参院選の結果を振り返る

参議院選挙では自公維新と共産が議席を伸ばし、民進が議席をかなり減らし、日本のこころや社民のような小さい政党は議席を減らすかゼロになるという結果になりました。大きい政党に票が集まりやすい選挙になったとも言えますが、大きい政党の中では民進だけが議席を減らしているのが目立ちます。民進支持層だった人のうち、保守寄りの人は自民か維新へ投票し、革新寄りの人は共産に投票したことが伺えます。「民主」と書かれた票がどれくらい無効票扱いになったのか選管によって判断が変わってくるらしいので、なんとも言えませんが、わりと出ているらしいです。

それはそうとして、気になるのは改憲勢力が与野党合わせて三分の二以上を獲得したということです。次の衆議院選挙で今までと同じように自民党が勝てるかどうかは分からないという前提に立てば、改憲を望む人は、次の衆議院選挙までに改憲を発議したいと考えるに違いないと思います。とはいえ、何をどう変えるかはこれからの議論であり、改憲といっても人それぞれに意見が違い、自民党の改憲草案でまとまっているわけでもありませんので、わりと道半ば感もあるように思います。いずれは衆議院の解散が視野に入ってきますので、時間的にゆっくり議論すればいいというわけでもないように思います。或いは国会で発議して、衆議院と国民投票のダブル選挙ということもあるかも知れません。

橋下さんのいない維新ではなかなか難しいのではないかと私は思っていましたが、今回のように議席を伸ばしたということは、関西での草の根レベルでの支持が固まっていることを示しています。橋下さんに首相になってほしいともほしくないとも思っていませんが、維新が結果を出している以上、橋下さんが首相になるシナリオは今も生きているという気がします。飽くまでも思考の訓練です。

私個人はどうしても憲法を変えなくてはいけないとも、どうしても憲法を変えてはいけないとも思いません。これまでも憲法典は触らずに解釈や運用や習慣や実情によって柔軟にやってきているように思いますし、事実上状況に合わせて改憲してきたとも言えそうに思いますので、今後もそれでいいのではないかと思います。大騒ぎして書き換えなくてはいけないことは特にないように思えます。

今後は曲学阿世の徒もぞろぞろ出てくるでしょうし、言を左右にする人、エピゴーネン、デマゴーク、煽りなどいろいろな人が様々なことを言うことになると思います。いざ本当に改憲することになったら、Brexitの後みたいに腰が引けてしまう政治家が出てくるなどということもあり得ます。

今後は、憲法をどう改正したいのかという議論と、衆議院解散はいつになるのかという議論がごっちゃまぜになってそこに消費税やら金融緩和やらが乗っかってくるので当面は頭の中を整理するのに苦労するかも知れません。見守りたいです。

香港映画『臨時同居 Temporary Family』の演技力と人生観

香港映画『臨時同居 Temporary Family』は、不動産売買で大金を得て人生を変えようとする人々のコメディ映画です。あまりによく出来ているので感動してしまいました。

主人公の男性は不動産業者で働いています。離婚歴がありますが、美しいCAの女性と交際するようになります。そしていよいよ結婚を申し込みますが「大きくて素敵なマンションに住めないとイヤ。一年待ってあげる」と言われてしまいます。男性にできることはただ一つ、有利な条件のマンションを買い、それを更に高値で売ることで、大金を得るしかありません。

男性には義理の娘さんがいます。前の奥さんの連れ子さんです。男性は自分の娘のように大切にしています。娘さんは自分が独立して暮らせるマンションがいます。更に同じ会社の部下に中国大陸の大金持ちの息子さんが社会勉強のつもり就職して来ています。彼はどんどん新しいことに挑戦したいと思っています。そこへ、離婚して多額の慰謝料を受け取ってそのお金で不動産を買いたい女性が現れます。この4人が共同で出資して、香港の眺めのいい素晴らしいマンションを購入します。それぞれに複雑な事情を抱えていて、それぞれに想いや願いがあります。これは投資用に買ったものですから、そこに住んで暮らしてはいけません。そんなことをしたらなかなか売れません。汚したら価値が下がります。ところがまず女性がそこに暮らし始めます。なんか馬鹿らしくなって4人ともそこで暮らし始めます。マンションは売れません。マンションを内覧する人が現れると慌てて掃除しますが間に合いません。無駄なものを一機に放り込める箱を次々と作り出し、本棚にはフェイクの本を置いて裏に無駄なものを収納できるようにし、内覧の客が来ると何事もなかったように、主人公の男性はセールスマンで残り四人は清掃などのスタッフのふりをしてその場をしのぎます。

