原民喜の『夏の花』は、終戦直前の広島で生活しており、爆心地から1.2キロほど離れた自宅で被爆している。『夏の花』によると、トイレに入っている時に爆発が起きたため、重傷を負わずに済んだのだという。
私は三度ほどこの作品を読んだことがあるが、何度読んでも実感を得ることができなかった。経験したことがないことは読んでも実感できないという面もあるだろうが、広島での被爆体験はそもそも、文字通り「筆舌に尽くしがたい」経験であるからこそ、何度書かれたものを読んでも実感を得ることができないのかも知れない。
たとえば作品の中には黒焦げになって顔や全身が腫れてしまっている人々が大勢登場する。しかし、黒焦げになって顔や全身が腫れてしまっている人の姿を私は想像することがどうしてもできず、読めば読むほど消化できず、もてあましてしまうのである。
だがある時、NHKの原子爆弾の経験者が書いた絵を紹介する番組を放送したものをみた時、「ああ、そういうことなのか」とある程度、原民喜が書こうとした風景をようやく想像することができるようになった。原民喜に書けなかったことを私がここで書けるわけがない。従って、原民喜と同じ表現になってしまうのだが、NHKの番組で紹介された絵には確かに黒焦げになって顔や全身が腫れている人の姿が描かれていた。
原民喜は超現実の絵を見ているようだとも書いていたが、確かに現実生活ではありえないような光景であったに違いない。『火垂の墓』や『この世界の片隅に』はまだ理解できる。爆弾が落ちてきて下いる人々が炎に追われるというのは想像できる。だが、原子爆弾はそういった一切の常識、人が日常生活で経験する常識、そこからの延長線上で逞しくすることのできる想像力の全てを超えているのだということなのだと考えることしかできない。今でも広島や長崎の原子爆弾をテーマにした作品を観ても、現実感をともなう表現に出会ったことがない。
原民喜はその後、三田文学で仕事もするようになるが、やがて鉄道自殺をしてしまう。被爆後は体調不良に悩んでいたといわれ、被爆の後遺症もあったのかも知れないのだが、あの光景を見た以上、普通に生きていく、日常を生きるということに耐えることはできなかったのかも知れない。三度ゆるすまじ原爆をとは思う。過ちは繰り返しませぬからという言葉の響きの重みも私は何度も心の中で繰り返し、どうにかしてその時の光景へ近づこうとする。だが、それは不可能だし、本能的には近づきたくない。ただ、それでも『夏の花』は読み継がれ、人類の記憶として残されなくてはならないということは自信を持って言うことができる。『夏の花』を記憶遺産に登録してもいいのではないだろうか。
関連記事
原民喜‐砂漠の花