坂口安吾の掌編小説『復員』は、終戦間もないころに朝日新聞に掲載された傑作だ。安吾の最も著名な作品である堕落論とも通底する問題意識を、非常に短い、原稿用紙一枚以内の長さで端的に表現している。
物語の内容は簡単だ。ある男が復員してくる。彼は片手と片足を戦争で失っていた。家族や友人たちは、帰ってきたその時こそ、ちやほやしてくれるが、それ以上、あまりかかわろうとはしてくれない。家族にとって彼のような復員兵は働くこともできないただの厄介者でしかない。彼には恋人がいた。恋人に会いたいと思った。家族に話してみると、その女性は既に結婚しているし、そもそも厄介者のお前がガールフレンドのことを気にかけるなんて、ちょっと立場が分かってないんじゃないのか?というような表情をされる。結婚しているという話にもショックを受けるし、家族も全然同情してくれないことにもどかしさを感じる。そのような消化不良な感情もしばらくすれば少しは落ち着いてきたので、彼は会いに行くことにした。彼の内面では、どのみち彼女も長い目では自分とかかわろうとしてくれないであろうことはわかっている。しかし、会いに行ったその日だけはちやほやしてくれるのではないかというある種の下心がうごめいている。短い時間だけでも昔のガールフレンドにちやほやされれば、少しはいい気分になれそうだという刹那的な下心だ。実際に行ってみると、彼女はもっとそっけなかった。冷たくはされなかったが「よく生きて帰ってkたわね」とあまり感情のこもらない感じで言われた。彼女には赤ちゃんがいた。彼が戦場で死んでいようと生きていようと、子どもは生まれてくるという事実を知った彼は、かえっていろいろなものがふっきれて、むしろこれからの人生を生きるエネルギーが湧いてくる。というような物語だ。
帰ってきた時、彼には甘えがあった。お国のために片手片足を失ったのだから、みんな、俺によくしてくれよという甘い期待があった。それは打ち砕かれた。彼にはそれは理不尽なことのように思えた。彼はある種の自暴自棄の心境になり、過去のガールフレンドに会ってその自暴自棄さを深める、ある種の自傷衝動のようなものに突き動かされて、要するに自己嫌悪を確かめるために彼女に会いに行った。しかし彼女は彼が立ち直るために最も必要なものを提供してくれた。それは、あなたが戦場で手足を失うほどの重傷を負ったとしても、この世は回っているのよという冷然たる事実だった。彼はその事実を受け入れることにより、当初抱いていた甘えをかなぐり捨てて、そのぶん、人間的に成長する。そういう物語だ。わずか400文字程度で、人の成長の一側面を描いたのである。敗戦と重傷と失恋の合わせ技だ。安吾は想像を絶する才能の持ち主だ。私はふと、やはり女は男を成長させるという気になった。過去のガールフレンドではあるが、その男に最も必要なものを、適切に見せてくれたのである。女の人はやっぱりすごい。
安吾は後に堕落論を書くが、これはこの掌編小説と同じ問題意識を持っている。日本は負けた。日本帝国の美学とか、武士道とか日本精神とかそういったものは打ち砕かれた。今やそのような過去の美学にすがろうとするものは、甘えである。もし甘えを捨てることで、美学を失い堕落してしまうと、そのことを怖れるのであれば、それは間違っている。とことん堕落してこそ、再出発は可能になると安吾は日本人につきつけた。これは復員兵の彼が昔のガールフレンドに現実をつきつけられ、ふっきれることで成長することと同じ構造を持っていると言える。youtubeに朗読したものをアップロードしたので、よければ聴いていただきたい。もう何十本も朗読ファイルをアップロードしたが、自分の下手さに泣けてくる。