国家というのは結局のところ国籍を持つ国民のためのシステムであって、税金を対価に様々なサービスを得られるという程度のものでしかないように思えるのですが、どうお考えになりますか?

近代国家は憲法に基づいて運営されるわけですが、その憲法には理念や価値観が書き込まれているわけですね。それはフランスの自由平等博愛であったり、アメリカの王権に対する抵抗であったり、中華民国の民族主義であったり、明治日本の天皇であったり、現代日本の平和主義であったり、いろいろあるわけですけど、国民はその理念を共有し、国家が理念通りに仕事をしているかどうかを監視していくことになるという体裁になっているわけです。そのように考えると、公共サービスを評価する際も、憲法の理念に適っているのかどうかが重要であるため、たとえば日本であれば、とある公共サービスは基本的人権の保障に適うのかどうかが議論されなくてはならないみたいなことになってきますし、そういう理念・価値観がなければいかなる公共サービスも、それがいいサービスなのかどうなのかについて評価する基準を失ってしまいます。また、公共サービスを維持するためには税金払うどころか兵隊にもならなくてはいけないような国もあるわけですね。

以上のようなわけですので、国家は税金を対価として公共サービスを提供する程度のシステムなのではなく、何が良い公共サービスなのかを決める、理念・価値観を統制するシステムであり、システムの維持のためには時には流血を求めることもあるほどに厳格なシステムであるということが言えるかなと思います。

尚、最近はGAFAMのように国家をも凌駕する企業が登場してきましたから、今後、しばらくの間は、価値観を決めるのは誰なのか、それは国家なのかgoogle様なのか、のようなせめぎ合いが続くのではないかと思います。



日本古代においていつ頃から太陽神信仰が中心になったのでしょうか?高松塚古墳とかキトラ古墳とかの壁画を見る限り、中国影響下なのか北極星信仰が優勢だったのかと素人的には思ってしまうのですが。

道教では北極星のことを天皇星と呼びますので天皇という呼称はまず間違いなく道教に由来していると考えて良いと思いますし、天皇という称号を最初に使用した天武天皇は天皇星が星空を支配するが如くに自身がヤマトを支配するようなイメージを持っていたものと思います。とはいえ太陽神であるアマテラスを祀る伊勢神宮を天皇家の氏神みたいな位置づけにしたのもやはり天武天皇なわけですね。

彼は仏教僧としての一面も持っており陰陽道にも通じていました。また聖徳太子を神がかった伝説的な人物として記述されることになったのも彼の意思であり聖徳太子が馬小屋で生まれたとかみたいな話になっている辺りはまず間違いなくイエスのイメージからヒントを得ていると思いますので天武天皇はキリスト教に関する知識も持っていたと私は思います。

つらつら考えるに、天武天皇がそれ以前の素朴なアニミズムを淘汰し北極星信仰と太陽信仰+聖徳太子のような超人信仰の合わせ技を使ったということではないかと思います。

非常にプロパガンダに長けた人物であったに違いありません。



ガンダムに出てきたデキン公王のギレン総帥へのヒトラーの尻尾と揶揄したセリフのヒトラーの尻尾とはどのような意味合いだったのでしょうか?

ギレンはデギン公王に対し「私とてジオン・ダイクンの革命に参加した者です」と述べています。ギレンは新時代を築く側の人間であると自負していることがその一言で分かるわけですが、ヒトラーが自らの原点をドイツ革命に見出している点に於いて両者は共通しています。そして優生思想を信じ劣等と判定した人々を抹殺すると決心している点でも共通しています。しかしヒトラーが時間軸的に先でありギレンはその真似をしているに過ぎない。即ち頭ではなく尻尾の方であるということではないでしょうか。私としてはデギンが「ヒトラーは身内に殺されたのだぞ」と述べているのがひっかかります。その言葉はギレンの運命を予言してはいますが実際のヒトラーは自殺しているからです。デギンにはそのギレンに殺される運命が待っていますから、これがアニメじゃなかったら忌まわしさにぞっとしますね。



太平洋戦争の転機はミッドウェー海戦とガダルカナル島にあったんかなぁ?と勝手に思っているんですが他に何かありますでしょうか?

思いつくままに挙げてみたいと思いますね。

1,緒戦でインドに行かなかった。当時のイギリス軍の装備は劣弱であったため、本気で攻略したら十分に可能であったかも知れないが、末期になってやってみたら強力な装備を持つイギリス軍にはばまれ、多大な犠牲を出して撤退せざるを得なかった。初期にインド攻略を成し遂げていたらなら、イギリスの戦意喪失→日英講和→アメリカとも講和はあり得た。

2,シンガポール陥落直後に講和しなかった。日本圧倒的優位な戦況下でなんとかして講和のチャンネルを開いていれば、当時はアメリカも何年も戦争するのとか疲れるとか嫌だなあと考えていたかも知れないので、アメリカに満州国を承認させて太平洋を不可侵条約の対象エリアにして講和はあり得た。その場合はイギリスも乗ってきた。

