大航海時代辺りのヨーロッパでは、日本や朝鮮、中国等の東アジア諸国はどのような国だと思われていたのですか?インドと同じ文化圏だと思われていたりしたんでしょうか?

「大航海時代辺りのヨーロッパでは、日本や朝鮮、中国等の東アジア諸国はどのような国だと思われていたのですか?インドと同じ文化圏だと思われていたりしたんでしょうか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

当時のインドという言葉は広く、東洋全域、中東の向こう側は全てインドでした。その意味ではインドと同じ文化圏だと思われていたと理解してもあながち間違ってはいないと思います。アメリカが西インドで、現代のインドからインドシナ、インドネシアの地域は東インドというわけで、どちらもインドだと思われていたわけですから、いかに漠然としたイメージしか抱かれていなかったかが分かります。黄金の国ジパングへ西回り航路で到達しようとしてインカ帝国にたどり着き、本当に黄金を略奪するという偶然の一致もあったわけですね。南米の黄金の都はエルドラドと呼ばれましたが、これも中尊寺金色堂と区別がついていたとはとても思えません。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください