明智光秀が本能寺の変を起こした動機を考えるということに、今回は集中してみたいと思います。織田信長は最多出場で、信長のことは今回が8回目なのですが、今回で信長は最後になります。
で、光秀の本心を考察してみようという試みなわけですが、私は明智光秀単独犯行説でかなりのことを説明できると思います。あえて黒幕を設定する必然性はそこまで高くないのではないかなと思います。とはいえ、光秀をけしかけた人々はいたと思いますから、後半ではそこまで踏み込んでみるつもりです。
これまでに何度か述べてきましたが、織田信長は桶狭間の戦いのときに部下だったメンバーをファミリーと思っているふしがありました。桶狭間の戦いのとき、信長はまだ弱小戦国大名ですから、このときに信長についてきたメンバーこそが心の友というわけです。もっとも、佐久間信盛や林道勝のように桶狭間メンバーでありながら信長の晩年期になって追放された武将もいたわけですが、それは信長が血迷った状態に陥ってきたという証左であって、人間が落ち目になるとおかしなことをやってしまうというような感じで説明するのが妥当なのではないかと思います。
何が言いたいかというと、明智光秀は信長ファミリーにとって外様ですから、利用できる間は十分な報酬を与えて利用するわけですけれど、それができなくなったらポイなわけです。明智光秀の側からいえば、信長にとことん忠義だてする義理もないので、場合によってはわりと簡単に裏切っていい相手ではあるということなんですね。明智光秀は家臣に対し、自分はまるでゴミみたいな存在なのに信長様に拾っていただいて一城の主にまでなれたのだから、忠義を尽くさなくてはいけないという趣旨のことを話したことがあるそうですが、これって要するにギブアンドテイクが成立しているということなわけです。ギブアンドテイクが成立しなくなれば、光秀はさっと信長から手を引いてもおかしくないわけです。で、本能寺の変が起きた時に、光秀はギブアンドテイクが成立していない状態になっていた可能性があります。たとえば、信ぴょう性はそこまで高くないみたいなんですが、信長は光秀に毛利攻撃を命じた際、国替えも命じていて、今光秀に与えいている知行は信長が接収する。光秀は毛利の領地を攻撃して占領した土地は全部自分の領地にしてもいいと約束したという話があります。要するに光秀にまだ陥落していない土地を与えると空の証文を与えて、今実際に手にしている土地は取り上げるということになりますから、光秀は一城の主にまで出世できたから信長に忠義だてするけど、そこの前提が崩れることになるので、だったら寝首をかいてやろうと思ったとしても不思議ではないんですよね。
さらに、光秀はただ単に自由に毛利を攻撃すればよかったかと言えば、そういうわけでもなかったんです。秀吉が毛利攻めで苦労しているから、光秀の本来の仕事は秀吉のサポート、ヘルプなんですね。自分の新しい領地を毛利から奪わなければならないという切迫した状態にありながら秀吉のサポートをさせられるわけですから、これでは誰でも頭に来ます。メンツも実利もめちゃめちゃになったわけですから。
もう一丁つけくわえるならば、四国の長宗我部という戦国大名が信長に接近しようとしたとき、明智光秀に間を取り持ってもらっています。明智と長宗我部は関係が近いんですね。で、信長は長宗我部の四国における優位を認めると約束したわけです。長宗我部は信長の同盟者になって、家康みたいな立場になる予定だったと考えていいと思います。ところが信長軍行くところ必ず勝利する状態が続きましたから、もう、長宗我部のご機嫌をとる必要はないと信長は思ったらしく、以前の約束は撤回で、四国に遠征軍を送り込む準備を始めます。本能寺の変が起きた時はすでに準備万端整っていて、出発を待つのみだったか、あるいはすでに先遣隊出発していたくらいの時間的接着性があるんです。長宗我部との間を取り持った明智光秀からすれば、メンツ丸つぶれなんですよね。しかも、領地召し上げ秀吉サポートという要件も重なってあるわけですから、やっぱり、光秀がぶちぎれしてもおかしくなわけですね。
しかも、偶然にも、信長がうっかりしていたのか、京都に大軍を率いているのは光秀一人。信長は少数でお茶会とかのんきにやってるわけですね。これは襲うしかない、千載一遇のチャンスというわけです。
もともと信長に義理のない光秀が、メンツ丸つぶれで利益も奪われて、不本意な業務に強制的に従事させられていて、信長は無防備。これはねえ、繰り返しになりますけど、そりゃ、やってやろうと思いますよね。というわけで、明智光秀単独犯行説は十分に成立すると私は思うんですね。長宗我部の話は四国説という風に言われたりしますけど、四国説は光秀の動機を説明するものであって、黒幕が別にいるというのとは全然違うものです。ですから、単独犯行説の一部を構成するものですね。
じゃ、他の黒幕説をちょっと考えてみたいと思います。
