足利義昭-信長を最も困らせた男

室町幕府最後の将軍である足利義昭は、織田信長をとことん困らせた男としてその名を歴史に残しました。今回は義昭の前半生を簡単に確認し、どんな風に信長を困らせぬいたかを見てみたいと思います。

もともと義昭は将軍になる予定ではありませんでした。彼の兄である足利義輝が13代将軍に就任しており、権力者の家でよく見られたことですが、後継者争いに発展することを避けるため、義昭は出家してお坊さんになっていました。奈良の興福寺で修業していましたが、将軍の弟なわけですから、それはもう大切にされて不自由のない生活を送り、傲慢な性格で成長したそうですが、まあ、それだけったら、傲慢な人なんていくらでもいますし、どうってことはなかったんですよね。足利将軍でもっとも傲慢だったのは足利義満かもしれませんけれど、義昭は義満ほど頭が切れたわけでもないので、単に性格の悪い僧侶にすぎなかったわけです。権力ゲームが好きな人でしたから、興福寺の中で権力争いしたかもしれませんけど、それってコップの中の嵐ですから、歴史に名を遺すこともなかったでしょう。ただし、彼の性格がそこまで困ったちゃんになってしまったのは、将軍家に生まれながらお坊さんという禁欲生活を強要されたことへの激しい怒りみたいなのがあったのかもしれません。そこは同情すべきポイントかもしれませんね。

で、このまま一生をお寺の中で終える予定だった義昭ですが、人生が急展開を迎えます。兄の将軍足利義輝が白昼堂々殺害されるという大事件が起きてしまいました。義輝は二条城で仕事をしていたのですが、そこを実質的に京都を支配する三好一族の軍隊に囲まれてしまいます。足利将軍は応仁の乱以降、形式的な権力しか持っておらず、力のある武士の言いなりで、当時はそれが三好さんだったというわけなんですが、義輝は脱三好を画策し、上杉謙信に協力を求めたりしています。上杉謙信が本気出して京都に攻めてきたら三好一族なんて弱小すぎてあっという間に蹴散らされてしまいますから、三好さんとしても義輝を止めるにはどうしたらいいか真剣に考えたんでしょうけど、殺すのが一番早いということになったんでしょうね。で、二条城を白昼包囲して義輝を殺害したわけです。義輝は剣術の名手として知られていましたから、相当に善戦したともいわれていますが、僅かな側近とともに軍団を相手にしたわけですから勝ち目はありませんでした。角川映画で高倉健さんが薬師丸ひろ子を背負いながら敵軍と戦うというのがあったと思いますけど、その映画では戦車とか機関銃とか持ってる一個大隊みたいなのを相手に高倉健さんが一人で戦うんですね。で、最後は勝つかどうかわからないまま終わるので、ああ、きっと健さんはやられちゃったんだろうなと観客は想像するわけですが、まあ、それくらいの戦力差だったと思います。義輝はランボーなみに優秀だった可能性がありますけど、戦力差が凄すぎて限界があったんですね。本当に気の毒です。

で、義輝殺害事件の余波が義昭にも及びました。義昭は監禁されました。傀儡として擁立された可能性もありますが、殺された可能性も十分にあります。義昭の弟で仏門に入った人はこの時に殺されています。そして義昭は脱出に成功しました。足利将軍家の家臣たちが、義昭だけは守らなければならないと考え、義昭を助けたわけです。彼らの思いを考えると胸が熱くなります。

そして義昭は越前の朝倉義景のところへ身を寄せ、その後、織田信長へと頼る相手を変えています。信長のところへ身を寄せる際、朝倉義景のところにいた明智光秀が一緒についてきて、光秀は信長と義昭の両方の家臣という特殊なポジションを築いていきます。義昭が将軍に就任すれば、全ての武士は義昭の家臣ということになりますから、信長の家臣であると同時に義昭の家臣というのは論理的には成り立ちうるわけです。あんまり現実的ではないという面はありますけれど。このような明智の特殊な立場はのちに本能寺の変を決心する大きな要因になったであろうと思います。一途に信長への忠誠心を保つ義理は明智にはないんですよね。

で、それはそうと、義昭と信長の関係は非常にいいものでした。義昭は信長を兄のように慕い、信長も義昭への敬意を常に払っていたようです。信長は義理堅いところがあって、義昭にも義理堅く接していたみたいなんですね。信長が大軍を率いて京都に入り、三好一族は京都を脱出します。当時、三好一族の傀儡だった十四代将軍がいたんですけど、その人も逃走し、間もなく亡くなっています。

