米国は日本に二度と戦争をさせないために憲法9条を押し付けたというのは俗説で、日本から進んで「戦争放棄」をしたのでしょうか?米国への忖度、米国の糸引きなどはなかったのでしょうか。

「米国は日本に二度と戦争をさせないために憲法9条を押し付けたというのは俗説で、日本から進んで「戦争放棄」をしたのでしょうか?米国への忖度、米国の糸引きなどはなかったのでしょうか。」というquoraでの質問に対する私の回答です。

マッカーサー三原則の一つが平和主義なわけですけど、これから憲法を書くぞ、という時期に幣原喜重郎がマッカーサーにこっそりと頼んで平和主義を盛り込んでもらったと言われています。そのため、憲法9条はアメリカの押し付けではなく、日本人の発案によると考えることもできるとも言われます。

しかしながら、幣原喜重郎がこっそり頼んだということは、要するに密室で決めたということですから、そのことについては慎重でなくてはならないとも思います。自分の政治理念を実現するために、堂々と議会で戦うのではなく、アメリカの外圧だという体裁で突破したからです。現代でも国際機関の日本への要求は財務官僚が裏でシナリオを書いてるなどと揶揄されることがありますが、それと同じということになってしまうわけですね。

そうは言っても、当時のマッカーサーが幣原喜重郎に頼まれたというだけで、平和主義を盛り込んだとはちょっと考えにくいと思います。マッカーサーの占領政策は基本的には昭和天皇との合意で進められていたと私は考えていますし、そのように考えている人はそれなりにいると思います。

というのも、マッカーサーはアメリカ大統領選挙に共和党代表として臨む準備を進めていて、日本の占領政策の成功を政治的な資産にしようと考えていました。占領を最も確実に成功させる手段は昭和天皇と手を組むことだと彼は考えていたようなのです。

根拠としては、有名なマッカーサーと昭和天皇の初面談の美談(昭和天皇が「私はどうなってもいいので、国民を助けてください」と発言したとされるもの)が、マッカーサーの回顧録だけに残っているということに求めることができると思います。というのも、マッカーサーは昭和天皇の人柄が最高なので、この人なしに日本占領は成功しないと思ったという趣旨のことを述べているのですが、これってちょっと斜めに読むと、天皇とマッカーサーを手を結ぶ儀式をしたと読み解くことはそんなに難しいことではないように思うんですね。

昭和天皇は当時の会見の内容は絶対秘密で死ぬまで誰にも言いませんでしたから、マッカーサーの言うところの昭和天皇の人間性が素晴らしい云々は、やっぱりちょっと眉唾だなと思わざるを得ないのです。

控え目に表現するとしても、この時になんらかの取引が行われたと見られてもおかしくはない状況だったと言えるでしょう。

では、仮に取引があったとして、それが何であったかと言えば、ソビエト連邦を意識したアメリカ軍による日本の長期占領、基地の提供、安全保障条約の締結などであったのではないでしょうか。昭和天皇は天皇制度の維持を条件にそれらの条件を受け入れ、win-winな関係を築いたのではないかと思うのです。

ですから、平和憲法は昭和天皇とマッカーサーの合意の結果、作られたものだと私はとらえています。

じゃ、幣原喜重郎が出る幕ってなんだったんでしょうか?一つは昭和天皇のメッセンジャーとしてマッカーサーに会いに行ったのを、彼は政治家ですから上手の自分の手柄のように吹聴した可能性があります。もう一つはマッカーサーと昭和天皇の合意を知らずに、考えすぎて頼みに行ったということもあるかも知れません。私は前者を採ります。当時の政治の中枢にいるものであれば、マッカーサーと天皇の蜜月に気づかないとは考えられません。幣原は空気を読み流れに乗ったのではないでしょうか。



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