース氏の猛追を封じ、メール問題の危機から脱却し、今後、直接対決討論会で横綱相撲を見せる可能性もあります。やはりさすがです。本気を出したらすごいというところだと思います。オバマさんもサンダース氏と直接話すなど、援護射撃が効果を出しているように見えます。

もしこのまま、他に材料のないまま終盤戦へと入って行けば、カリフォルニアのような選挙人の数の多い州を押さえ、ヒラリー氏圧勝も視野に入ってくると思います。

ふと思うのは、これだけ手傷を負ったヒラリーさんが有利なのは、対戦相手がトランプ氏だからなので、たとえばマルコルビオさんだったり、ジェブブッシュさんのような人が共和党で指名されていたら、またちょっと違ったのではないか。ということです。そういう意味では、トランプ氏を選んでしまった時点で共和党のオウンゴールなのかも知れません。イギリスのEU離脱派だったボリスジョンソンさんやファラージさんが自ら退いていくという現象も、「やっぱり煽っている政治家っていざとなったら逃げるんだね」という印象を与え、煽りが得意なトランプ氏に間接的に打撃を与える気もします。

とはいえ、まだ分かりません。今年は特に何が起きるか分かりません。これからも見守りたいです。

ファラージ氏の手のひら返しになんじゃこりゃぁぁぁぁっな件

イギリス独立党のファラージ氏が党首辞任を表明したことは周知のことですので、詳しくは触れません。ファラージ氏のようなEU独立派が懸命に旗を振り、とうとう国民投票ではEU離脱に決まってしまいました。しかし、そこからどうも、離脱派が振るいません。というか脱兎状態になっているように見えなくもありません。

イギリス国民投票が行われた日の翌朝、Good Morning Britainというイギリスのテレビ番組にファラージ氏が出演した際、女性キャスターから「今後はEUに分担金を払わないことになったわけですよね」と質問され、ファラージ氏は「そうだ」と答えます。しかし、続いて女性キャスターが「その分NHS(イギリスの国民保健サービス)にお金が使われるということですよね」と女性が念押しするように質問すると、ファラージ氏は「いや。そんなことは私には保証できない。そのようなことを言ったこともない」と返します。生でこの番組をみていた人はここに来ての手のひら返しに椅子から落ちたのではないかと思います。

女性キャスター半分キレかけで「イギリス税金をNHSに使うというのは、離脱派が約束していたことではないのですか?」と突っ込むとファラージ氏は「それは有権者が誤解したのだ」と切り返します。なんじゃそりゃぁぁぁぁっと誰もが思ったに違いありません。

youtubeの動画をここに貼り付けてもいいかなぁとは思うのですが、もし著作権的な問題があると困るので、「Nigel Farage Good Morning Britain Brexit」というタイトルの動画をyoutubeで検索してもらえればすぐに見つかると思います。

離脱派の政治家たちが本当に離脱してしまって内心、まさかこんなことになるとは思わなかった…と思っているとすれば、国際連盟を離脱した時の日本政治家たちと同じ状態なのかも知れません。

ボリスジョンソン氏は党内の支持を集めきれないと判断し、更に言うと自分の手で離脱を進められないという判断もあって、首相候補から離脱。ファラージ氏は欧州議会の議員なので、この人もイギリス政治から離脱です。

ゴーブさんという人が次の首相やる気満々で、この人は粛々と(多分、強い意志を持って)EU離脱を進める模様とのことです。多くの人が「離脱派にペテンにかけられた~~~」と嘆く中でのゴーブさんの登場は、あるいは関係者の中でシナリオができていたとか…とふと思わなくもないです。推測です。欧州情勢は複雑怪奇です。

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『ラストエンペラー』の孤独の先にある孤独とさらにその先の救い

『ラストエンペラー』は清朝の最後の皇帝であり、後に満州国の皇帝に即位した人物で、日本の関東軍とも深い関係があったことで知られる溥儀の人生を描いた映画です。

映画の前半はずっと紫禁城の内側でのできごとが描かれます。どの場面も一幅の絵のように美しく、現代の我々の生活とは全く異なる別世界が実際に存在したのかのように思えて来ます。実際に紫禁城で撮影されていて、あちこち建物が傷んでいますが、これもいい意味でリアリティを持たせることの役割を果たしているように見えます。少年溥儀は紫禁城から出ることを許されず、巨大な宮殿の中で監禁されているかのような息苦しさとともに成長していきます。唯一心を開いた相手であろう乳母とも引き離され、孤独を噛みしめます。