3,サイパン島陥落。大本営はサイパンに大軍を送り込み、ガチガチに陣地を構築させて、これならアメリカ軍も突破できまいと考えていたらしいのだが、どんなにガチガチな陣地も艦砲射撃で木っ端みじんに。とはいえ、サイパン陥落後はまだフィリピン攻略が残っていたので、東條退陣と引き換えに講和のチャンネルを開き、日本は全ての植民地を諦め、中国から完全撤退するという条件で講和できたかも知れない。その場合、戦後の占領はされずにすんだ。

4,近衛上奏文が出されたタイミング。このタイミングで近衛の言う通り講和に持ち込んでいれば、その後の空襲も原子爆弾もソ連の参戦もなく、日本人の命は100万人くらい助かったかも知れない。問題は、そもそもあの段階で講和が可能だったのかどうか。降伏以外にもはや手はなかったかも知れない。

くらいでしょうかね。



選挙区割りについて政府が示した10増10減案(最大格差1:1.999)についてどう思いますか?

一票の格差を是正することももちろん大事なわけですが、では過疎地の人たちの意見が汲み上げられなくても別にいいのかということも問われなくてはいけないと思います。アメリカでは下院の選挙区が人口動態に影響されるのに対して上院は人口に関係なく各州に平等に割り当てられていますので、人口の少ない州でもある程度、自分たちの代表を中央に送り届け、声を反映させることができるようになっているわけですけれども、日本の場合は参議院でも多少は緩いとはいえ一票の格差が問題視されますので、下手をすると島根県の人たちの声は衆議院でも参議院でも反映されないということにもなりかねません。私は一票の格差を是正するには、実は議員の数をどんどん増やす方向でやるのがいいと思っています。鳥取県とか島根県の議席を減らすのではなく、都会の議席をもっと増やすのです。イギリスで学生が議員に当選することがありますけど、あそこは下院の議員数が人口に対してとても多いんですね。その方が議会に多様な声を入れやすく、政治家の息子じゃなくても政治家になれる社会を作りやすいと思います。



大阪府にまつわる体験、エピソード、雑感、知識、トリビア等をお聞かせ下さいませんか?

大阪市役所が淀屋橋にあるわけですけど、そのすぐ近くに適塾跡があるんですね。で、淀屋橋ってどういうところかというと、江戸時代は日本中の諸藩の蔵屋敷がひしめき合い、諸藩の御用を請けるための商人がひしめき合い、流通のために舟がぎっしりとひしめき合う日本経済の中心であったわけですよね。福沢諭吉の父親も蔵屋敷で働くお侍さんで、諭吉はその空気を吸って育ち、すぐ近くの適塾で学んだということになります。戦前は大阪の方が東京よりもモダンでおしゃれで発展していたと言われていますが、それは江戸時代からの経済的な基礎があったからで、しかも適塾はまさしく日本近代を支える人材を育てた場所だったわけですから、私は先日適塾跡を歩き、ふと「全てはここから始まった」とつぶやいてしまいました。



英会話を短時間でマスターしたいです。時間はたくさんあります。出来る限り家で可能な方法が良いです。おすすめはなんですか?

朗読してください。可能な限り徹底的に朗読します。朗読の材料は街で売っている問題集、TOEICやTOEFLなどに対応した英文集のようなもので充分です。単語も覚えなくてはいけませんので、単語集を買ってきて朗読しましょう。単語の場合、完全に覚えきったものは本に直接斜線を引くなどして除外しても構いません。その覚えたはずの単語はまた忘れてしまうこともありますが、単語集を3,4冊こなすと、そのようなもれおちもだいぶなくなります。どういうわけかリスニング力も向上してきますので、朗読しない時はyoutubeでCNNなどのニュースを見るのが良いでしょう。英語コンテンツを見ていると、英語ネイティブの作ったオタク動画、政治評論動画、おバカ動画などがあなたへのお薦めに出てくるようになります。AIがあなたを英語ネイティブなのかな?と認識し始めているということになりますから、そのままそのように認識してもらい、私たちが日本語のゆっくり動画を見たりするのと同じような感覚で英語の「犬が好きな人にしかしないことトップ10」とか、「モテる仕草5選」みたいな動画を見て普通に楽しむような段階まで行ければ大丈夫と思います。半年から一年そのような生活を送ると、かなり良くなると思います。以前はTOEICやTOEFL、英検などを目標に置くのがいいと思っていましたので、そのように目標を持つと、わりとスパルタ風に勉強することになるんですけど、1年もそんなスパルタ生活を送るのはちょっと大変ですので、楽しむということに重点を置くのがいいのではないかなと最近は思うようになっています。



経済学的に有利な旅行先といったらどこでしょうか?