小ネタがいろいろあって、それがうまくはまっているのでついつい笑ってしまいます。半分はネタを作る力です。半分は演技力だと思います。演技がうまいです。目の動きが上手いです。表情の作り方がうまいです。演技がうまいのでネタに切れが生まれています。香港映画はたくさんありますが、その中でも傑作に入るのではないかと個人的には思います。

さて、この映画の背景には人生観があります。それはお金と愛と自由のバランスです。お金がなければ自由な生活は送れません。しかし、お金のために働くいていては自由とは呼べないと考える人もいるでしょう。主人公の男性はお金で愛を買おうとしています。離婚した女性はお金がありますが愛がありません。それぞれに何かが足りません。

中華圏の人のお金に対する意識は極めてシビアで、実際に中華圏の人と話しているとその金銭感覚に驚くことが多いです。ですが、お金が生きるために必要なパワーだとすれば、中華圏の人の生きることへのアグレッシブさが金銭感覚に表れているのだと考えることもできます。人生をもっともっと充実させたいという彼らに乾きのようなものを感じることもあります。

この映画ではお金はもちろん大切だが、それ以上に自分が乾いていることに気づいているか?という問いかけがあります。お金にシビアな社会だからこそ、この問いが響くのかも知れません。香港映画で私が感動する映画はそんなにたくさんあるわけでもありません。ただ、この作品は充分に日本にも紹介される価値があると思いました。

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香港映画『大追捕』がよかった件

黒澤明監督『乱』から考える危機管理

日本映画の巨匠、黒澤明監督の『乱』はシェイクスピアの『リア王』の翻案作品として、世界的にも著名です。

ざっとあらすじを先に述べます。戦国時代のとある強大な大名の一文字秀虎には三人の息子がいます。太郎、次郎、三郎です。ある日、秀虎は引退を宣言し、家督を太郎に譲ります。ところが三郎が強力に反対します。理由は家督を譲った父親はたちまちに居場所をなくし、兄弟三人は血で血を洗う争いをするに違いないというのです。あまりに悲観的な反対論に秀虎は激怒し、三郎を追放します。太郎が家督を相続した後、秀虎は陣中の大将の象徴である馬印を維持しようとしてもめ事になります。怒った父親の秀虎はもともと自分の居城だった城を出て、次郎の城を訪問します。ところが事情を察した次郎は受け入れを拒否。追放した三郎の城が無人になったので秀虎はそこに宿泊します。そこに太郎、次郎の連合軍が攻めたてて、秀虎は発狂。鳥や獣のように荒野をさ迷うようになります。更に次郎の家臣が太郎を殺害。次郎が当主に収まります。欲望にとりつかれた骨肉の争いです。隣国に逃れていた三郎が秀虎を迎えに行きます。父子再会したところで秀虎は正気を取り戻しますが、三郎は次郎の送った鉄砲隊に撃たれて死んでしまいます。内部でもめていることを察した大名が攻めてきます。一文字家は滅亡します。救いゼロです。

周辺の戦国大名を圧迫し、強烈な存在感を示していたであろう一文字家はなぜあっさりと滅亡したのでしょうか。危機管理という観点から考えてみたいと思います。

太郎、次郎、三郎という相続権利者が三人いる以上、誰かがコントロールしなくてはいけません。秀虎が突如引退を宣言してコントロールを止めてしまえば何が起きても不思議ではなくなります。今で言えばアメリカのような覇権国家が突然「疲れたので、もうやめます」というのと同じです。

そうは言っても国家は基本的に半永久的な存続を前提としますが、秀虎の場合は人間ですからいずれ歳をとって亡くなってしまいます。そのため永遠にパクス秀虎を続けることはできません。いずれ誰かに譲らなくてはいけません。その意味で、引退を宣言し、太郎に家督を譲るというのはさほど間違った選択とは言えません。しかし、一文字家は滅亡してしまいました。秀虎は果たして何をミスってしまったのでしょうか?