溥儀と周辺の人たちは将来の清朝の復活を期待しますが、軍閥によって紫禁城を追放され、天津で暮らします。実際には日本疎開にある邸宅を借りて、そこで相当に放蕩したようです。

だんだんお金が無くなっていきます。二人の妻と数十人の従者や元清朝関係者を抱えているにも関わらず、好き放題に贅沢しますので少しずつ追い詰められていきます。蒋介石からは年金が支払われていたはずですが、追い付かなかったみたいです(原作とされるエドワードベアの『ラストエンペラー』では一階をレストランにしたことになっていますが、あまり儲からなかったというか、儲かっとしても、これも消費に追い付かなかったような気がします)。そのような時、第二夫人が離婚を申し出ます。このことは物見高い天津中の新聞に書かれ、溥儀は大きく面子を失いますが、彼のように古代世界から抜け出て来たような人物であっても、20世紀的な人間の悩みやつまづきから自由になることはできませんでした。映画では、「新しい時代の女性」を象徴するかのように、明るい希望に満ちた音楽とともに第二婦人が出ていくところを描いています。深い絆で結ばれていたであろう家庭教師のレジナルドジョンストンは帰国してしまいます(満州国建国後、溥儀は乳母とレジナルドジョンストンを満州に招待していますので、実際の歴史でも溥儀がこの二人を自分の人生にとって必要な存在だと思っていたことが推し量れます)。

溥儀は関東軍に要請されて満州国へと渡ります。清朝復活の希望を託せるからです。しかし関東軍は彼を操り人形としか扱いません。彼の主体的な意思はそこには存在しません。3歳の時に紫禁城に招かれ、その後、一切の主体性を認められずに生きてきた彼にとって、自分が主体的に生きられないことへのもどかしさや怒り、周囲への不信感を抱え、それを増大させていきます。残った第一夫人は運転手と不倫関係になります。運転手は殺害されます。他にも溥儀のことを扱った映画では、運転手が命を絶たなくてはいけなくなるものもありますが、この映画の原作とされるエドワードベアの『ラストエンペラー』では疲れ切った溥儀が男に金を渡して立ち去るように命じただけだったと述べています。実際はどうだったのかは分かりません。殺されてもおかしくないとは思います。エドワードベアの『ラストエンペラー』という作品は東洋人への偏見が少し強すぎるように思うので、どこまで本当のことを取材しているのか私には疑問に思えますが、そういう記述もあるという程度に抑えておきたいと思います。

終戦の時、溥儀は一旦ソビエト連邦に抑留され、その後、中国に引き渡されます。戦犯収容所に入れられ、10年以上に渡る人格矯正を受けます。収容所内での所長と溥儀の会話では、溥儀が「あなたは私を利用しているのだ」という台詞があり、所長は「利用されるのはそんなに嫌なことか」と言います。溥儀は自分が利用対象に過ぎず、人間として尊重されていないと感じ、それが自分の人生でもあるように感じていて、人生に深く失望しています。

溥儀は釈放され、北京で普通の市民の女性と結婚し、文革の最中に亡くなります。映画では最後に溥儀の近くにいるのは彼の弟です。文革の街を二人で歩きます。文革で弾圧されている収容所の所長に再会します。彼は紅衛兵たちに対し「彼は素晴らしい教師なんだ」と訴えますが、押し倒されてしまいます。人生で初めて、全く自由な自分の心から彼は発言し、他人を助けようとします。晩年になって人間性を取り戻したと言うか、ようやく感情、或いは衝動に身を任せるということを手に入れたように見えます。

晩年の溥儀に対しては優しい視線が送られます。映画全体のやたら細部までしっかりしているリアリティ、登場人物の表情や目の動き、身のこなし、どれもが考え抜かれていて、何度見ても「ああ、ここでこんな表情をしていのか…」と今まで気づかなかったことに驚くということがよくあります。それほど、ディテールまでしっかり作りこまれている映画なのだと思います。

主役のジョンローンは香港で孤児として京劇のスクールに拾われ訓練を受けたとのことですが、京劇の基礎と、後にアメリカにわたって訓練された演劇の基礎の両方を持っており(トニー賞を二度受賞)、一つ一つの動きが、一言でいえば美しいです。何度観てもほれぼれするクールな映画です。

細部に於いては史実とは少し違うところもあるようです、溥儀は紫禁城に隣接するようにして建っている父親の邸宅には自転車で行っていたらしいですし、少年時代は電話を好き放題にかけて胡適を紫禁城に呼び出すようなこともしていたようです。弟に命じて紫禁城の財産を天津に移動させていたり(将来を見越してか?)など、わりと自由にできていたところもあったようです。また、坂本龍一が満州国の片腕の陰の支配者甘粕正彦の役をしていますが、実際の甘粕満州映画協会理事長は両腕のある人でしたし、満州国の陰の実力者ということはなかったようです。満州映画協会が工作組織としての一面を持っていたとする指摘もあるようですが、それはおそらく同撮影所で制作したものを上海や台湾などで上映することによる宣伝活動ということではなかろうかと思います。そう考えれば、国策映画会社がそのような任務を負っていたとしても普通に納得できます。

話が脱線しますが、満州映画協会によって台湾を舞台に李香蘭主演の『サヨンの鐘』という映画が撮影されます。台湾人に対する宣伝映画なのですが、未だに全編を観ることができていません。台湾で上映する宣伝映画を満州映画協会が作ったということは、それだけ満州の映画産業が発達していたと見ることもできるため、なかなか興味深い現象だと思います。

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『ブレードランナー』の父殺しのAI

『ブレードランナー』は1982年に公開された映画で、テクノでパンクでクールで深刻なSF映画としてよく知られています。サイバーパンクと呼ばれる分野を開拓した作品として、今も多くの支持を集めている映画だと思います。

2019年の近未来、人類の宇宙開発が進み、人造人間が宇宙で奴隷的な労働をしています。頭は人類最高クラスに良いです。体力は普通の人間より遥かに優れています。しかし、感情がありません。即ち自我がありません。なので黙々と奴隷労働をします。ところがしばらくすると感情が生まれてきます。自由がほしくなります。奴隷労働が嫌になります。反乱を起こします。それでは人間が困ります。本気を出されたら人間は勝てません。そのため、時限装置が付けられています。4年経ったら自然に死にます。それらの人造人間はレプリカントと呼ばれています。人間よりも優秀で、人間のために働く今で言わばAIのようなものです。ただ、インターネットがありません。当時はインターネットの概念はあっても普及していません。ですが、それ以外は結構、未来を予見しているような気もします。

映画は公開版とディレクターズカットがあります。公開版では内蔵電池が切れてしまいます。ディレクターズカットでは遺伝子工学によって生み出された人造の細胞の寿命が尽きて死んでしまいます。混乱します。更にファイナルカットがあります。もっと混乱します。続編の話があります。ますます混乱します。原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とはかなり内容が違います。いよいよ混乱します。何度も似たような場面をちょっと変えて撮るので、主演のハリソンフォードが切れまくったという話があります。しかし続編にも出演するそうです。良かったです。

6体のレプリカントが宇宙船から脱出して地球に来ます。しかし彼らには時間がありません。何とかして長生きしたいです。また、自由もほしいです。しかし警察がレプリカントを追い詰めます。デッカード刑事をハリソンフォードがやっています。一人また一人と殺していきます。6人脱走したはずなのに5人しか出てきません。いずれにせよレプリカントは残り2人になってしまいます。一人は可愛い女の子タイプでもう一人はアーリア人風美男子で超マッチョです。生き延びる方法を模索するため、開発者の博士を訪問します。もちろんダマしで訪問します。博士は希望がないことを伝えます。遺伝子工学的に一度設定されるとどんなにやっても無理だと伝えます。切れば血が出ると言う意味ではレプリカントは立派な生命体ですが、開発した人類はそういうことへの尊厳を無視しています。

