『打ち上げ花火上から見るか下から見るか』という作品は、私の学生が「とても良かった」と言っていたので一度見てみようと思っていたのですが、最近ちょっとチャンスがあってようやく見ることができました。
絵もきれいですし、思春期のなんとも言えない心の動きが描かれるという点では凄いなあと、さすがは岩井俊二さんだとも思うわけですが、もう一回見たいと思うかどうか、何度も見たいと思うかどうかは、なずなというヒロインにリビドーを感じるかどうかによるのではないかという気がします。
ヒロインのなずなは学校の制服、スクール水着、白いワンピースと次々と着せ替え人形のように衣装を替えていくわけですが、それぞれ違った雰囲気があり、実年齢よりちょっと大人っぽく見えるという設定もなかなかにくいものがあって、こんな感じの女の子に魅かれるという人がいれば、ばっちりはまるというか、繰り返して見たくなる、その都度、わーーーと心の中が混ぜっ返されるみたいになってとりとめをなくしてしまうのが心地よくてまた見るという循環に入ることができるのではと思います。
意地悪な見方をすれば色仕掛けに引っかかっているわけですが、映画やアニメで色仕掛けにかかるくらいどうということもありません。好きな人にはたまらないのではないかと思います。
この作品が凄いなあと思うところはターゲットをティーンエイジからヤングアダルトに絞りきり、それ以外の鑑賞者については顧慮しない、大人が見たくないのであれば見なくていいという徹底した態度ではないかと思います。なずなはお母さんの再婚に強い反発心を持ち家出することを企図します。もちろんお母さんは容赦ありません。実の親ですし、同性の親子です。なずなが何をしようと泣き叫ぼうと、引きずってでも断固家に連れ帰そうとするわけです。お母さんの再婚相手のおじさんもお母さんに協力し「悪い大人」の一角を形成しています。
で、なずなを救いたい(顕在的願望)、そしてなずなと結ばれたい(潜在的願望)と思う男子がいろいろ捨てて頑張るというわけです。私も男子の気持ちが分かりますから、そういうシチュエーションになったら頑張る以外の選択肢はおそらく存在しないでしょう。しかし、無残には男子は強大な大人の前に敗れ去ります。しかし、なんでか分かりませんが、きらきら光る球を全力で投げると「もしもあの時」に戻ってやり直すことができるというタラレバが現実化するという夢のような状況が生まれます。球さえ投げれば「もしもあの時」に戻れますから、何回でも無制限です。メルモちゃんのキャンディとかドラえもんのタイムマシンとかなんでもありな世界になるわけです。人生にタラレバはない。人生は後戻りできない。結果を受け入れ、ただ前に進むべしと私はついつい思ってしまったのですが、それは無粋な大人の考えかも知れません。
ティーンエイジからヤングアダルトの時期は「もしもあの時、ああしていれば、こうしていたら」というタラレバに強い憧れを持つものだと思います。私もヤングアダルトのころはそうでした(今はヤングではない)。そういった若い人たちだけにターゲットを絞り、その世代の人たちの心をぐわっと鷲掴みにするこの作品は、大人が見ても勉強になるのではないかと思えます。共感できるかどうかは評価が分かれると思いますが、それを越えて人の心を掴むとはどういうことかという勉強になる気がします。