恋人が太ったり老けても愛しぬくのが本当の愛なら、恋人が犯罪やイジメをしていても愛すのが本当の愛ですか?

ドストエフスキーが『罪と罰』でそのような愛を描いています。殺人犯のラスコーリニコフの出所を待つ恋人は貧しさのために一度は公娼になったことがあります。真実の愛があれば、いかなることも乗り越えていけるし、その乗り越えようとする姿こそ崇高であるとドストエフスキーは思い、そう描いたわけですね。果たしてそれが現実的かどうかは別問題ですし、ドストエフスキーの場合は若いころに死刑執行直前に恩赦されるという経験をしたため頭の中身がぶっとんでいますので、普通の人たちとは発想が違います。但し、それでも、ドストエフスキーが示した愛のあり方に理想があるということについては同意します。



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