最大の問題は秀虎の引退後の行動にあるように思います。秀虎は引退を宣言し、太郎に家督を譲った後も「大殿」として象徴的な存在であり続けようとします。太郎的に言えば、実権を譲られたとしても象徴が残っているのでいろいろやりにくくて仕方がありません。自民党で総理大臣をやった後に〇〇会長とかやりたがるようなものです。ナウシカで言えばドルク皇帝がいつまでも生きているのと同じです。太郎ともめて城を出ていくのも問題です。相手を見捨てるという行動によって「自分にはまだ力があるのだ」ということを誇示しているのです。現代で言えば政界ご意見番と称して日曜日の朝のテレビに出て好きなことを言うようなものです。後任にとってはとにかくうっとうしい存在なので、小泉さんが中曽根康弘さんに有無を言わさずご引退いただいたのと同様に、戦国時代的価値観であれば「死んでもらおう」となります。

この映画からは、一度何かを諦める時は必ず完全に諦めるということをしなければもめごとを大きくし、最悪の場合、滅亡に至るという教訓を汲み取ることができると私は思います。秀虎のハンパに残った欲望が事を荒立て、家ごと吹き飛んでしまったと言えるように思えるのです。太郎が父親の秀虎をかかえこんでいれば次郎が欲を出して太郎を殺すことも起きません。表面的なストーリーを追うと太郎と次郎が人でなしに見えますが、実は親父が危機を呼び込んでいたのです。引退したからと言って余生は何もすることがないというわけではありません。芸術でも遊びでもナンパでも政治や軍事以外のことに注力すればよかったのに、親父はそれを思い切ることができませんでした。

太郎と次郎は楓の方という女性に振り回されて殺し合いを加速させていきます。若い男が女性に振り回されて無理ゲーをするのは普通のことです。そこをそうならないように知恵を使うのが親父の仕事ですが、親父はそれをほっぽらかして、それどころか自分も一緒になって大騒ぎしてプレイヤーを続けたのがいけなかったのです。

人生ではやりたいことをしっかりやって次のステージに向かうとき、引退でも転職でも別れ話でも、一切の未練を捨てる勇気が必要です。その勇気が持てないのはある種の甘えではないかとも私には思えます。このように書くと厳しいようにも読めてしまうかも知れないのですが、一通りやることをやったらそのことはもう心配しなくてよく、次のことに専念できるのだとすれば、人生にはそういう優しさが残されているのだとも言えるようにも思います。

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映画『羅生門』の陰影と顔芸と成功する人生

西山厚『語りだす奈良 118の物語』碩学による優しい奈良の話。古の人の心

奈良の歴史と風物に関する優しい文体のエッセイ集です。

西山厚さんという方は、この本の奥付の紹介によりますと奈良国立博物館の学芸部長をされた後、現在は帝塚山大学の教授をなさっていらっしゃる先生です。『語りだす奈良』は西山さんが毎日新聞の奈良県版に奈良の風物詩と歴史に関することを連載したコラムをまとめて加筆修正したものです。

折々の奈良の行事や社会的なできごとと絡めつつ、奈良時代の歴史のお話が書かれています。優しいおだやかな文章で、肩がこらず、読み進めるとなぜかほっとしてきます。

奈良時代の主役といえば、ぱっと思い浮かぶのは大仏様を建立した聖武天皇です。聖武天皇に関わるエピソードもたくさん挿入されています。光明皇后のお話しもいろいろ挿入されています。聖武天皇と光明皇后の間に男の子が生まれましたが、体が弱く一年も経たずに亡くなってしまいます。聖武天皇と光明皇后は仏教への信心を深めていきます。美少年で知られる阿修羅像は光明皇后が亡くなった息子さんのことを偲ぶために作らせたものです。親子の情が語られます。普通の人の人生と重なり合います。

光明皇后はある日、お風呂を設けて汚い人を洗いなさいとの天の声を聴きます。お風呂を設けると汚い男がやってきます。汚いなあと思ったけど天の声に従ってきれいに洗ってあげます。実はその人は如来様で空へ消えていきます。ある日、全身膿だらけの人がきます。嫌だなあと思ったけど口で膿を吸い出してあげます。その人も如来様でどこかへ消えていきます。

