将来には不安がつきまとうものです。ですから、将来に備えて人は様々な予防策を講じます。保険に入る、貯金する、資産を購入する、健康食品を食べる、運動する、勉強する、スキルを身に着ける。などなど、将来のために何かをしている人は多いでしょう。何もしていない人の方が少ないかも知れません。しかし、将来を心配し過ぎることは必ずしも賢明な生き方とは思えません。なぜなら、将来がどうなるか、一分一秒先がどうなるかは、誰にも分からないからです。ある程度の見通しは立ちます。ある程度の想像はできます。しかしそれは飽くまでも想像であって、現実ではありません。「将来」という現実はまだ来ていないのです。その将来のために思い悩み、思い煩う人がいるとすれば、それはとてももったないことです。
もちろん、人は将来を心配しやすいように生まれついています。最悪を予想して、最善を尽くすことで人は自己保全の確立を高めることができます。しかし、最善を尽くすためには将来を心配し過ぎることは逆効果になりかねません。将来の未だ起きていないことを想像することに頭脳のエネルギーを使う分、最善を尽くす力がそがれてしまいかねません。
また、将来への不安が過度になると、それに振り回されてしまい、何が最善の手なのかを考える余裕がなくなってしまいます。最善のはずだと思って、悪手を選んでしまったという経験は誰にでも一度や二度はあるのではないかと思います。私もしょっちゅうです。冷静な判断をするためには、過度な不安から自分を解放しなくてはいけません。
不安は抑え込もうとすると反発力が強くなり、人はかえって不安に飲み込まれてしまうものではないかと私は思っています。ですから、抑え込むのではなく、解放するのです。完全な解放は人間の性質上あり得ませんし、全く将来について考えないと言うのもよくありませんが、不安がもたげてきたときに、意識して「気にしない気にしない」と軽く首を振ってみる。不安で押しつぶされそうになったら深呼吸をしてみる。散歩をする。おいしいものを食べる。などをしてちょっと不安を忘れてみるのです。技術的な問題です。自己訓練です。いったん不安を手放すと、次に不安がやってきたとしても自分を不安にさせている要因について多少距離を置いて考えることができるようになります。冷静に分析し、判断し、そこでようやく最善と思える手が思いつくのです。それの積み重ねによって結果として振り返った時、充実した時間を過ごしていたことに気づくことができるかも知れません。将来は大切ですが、将来は今の積み重ねです。今を充実させることにエネルギーを使ってみることが賢明と思えます。
今を充実させると言っても、湯水のようにお金を使って不安をごまかすとか、そういうことではありません。心を静めて美しい絵画や景色を見る。目を閉じる。今、取り敢えず目の前にあることをきちんとこなす。深呼吸する。そして落ち着いた状態でほしいものを買ったり、食べたりするのがいいのではないか、結果として仕事や人間関係のクオリティがあがり、飽くまでもその結果として人生が充実するのではないかと思えます。
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