スタンフォード大学で行われた有名な心理実験。学生アルバイトを集めて適当に看守役と囚人役に分け、看守役が囚人役に対して激しい罵倒を浴びせたり、理不尽なお仕置きをしたりを続けた場合、看守はより看守らしく、囚人はより囚人らしくなっていくという仮説を証明しようとした。一般に、看守役の囚人役に対する暴虐な態度があまりに酷く、予定の二週間を大幅に繰り上げて実験は終了したが、見かねて中止しなければならないほどに看守はより看守らしく、囚人はより囚人らしくなっていくことが証明されたとされている。
ナチスドイツがユダヤ人に対するホロコーストをなぜ成し得たか、なぜ起こり得たかについて考察手掛かりになるとも理解されているだろう。
だが、私はこの監獄実験について多少の情報を集めてみた結果、看守がより看守らしく、囚人がより囚人らしくなるということは全く証明されなかったのではないかと思える。なぜなら、囚人役はあまりに耐え難い場合はドロップアウトすることが認められ、ドロップアウトしない囚人役はアルバイト料をもらうために囚人役を続けていたに過ぎず、看守が看守に徹し、囚人が囚人に徹することができた理由は、繰り返しになるがアルバイト料をもらえるという相応の理由があったからだ。
たとえある人物が有罪判決を受け、自分もその罪を認めている場合、監獄に閉じ込められることには相応の理由があるということを本人も理解しているため、囚人らしい行動を要求された場合、それに応じるだろう。囚人役の学生がアルバイト料のために囚人役をするのと同じである。看守も仕事である。
従って、この実験はナチスドイツがホロコーストを成し得た理由の証明にはならないのではないかと私は思う。ホロコーストの犠牲者は、相応の理由がないにもかかわらず、犠牲になった。ホロコーストの実行者は相応の理由がないと知りつつ、実行したのだから、スタンフォード監獄実験では説明のつかない全く異質な現象だったと考えるべきなのではないかと私には思える。
翻って言うと、スタンフォード監獄実験は、相応の理由がなければ人は囚人に徹しないということを証明したと言うこともでき、ナチスドイツのホロコーストは全く次元の違う視点を持たなければ説明できないということを証明したのではないだろうか。私が過去に見聞した範囲で言えば、ホロコーストという現象の一端を一番よく説明しているのは『ファニア歌いなさい』という映画だと思う。繰り返しみたいとはとても思えないトラウマ映画なため一回観ただけの感想にはなるが、別次元で人が壊れていく様子が描かれていると感じられた。私見です。