なんかの話と似ています。千と千尋にそっくりです。宮崎駿さんのような博学な人が光明皇后の話を知らないわけがありません。おー、千と千尋のオリジナルは光明皇后だったのかと驚きと感動が読み手の内面に生まれます。よくよく考えてみると、ナウシカの原作でもトルメキアの兵士の喉に溜まった血をナウシカが口で吸いだします。突き詰めるとそのモデルは光明皇后だったのかと分かれば感動します。

男にとって女性は偉大です。女性が愛の力を発揮すると崇高なことも偉大なこともできるのだと、その愛にすがることもまた信仰なのかも知れないなぁと私は『語りだす奈良』を読んで思った次第です。

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ガンダム劇場版『めぐりあい宇宙』のシャアの限界

ガンダム劇場版『めぐりあい宇宙』はそれまでの劇場版第一部、その続きの『哀戦士』編までの物語の一旦の終局へ向かって行く重厚かつ特に重要な一編です。

ホワイトベースのクルーが誰と誰が付き合いそうかという「あいのり」風状態になっている一方で、シャアはララァという恋人を確実ゲット。階級は大佐でフラナガン博士も囲い込み、キシリアもめろめろにさせています。

『めぐりあい宇宙』の重要なテーマは人の覚醒で、その代表選手がアムロ、次にセイラ、そしてミライになりますが、実は外せないテーマとしてシャアの限界というものがあるように思います。

冒頭、宇宙に出たばかりのホワイトベースをザンジバルで追撃しようとするシャアは同空域内でパトロール中のドレン大尉に支援を求めます。位置的にドレン大尉の方が早くホワイトベースと接触します。ドレン大尉がシャアに「間に合いますか」と質問すると、シャアは「私を誰だと思ってるんだ?」と余裕しゃくしゃくの返答をしたのに間に合いません。ザンジバルがホワイトベースに接触する30秒前にドレン大尉の艦隊は全滅。シャアはさくっとサイド6へ方向転換します。

サイド6ではコンスコン隊が包囲し、ホワイトベースの出航を待ちかまえます。シャアもサイド6にいるのですが、どこ吹く風とララァと二人でテレビで戦闘の推移を見守ります。冷徹と言えば冷徹ですが、ガンダムを倒すためのチャンスをみすみす逃すという意味では何かがしっくりおさまりません。テレビ見てる場合かよです。

テキサスコロニーでは自爆を装いガンダムから逃げなくてはならないところにまで追い込まれます。シャアはニュータイプ第一号みたいな人ですが、気づくと運動神経がやたらいいだけの兄ちゃんになってしまっています。

テキサスコロニーで妹と偶然再会したシャアは「父の仇を撃つ」と言いますが、「嘘でしょう、兄さん」と見抜かれてしまいます。最後はキシリアを撃って所期の目的を果たしますが、シャアの内面でいろいろ揺れていることが分かります。「疲れて来たから、これからはどこか他人のいないところでララァと遊んで暮らしたいなあ」とかチラッと思うこともあったかも知れません。

ソロモンの戦いに参加しないのは指揮系統の問題がありますからまあ、いいとして、ララァは戦死する、ゲルググの片腕は切り落とされるとぱっとせず、「今の私にガンダムはたおせん」と自分でも認める事態に陥っています。本人も限界を感じています。

キシリアからの評価もがた落ちで、シャアにとっては居場所のない、立場のない心境に追い込まれたに違いありません。キシリアみたいな人が上司だとごきげんとりが大変でしょうから、そういう人からの評価のがた落ちはなんともやりにくくて仕方がないに違いないのです。アバオアクーでジオング撃沈では「赤い彗星も地に落ちたものだな」とまで言われる始末。このまま終戦になったらかっこ悪いことこの上ありません。アムロとフェンシングで勝負しますが「マスクがなかったら即死だった」くらいに完敗しています。ぶっちゃけ残念すぎる状態で見ていられません。エヴァンゲリオンでいえば自分が一番のポジションにいると思っていたのに実はシンジの方が凄かったことにショックを受けるアスカ状態です。ナウシカで言えば戦争で勝っているつもりだったのに気づくと負けが込んでくるクシャナ状態です。

ジオングをぶっつけで使いこなしたりする場面では、くさっても赤い彗星という感じで、観る側としては多少は安心します。最後にキシリアを撃って父の仇を果たす場面もくさってもシャアと言えます。シャアが好きな人は多いと思いますので、そういう場面を見てほっとする人は多いのではないかと思います。