私は、信長に近い人間で、最も信長を殺したいと思っていたのは家康だと思います。徹底的にバカにされ、なめられ、戦場では見棄てられ、妻と息子は信長への義理だてのために殺さなくてはならなくなったわけですから、家康の心境を考えれば、信長を激しく憎悪して当然です。しかし、信長にとことん馬鹿にされていた男が、光秀のような織田家の首脳レベルの男に影響力を与えることは可能かと考えれば、かなり怪しいように思いまうす。家康に光秀をコントロールすることできたとはちょっと思えません。本能寺の変が起きたとき、家康は堺を観光旅行していて、こんなところでのんきに滞在していては光秀の部下につかまって殺されるとびびった家康は、大和の山中や伊賀地方を越えて三河に少数の従者だけを連れて命からがらたどり着いています。もし、家康が黒幕だった場合、家康の脱出劇はやらせとかポーズみたいなものだったと言えますし、ある種のアリバイ作りみたいな話になりますが、この場合、当初はやらせのつもりが、家康が少数の供回りしかいないことは事実なわけですから、誰かに襲われて殺されてもおかしくはありません。で、真相は闇の中、死人に口なしというわけです。実際、家康と一緒に堺にいて、別ルートで脱出をはかった穴山梅雪はこのときに殺されています。そんなリスクを、あの慎重な家康がおかすでしょうか?できるだけ運任せの要素を排除しようとして生きた家康が、そんなことをするとは私にはとても信じられません。ですから、家康黒幕説は全くないと思います。
では次に、イエズス会黒幕説はどうでしょうか?イエズス会がキリシタン大名を通じて光秀を動かし、信長を殺させたというものですが、イエズス会は信長の理解を得て信徒を獲得していたわけですから、信長を殺す必要は全くありません。豊臣も徳川もカトリックを禁止しましたが、それくらい危険視されかねないことは多分イエズス会もわかっていて、信長のような理解者は実に得難いとも思っていたはずです。したがって、イエズス会黒幕説もないと思います。
次に秀吉黒幕説ですが、これはありそうに見えてやっぱりないと思いますねえ。というのも、秀吉が天下を獲るというビジョンを信長が生きているときに持っていたようにはちょっと思えないんですね。これは、私の推量でしかないんですけど、秀吉は天下を獲ったあと、それからどうしていいかわからなくなって甥の秀次を殺したり、朝鮮と戦争を始めたりと、常軌を逸したと思えるようなことをやっています。ですから、やっぱり、天下はなんだか降ってわいたように手に入ったけど、十分に準備できていたわけでもないというのが、透けて見えるような気がしてなりません。だから、この説は個人的にはなしですね。
そして、これはある程度ありうると思うのが、足利義昭黒幕説です。私は足利将軍であり、信長に徹底的に抵抗した義昭が信長を討てと光秀に命令した場合、光秀の心が多いに動いたとしても全く不思議ではないと思うのです。光秀はそもそも信長に義理立てする理由はそこまでないわけですし、足利義昭は名目上の将軍としての権威を保っていて、光秀にとってはもともとは足利義昭こそご主人様なわけです。ぽっと出の信長より、義昭の将軍としての権威の方が、はるかに光秀に対して説得力を持ったのではないでしょうか。それがすべてではないですし、義昭に遠大な構想があったとも思えませんが、光秀が本能寺の変を起こすための背中を押したということは十分にありうると思います。
それから、やはり外せないのが朝廷黒幕説ですね。十分にありうると思います。光秀にこっそり「やっちまえ。信長、やっちまえ」と吹き込むお公家さんたちがいて、光秀の心が動いたというものですね。光秀は教養のある人だったわけですから、お公家さんたちのありがたみをよく知っていて、歴史の知識が深ければ、信長がぽっと出だということもよくわかっているわけですから、朝廷の権威にひれ伏し、信長を殺す
決心をした、少なくとも背中を押されたということはあり得るというか、多分、そうだったんじゃないかなくらいに思えます。朝廷としては、前回も述べましたが、信長という不気味な男は殺してしまって知らぬ顔をしたいと思っていた可能性はありますし。ですから、光秀が信長を殺した後は、お公家さんらしく責任をとりたくないので、光秀を見棄てたとしても、あり得ると思います。
そのように思うと、朝廷と将軍という信長以前から存在した2つの権威の意向を受けて、まあ、光秀が忖度して本能寺の変を起こしたものの、その後のことについては朝廷も将軍もしれっと知らぬ顔を通したために、光秀は見捨てられて孤立したまま秀吉に敗れてしまったというのが真相だったのではないでしょうか。
以上は、私がそう思うというだけですから、今回も、歴史の謎について想像して楽しむという感じで受け取ってもらえればいいなと思います。今回は信長の死を扱いましたが、推理を楽しむことに力が入ってしまい、レクイエムという感じにはなりませんでした。しかし、これは信長がそれだけ凄い男であったということの裏返しですから、信長への賛辞であると、信長ファンの方には受け取っていただければ幸いです。