鎌倉の回転寿司

お寿司は突き詰めると回転ずしになる説

音楽に関係する要件で鎌倉に行った際、小町通の回転すしやさんに入った。鎌倉でちょっとお腹がすくとこのお寿司屋さんに入ることが多い。お寿司の素晴らしいところは、食べたい分量だけ注文すればいいところではなかろうか。

かつて、回転すしとカウンターのお寿司は客層的にも価格帯的にもすみわけがなされていた。回転すしはあまりおいしくなけれど、安い。安ければ安いほど良いとの言説のもととことんまで値段を低くし、味のない魚とかでお寿司が握られたり、シャリも適当だったりするが、それは回転すしなのだからそういうものだというものだ。一方で、カウンターのお寿司はステイタスの証みたいになっていて、その頂点にザギンでチャンネーとシース―かもしれないのだが、いずれにせよ回らない寿司は高いことは高いのだが、板前さんのメンツにかけてネタも良く、シャリも良く、好きな女性をデートに誘える程度においしいという、これもある種の神話である。

この回転すしとカウンター寿司の客層と価格帯に関するすみわけの神話と言説は、ほぼ完全に崩れていると言えるだろう。というのも、先日、蒲田に要件があって出かけた際、長時間のミーティングになる可能性があって、お腹がすいてはいけないので昼食に地元のカウンターのお寿司屋さんに入ったのだが、シャリもネタも最悪で、とても写真を撮影する心境にもなれない酷いものだった。値段もそこそこ安かったのだが、このお店は地元の常連さんが夜な夜なお酒を飲みに来てくれることで売り上げを維持しているという感じだった。従って、一見の客からすればテンションが下がること救いがたいものがあった。一方で、回転すしのお店は最近ではネタに力を入れているところも多いし、シャリについても研究しているお店が多い。そして昔よりもやや値段の高いところが多い。私の食に対する考え方は良いものを少しづつなので、研究されている回転寿司屋さんは、心強くかつ感動的であり、尊敬の対象である。

お寿司はかつて、押しずししかなかったという。冷蔵庫がない時代にお店に生のお魚を陳列し、客の注文に応じて握るというのはかなり危険な行為だ。かつて江戸っ子が屋台でお寿司をつまんだ時代、魚もお米もお酢でしめるのが普通だった。一般に大阪寿司は押し寿司で、江戸前はそうではないというようなことになっているが、今は大阪に行ってもお寿司は江戸前みたいなお寿司がでるため、いわゆる大阪寿司は絶滅に近い状態なのではないかと思うし、江戸前寿司も押し寿司がメインなところはないはずだ。個人的な主観になるが、たこ焼きやお好み焼きでは大阪の方がおいしいが、お寿司とおそばラーメン東京の圧勝である。それはそうとして、そういうわけでちょっとお寿司を食べないなと思ったときは割安でけっこうおいしい回転寿司屋さんが最強だと思うのだ。




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