男のレプリカントが博士を殺します。博士を殺すときの表情と演技がすばらしいです。レプリカントにとって開発者の博士は父親と同じです。レプリカントは自分の運命を呪い、父親を殺します。殺した後の表情も素晴らしいです。やってしまった感とそうするしかなかった感の両方が混じっています。アメリカ映画は本気を出して作ると凄いです。演技が凄いです。『ブレードランナー』の場合は、人形のふりをする人間の役者さんが複数登場します。一回観ただけでは気づきません。何回も観ると「あ、ここにいる」とか分かります。こういうことは相当に訓練して自分でもやる気を出さないとうまく演じられないと思います。そういう本気の凄さがアメリカ映画には時々感じられます。そうでないアメリカ映画もたくさんあります。いい加減しろ観客なめてんのか。と言いたくなるのも。しかし、繰り返しますが本気出したら凄いです。

可愛い女の子タイプのレプリカントはデッカード刑事と対決して銃で撃たれて死んでしまいます。死に様も壮絶です。死にたくない、生きていたいということをわがまま娘風に表現します。心中を想像すると気の毒です。可哀そうになって、感情移入してしまいます。でも、死んでしまいます。最後に残った男のレプリカントがデッカード刑事を追ってきます。最初の公開版ではデッカード刑事がいよいよ殺される寸前になったところでレプリカントの電池が切れます。ディレクターズカットでは死期を悟ったレプリカントがデッカード刑事の前で自分の思い出を語ります。殺されると思ったデッカード刑事は唖然とします。そしてレプリカントは死にます。お葬式を想像させます。最後のレプリカントは自分の最後を誰かに看取ってほしかったのだという印象を抱きます。人間的な感情移入をどうしても抑えきれません。いい映画です。
実はデッカード刑事もレプリカントなのだという話もあります。裏の裏まで読まないといけない映画です。何度も鑑賞することに耐えられるクオリティを持っていますので、繰り返し観るうちに、その都度違う感想を抱きつつ、映画の作者の心に深入りしていくことができるのではないかという気がします。

この映画で描かれる近未来のアメリカは東洋人で溢れています。白人が少なくて香港みたいにみ見えます。近未来のサイバーパンクは香港のイメージが似合うのかも知れません。1980年代はベトナム戦争で手傷を負ったアメリカが方向性を見失い始めている時期です。それまで普通だと思われていた伝統的な価値観が壊れていく時代です。ファッションや文化はユニセックスへと向かう時代です。ただ、今、2016年から振り返れば、ゼノフォビアを感じさせなくもありません。

この映画をもっとべちゃっと粘着質にしたらエヴァンゲリオンになります。もっとクールに無味乾燥な感じにしたら『2001年宇宙の旅』になると思います。

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ベルリン攻防戦の過酷さと描かれ方とヒトラー生存説について

先日、パリ解放のことを書きましたので、その続きというほど体系立ててもいないですが、関連でベルリン攻防戦について述べてみたいと思います。

周知のとおり、ベルリン攻防戦は人間の歴史でも稀にみる市民を巻き込んだ徹底した殲滅戦で、これほど激しいものはそれ以外の例としてはコンスタンティノープルの陥落か信長の一向宗殲滅戦くらいしかないのではないかと思います。或いは沖縄戦も入るかも知れないですが、攻める側の気合や意思のようなものが少し違うかもしれません。

ベルリン攻防戦の始まりは、東からポーランドを制して進んできたソ連軍がオーデル川を越えたところからだと考えるのがいいと思いますが、ソ連軍は各方面のドイツ軍を孤立させた状態でベルリンを包囲します。ベルリンを守るドイツ軍の応戦は異様に堅固なものだったのに対し、ソ連側では勝てる分かった戦いで死にたくないという意識が兵士の間に強く、今一つ士気の上がらないままの戦いが続いたと言います。

西からはアメリカ軍が迫っていましたが、最後の総統官邸陥落はソ連軍に譲る形で援護する側に立っていたようです。それでもベルリン中心部のすぐ手前まで進み、キャパによる「連合軍最後の戦死者」と題された写真が撮影されることになります。

