学生から野嶽野ばら氏の『ミシン』という作品の良さを詳細に聞かされた。懇切に耳を傾けたつもりだったが何が良いのかよく理解できなかった。しばらく考え、理解できないのは学生の表現力の問題ではなく私の勉強不足に原因があるのではないかと思い至り、購入し、読んでみた。
主人公で話し手である少女の「私」はテレビで見たパンクバンドのボーカルであるミシンという女性に一目ぼれし、同性愛的な関係を得たいと望む。信仰にも似た情熱でミシンのファッションを完コピし、ライブのチケットを購入。ライブ会場でミシンとギター奏者の竜之介が恋愛関係にあるという噂を耳にすることになる。竜之介を憎悪する彼女は神社を参拝し「竜之介が死にますように」と祈る。果たして願いは即座に叶い、竜之介は交通事故でこの世を去る。彼女は狂喜するのだが、更に新たな好機が訪れる。竜之介の後任のギタリストが公募されたのだ。
しかし彼女はギターが弾けない。井の頭公園でストリートミュージシャンの音源を購入し、それをデモテープと偽り予選を通過。面接を受けることになる。デモテープが偽物だとはすぐにバレたが、神社に日参した神通力のなせる業かミシンが彼女を気に入りスタッフの反対を押し切って強引に採用を決める。そしてミシンは竜之介のギターがなければボーカルとしての自分は終わっていると彼女に告げ、次いで竜之介追悼ステージの時にギターで自分を殴り殺してほしいと依頼するのである。
あるいはミシンはギタリストを探していたのではなく自分を殺すにふさわしい人物を探しており、彼女が適任だと判断したのかも知れない。パンク音楽に明日は要らない。音楽性が失われれば生きる価値はないというわけだ。
彼女は、たとえミシンが当日になって心変わりしようとも完遂すると決意し「私の手」でミシンは「永遠になる」と確信する。興味深いのは主人公がミシンを崇拝しているにも関わらず、ミシンの意思を無視してでも行動しようと決意する点だ。人は信仰のためにはいかなるものもかなぐり捨てられるのだ。それは合理性を越えて行動する人の神秘であり、深奥なのかも知れない。
しかし『ミシン』には続編がある。これ以上の展開は不要にも思えるが、必要があって書かれたはずなので機会を見つけて読んでみたい。