そして義昭は信長の武力と財力を背景に朝廷から将軍に任命されます。命からがら興福寺を脱出し、長年京都の外を放浪していた彼は、ついに念願を果たしたというわけです。義昭は信長への感謝の気持ちが非常に強いですから、信長に副将軍のポジションをオファーします。信長は断っています。信長は義昭の協力者という立場を貫いていて、頼朝にとっての北条氏みたいな感じになると思うんですけど、もし副将軍を受けてしまうと、義昭の直接の家臣という立場になりますから、忠誠を誓わなくてはいけません。信長はそれを避けたかったんだろうと思います。

義昭からすれば、え?こいつ、副将軍を受けないの?どういうつもり?と信長の真意を測りかねたに違いありません。信長経済や貿易に有利な地点で活躍することだけを望み、それ以外の野心をかなえようとはしませんでした。発想法が普通の戦国大名とは全然違うので、義昭に具体的な利益を与えてもらおうとか思ってないんですね。ただし、義昭は政治的には極めて有効なカードですから勝手に動くのは困ります。信長は義昭に対し、自分の同意なしに政治の仕事をすることを禁じました。将軍には全国の武士に対する命令権があるわけですが、命令書を出すという場合、必ず信長の同意を得ることとしたわけです。

義昭は激怒しました。義昭は信長の人形であると宣言されたようなものです。法的に信長には義昭を拘束する権利はありませんでしたから、あくまでも両者の紳士同盟という形でしか合意はできないんですけれど、信長にはお金と兵隊があって、義昭にはないわけですから、義昭は信長のいうことをきくしかないわけです。ですが、義昭という人は傲慢でわがままな人間として歴史に記憶されているような人ですから、信長との約束は平気で破っています。それどころか信長を殺せと全国の有力な武士に向けて命令書をこっそり発行しています。信長の知らないところで発行されたものですが、法的には十分に有効な命令書です。

この時、信長は下手をすると平安末期の平氏みたいに各地から攻め込まれて滅亡するリスクをも抱えざるを得なくなってしまいました。しかも、困ったことに信長が最も恐れた武田信玄が義昭の命令書で決心を固め、京都へ向かって進撃を始めました。まともにぶつかったら殺されるかもしれない相手ですから、信長は人生で最大の危機を迎えたと言っていいかもしれません。信長包囲網が形成されていました。信長の妹のお市をお嫁さんにして同盟を結んでいた浅井長政も気づくと敵についています。浅井長政は朝倉義景と同盟関係だったんですが、信長が朝倉へ攻めて行ったためにどちらに着くか選択しなければならず、付き合いの長い朝倉義景を選びました。浅井長政はきっと律儀でまじめな性格だったんでしょうね。

というわけで、信長は絶体絶命でしたが、徳川家康を精神的にめちゃくちゃにした武田信玄が信長の領地へ入ろうかという段階になって、なんと病死します。信長包囲網に参加していた人たちは武田信玄を頼りにしていたわけですから、武田軍が黙々と撤退していったことに大きなショックを受けたはずです。義昭は信玄が死んだことも知らずに挙兵し、ひっこみがつかなくなってしまいます。信長はなんとか義昭との関係を修復しようと努力しますが、義昭は拒否しました。信長はやむを得ず義昭を追放します。信長は義昭を殺す決心ができなかったんでしょうね。信長は恐ろしい人というイメージがありますが、人間関係にはナイーブな面があって、義昭に対してもナイーブさがあらわれていたように私には思えます。ただし、義昭の判断は正解だったとも思います。もしこのとき、情に流されて信長と和解した場合、あとで暗殺される可能性がありますから、人は決断すれば振り返ってはいけないのです。信長と戦うと決心した以上、義昭はたとえ追放されても受け入れて戦うしかなかったと思いますね。結局、義昭は毛利氏に拾われて、そこで亡命政権を作りますから、南北朝時代の南朝みたいな感じになって義昭は持久戦に入ったと言えます。そして信長よりもうんと長生きして歴史の生き証人みたいになっていきますから、信長と義昭のどっちが勝ちかといえば、案外、義昭の勝ちだったのかもしれません。信長と義昭のどっちに生まれたいかという設問があれば、たいていの人は信長と答えるでしょうし、私も信長の方がいいですが、どっちが勝ったかと設問すれば、答えは分かれるのではないでしょうか。義昭が明智光秀に信長殺しをけしかけた可能性は指摘され続けてきました。想像ですけど、光秀は、そういった命令の書かれた手紙くらいは受け取っていて、彼が最終決心をする際に背中を押した可能性は十分にあるわけです。義昭の命令で本能寺の変が起きたとすれば、義昭の最終勝利ということなのかも知れませんね。

以上のようなわけですから、足利義昭という人は、別に優秀でもないし、性格も悪いので全然、憧れたりしないんですけど、でも、信長を最も困らせた男という意味で、ある種のすごみを感じなくもありません。お寺のお坊さんから将軍、そして亡命政権の樹立ですから、なんとも忙しい人生を送った人だとも言えそうですね。



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