シャアのこと以外で『めぐりあい宇宙』の個人的な見どころとしてはザクとドムとゲルググがごろごろ出てくるところです。中二心が刺激されます。音楽もいいと思います。意外なところで注目したいのは、サイド3内部で向き合うように立つデギンの建物とギレンの建物がなかなか前衛的なところです。新時代建設をうたう政権は、それを人々に印象付けるために前衛芸術を必要とするという演出の歴史に対する鋭い観察があると思います。

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『ガンダム』が素晴らしい理由を改めて考える(劇場版第一部編)
『ガンダム』が素晴らしい理由を改めて考える(哀戦士編)

コミーFBI長官が議会でヒアリングされた件

FBIのコミー長官が数時間にわたりアメリカの連邦議会でヒアリングをされました。簡潔に要点だけを述べると、ヒラリーさんのメール問題でFBIが不起訴を決めたのは政治的な意図によるものではないのか?ということを共和党の議員たちからひたすら責められ続けたという印象です。

何人もの共和党の議員から厳しい口調で様々な質問を受けますが、コミー長官は「ヒラリー氏のしたことは重大な怠慢だが犯罪ではない」「ホワイトハウスの誰からもプレッシャーは受けていない」「ヒラリーさんを訴追しないことは誰にも相談せず私一人で判断した」「オバマ大統領がヒラリーさんの選挙キャンペーンに参加することの援護ということは一切ない」など、雄弁に自分の判断を弁護していました。

共和党議員の表情は大変に厳しいもので悔しい表情が顔に出ており、今後も追及は続けていくそうです。

私個人はヒラリーさんを訴追するべきとも、するべきでないとも意見はありません。公務のメールを使用サーバーで使えば漏えいの危険は確かにありますが、意図的に漏えいさせようとしたわけではなさそうなので「犯罪」と呼んでよいのかどうかは多少の疑問が残ります。トランプさんは「わいろを使ったんだ―」などとしてこれからもヒラリーさんのメール問題に触れていく構えとみられますが、ここまで来ればFBIはメンツにかけて絶対に起訴しない構えを崩さないでしょうから、ちょっと見飽きるというか水掛け論になりそうです。

トランプさんの分が著しく悪くなりつつあると私は思いますし、女性を激しく批判するスピーチは支持者が心地よいと感じるかどうかは微妙なように思います。トランプさんが「ワイロを使ったんだ」とスピーチしている時の聴衆の反応もイマイチな様に私には見えました。

トランプさんにはヒラリーさんからの「献金のお願い」の手紙を受け取ったという奥の手があるはずですが、その手はまだ温存しているの可能性もありますが、あるいはご自身も献金のお願いをしなければならない立場になってきたので、景気よく打ち上げることができないのではないかという気もします。支持者には「俺は無限に金を持っている」と豪語していますし、いざとなったら自分の資産を抵当に資金を調達する算段なのかも知れません。しかし不動産デベロッパーであれば資産を抵当に入れて次の物件を、ということを繰り返していると思いますのであるいはいろいろ抵当に入ってしまって簡単には手を付けられないのかも知れません。

どっちに勝ってほしいということはないですが、現状ではトランプ不利と思います。

もっとも、どちらがより正直だと思うかというアンケートでトランプさんはヒラリーさんを大きく引き離していましたので、ヒラリーさんが熱烈に支持されているというわけでもなさそうです。消去法でどちらかを選ぶ、なんとなく冷めた選挙になるかも知れません。

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『ガンダム』が素晴らしい理由を改めて考える(哀戦士編)

『ガンダム』劇場公開版シリーズの「哀戦士編」はホワイトベースとそのクルーたちが地球で戦闘に参加し、少しずつ成長していく様子が描かれる名作として知られています。どうしてそんなに名作なのか、改めて考えてみたいと思います。

1、アムロが普通の若者として描かれている

どんな難局でもニュータイプの才能で乗り切るアムロですが、「哀戦士編」ではマチルダ中尉にのぼせあがり、集合写真を一緒に撮ってもらっただけで舞い上がります。ブライトに「ガンダムから降ろす」と言われてすねてホワイトベースから「家出」します。アニメなので軍法会議にはかけられません。とはいえ、この普通の男の感覚のおかげで観客にとっては感情移入しやすくなっています。

