ほんの部分的な話題しかできずに恐縮なのですが、清王朝の場合、官僚制度は満州族の貴人と科挙に合格した漢民族の地方出身者の二重構造になっており、やはり漢民族の方が出世するための苦労が多いものですから、満人は恨まれやすく、康有為のように一方に於いて科挙に合格したことを大いに自慢しつつ、一方に於いて光緒帝をうまく使い、憲法を導入して満人中心社会の終焉を狙うようなトリッキーな人物も出てくるわけです。彼のしたことは清皇室を維持しつつも清王朝の無力化を狙うものであるため、科挙に合格した官僚の身分としては自己矛盾をきたすのですが、ルサンチマンの塊になってしまっているので、光緒帝の命を危険にさらすところまで突き進むわけですね。一方のもうちょっと古い明王朝の場合、漢民族の王朝ですから、官僚制度に上に述べたような複雑な構造を抱える必要はなかったわけですね。ですが、最終的には社会矛盾みたいなことが原因で滅亡していきます。案外、清王朝の方が、自分たちは少数民族だという自覚が強いため、民衆を慰撫する努力をしたのかも知れません。
今書きつつ、「皇帝の末路」という言葉が思い浮かんだのですが、最も特異な人生を歩んだのは清朝の最後の皇帝の溥儀だと思いますけれど、明の最後の皇帝の崇禎帝は李自成に包囲される中、家族をほぼ皆殺しにして自殺してますから、その悲惨さという点では明の方が凄まじい最期を迎えたと言えると思います。