和辻哲郎の『アフリカの文化』論

和辻哲郎は1937年に『思想』という雑誌で、『アフリカの文化』という文章を発表した。フロベニウスの『アフリカの文化史』という書物を引き合いに出し、アフリカには「合目的的、峻厳、構造的」な文明が存在していたことを日本人に紹介している。

アフリカの歴史は古く、たとえばエチオピアには2000年以上続いた皇帝国家があったことは知られているが、ヨーロッパで文明が発達するより遥か以前から精緻な構造物や文化体系が存在したというのである。それを破壊したのは大航海時代のヨーロッパ諸国で、古くから存在したアフリカの文物を破壊し尽くし、プランテーション農業を普及させた。和辻哲郎の言葉を借りれば、そのような貧しいアフリカイメージは「ヨーロッパの作り事」であるらしい。

アフリカ人が迷信の偶像崇拝の文化にすがり、進歩しようとしないというのも全くの嘘で、植民地化、プランテーション化によって旧来のものが破壊された結果、貧しく、「ヨーロッパ商人に寄生する」アフリカ人社会が創造されてしまったというのである。アフリカの古くからある高い文明性については大航海時代の初期の征服者たちは気づいていたものの、次第に忘れ去られ、やがてはディズレイリがヨーロッパという巨大大陸を自分の足でまたぐような風刺画で表現される、ヨーロッパに支配され、教育され、文明をもたらされる側の立場に立たされるようになってしまったというわけだ。呪術を信じ、非文明的なアフリカ人というイメージは奴隷商人によって利用され、非文明人なので(場合によっては人間より動物に近いという観念すら持って)、アメリカ大陸に奴隷として人身売買されることの罪悪感は消し去られ正当化された。

19世紀の冒険家たちがアフリカの奥地に足を踏み入れることにより、まだヨーロッパの支配が及ばない地域へ行った際、そこで完成された美しく豊かで合理性のある文明的なアフリカ人の姿を発見したのだという。フロベニウスが1906年にアフリカ探検旅行に行った際には、上に述べたような完成されたアフリカ社会が残された地域があり、その文明の度合いの高さに驚いたという。

和辻哲郎がこの文章で述べていることは、サイードが『オリエンタリズム』で主張したことと相当程度に重複していると言える。サイードはアラブ世界がヨーロッパ人が勝手に自分たちの好きなようにアラブ人の姿を描いたと主張しているのに対し、和辻哲郎はそれと同様のことがアフリカ人に対して行われたと、サイードがオリエンタリズムを書く何十年も前に指摘していたということになる。

もっとも、和辻がこのような文章を発表した背景には、当時の日本人が欧米人に対して劣等感を持っていたことと無関係ではないだろう。何事も欧米が進歩しており、日本で完成された文化や歴史を捨て去ることが果たして正しいのかという問いを彼は『アフリカの文化』という文章で発したのである。この文章が発表された時期は既に日中戦争が始まっている時期で、欧米社会からの日本に対する批判は厳しかった。それら批判に対する心理的な反抗がこの文章の持つ性格の一面であるが、サイードより40年も前に同様の指摘をしていることは重要と思えるので、ここで紹介しておきたいと思った。



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