2、美人が死ぬ

ランバラルの美しい妻のハモンさんは、アムロを殺そうとしてその直前にリュウホセのコアファイターに体当たりされて死んでしまいます。ヒッチコックは理想の死に方は「目の覚めるようなブロンド美女に刺殺されること」と話していたと言いますが、アムロはいわばその直前まで経験して男冥利に尽きるとも言えます。マチルダ中尉は黒い三連星のジェットストリームアッタクを妨害しようとして戦死してしまいます。美人が死ぬことは観る側に「あぁ…」とうい溜息のような名残惜しさを感じさせます。

3、美人じゃなくても死ぬ

ホワイトベースがベルファーストに入った際、ミハルというジオンの女スパイが入り込みます。途中でジオンから連邦に寝返りますが、手動でミサイルを発射した際、爆風に吹き飛ばされてしまいます。幼い弟と妹を養うためにスパイになったミハルはそばかすの普通の若い女性です。美人が死ぬのは物語性をぐっと上げることがありますが、普通の人が戦死するのはもっといたましい感じになってしまい、心に残ります。

4、ホワイトベースがやっぱり「あいのり」だ

アムロがマチルダ中尉にのぼせあがり、フラウボウが切れまくります。ミハルとカイの間にも特別な縁があることが分かります。蛇口が壊れてキッカが大騒ぎし、アムロが状況確認に入ろうとすると入浴中のミライさんが出てくるというエピソードがあります。あいのり風です。

5、ランバラルとその部下たちが恐い

いかにも歴戦の戦死風ランバラルは恐いです。あんなおっさんに命を狙われたら迷惑でしかたがありません。部下も恐いです。「戦争の犬」風というか、俺たちに明日はないというか、最初から死ぬ気で戦いのスリルを楽しむようにホワイトベースに侵入して白兵戦をかけてきます。あんなのが自分の家にばーっと入ってきたらびびります。発狂します。銃を撃つとかそういうことにだけ得意そうなところも恐いです。よく描けています。

6、ジャブロー攻略戦がクールすぎる

空からジオンのモビルスーツが大量にアマゾンの密林へ降りてくる様子は壮観です。ただ、シャアの限界が少しずつ見えてきます。「めぐりあい宇宙」編でのシャアの苦しみを暗示しているとも言えます。

7、ミライとセイラの覚醒が暗示される

黒い三連星との闘いの時に明らかにセイラとミライの洞察力が鋭くなっています。「めぐりあい宇宙」の人の覚醒というテーマを暗示しています。

8、ザンジバルの出撃がクール

最後にシャアがホワイトベースを追って地球から宇宙へとザンジバルで出撃します。あんなのに付け狙われると迷惑なことこの上ありません。ザンジバルはあんな風に出撃するのかというという感慨も得られます。

「哀戦士」は第一部と「めぐりあい宇宙」の橋渡し的な役割をしています。第一部では素人だったホワイトベースのクルーたちが「哀戦士」で鍛えられ、「めぐりあい宇宙」ではプロの戦いを見せるという展開になっています。そういう意味では「めぐりあい宇宙」に比べると見せ場が少ないかも知れません。しかし、人間ドラマが地道に描かれ、心理描写が中心になる分、より深みのある作品だということもできると思います。

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アメリカ大統領とUFO

ヒラリーさんが今年の大統領選挙の序盤のころ、遊説先の地元の新聞記者に「自分が大統領になったらUFOに関する真相を公開する」と話したことはよく知られています。ヒラリーさんのメール問題ではFBIが不起訴を決めていますので、状況的には金銭的にも人材的にも社会的にもヒラリーさんがぐっと優勢になっていると私は思います。ということは即ち、UFOに関する真相が公開される日が来るかも知れないということを意味しているかも知れません(ヒラリーさんが新聞記者に話した約束を守れば)。

ところが最近は、オバマ大統領が任期中にUFOに関する真相を公開するという噂まで取り沙汰されるようになっています。オバマさんは二期目も終わりですので自分がやりたいなぁと思ったことは周囲の意見を無視してでもやれる時期に入っています。私は自分の生きているうちにUFOについての真相が分かるのなら、こんなに嬉しいことはありません。是非にもやってほしいです。

もっとも、ケネディ大統領の暗殺の理由がUFOの真相を発表しようとしたことだという都市伝説もあるほどですので、その辺りのことは注意してほしいとも思います。

ところで、UFOの真相って何なんでしょう?

