疫病の流行で、東京オリンピックの開催すら危ぶまれる昨今ではあるのだが、IOCのけっこうえらいおじさまが、東京オリンピックは来年やればいいじゃないかと通信社のインタビューに答えていたのを見た人は多いと思う。私は、これはIOCが日本にかけた温情とか武士の情けみたいなものであると同時に、利権共同体♪として、おいしい思いも諦めなくていいよね!とするIOCからのシグナルなのではないかと私には思える。中止論とか、ロンドンでやったらどうか説とかあるが、それはあまりにかわいそうなので、来年にずらして東京でやらせてあげようということだ。アメリカのテレビ局が大金をはたいて放送権を買ったりとかの都合もあって、それでIOCは潤うはずなので、みんなでせかっく潤えるのに、中止にしたら、もったいなさすぎる。来年に持ち越そうよというわけだ。
安倍首相は今のところ、なんとかして今年の夏に東京でオリンピックの開催を果たそうとしているように見える。4月ごろには収束したと世界に発表したいので、ここで感染の拡大をなんとしてもとどめるために記者会見まで開いて学校は一斉休止という思い切った措置に出た。私はこの措置自体はこれでいいと思う。インフルエンザでも学級閉鎖があるというのは、そういう措置が有効だと認められているからだ。なら、一斉にそうすれば新型肺炎はある程度押しとどめることができるかも知れない。但し、会社もお店も開いていて、人々は電車に乗っている。学校が休みになってうかれた子どもたちは街を出歩くに決まっているようにも思えるし、なんといってお卒業式の生徒さんだったら、私的にパーティでも開いて卒業式をやろうとするだろう。卒業式がないのもあんまりと言うものだ。というわけで、学校閉鎖は多少の効果はあっても、完璧な効果を期待できるようなものではないということだ。感染はかなり広がっているらしいので、学校だけ休みにしても追いつかないのではないかとの不安が残る。
軽症のかぜだったら病院に行かないでほしいとのお上からのお達しも、変な話だとは思うが、合理性が全くないわけではない。患者が病院に押し寄せれば、病院が主たる感染ルートになりかねないし、患者が多すぎて医療崩壊してしまい、致死率が上がるというのも避けたいに違いない。気持ちはよく分かる。しかし、どうも、新型肺炎が多くの場合、軽症で改善するとの指摘を信じ、できることなら、仮に新型肺炎に感染していたとしても軽症で済むのならそのまま自宅で自力で治してもらい、感染していたことすら無かったことにしてほしいとの、涙ぐましい願いを感じ取ることは難しいことではない。これ以上、感染者がバンバン出ているとの報道が世界に流れるのはなんとかして食い止めたいし、海外メディアは結局のところ日本の報道を参考にして本国にニュースを送っているので、日本の報道にあんまり騒いでくれるなとの願いもにじんでいて、実に涙ぐましい。だが、翻せば、それくらい楽観できないほど広がっているとの見方もできるわけで、仮に一定期間、新しい感染者が0である状態が続かなければ収束宣言が出せないという場合、それは当面難しそうだ。毎日数名、或いは十数名、日によってはもう少し多く報告されている。全体から見れば少ない数字かも知れないが、収束宣言は出せない。
さて、ここでもうちょっと考えてみたいのだが、仮に収束したとして、夏の東京オリンピックは盛り上がるだろうか?世界中の人が感染を警戒して、集まって来ないだろう。それは風評被害かも知れないが、外国の人からすれば、わざわざ感染するかも知れないと思って日本に渡航する義理はないため、やっぱり敬遠されてしまうだろう。閑散としたオリンピックはきっと悲しいものに違いない。私は最近は、どうも東京オリンピックがバブルを産み、その後のバブル崩壊の要因にすらなるのではないか、だったらいっそのことやめてしまえばいいのではないかと思っていたが、最近は少し考えが違う。というのも、関係した人たちの苦労を考えると、やっぱり気の毒で、やめればいいじゃんとは言えない。ならば、延期でどうだろうか?IOCも助け船を出してくれているのだから。もうちょっと言うと、欧米での感染の流行はこれからだ。仮に日本で収束しても、世界中から人が集まれば、やはり東京が主たる感染ルートということになってしまう。それを避けるためにも、来年でいいのではないだろうか。