日本の都道府県はすべて県に統一されていないのはなぜでしょうか?

県の語源は中国の郡県制という行政システムだと思いますが、県を置く場合には、中央の命令に従う行政組織が存在することが前提になったのではないかと思います。廃藩置県の際、藩があった地域であれば、藩主を県令・県知事に任命して体裁を整えることができたと思いますが、東京・大阪・京都のような首都級の主要都市には藩主がおらず、当面は中央直轄で行くしかなく、しかも、当時はまだ東京・大阪・京都が並立した状態であり優劣をつけることができなかったため、その3都市は府にしたのだと思います。北海道の場合も、松前藩主を県令・県知事に任命するのではなく、広大な土地を直轄にしたかったため、県という名称が相応しいと考えられず、府にするわけにもいきませんから、道にしてみようかということになったのではないかと思います。沖縄県の場合、明治天皇が琉球王を藩王に封じる手続きが採られていますから、中央に従う行政システムが存在するということで県になったのではないかと思います。ではいつ東京府が東京都になったのかというと、戦争中に東京府と東京市の二重行政を解消することで行政にかかる費用を削減しようという話になり実現したものです。この時に「都」という名称を採用したことについては、想像になりますけれども、廃藩置県のころは東京と京都のどちらが優位なのかということは薩長藩閥には判断のつかないところがあったものの、昭和初期の東大を卒業した官僚たちの意識として東京が日本の中心であることに疑問がなくなっており、「都」という分かりやすい名称を選ぶことにためらいがなかったのではないかと思います。思いますばかりですみません。



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