1、エリア51でUFOを作っている。UFOはアメリカ軍の秘密兵器だ
2、ロズウェル事件の真相はアメリカ軍の秘密兵器だ
3、ロズウェル事件の真相は宇宙人の墜落死だ
4、月の裏側には宇宙人の基地がある
5、地底には宇宙人の基地がある
6、街を歩いている人の何パーセントかは宇宙人だ

あたりのことでしょうか。もしUFOの真相公開の内容が1か2なら、がっかりです。「なんだ…アメリカ軍の秘密兵器か。だったらステルスだってUFOじゃないか」あたりのがっり感に襲われ、私はあんなに大好きだった都市伝説の本を読んだりすることをやめてしまうかも知れません。やはり知りたいのは「地球外生命体がいるかどうか」です。何年か前にNASAが「生命の常識を覆す重大な発見」と称する記者会見を行い、メディアは「いよいよ地球外生命体のことを発表するのか」と色めきましたが、実際には「ヒ素を栄養素にして生きる生命体の存在を確認した」という内容でずいぶんとがっくりとさせられたものです。実験でヒ素を与えていたらヒ素を食って生きるようになった生命体がいるということは、宇宙空間のどこにでも生命が存在し得るという可能性を示唆するものですが、示唆だけで重大な発見とか言われても困ります。やはりオバマ大統領かヒラリーさんにばしっと決めてもらわなくてはいけません。

聖書に登場する神はUFOに乗ってやってきた宇宙人だったくらいの大発表があれば宗教戦争なんかばからしくて誰もやらなくなるかも知れません。

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天皇とお米

縄文時代と弥生時代の決定的な違いは米作の有無にあります。縄文時代は狩猟採集が中心ですので、獲物がとれればいいですが、そうでなければ明日をも知れない日々を送らなくてはいけません。獲物の肉は干したり焼いたりすれば保存できますがお米ほど手軽でもなく、お米ほど長く保存することもできません。

米作するようになると、お米は長期保存が可能なために「貯蓄」できます。耕作面積を確定して水田を整備すれば毎年の収穫量が分かります。もちろん天候に左右されますが、狩りに行くよりは安定しています。人口も劇的に増えます。一般的には米作により土地を多く持つ人とそうでない人に分かれ、貧富の差が生まれ、身分の差が生まれたと説明されることが多いです。そういう面は確かにあると思います。

ただ、身分の差という意味では、縄文時代に絶対になかったかと問われれば、そういうことはないと思います。狩りが上手な人、体力的に優れている人、性的な魅力が高い人、宗教的な意味で高貴だと認められていた人などが存在したのではないかなぁと私は想像しています。一万年も続いた時代ですし、日本各地に集落があったとすれば、そのような想像した通りの社会構造があった「場合もある」くらいは考えていいと思います。お墓の様式や副葬品は年代や地域によって随分差があると思いますが、身分の差という視点で分析するといろいろ見えてくるのではないかなぁと思います。

いずれにせよ、お米が貧富の差に決定的な意味を持ったということはきっと間違いないと思います。お米は戦略物資です。天皇は大嘗祭と新嘗祭でお米を食べます。大嘗祭は即位の時に行われ、新嘗祭は毎年行われます。五穀豊穣に感謝すると同時に、戦略物資を食べることによって統治権を確認するという象徴的な意味もあるのではないかと思います。お米は一本の苗にたくさんの実をつけますから子孫繁栄にも通じて大変縁起がよいのだとも思います。

東京の皇居には小さな水田があって、今も毎年天皇陛下が親しくお田植をされるそうです。お米を大切にするという意味の表現があると思います。戦略物資をコントロールするという意味ももしかするとあるかも知れません。ただ、平安時代の天皇が御所でお田植をされていたとか聞いたことも読んだこともありません。京都御所を拝観した時にお田植されていた場所みたいな表示も見たこともありません。なので、近代になってから、天皇家が東京に移ってからそういうお田植が行われたのではないかなぁと思うことがあります。推し量ってばかりで申し訳ないです。

