アメリカ映画『アメリカン・ビューティー』に見る愛し方。愛され方。

中年夫婦がなんとか切り盛りする中流家庭は崩壊寸前であり、当事者、すなわち父・母・娘がもういいよねと合意した瞬間に家庭は崩壊し、麒麟・田村の『ホームレス中学生のような』な状態に一瞬にしてなりかねないところからスタートしている。その過程に於いて、旦那は一年間のサラリーだけは獲得したので、破綻はちょっと先のばしに成功した。そして娘の同級生をものにするというアホな妄想を現実にすべく努力を開始した。奥さんは沈む船から逃げ出すために、新しいボーイフレンドとしてやりて不動産営業男をベッドイン。娘はやり手のドラッグの売人とニューヨークへ脱出するというなかなか思い切った手段を模索するようになった。で、なんでこんなことになっちゃったの?と言いたくなるが、よく見ていれば、そうなる気持ちも分かるわなあとも思えてくる。

いくつくあのカップルが付き合いかけてハッピーになり、そうでないのもいるというので、そのあたり、ちょっと詳しく、「愛とは」の入り口まで語れるかどうかやってみたい。

まず一番情けないおやじなのだが、家族に見捨てられていることを承知しているうえに、会社からも見捨てられ、誰にも愛されない私になってしまっている。しかも彼は娘の友達が遊びに来ているのをこっそり盗聴するのだが、なんと当該の友達は「あなたの父親って素敵ね。あれでもう少し筋肉があったらやっちゃうかも」を真に受けて筋トレに励むのである。娘の友達のジョークを真に受けて筋トレする悲しき中年男の姿がそこにある。

奥さんの方は、なんとしても不動産を売って見せる、不動産を売って、成功者と呼ばれる人たちの一部になってみせると努力に努力を重ねるが、なかなかそうもいかなくてすっかり落ち込み気味だ。そして不動産王と周囲から尊敬される凄腕不動産バイヤーの男に近づき、ついにそういう関係になるのである。ここで二人の様子からなぜ彼と彼女はそういう関係にあんったかを少し考えてみたい。行為の最中男は「俺こそは不動産キングだ」と何度も叫ぶ。彼は相手を愛してはいない。彼は性行為中に叫ぶことによって自分とは何かを再確認しようとしており、最高位の相手をそのために利用している。一方の女性はどうだろうか。夫との性交渉はすっかり失われており、欲求不満で満ち満ちている。言い方は悪いが誰でもいいからやっちゃって状態になっており、終わった後もあーこれで私欲求不満が解消できて最高~~という風にご満悦という流れになる。もちろん、この女も男を愛してはいない。

一方で、これは愛によって結ばれているのではないかと考えさせられる二人がいる。この夫婦の娘と、隣に引っ越してきた退役軍人の息子さんだ。父親の暴力は激しく、お母さんは頭がダメになってしまった感じなのだが、こわーい海軍の人なので、ご機嫌斜めにならないように周囲はいつも緊張しなくてはいけないが、それでも、抜け穴はある。そこの息子さんはプロの薬の売人なので、隣の堕落した父親を客にして、ドラッグを売るのである。海軍の父親はその様子を二階の窓から見ている。そして、窓からチラチラ見える様子から「あの二人は同性愛を楽しんでいるに違いない」という全くの桁外れな結論に達し、隣の家に忍び込み、隣の堕落した中年パパとキスするのだが、堕落した中年パパ「あ、あの、間違ってます。私は、そういうわけではないんです・・・・」というので、海軍さんは諦めて帰っていく。ここまでくると海軍さんの妻で、売人の息子の母のあの女性が頭がちょっとダメになってしまっている理由も分からなくもない。海軍さんの妻だけど、全然そういう行為がなくて、おかしくなってしまったのだ。そして社会的地位はあるから体面はと待たなくてはいけない。繰り返しになるが、それでおかしくなってしまったのだと思う。
で、このドラッグを売っている息子さんが、隣の娘さん、ようるすに堕落してしまった中年男に恋をして、二人は少しづつ心を近づけあい、やがて、ピュアな恋を互いに確認する。この映画の中で唯一美しい場面のようなものなのだ。二人は取り巻く環境がなにもかも嫌になってニューヨークへと向かう。売人だけに金はあるし、頼れる人もいるらしい。

さて、幾つかの人間の了解されなければならないところが出尽くしたある日、物語は瞬間に終わる。その日の午後、堕落した中年男はバーガー屋さんで働いていて、そこへ彼の妻と、彼女の不倫相手の男性がスポーツカーみたいなのでドライブスルーにやってくる。不倫発覚というわけである。全財産は奪われ、子どもには会えない….下手すれば人生これでおしまいである。信用大事の不動産を売り続けることができるかどうか…

その日の夜は忙しい。毎日筋トレをして自分を鍛えていた堕落した中年男はなかなか引き締まった肉体を手にしており、自分の娘のところに泊まりに来た、お目当てのスクールガールといい雰囲気になる。互いに欲望とメンツを満たすためだけの行為が行われようとしていたのだが、女性の方が「私、初めてなの。下手だと思われたくないから、先に伝えようと思って..」で、男は素に戻り、僕はとってもラッキーな男だと言い残して自室に入り込み、家族の写真とかを見て過ごす。あるいはこの男の更生の可能性を暗示する場面かも知れないのだが、銃を隠し持った妻によって頭を撃ち抜かれ人生を終える。妻は不倫を知られた以上、自分が文無しになって路上に放り出されても誰も助けてはくれないとの分かっているため、だったら夫を殺してしまえば、離婚の裁判が開かれたないと考え、刑事事件の裁判になることの恐ろしさまで気が回らなかったのだろうとしか考えることができない。といいつつ、もう少し突き詰めてみると、実は妻は主人公の夫を愛していたのかもしれない。夫とセックスレスになったことが諸悪の根源であり、夫ときちんと行為が行われていれば不倫することもなく、大抵の問題が解決していた可能性は残されるようにも思える。そうでなければ、夫を殺害した後で、クローゼットの夫の大量のスーツに抱き着いて泣く場面が入り込む理由がない。

以前はアメリカの中産階級の崩壊というところに注意を向けて見ていましたが、今回はもう少し、いろいろな人の愛の表現方法みたいなことを考える材料になると思い、書いてみました。



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