シャア・アズナブル論考③‐シャアと彼の部下たち

映画版のガンダムだけを観ているとシャアがやたらと優秀に見える一方でどのような性格の人物なのかというのはよく分からない。合理精神の持ち主とかチャンスを最大限に活かす主義、みたいなことは分かるが、それは性格というよりは能力に起因するものだ。

それに対して、テレビ版のガンダムはシャアの性格描写が入念に行われている。アムロが定型的な内向的ティーンエイジャー程度の性格描写しか行われていないのに対し、シャアについては矛盾があり、悩みがあり、揺れがある。それゆえにテレビ版のシャアは非常に魅力的だ。もちろん、根暗にも見える。人は突き詰めるとみんな根暗な部分があるので、性格描写に力を入れればその対象は根暗になっていかざるを得ないのではないかと思える。

さて、それはそうと、テレビ版のシャアの特徴とはなんだろうか。テレビ版初期のシャアをよく表現しているのは彼と彼の部下との関係性だ。軽巡洋艦ムサイの司令官としてのシャアは部下たちと極めていい関係を築いている。そしてシャアも部下思いだ。例えばクラウンというザクのパイロット大気圏突入戦で残念ながら命を落とすと言う時、彼は「少佐、助けてください、シャア少佐」と叫ぶ。もはや手遅れな状態でシャアにも如何ともしがたいのだが、クラウンにとって戦場の心の支えはシャアなのである。シャアもまた、クラウンの戦死に対して実に悔しそうだ。クラウンだけではない、配下のザクがガンダムに打ち取られる度に、シャアはパイロットの名を呼び、その命を惜しんでいる。部下思いで、心温まる。パプア補給艦が登場する会では、アムロたちがシャアの補給を邪魔する一方で、シャアとムサイクルー及びパプア補給艦艦長は互いに協力し合い、一人はみんなのために、みんなは一人のためにと言わんばかりの献身的な支えあいでなんとか補給を成功に導こうとあがいている。この回は特にジオン軍側の将兵たちの努力が涙ぐましく、シャアとアムロのどちらが本当の主人公なのか分からなくなってくるほどだ。部下たちがシャアを慕っているということもよくわかる。副官のドレン少尉も実によく誠実にシャアを支えている。ドレンはおそらく唯一のシャアの理解者なのだが、これについてはまた日を改めて議論したい。

だが、シャアが部下思いなのは大気圏突破戦までだ。大気圏でホワイトベースとガンダムを打ち漏らしたシャアは、北米大陸を占領するガルマの部隊と合流する。この段階で作戦に対する統帥権はガルマが握っており、シャアは高みの見物を決め込み、明らかにガルマを馬鹿にしている。ドレン少尉がその態度についてとがめることなくシャアを見守る姿には懐の深さを感じるが、シャアはガルマに対して愛情を感じていないし、ガルマの部下に対しても愛情を感じていない。生き延びようと戦死しようと知ったことではないという態度を貫く。それまで部下の生死に強い関心を持っていたシャアは、ここでいきなり保身ばかり考える人物へと変貌してしまうのである。保身を考えるシャアという姿は映画版では決して見られないが、テレビ版では重要な要素になるし、シャアがその分人間的に描かれているという点は注目に値すると言えるだろう。

彼のこの姿勢はその後も変わることはない。ガルマが戦死した後にシャアは左遷され、キシリアに拾われる。シャアはキシリアの寵愛を受けようと努力はするが、その他将兵に対しては、競争者やライバルとしての視線を向けることはあっても協力者としての姿勢を持つことは、はっきり言って決してないのである。キシリアの指揮下に入ったシャアは少佐から大佐に昇進し、マリガンという秀才風の副官を得ることになるが、シャアとマリガンの関係は全然良くない。ドレンがシャアに人間愛を感じていたのに対し、マリガンはシャアにプレッシャーを感じているだけだ。シャアはマリガンが失敗するとそれをなじり「これは貸しにしておく」と言い放つ。そして最後はホワイトベースを絶対沈めろと命令され、マリガンはいやいやホワイトベースと戦い、戦艦ザンジバルとともに散ってゆくことになる。シャアに命令された時のマリガンのため息まじりの「はい」は、本当はそんなことはやりたくないし、シャアみたいな人のために命を捧げるなんて嫌なのだが軍の統帥の関係からシャアの命令には従うしかないという無力感が滲み出ている。映画版ではシャアが「すまん、マリガン」などと言って気遣う風もあるのだが、テレビ版ではシャアが孤立した人間であって、部下たちがシャアにうまくなじめていないという感じになってくる。マリガンの戦死の前にマッドアングラー隊がガンダムにやられるのだが、これに対してシャアの態度は自由にすれば、というもので、本当に上官なのかどうか怪しいとすら感じられるほど淡泊だ。マッドアングラー隊が決死の覚悟でホワイトベースに仕掛けた時、ホワイトベースにはジオンのスパイのミハルが搭乗していたのだが、仮にマッドアングラーが勝てばミハルはホワイトベースとともに命を落とすことになる。情報をよく上げる優秀なスパイなのに、スパイの命はどうでもいいらしいということについて、誰も指摘しないとは思うのだが一応ここで指摘しておく。シャアはもちろん、ミハルについても淡泊だというか、ミハルを番号でしか認識していない。

さて、当初、ドズル指揮下でムサイ艦長だったシャアと、キシリア指揮下のシャアで部下に対する態度がかくも違うのはなぜなのだろうか。おそらく、シャアはムサイの部下たちをとてもよく愛したのだろう。だからこそ、ガルマの戦死をきっかけにシャアが愛した人間関係が断ち切られ、新しい人間関係の渦に入っていった時、シャアは上手に周囲の人を愛することができなくなってしまったのではないかと言うことができるのではないだろうか。シャアはララアと恋愛関係になるが、それは男女の官能的な関係であり、ある種の欲望を満たし合う関係なので、部下との人間愛とは別種のものである。シャアはムサイから引き離されて、人間愛の部分がダメになってしまったのだ。そう思うとシャアは本当に気の毒なのだが、シャアをより一歩深く理解することは、作品理解そのものを深めることに直結する。まだしばらくはシャアについて考えてみたい。

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