礼儀正しくすることは自己訓練ですが、目上の人にだけ礼儀正しいのでは単なる保身にしか見えなくもありません。礼儀正しいというその矜持こそが美しいというかかっこいいと思えますから、常に礼儀正しくありたいものです。
とすれば、礼儀正しくする相手は目の上の人だけに対してではなく、目下の人にも礼儀正しくありたいものです。もちろん、礼儀正しさの度合いというものには差があるかもしれません。しかし、目下の人にもきちんと挨拶をする、会釈をする、話をする時は姿勢を正しくしてきちんと目を見て話す。場合によっては敬語を使う。そういったことを積み重ねることによって品格みたいなものが磨かれていき、声望へもつながっていくのではないかと思います。
お説教的な感じで言いたいのではなくて、そうする方がお得だということ私は思います。目下の人にも礼儀正しい人は人間的にも成熟している人だと思ってもらえます。そのように思ってもらえるということを知っていて、お得だと思って実践する人が真実に成熟している人と言えるのではないかと私は思います。たとえ自分の得のためだとしても礼儀正しく接してもらえれば相手も気分がいいですから、悪いことは何もありません。
しかも誰にでも礼儀が正しいというのお得なうえに楽なのです。相手との上下関係によって態度を変えるのはその都度距離感みたいなものを考えないといけませんから疲れます。そのようなことはせず、誰にでも礼儀正しいと考えなくていいので楽なのです。
疲れている時はついつい礼儀正しくできません。そういう時こそ自己訓練と思って、更に礼儀正しさを追求するというのもより人間的に成長するためにはいいのではないかと思います。もっとも、無理は禁物なので、疲れすぎている時は、休憩を有するべきかも知れないですが。
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