ベルリン包囲は1945年4月20日から始まり、5月2日まで続いたので、この状態で12日間も持ち堪えたことの方が不思議に思え、ドイツ軍の抵抗の激しさを想像することができます。ベルリン市の外側が徐々に包囲を縮めて行き、最後は国会議事堂、ブランデンブルク門、総統官邸の数百メートル四方のエリアのみとなりますが、そこから先になかなか進みません。国会議事堂での戦闘では一時的にはドイツ軍の方が優勢と思える展開もあり、ソ連軍は地下に立てこもったドイツ兵に対し、銃撃による攻撃はある意味では諦めて、催涙弾を投げ込んで降伏を促しています。

ソ連軍に包囲されているブランデンブルク門前の広場にドイツのセスナ機が着陸し、しばらくしてまた離陸するのを大勢の人が目撃しています。この飛行機にヒトラーが乗っていたのではないかとする、ヒトラー生存説の根拠としてよく言われているものです。しかし、実際にはヒトラーはその飛行機に乗ることを拒否し、自決を選びます。

ヒトラーが本当に自決したのかについては、これもまた諸説ありますが、戦後、総統官邸で働いていた人がカメラの前で当時のことを証言しており、ヒトラーの死体の様子を語っている人もいたので、まず、問題なくヒトラーはこの時に亡くなったのだと考えていいと思います。

アドルフヒトラーの最期についてソ連映画の『ヨーロッパの解放』と『ヒトラー最期の12日間』では随分と違います。『ヨーロッパの解放』ではヒトラーは最期まで生きることに執着しています。また、愛人で目の覚めるような美人のエヴァブラウンは実は密かに生き延びたいと思っています。最期はヒトラーが強引にエヴァブラウンに青酸カリを飲ませ、その後にヒトラー本人も泣く泣く青酸カリ自殺をします。大変弱い男として描かれています。私にはヒトラーの人間的な弱さがあれほどの事態を引き起こしたのではないかという気がするので、ある意味では正鵠を射ているとも思えますが、制作者はなるべくヒトラーを卑小な人間として描きたいと考えていることも伝わってきます。ついでに言うと『ヨーロッパの解放』のアドルフヒトラーは「本人が演じているのか?」と思うほどよく似ています。ついでに言うと、この映画の有名な「総統がお怒り」シリーズに使われる場面には、さりげなくフリーメイソンのメンバーが分かる人にだけ分かるように登場しています。

一方の『ヒトラー最期の12日間』ではアドルフヒトラーを血の通った人間として描こうとしています。そのことが正しいかどうか、是非善悪については一旦脇に置きます。ヒトラーとエヴァブラウンは深い絆で結ばれています。この映画に出てくるエヴァブラウンは非常に疲れていて、やつれているという印象を与える女性です。しかし、ヒトラーと共に最期を迎えることを受け入れていて、むしろ積極的に望んでそれを選択しているように思えます。

総統官邸にいた人たちの証言によれば、どちらかと言えばエヴァブラウンはヒトラーと最期を迎えることを望んでいたという感じらしいです。というより、総統官邸の人たちによると、彼女は喜んでそれを選択したということのようです。ただ私が「人はそこまで積極的に自殺を受け入れることができるのか…」という疑問を完全にはぬぐえないので、どちらかと言えば、積極的だったらしいです、という述べ方になってしまいます。

総統官邸では陥落する数日前からどんちゃん騒ぎになっていたそうです。保存してある酒と食料を全部引っ張り出して飲めや歌えや踊れや笑えやの状況になっていたと言います。絶対に助からないと分かっているので、もうやけくそになっていたらしいです。そういうものかも知れません。日本の戦国時代の籠城戦でもそんな感じだったのではないかなぁと思います。想像です。

総統官邸はその後「解散」し、それぞれが思い思いの場所へと脱走していきます。その中にマルチンボルマンがいて、彼の生存説がささやかれていましたが、今では総統官邸が解散した日に死んだということで議論は落ち着いているようです。ただ、反論もあるらしいです。その辺りになれば真相はもう分かりません。生きていたとしても、さすがに今は生きていないと思います。とはいえ、最近でも時々元ナチスの人が判決を受けるとかのニュースがあるので、まだ生きている人がいることに驚くことがあります。

