歴史上、主君を裏切って相手方についた人の忠誠は信用されましたか?

裏切り者が信用されるわけないというのがお答えになると思います。蘇我馬子を裏切った蘇我石川麻呂は後に中大兄に難癖をつけられて自害。義経を裏切って殺しその首を頼朝に差し出した奥州藤原氏は、義経をかくまっていた罪があるとして滅ぼされました。室町幕府六代将軍足利義教を殺害した赤松氏は周囲から見捨てられて滅亡。応仁の乱はオセロゲームみたいに裏切りまくってますけど、結果として室町幕府の実体が失われていく勝者なき戦いで、もちろん誰も誰のことも信用しないカオス状態になり、十三代将軍義輝を殺した三好三人衆も早々に滅亡していますが、これも周囲に見捨てられた結果と思います。武田勝頼を裏切った穴山信君は家康と一緒に近畿地方を回り、その最中に本能寺の変のしらせを聞いて三河への脱出を図りますが、どういうわけか家康と別行動をとって殺されたか自害しており明らかに家康から信用されていません。明智光秀も本能寺の変の後、味方を得られず孤立したのもやはり誰からも信用されていなかったからで、関ケ原の戦いで西軍を裏切った諸大名たちはことごとく家を潰されていますが、これも家康が彼らを一切信用せず、重用もしなかった結果と思います。特に小早川秀秋に至っては暗殺の可能性が濃厚です。大坂夏の陣の直前、織田有楽斎が豊臣を見限って徳川についていますが、彼は信長の弟であって、そもそも主筋の人なので別格ですからお咎めなし。というより秀吉が織田氏を裏切った結果天下を獲ったと言えなくもないので、織田有楽斎には豊臣に対して実は使える義理がないのです。

という感じですから、やはり裏切ってはいけないのです。



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