エコールドパリ

エコールドパリとギヨーム

先日、横浜美術館で開催されているルノワールと12人の画家たちと題された展覧会へ行ってきた。大人1枚1700円で、最近の展覧会は大抵の場合、結構な金額がするため、うかがうかどうかについて、やや慎重になってしまう。個人的な展覧会選択基準はテーマが絞り込まれているかどうかということが注目ポイントで、ここがしっかりしていれば一本の映画をみたり、一冊の本を読んだりしたのと同じくらいの感想を得ることができ、いい勉強になった、得難い経験だったと思えるのだが、絞り込まれていなければ、単なる陳列であり、あまり勉強にならずにがっかりしてしまうといったあたりを気にしてしまう。で、今回はルノワールと12人の画家たちなので、タイトルだけみればぼやけている。ルノワールなの?それともいろんな画家たちなの?は?となるのだが、オランジェリー美術館の収蔵品をかなりまとめて持ってきてくれた展覧会だということだったので、やっぱり行くことにした。そして、美術館向かう電車の中で、あ、これはエコールドパリの画家たちがテーマなのだなと気づいた。最初からエコールドパリとしてくれれば良かったのに、とも思ったが、ルノワールという名前に集客力があるのだから、なんとかルノワールという言葉を展覧会の正式な名称に入れ込みたかったのだろうと企画された人たちの考えていることを想像したりしてみた。

で、エコールドパリの仕掛け人が誰なのか、この展覧会では分かるようになっている。エコールドパリを直訳すれば、パリの学校という意味になるが、この場合、パリの画家たちの集まり、パリの画壇、パリ派などの意味で使われる。映画人のニューヨークスタジオとか、政治の世界の吉田学校とか、外務省のチャイナスクールとかと似た感じだと思えばいいのではないだろうか。で、このエコールドパリを仕掛けた画商がポール・ギヨームという人物なのである。私はポール・ギヨームなんて人のことは全然知らなかったし、過去にオランジェリー美術館には何度も足を運んだし、バーンズコレクションとか見に行ったりして印象派の絵は見慣れているはずなのに、或いはバルビゾン村まで出かけて、バルビゾン派の絵についても多少の理解はあるつもりだったのに、このポール・ギヨームのことを知らなかったというのは、われながら勉強不足を認めざるを得ない。

で、どうしてこのギヨームなる人物が仕掛け人と私が断定しているのかというと、今回の展覧会ではセザンヌとかモディリアーニとかマティスとかいろいろな人の絵が展覧されているが、複数枚、ギヨームの肖像画が展示されていた。企画の人が、裏テーマはギヨームだよ。本当の主役はギヨームなんだよと、私に語り掛けているようにすら思えた。たとえば、ゴッホはタンギー爺さんという絵で画商の肖像画を描いている。画家にとって画商のプロモーションは極めて重要なことで、多分、画商が神様みたいに見えてくるので、画家としてはその人の肖像画を描かざるを得ない心境になるのではなかろうかと想像してしまった。実際、ゴッホはその死後に弟のテオの奥さんがプロモーションをかけたことで、きわめて高い評価を得るに至ったのだから、絵の力量だけでなくプロモーション力の重要さは強調しても強調しすぎることはないだろう。

そういうわけで、今回の展覧会では、ポール・ギヨームなるパリの画壇の黒幕がいたことを知れたことは個人的にはとても勉強になったのであります。ルノワールの女の子の絵とか、そういうのもたくさんあるので、美術史がどうこうとか、画壇がどうこうとかみたいな絵の周辺的なことよりも、絵そのものを楽しみたいという人にとっても充分見ごたえのある展覧会だったと思います。1920年代、30年代の作品が多く、第一次大戦後のいわゆる戦間期、フランスの隣国であるドイツではナチスが台頭しようとするきな臭い時代に描かれたと考えて見学すれば、絵画の持つ臨場感が更に大きくなるのではないだろうか。



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