シャア・アズナブル論考④‐坊やだからさ

映画版のシャア・アズナブルには一見して一貫した目的があるように見える。ザビ家への復讐を究極の目標に様々な裏工作を行い、最終的にはそれを完遂するというもので、男の中の男というか、男が憧れる男というか、女も憧れるモテる男になっていて、見ていて充分にしびれる男になっている。映画版の1stガンダムは、アムロのことも忘れて、ほとんどシャアのイメージビデオのような仕上がりだ。シャアのファンにとってはたまらない内容になっているし、理想のシャア像が描かれているため、ファンの満足度は高い。そして映画版の普及が、シャアのファンを再生産していったとも言うことができる。アムロよりシャアの方ががぜん人気があると私には思える。

が、しかしである。テレビ版になると、シャアはかくもかっこいいだけの男ではない。様々な局面で判断や優先順位は揺れ動き、迷いが見られ、明らかな誤算も見られるのである。映画版のシャアよりもテレビ版の彼の方が人間的でおもしろい。テレビ版の方が映画版よりも小心者であり、しかしだからこそ、アムロ以上に注力して創造されたキャラクターだと考えることができるだろう。シャアの若さゆえの過ちは映画では分かりにくいが、テレビ版をよく観察することで見えてくるのだ。

そのシャアの最大の誤算が、ガルマの謀殺である。テレビ版にフォーカスするが、シャアはガルマを謀殺するか、それとも自分の手でホワイトベースとガンダムを葬り去り、その戦果をドズルに褒めてもらうかで揺れている。そのどちらになったとしても、シャアのなにがしかの目的は果たされるので、シャアにとっては負けのない勝負になるはずだった。だがここで注目したいのは、シャアがドズルに褒めてほしいと思っているところであろう。人は誰から褒められたいと思うだろうか。大事に思う人だったり、お客様だったり、コンプレックスを感じる相手だったりといった人から褒められたい。要するに認められたい。シャアは上司のドズルに認められたいと思っていて、その心境はなかなかのポチである。だが忘れてはならないのは、シャアにとってドズルは上司であると同様に仇であるザビ家の息子であるという点だ。ガルマがザビ家のプリンスであるのと同様に、ドズルも顔は悪いがザビ家のプリンスなのだ。にもかかわらず、シャアはガルマの謀殺を企てる一方で、ドズルに対しては褒められたいと思っているのである。大いなる矛盾を抱えた男がシャアなのだ。更に言えば、上司に褒められたいというかなりチキンな願望も否定することはない。自分がチキンだと気づかないほどチキンなのであり、このシャアの心境を考えるとファンとしては泣きたくなってくる。

で、先にガルマの謀殺がシャアの最大の誤算であると述べたが、それには以下のような理由があるからだ。シャアはホワイトベースが強すぎるからダメでしたということを理由に、ガルマを守り切れなかったことにして、ホワイトベースに手を下させてガルマを死に追い込んだ。この時のシャアの計算は、ホワイトベースがこんなに強いのだから、ガルマが死んでも自分がサボタージュしたとか、そういう批判は来ないだろうというもので、且つホワイトベースなんて戦争の素人だから自分が本気出したらいつでも潰せるし、今回はガルマの謀殺に利用してやろう。俺って頭いい。と思っていたあたりにある。

結果としては、ガルマの死によって、シャアが恐れていたドズルからは無能のレッテルを貼られて追放され、キシリアに拾われるものの、やはりガルマの死に方がおかしいとにらんだキシリアによって調べが進められ、正体までバレてしまうのである。シャアはガルマの死後もドズルの下で順調に出世するつもりだっただろうから、予定外も甚だしい。キシリアには「ザビ家復讐を諦めて、それでどんなビジョン持ってるの?」と質問され、「ニュータイプの世の中が来るのなら見ていたいっす」と抽象的でとってつけたような発言であり、ほとんど新卒の採用面接くらいでしか通用しないものだ。キシリアは怒ることもできたが、シャアには仕事をしてもらわなければならないので、見逃したというのが真相ということができるだろう。

キシリアの指揮下に入ったシャアはひたすらホワイトベースとガンダムの撃沈に執念を燃やすが、遂に果たせない。アムロの成長が速く、シャアはそれについていけなくなってしまう。もし、ホワイトベースを撃墜できる可能性があったとすれば、ホワイトベースクルーがまだ戦闘に慣れていない時期に、要するにガルマの担当地域にいる間にやってしまうのがベストだっただろう。にもかかわらず、シャアは不要不急のザビ家の復讐を優先し、結果として余裕で潰せるはずだったホワイトベースとガンダムに信頼する部下もプライドも恋人も奪われてズタズタになってしまうし、妹からは刺し違えてやろうかと思われるほど舐められることになる。読みが外れた自称天才はかくもみじめなものなのかと同情を禁じ得ない。

ガルマの国葬が生中継されているとき、それを酒場で聞いていたシャアがガルマのことを「坊やだからさ」と吐き捨てるように形容する場面はとても有名だ。ガルマのどこがどう坊やなのかは意外と謎のようにも思えるのだが、シャアがドズルを畏敬していたことを合わせると以下のような解釈も可能である。シャアは同じザビ家の人物でもドズルにはびびっていたため当面狙っていなかったのだが、ガルマのことは舐めていたために狙ったのである。従って、「坊やだからさ」の真意は、ガルマはドズルに比べて坊やだからだと理解することができるだろう。

そのようにして他人の人生を操れる俺ってすごくね?とか思っているシャアにまるで運命が復讐するかのようにその後の苦難と凋落が押し寄せるのである。シャアへの同情は続く。




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