勝海舟‐旗本移転後の始末

映画やドラマで勝海舟が登場する場合は、坂本龍馬との出会いから江戸城無血開城あたりの時期と相場は決まっていると言ってもいいくらいだが、勝海舟がその本領を発揮したのはむしろ明治維新以降、徳川家の相談役の立場で徳川慶喜の身の振り方から徳川家臣の生計の立て方に至るまで八方に手を尽くし、それでも徳川降伏のA級戦犯みたいに敵視されてというジレンマと戦っていた時期ではなかったかとも思える。

維新前の勝海舟はあんまりぱっとしないクラスの旗本だったが、維新後の彼は徳川家にとっていなくてはならない人であり、新政府参議であり、伯爵様にも列せられるのだから、そりゃ篤姫だって惚れて朝まで一緒に屋形船で過ごしたりもするってなもんでえ。旧幕臣が困窮にあえぐなか、順調に出世を重ねたことを福沢諭吉にも批判された。福沢諭吉は勝海舟を本気で嫌っていたらしい

江戸無血開城後の徳川氏は静岡70万石に封じられ、困窮した。徳川家臣たちは商品作物の開発で現金収入を得ようとし、静岡茶が特産品になったのだが、そんな風になっていく前、徳川家臣が取り合えず江戸から静岡へと移転させられたばかりのころの苦境について勝海舟が語っているものが青空文庫に収録されていて、私が朗読しました。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください