鎌倉将軍という過酷な職業

もし鎌倉時代に生まれたとすれば、将軍という職業にだけは絶対に就きたくないと私は思います。百パーセントの確立で人生がめちゃめちゃになって苦しむことが分かっているとすら言っていいのではないでしょうか。

最初の源氏三代の将軍たちについて言えば、二代目の頼家が病死ということになってますが信じている人は多分ほとんどいなくて、殺された可能性が非常に高いわけです。三代目の実朝は間違いなく殺されているわけですね。初代の頼朝も殺されたのではないかということは以前指摘しました。

で、ですよ、その後の将軍たちもいろいろ大変だったのです。鎌倉幕府の将軍については、源氏三代以外はほとんど語られることがありませんので、そもそもどうなっていたのかというところからちょっと確認しておきたいのですが、三代目の実朝が亡くなった後、北条政子は京都から天皇家の人物を次の将軍に迎えようと画策します。これは京都側から断られてしまったのですが、代わりに藤原家の人物が将軍として鎌倉に招かれます。藤原将軍とか、摂家将軍とか言われます。摂家というのは摂関家のことですね。まあ、要するに藤原さんの一番中心の本家筋の人を将軍に招いたということです。で、藤原頼経という人が四代目の将軍として招かれたんですが、北条氏との対立を深めてしまいます。北条氏と関係が険悪になっていった三浦氏という御家人が藤原頼経を担ぎ、できれば北条氏を権力から引きずり下ろしたいと思って行動するものですから、だんだんそういうのが表面化してきて、頼経は将軍を引退させられるところへと追い詰められます。で、息子の頼嗣という人に将軍職が譲られました。頼経は引退した後も権力を維持したいとの願望が強く、三浦氏との連携も維持するのですが、北条氏の逆鱗に触れて京都へと送還されてしまいます。まだ息子の頼嗣が鎌倉で将軍としてがんばってはいましたが、三浦氏が北条氏によって滅ぼされ、後ろ盾をなくしてしまい、息子も京都へ送還されてしまいます。で、ほどなく父親の頼経が病死し、翌月には息子の頼嗣も病死するのですが、あまりにも時間的に近いので、ちょっと怪しいわけですよね。たとえば同時に誰かに殺されたとして、たとえば北条氏の討手に殺されたとして、あまりにも事態が陰険なことになってしまっているので表ざたにするわけにもいかず、発表の時期だけ少しずらして病死ということにしたのでは?との疑念がぬぐえないわけです。鎌倉将軍になると一歩間違えば命に係わるというわけですよね。

これで藤原将軍の時代は終わるのですが、次いで皇族の人物が将軍として鎌倉に迎え入れられます。これを宮将軍とか親王将軍とか言います。親王というのは皇族男子に与えられる称号ですね。一応補足すると、皇族男子の中で親王として認められた人だけが親王を名乗ることができるんですが、普通は親王として認められるので皇族男子はだいたい全員親王と思ってもいいんですけど、時々、稀に親王として認めてもらえないまま年取っちゃう人もいて、そういう人は王と呼ばれます。平氏追討の令旨を出した以仁王は後白河の息子ですけど親王として認めてもらえてないので、王なわけです。それはそうとして、この宮将軍の一人目、即ち鎌倉幕府六代目将軍が宗尊親王というお方なのですが、北条家の内紛に巻き込まれてしまい、責任を問われて将軍をやめさせられています。北条家の内紛ですから宗尊親王悪くないといえば悪くないとも思いますけど、まあ、敗けた方についちゃうとこんなことになってしまうわけですね。宗尊親王は出家させられ、ほどなく病死してますが、33歳っていう一番元気な時期に亡くなってますから、やっぱり謀殺の疑いはぬぐい切れません。だって相手が陰謀に長けた北条氏なわけですから。北条氏はいくつかに分かれますけれど、北条得宗家というのがご本家で、陰謀にはめっちゃ長けてるんですよね。宗尊親王が将軍を追われてからは、その息子の維康親王というお方が将軍に就任します。で、20代で鎌倉から追放されました。この人は追放だけで済んでむしろ幸運でしたよね。

で、久明親王という人が京都から呼ばれて将軍になったのですが、やっぱり追放されています。とはいえ、息子の守邦親王が将軍を継いだので、まあ引退して京都へ帰ったくらいのイメージでとらえても良さそうな感じでもありますから、久明親王が一番ダメージが少なかったかも知れません。

最後の将軍がこの守邦親王というお方なわけですけれど、鎌倉幕府が滅亡した日にはどこで何をしていたのかすらわかってはいません。北条高時はじめ北条氏一門関係者が一斉に自害するという凄惨なできごとが起きる中、将軍を辞してしばらくの地に亡くなったとされていますが、私はちょっと疑問に思います。想像ですが、北条氏が滅びる時に道連れにされたのではないでしょうか。ただ、親王が道連れにされるというのは日本の歴史ではあってはならないことなので、後世に残された記録ではちょっとごまかしてぼやかしているということではないかと思います。

鎌倉将軍は本当に悲惨な人生を歩んでいたわけで、大変だなあと同情します。北条氏が強大な権力を持っていたにもかかわらず決して自ら将軍になろうとしなかったあたり、実によく空気を読む人々であったとも思えます。鎌倉の御家人たちは北条氏の強さは認めていても、権威のある存在としては決して認めてはいなかったということをうかがい知ることができます。北条氏は空気を読んでいたということなんでしょうねえ。



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