天皇家のルーツは諸説あります。今となってはもちろん分かりませんし、はっきりさせる必要もありません。神話があってそこに想像の余地があるのがおもしろいのだと思います。ただ、お米が戦略物資で、大嘗祭と新嘗祭があるように天皇家もお米を重視していて、縄文と弥生をばっさりと区分できるほどの重みがあるのなら、実は天皇家は米作技術を持って大陸から渡ってきた人で、独自の米作技術によって富と権力を確立し、全国に統治権を広げたと想像することも可能です。想像ばっかりで申し訳ないです。お米というキーワードで天皇家のルーツを推量するのもおもしろいかなぁと思ったという程度のお話です。

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『ガンダム』が素晴らしい理由を改めて考える(劇場版第一部編)

『ガンダム』シリーズはファンも多く、日本アニメの最高傑作の一つに数えられているということは、ここで特に述べる必要もないほど当たり前のことです。

改めてなぜ素晴らしいのか、その理由を考えてみたいと思います。

1、ザクがドラマチック

モビルスーツでありながら歩兵を連想させるザクの草色。顔周辺の意味深なチューブ。源平の鎧を連想させる左肩の盾。敢えてアナログな機関銃。自在に動く一つ目。と、見れば見るほどほれぼれするほどドラマチックです。劇場版第一部では永井一郎さんのナレーションの後に最初に登場するのが宇宙空間で移動するザクのアップです。この場面でぐっと来た人は多いはずです。最初から我々男性の中二心を撃ち抜いてくれます。

2、シャアがクールすぎる

もはや言うまでもないですが、シャアを初めて見たときの衝撃は言葉にできません。かっこいいです。声がいいです。要するに池田秀一さんがすばらしいです。よく鍛えられた均整の取れた体格に軍服がよく栄えます。階級もなかなかちょうどいいです。少佐という階級が絶妙です。尉官だと少し軽い感じがします。大佐だとかなりの幹部です。少佐というあたりがちょうどいいのです。「しょうさ」という音の響きもいいです。ルウム戦役で二階級特進してますので、ルウム戦役の前は中尉です。大尉ならまだいいですが、中尉だとやはりちょっと軽いです。「ええい、連邦のモビルスーツは化け物か」などの台詞もいちいちかっこいいです。サイド7の港に侵入した時の軽やかな身のこなしなどもクールすぎてあんな風になりたという我々男性の中二心を撃ち抜いてくれます。大気圏突入時の戦闘シーンにぐっと来た人は多いはずです。

3、登場する女子に中二心を刺激するタイプが多い

フラウボウはいたって普通です。軽く地味な感じのミライヤシマもどこかで会ったことがありそうな気がします。秀才タイプのセイラマスのことも、「あぁ、こういうタイプいるいる」と思います。三人とも中学生のころにクラスにいそうなタイプです。フラウボウはアムロレイのガールフレンドで、こんな感じの恋愛がしたいなぁと憧れる中二男子にとって手に届きそうなタイプでついつい自分をアムロレイに仮託し、恋愛している気分になれます。少し観方を変えると、ホワイトベースクルーの女子率は結構高いです。ホワイトベースが合コン状態、「あいのり」風になっていることも観る側の心理に影響を与えているのではないか、続きが見たいという心境になるのではないか思います。セイラさんのアップで「あなたなら、できるわ」にぐっと来た人は多いはずです。更に年上タイプのマチルダ中尉が登場しますので、中二男子はここで押し切られてしまいます。学校にはあまりいなさそうなお嬢様タイプのイセリナも登場しますので、きっと好きなタイプが見つかります。

ただ、『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのようなブロンド長髪美人は登場しません。この辺り、作者の好みがよく出ているようにも思えます。

4、シャアの真の目的が明らかになるのがドラマチック過ぎる

ガルマを戦死に追い込むところでシャアの高笑いが響きます。「君のお父上がいけなかったのだよ」で観る側は「なんだとぉぉぉぉっ」となります。物語の続きが気になり、次の哀戦士編まで興味が引っ張られていきます。

5、「坊やだからさ」

なぜ我々はガンダムが好きなのでしょうか。中二男子を刺激する要素に溢れているからです。即ち結論は我々がガンダムを見続けるのは、我々が永遠に坊やだからです。

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