九鬼周造の最も知られている著作は「いき」の構造であろう。彼はそこで日本の伝統社会の中で「いき」と考えられているものの構造を解き明かそうとしたが、それによって時に九鬼は頑迷な伝統主義者であるかのような、或いは自国文化崇拝主義の国粋主義者であるかのような批判を受けることがあった。それに対する九鬼の反論が、伝統と進取と題されたエッセイだ。九鬼は日本の文化文明を理解するために、西洋哲学の手法を用いた。そのため、彼は人生の多くの時間を西洋哲学への学びに割いている。従って、自国文明崇拝の国粋主義的な人物との非難は当たらないと九鬼は明瞭に論じている。その上で、彼は伝統への愛も隠さない。彼はここで詳しくは述べてはいないものの、過去の出来事、文物・歴史に関する知識、知見、より深い理解を得たいと貪欲に学び著述にも取り組んでいたことが短い言葉で述べられている。著作・著述を愛するものにとって、九鬼のそのような人生哲学の告白は気持ちのよい、すがすがしいくらいのまっすぐなもので、政治、文芸、哲学に関する立場がどのようなものであったとしても、九鬼のそのまっすぐな姿勢は共感できるものではないだろうか。
以上のように真面目な九鬼周造の人物像を述べてはみたが、祇園で遊びぬいたと噂されるのも彼のもう一つの一面である。一度離婚した後、次にもらったお嫁さんは祇園の芸妓さんだし、いきの構造も遊郭で何がかっこいいとされているかについて論じたものだ。相当遊ぶのが好きだったに違いない。九鬼周造は東京生まれで京都大学で活躍した人ではあるが、分かりやすく、かつおもしろく論じるために、遊ぶのが大好きな著述の巨人ということで、西の九鬼周造、東の永井荷風ということにしてみたい。