貧しい国です。以下に理由を述べます。

マルクス経済学の観点に立てば、貧しい国に行き寄付をするなどして貧しい人に分配しなくてはいけませんから、貧しい国に行くことは正しいと言えます。但し、消費して楽しむことは悪徳になりますのでお勧めできませんし、革命で打倒される可能性もありますから、用心が必要です。とはいえ、経済学的には打倒されることが正しいということになります。打倒されるために貧しい国に行ってください。

一方で、自由主義的な経済論理で考えるとすれば、やはり貧しい国が正しいと言えます。貧しい国に行き、贅沢をして楽しみ、トリクルダウンを起こして地域の人たちの生活を豊かにするのです。革命で打倒される恐れはありませんが、ぼったくられる恐れはありますけれども、この考え方で行けば、金持ちがぼったくられることはトリクルダウンの果実をより大きくする現象だということができますので、是非、ぼったくられてください。フリードマンが世界はフラットになると言いましたけど、それは上に述べたような現象により貧しい地域が豊かになって産業発展するからなのです。

さて、もう一つ、カレンシーから考えてた場合、貧しい国は大体カレンシーも弱いですから、世界でも特に信用力の大きい日本円をばらまいて贅沢してください。それは正しいことです。

最後に、ご質問者様のご質問内容はかなり意味がよく分からない感じのものだと思わざるを得ないのですが、真剣にお答えしている私は、一円の得にもならないので、経済学的には間違っていますが道徳的だなあと思い自画自賛でございます。しかしながら、このような行為もまたギフトエコノミーの概念で説明できるかも知れないので、もしかすると私は今、ギフトエコノミー経済学の観点から言って正しい行為をしているのかも知れません。お後がよろしいようで。



なぜ天皇は敗戦後も、民衆の支持を維持することができたのですか。またそれは戦前の国家神道や戦後のGHQと何か関係はありますか。ドイツ皇帝やロシア皇帝、清皇帝は天皇と違ってなぜ民衆の支持を失ったのですか?

皇帝の存続と民衆の支持は関係ありません。軍が支持するかどうかです。ドイツ革命は絶対に死ぬ命令を拒否した海軍の将兵たちの反乱から始まったとされますが、要するに軍の支持を失ったことによりウイリヘルム二世は亡命せざるを得なくなりました。ロシア革命の場合、やはり第一次世界大戦であまりに無謀な動員をニコライ二世が命じ続けた結果、軍が彼を見放し、民衆が宮殿に乱入するのを傍観した結果起きたことですので、やはり軍の支持を失ったからだと言えます。清の皇帝の場合、幼少だった溥儀個人に落ち度があったとは言えませんが、清の軍部を握っていた袁世凱が臨時大統領になれることを条件に清王朝を裏切って孫文と結んだことで辛亥革命が成功するわけですのね。ですので、やはり軍を握る袁世凱の私利私欲の結果ですから、清王朝は軍の支持を失った結果、滅亡したと言えるわけです。日本の天皇の場合は軍の支持を失ったことがなく、戦後は軍が解散したものの、アメリカ軍がその代わりをしましたから安泰だったのです。確かに昭和天皇は国民的に人気があったと思いますが、もしアメリカ軍が昭和天皇を支持しなければ、天皇制は消滅していたに違いありません。



歴史上、主君を裏切って相手方についた人の忠誠は信用されましたか?

裏切り者が信用されるわけないというのがお答えになると思います。蘇我馬子を裏切った蘇我石川麻呂は後に中大兄に難癖をつけられて自害。義経を裏切って殺しその首を頼朝に差し出した奥州藤原氏は、義経をかくまっていた罪があるとして滅ぼされました。室町幕府六代将軍足利義教を殺害した赤松氏は周囲から見捨てられて滅亡。応仁の乱はオセロゲームみたいに裏切りまくってますけど、結果として室町幕府の実体が失われていく勝者なき戦いで、もちろん誰も誰のことも信用しないカオス状態になり、十三代将軍義輝を殺した三好三人衆も早々に滅亡していますが、これも周囲に見捨てられた結果と思います。武田勝頼を裏切った穴山信君は家康と一緒に近畿地方を回り、その最中に本能寺の変のしらせを聞いて三河への脱出を図りますが、どういうわけか家康と別行動をとって殺されたか自害しており明らかに家康から信用されていません。明智光秀も本能寺の変の後、味方を得られず孤立したのもやはり誰からも信用されていなかったからで、関ケ原の戦いで西軍を裏切った諸大名たちはことごとく家を潰されていますが、これも家康が彼らを一切信用せず、重用もしなかった結果と思います。特に小早川秀秋に至っては暗殺の可能性が濃厚です。大坂夏の陣の直前、織田有楽斎が豊臣を見限って徳川についていますが、彼は信長の弟であって、そもそも主筋の人なので別格ですからお咎めなし。というより秀吉が織田氏を裏切った結果天下を獲ったと言えなくもないので、織田有楽斎には豊臣に対して実は使える義理がないのです。

という感じですから、やはり裏切ってはいけないのです。