皇民化映画『サヨンの鐘』を解説します

1943年公開の映画で『サヨンの鐘』というのがあるんですね。李香蘭主演の映画で、満州映画協会が制作したものなんです。監督が清水宏さんという方で、松竹の監督なんですね。よく調べてみると、満州映画協会と松竹と台湾総督府が共同で制作したことになってるみたいなんです。で、この映画は日本による台湾での皇民化を宣伝する映画で、サヨンという実在していた少女を李香蘭が演じているという映画なんです。

 そのサヨンという人がどういう人だったのかというと、台湾原住民の少女なんですが、自分が住んでいる地域の日本人の男性のところに召集令状が来て、その男性は、その地域の警察官兼学校の先生という職業の人だったらしいんですが、応召するために山を下りると言うので、荷物を地元の人が協力して運んだんですけど、サヨンさんが荷物を運んでいる時に足を滑らせて川に落ちてしまうという事故が起きてしまいます。で、そのまま彼女は帰らぬ人になってしまったということなんですが、彼女を愛国少女として大いに称賛する動きが出て来たんです。

最初に出てきたのが『サヨンの鐘』という歌なんですね。西条八十作詞、古賀政男作曲で、渡辺はま子という人が歌ったんですけど、これが結構、ヒットしたらしいんです。サヨンの鐘の鐘ってなんなんだってことになりますけど、事故が起きた地元にサヨンを讃える鐘が設置されてですね、その鐘の音を聴いてサヨンを思い出すみたいな感じになっていたんだろうなと思います。

 これが映画になったのが、最初に述べた1943年公開になった作品なんですけど、一般にはまず歌があって、次に映画ができたということ説明されることが多いんですが、実は歌が作られた後に、短編小説も書かれています。台湾在住の日本人作家がサヨンの鐘という短編小説を書いて、これを雑誌に載せてるんですね。これは私が最近発見したことなんで、論文に書いてもいいんですけど、気がはやいものですから、youtubeでしゃべっちゃおうと思ってしゃべってます。

 サヨンが先生に恋心を抱いていてどうこう、というような説明をされることもあるんですが、実際には先生に恋心を抱いていたというよりも、日本帝国への忠誠心が非常に強いというような印象を与える描写が多いですね。そっちの方が、まあ、当時の政治的にも重視されたのは間違いないと思いますし。それに、大正時代には自由恋愛とか流行しましたけど、昭和に入って全体主義が世の中を仕切るようになってきたので、日本男性が植民地の女性にモテるかどうかというのは、あまり気にしていなかったみたいですね。女にデレデレしているようなやつが戦争に勝てるかみたいなところがあって、日本男児は女性のことは忘れて戦場で死ねばいいのだ、みたいな空気はちょっと、いろいろ読んでると感じますね。まあ、それで慰安婦の人たちがいたわけですから、日本軍兵士がご清潔だったとは言いかねますけども、そうは言っても植民地の女性にデレデレされて喜ぶような馬鹿な感じは発揮されなかったわけですから、それはそれで良かったとも思います。

で、ですね、映画版の『サヨンの鐘』なんですが、映画の冒頭で李香蘭が同じ集落の小さい子供たちに、今日は何曜日だ?とか質問するんですね。要するに、日付とか曜日の概念を知っているのが近代文明人の重要なポイントで、それをもたらしたのは日本帝国だ、というようなことを暗に示そうとしているわけです。サヨンは決して単に、兵隊さんになる先生に憧れているとか、そういうキャラ設定じゃなくて、集落の若者同士で人間関係で悩んだりとかしていて、先生は指導者として若者に少しでも生きる希望を与えよう、悩みを解決してあげようという姿勢を示します。

サヨンの先生の恋心みたいな説明をしている人って本当に映画みたのかな…と疑問に思います。先生とサヨンのロマンスみたいなのは一切ないです。

で、サヨン役の李香蘭さんがですね、先生を見送るのに万歳とか叫んじゃうんですね。恋愛感情のような私的ものじゃなくて、先生が日本のために戦いに行くからかっこいいと思うわけです。日本帝国っていう大きな物語があって、彼女はそっちに心酔しているという設定になっているわけですね。先生は帝国のために戦いに行くし、それを見送っている自分も帝国の一部になったような気がして、そのことで心境が昂揚して万歳!と叫ぶんです。で、足を滑らせて川に落ちてしまうということなんですね。

実在したサヨンさんが、本心ではどんなことを考えていたかとかそういうのはわからないですから、飽くまでもサヨンさんを素材にしてですね、ある種のサヨン伝説みたいなものが築き上げられたというようなところに注目するとですね、ベネディクト・アンダーソンの想像の共同体っていう本ありますけど、あの本みたいにですね、人々が自分が国家の一部だと感じるためにどんな装置が作られたのかということの議論につなげることができると思うんですね。で、最近だったら、国家がどうこうというのはちょっと時代に合わないというか、今さら近代国家論じるのもださいぜとか思っちゃうんですけど、何らかの共同体とか、コミュニティで独自の伝説があって、人々がその伝説を大事に守っているみたいな現象はいろいろあると思いますから、そういうのを理解する理解する一環として、サヨンの伝説化がどんなものだったかというのを考えるのは価値があると思います。




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