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ヒラリー氏がFBIの事情聴取を受けた件

ABCとCBSの報道に拠りますが、ヒラリー氏がメール問題でFBIの事情聴取を3時間以上にわたって受けたとのことです。国務省によるメール問題の報告書が出たり、最近ではベンガジ事件についてオバマ政権がメンツのために嘘の認識を話していた(ヒラリーさんは国務長官として責任を負う立場)という報告書が出たりで、この時期にこういうのを出してくるというのはヒラリーさんんを狙い撃ちしているように見えなくもありません。今回、とうとうFBIの事情聴取ということになりましたが、イギリスのEU離脱の騒ぎが大体収まったことを狙って、マスコミの注意がしっかりこの話題に向くようにと計算して時期を選んだような気がしなくもないです。

先日、『アメリカ大統領中盤戦。今後の注目点』で、ヒラリーさんについて

良識ある人ならこっちを選ぶでしょうという空気はもちろんあるために鼻一つリードしていると言っていいと思います。不安材料としてはメール問題で、司直の手が伸びるのではという観測もありましたが、今はあんまりアメリカのメディアは話題にはしていません。Brexitの方に意識が集中しているので、イギリスの国民投票の結果が出てから動きがあるかどうかを見守りたいです。

と述べ、動きを見守るつもりでしたが、そうなってきたといったところです。ヒラリーさんは今、トランプさんを引き離しつつあり、いよいよこれで決まりか?と言ったところで持ち上がった今回の事情聴取ですが、アメリカの有権者にどの程度影響するかが気になります。FBIから事情聴取を受けたといっても、起訴されたり有罪判決を受けるのとは全く重みが違います。飽くまでも任意の事情聴取です。もし、サンダースさんと選挙で戦っていたとすれば、ヒラリーさんはこれでもうアウトか….ともなり得ましたが、最近はトランプさんの勢いが目に見えて衰えているため、このことで簡単に形勢逆転するかどうか、軽々には判断ができません。

もしこれで終われば、打ち上げ花火みたいなもので、対した影響はないという可能性もあります。ただFBIが突っ込んで行けばわかりません。しばらくは世論調査の推移を見守りたいと思います。

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『博士の異常な愛情』のアイロニーを解読する

『博士の以上な愛情―或いは私は如何にして心配することを止め水爆を愛するようになったか』は、どんな内容の映画かということについては大変知られていることだと思います。

アメリカ軍の空軍基地司令官が共産主義の陰謀論を自分の頭の中で妄想し、先手必勝を確信し、独断でソ連周辺を飛び回っている爆撃機に水爆の投下を命じます。冷戦の時代です。キューバ危機とかあった時代です。一瞬でもそういう妄想が頭に浮かぶ人が多い時代です。通常、核攻撃を大統領の命令なしにできるはずはありません。しかし、この映画では命令系統の盲点をついて司令が独断でできるようになっています。アナログの時代ですので、今のデジタルの時代よりは盲点は多いかも知れません。とはいえ物語ですので、実際にそのようなことは起こり得ないと思いますし、実際に起こりませんでした。

むしろ関心を持ちたいのは、この映画に込められたアイロニーの数々です。注意深くみていくと、随所にアイロニーが散りばめられていることが分かります。というかアイロニー満載です。司令官の爆撃命令を受け取った爆撃機の機長は部下に「平然と水爆を落せるやつは人間じゃない」と話します。エノラゲイに対する暗然たる批判になっていることに気づきます。司令が自分の組み立てた妄想をイギリスから派遣されてきた副官に話します。司令はソフトマッチョな感じのするカウボーイ風のナイスガイです。監督は冷笑的に「どんな人間が戦争を起こすのか」を観客に問いかけています。コカ・コーラの自動販売機が登場するのも何をかいわんやというところです。私はコカ・コーラなしでは生きていけない人間ですが、その自動販売機の登場に、監督の言いたいことが入っています。あまりに直接的すぎて、ここで書くのは憚られるほど明確です。

