映画「ノルウェーの森」を観た人に質問です。アマゾンのレビューでは、小説を読んだ人もそうでない人も酷評が多いように思います。あなたは観てどう思いましたか?

ノルウェーの森という小説は、そもそもかなりグロテスクな気持ちの悪い作品だと思うのですが、以前の日本人にはそういった表現を受け入れる余裕のようなものがあったと思うのです。人の心の中にある、非常にしんどい、一歩間違えれば死に足を踏み入れてしまいそうな危うい繊細さを村上春樹さんは描こうとしたのではないかなと思うのですが、世の中にはそういった正解のないこと、考えれば考えるほどわからなくなってきて疲れてしまうようなことに小説を読むことで向き合ってみるだけの余裕があつたから、いろいろな意味でノルウェーの森は成立したのではないかと思います。

今はそういったグレーなものを存在させる余裕や遊びのようなものがないような気がします。例えば吉野家の常務さんがかなり酷い失言をしましたけど、20世紀であれば、あの人は口が悪いね、くらいで終わったかも知れないんじゃないかなと思うんです。しかし今は通信技術が発達していますからオンラインで拡散し国民的に批判するのが普通の状況になってきたということもあるし、グレーなものがなくて、正しいか正しくないのか〇か×かということに焦点が合わされていて×なら即退場が今のスタンダードになっていると思うのです。

このような時代に、ノルウェーの森のように、死んだ親友の恋人で精神疾患に苦しんでいる女性と関係を持っていながら、彼女が施設に入っている間もせっせとナンパに励み、直子がいなくなつたからミドリを本命にしようかなと思って電話する主人公は当然アウトなわけです。女性をモノとしか見れてないから、直子と関係を持ちつつナンパに励むわけで、そのような作品は存在するだけで多くの人を不快にするはずですから表現の自由があるとは言え、社会的な評価なども含めて考えてみるとやはり成立しないと言うことだと思います。

主人公はミドリに「で、あなたは今どこにいるの?」という深くて鋭い質問を受け、公衆電話という世界の中心にいながら、それをうまく答えられないままに物語が終わりますから、これこそそんな風に生きてしまう悲しい男がいて、そいつは大学生のころからそうなんだという話を書こうとしたんだと思うんですけど、現代的に言えば、そんな酷いやつが主人公なのがもう非常に気持ち悪いということになるのではないかなと。

で、映画なんですけど、監督はタイ人の人だったと思いますけど、原作の雰囲気をとても大切にしていて、作品の持つグロテスクさも繊細さも再現しようとしていると私は思ったんですが、原作が時代遅れなので、結果として映画も時代言うことだと遅れなものになったと思います。

村上作品は世界中で売れましたけど、欧米では廃退的なデカダンス小説として消費されていようにわたしには見えます。また、アジアに人たちには新しいライフスタイルが提示されているように受け取られたようにも思うのですが、日本社会はその段階を通り過ぎたということなのかも知れません。



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