日本国憲法は敗戦後の絶望の末に制定されたのか、それとも終戦後の未来への希望をもとに制定されたのか、結局どちらなのでしょう?GHQの思惑などとは別で日本側で携わった方たちの活動を知りたいです。

「日本国憲法は敗戦後の絶望の末に制定されたのか、それとも終戦後の未来への希望をもとに制定されたのか、結局どちらなのでしょう?GHQの思惑などとは別で日本側で携わった方たちの活動を知りたいです。」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

幣原喜重郎内閣の時に松本蒸治という人物が憲法改正草案を作らされました。ただ、明治憲法が天皇の大権が全てという建付けになっていたのをある程度制限するという感じのものだったので、マッカーサーががっかりし、マッカーサー三原則を提示して今の憲法が書かれることになったわけです。当時は様々な民間試案も作られたみたいで喧々諤々あったみたいですから、憲法制定史を調べればいろいろ出てくるだろうなと思います。上に述べたのは、ほんのうわべで申し訳ないくらいの薄い内容ですが、まあ、そんな感じです。



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