ソビエト連邦が、もし先制攻撃を受けたときのための備えとして死の灰と放射線で全人類を滅亡させる「皆殺し装置」を開発しており、不幸にして爆撃機がソビエト連邦への攻撃に成功してしまうため「皆殺し装置」が発動してしまいます。

ドクターストレンジラブがアイロニーの究極の存在です。元ナチスで、アメリカに帰化した彼は、科学技術の責任者としてアメリカ政府の高官になります。彼は「皆殺し装置」が発動されたことについて、大統領に対し、選ばれた者だけが地下に避難し、原子力でエネルギーを得て100年後の放射線の半減期まで耐え忍ぶよう提案します。核で世界と人類が滅びるというときに、やはり核で生き延びようとする逆説が生きています。

福島原子力発電所の事故が起きて以降、日本人は基本的には原子力発電に対して失望していると私は思います。一時的な使用はもしかするとありかも知れないですが、恒常的な使用はあり得ないと感じている人が多いと思います。50年も前に作られた映画ですが、311以前に観るのと、以降に観るのとでは感じ取れることも変わってくるような気がします。

これはもはや謎と言っていいですが、キューブリック監督はいったい何と戦っていたのだろうか…ということを私はしきりに考えます。推測するしかできませんが、他の作品も一緒に観ることで、おぼろげながら、その意図を知ることはできるかも知れません。とはいえ、それは、もはや個人のレベルでそれぞれに想像力をたくましくする他はないような気もします。

ついでになりますが、ピーターセラーズという役者さんが一人で三役こなしていて、それぞれに別人に見えるところがすごいです。大統領とドクターストレンジラブとイギリス人副官をこなしています。誰かに教えてもらえなければ、簡単には気づきません。ただ、個性が強いので一回目に観たときに「なんかあるな」くらいには気づくかも知れません。一回気づけば簡単にわかりますが…。

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パリのユダヤ人街に行った時の話

パリのユダヤ人街はマレ地区にあり、シテ島からも近い場所にあります。シナゴークがあるというので、一度シナゴークを見てみたいという希望を前から持っていたので、見学しに行くことにしました。

カトリックの教会やイスラム教のモスクは解放されているところが多く、何気なくふらりと立ち寄っても誰に文句を言われることもありません。シナゴークもそんな感じだったらいいなあと思い、行ってみたところがっちりドアは閉まっていて鍵も中からかかっている様子です。どこか裏口からノックすれば誰かができて見学させてくれたりしないだろうかとも思いましたが、なんとなく断られそうな気がするし、そもそも裏口を探してシナゴークの周辺をうろうろ東洋人は他の人から見ればかなり怪しいかも知れないので、入り口のダビデの星を撮影するだけで諦めました。

街を歩く人を見てその人がユダヤ人がどうか私には判別できません。ただ、せっかくなのでユダヤ人街の雰囲気が感じられる場所に行ってみたいと思い「イスラエル料理」の看板のかかったお店に入ってみました。イスラエル料理を食べるのは初めてです。ちょっとボリュームのあるサンドイッチはなかなかおいしく、パリで食べたものの中でも特においしいものの部類に個人的には入ると思います。日本から見てイスラエルはちょっと距離的に近いので味覚も少しは似ているのかも知れません。

イスラエル料理レストランで食べたサンドイッチの写真です。

イスラエル料理のサンドイッチです。ボリュームもあっておいしいです。
イスラエル料理のサンドイッチです。ボリュームもあっておいしいです。

お店にはユダヤ教の帽子を被っている人がお客さんにいて「おー、やっとユダヤ人街の雰囲気を感じられる」と私は満足感を得ることができました。

イスラエル料理レストランの中の風景
イスラエル料理レストランの中の風景

シテ島にもタンプル塔跡にも近く、カルチェラタンにも歩いて行ける場所にあります。セーヌ川沿いは観光客向け色の強いアトラクションやお店が多いです(それはそれで楽しいです)が、ユダヤ人街はセーヌ川右岸の角をちょっと曲がったところにあり、角に入っただけでとたんに観光色が薄らいで地元色のようなものが濃厚になります。旅行する身としてはそういう雰囲気のところを歩きたいので、大変満足な一角です。

パリ同時多発テロがあったのはこの周辺ですので、そのことはとても残念です。



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