日中戦争5 第一次上海事変‐世界の中心と川島芳子

1931年の満州事変以後、中国に於ける対日感情は極めて悪くなっていきます。日本製品排斥運動も盛んになり、日本の対中輸出は相当に下がって行ったようです。さて、そのような一触即発が続いている最中の1932年、上海という世界の中心都市で日中両軍の軍事衝突が起きてしまいます。世に言う第一次上海事変です。

なぜ私が上海を世界の中心と呼ぶのかというと、当時は日本を含む列強の租界が上海にあって、列強の利権が上海に集中していたからですね。たとえば上海を失うと金融面で支障をきたすとか、貿易面で支障をきたすとか、そういうことがあるので当時の列強は上海で面倒が起きるのをとても嫌がっていたわけです。日本はこの段階ではまだ国際連盟脱退という最悪の選択をしてはいませんでしたが、列強から煙たがられる要因はこの段階で既に生まれていたと言っていいのではないかとも思えます。

いずれにせよ、その上海で日本人のお坊さんが襲撃されて命を落とすという事件が起きてしまいます。一説には日本軍に操られた川島芳子が引き起こしたという話もありますが、真偽のほどは分かりません。田中隆吉という陸軍の人物が川島芳子と深い関係になっていて、田中隆吉の意向を受けて川島芳子がお坊さんの襲撃を謀略したという話なわけですが、それを言っているのが田中隆吉さん本人で、他に証拠があるわけでもなく、第一次上海事変で一番仕事をしたのは海軍陸戦隊ですから、なんで陸軍の田中さんが謀略したのかと言う風に考えると、やや、解せないところもないわけではありません。当時に日本軍は統帥という究極的に融通の利かない制度があって、陸海軍は別々の命令系統で動いていて、協力しあうというのは滅多にありませんから、陸軍の田中さんが川島芳子を使って謀略して海軍が戦争するという構図そのものが、ちょっとリアリティに欠ける部分はあるように思えてならないわけです。

そうはいっても、第一次上海事変が起きたことそのものは事実で、日本軍が戦いの初期段階で海軍陸戦隊と投入し、慌てて陸軍の師団も投入し、物量で中国側を圧倒していきます。

ここは私もよく分かっているわけではないのですが、中国側は第19路軍が上海までやってきて日本軍と衝突するわけですけれど、どうも蒋介石氏の本部と現場の司令官の間での意思の疎通がそこまでうまくいっていたわけでもなさそうなんです。蒋介石氏としても、世界の利権の集まっている上海で大規模な戦闘とか、本音ではやってほしくないんだけれど、第19路軍という下部組織の司令官がやる気まんまんで突っ走ってしまったところがあるみたいなんですね。1926年に蒋介石氏が上海クーデターというのをやってますけど、これは治安維持的な意味で、むしろ蒋介石氏は列強から歓迎されたみたいなところがあるんですが、第一次上海事変では日中双方がちの戦闘で、列強の市民が巻き添えを食うという構図ですから、だいぶ性質が違うものだと言えると思います。

で、繰り返しになりますけど、日本側に圧倒されて中国側は撤退することになります。撤退はしたけれど、善戦したということで、第19路軍は賞賛されたそうです。ただし、司令官の人物は第二次世界大戦が終わった後は蒋介石を離れて、中国共産党に参加していますので、やっぱりそもそも両者の関係はあまりいいものではなかったのかも知れません。

以上が、第一次上海事変のあらましということになるのですが、この時に日本側が勝ちすぎて、便衣兵狩りもやったらしく、中には中国人じゃないのに巻き添えになった外国人もいたらしくて、日本に対する警戒論がやたらと強くなっていったようです。そういう意味では上海の治安を維持する蒋介石氏対上海で派手にやらかす日本軍、みたいな印象が欧米諸国に刻印される大きなきっかけになったとも言えそうですから、将来の日本の運命を左右するできごとだったとも言えるように思います。




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