信長は裏切られても案外許してるのに、有岡城に入った黒田官兵衛が確実に寝返ったのかどうか状況を確認する事もなく長政をあっさり殺せと命じましたがなぜでしょうか?

「信長は裏切られても案外許してるのに、有岡城に入った黒田官兵衛が確実に寝返ったのかどうか状況を確認する事もなく長政をあっさり殺せと命じましたがなぜでしょうか?」というquoraでの質問に対する私の回答です。

信長は裏切った者をゆるしたことは基本ありません。有用な者は生かしました。ゆるしたのではなく、活用することにしたわけです。従って、一度でも裏切ったことのある者が無用になれば、何をされるかは分かったものではありません。実の同母弟だって殺されているのです。唯一、裏切ったことがある者の中で、ゆるされていたであろう人物は柴田勝家なのですが、それは織田家の内紛に於いてでの話であって、織田家に弓を引いたことはありませんでした。信長もその面を評価し、勝家を信用していたものと思います。

さて、この細かな機微をよく理解していたであろう人物に松永久秀を挙げたいと思います。彼は二度目(だったと思います。三度目とかだったらすみません)に信長を裏切った時、おそらく、今回投降しても自分はもはや役に立たないだろうから殺されるだろうと悟ったが故に自害するに及んだのではないかと思うのです。

信長はそもそもごく一部の人間を除き、ほとんど誰のことも人間的に愛してもいなかったし、信じてもいなかったと私は考えています。じっくりと彼の人生を眺めてみると、おそらく、桶狭間の戦いに参加していたメンバーのことだけは本気で信頼していたようなのですが、それ以外の人物はただの駒でしかなく、役に立つかどうかだけが相手を図る尺度になっています。桶狭間のメンバーには柴田勝家も参加していましたし、木下藤吉郎も多分参加していました。

信長は平気で浅井との盟約を破り、怒って反旗を翻した浅井長政を裏切者であるとして追い詰めて殺していますが、信長の行動の基準を考えれば、浅井との同盟が朝倉義景との戦争の役に立たないので同盟を破ったわけで、信長的には至極合理的なわけです。

このことに気づいていたであろう人物として明智光秀を挙げたいと思います。彼は徹底的に信長の役に立ちましたが、ある時、信長は自分が完全にすり減ってしまうまで使い倒し、使えなくなったら適当に理由をつけて追放するなり殺すなりするであろうと気づいていたのだと思います。だからこそ、光秀もドライになり、信長を殺せるときに殺しておこうと考えたのではないかと思うのです。

尤も、信長は最晩年のころになると桶狭間メンバーに対しても冷淡になっており、自分の息子たちを安定させることしか考えなくなっていましたから、信長を守るはずの家臣を遠ざけ、まさか光秀みたいな外様に自由意志があろうはずがないくらいの思い込みがあり、つけいられたのでしょう。

このように考えますと、信長は黒田官兵衛が役に立つとはとても思えなかったし、少なくともその段階では敵の城に入ったまま出てこない、要するに結果を出していないのですから、殺しても別に、何の痛みも感じないということであったに違いありません。




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