【自己訓練】弱い人を守るという意思を持つ

弱い人を守るというのはある種の憧れの姿だと私は思っています。弱いものを助けるために颯爽と登場し、戦い、黙って去っていくヒーローのイメージ。一つの人間の理想像です。しかし、本当にそれができているかどうかと自分に問いかけた時、必ずしもそのようにできていると自信を持ってイエスと答えることはできません。大抵の人も私と同じではないかと想像します。なぜなら、1弱い人は誰のことを言うのかが考え方によって違ってくるので判断に迷う 2自分が弱い側の人間だと思って怒りを感じる(場合もある) 3何かに忙殺されたりしていて弱い人を守っているだけの余裕がない(場合もある)ということは誰にでもあることのように思うからです。

それらのような難しい問題を含みますから、弱い人を守るということを完全に実行することは無理かも知れません。しかしそれでも、自分の日常生活の中でできることはあるはずですから、それを忘れずに実行していくということを、せめて時々思い出して実践するということは人間的な成長にとって有効ではないかと思えます。

例えば子供は現代では貴重な存在です。その上、通常、子供は大人よりも弱い立場です。ですから、まずは子供を守るということを意識するのもいいかも知れません。自分の子供がいるという人は自分の守るということを考えるでしょうし、それはそれでもちろんいいのですが、他人の子供であっても必要があれば守るという意識を持つことは人格を高めていく上で有効ではないでしょうか。

また、「イジメ」が起きる要因は弱いものイジメをしている人にその自覚がないからではないかと私は考えています。何らかの大義名分を振りかざして弱いものイジメをしていないかどうか、時々でいいので自分に問いかけてみるのは効果的と思います。意外とやっているかも知れません。自分の内面を点検し、もし、そういう面があればそこを改める努力をする。これも自己訓練です。完全にはできないかも知れないけれど、努力することはできるはずです。

では最後に、イジメられている人、またはイジメられた経験のある人はどうすればいいでしょうか。イジメに遭えば、人生で損をした心境にならざるを得ません。どこかでバランスを取らなくては、復讐しなくてはやっていられないという心境にもなるはずです。飽くまでも人格向上のための自己訓練と考え、人生をよりよくするためのテクニカルな問題として考えるならば、イジメられた経験については損切りする覚悟を持つべきではないかと思います。これは簡単なことではないはずです。酷い目に遭わされたことを恨みに思い、心の奥深くに閉じ込めている人は多いかも知れません。或いは誰でも多かれ少なかれ、そういうものを閉じ込めているかも知れません。私にももちろんあります。ですが、そこを損切して恨みに思わない。相手を赦す。せめて自分はそういう被害に遭うことの苦しさや無念さを知っているのだから、自分は他人には同じことはしない、そういう場面に遭遇すれば、イジメられている人の味方をする勇気を持つ。というような努力をすることは、人格的な向上、人間的な成長に大きな効果を持つのではないかと思います。正しい正しくないの前に、自己訓練として上に述べたような努力は価値のあることではないかと私は思います。イジメられた経験のある人が、その恨みを棄てる覚悟を持ち、復讐のパワーを自覚的に利他の精神に切り替えることができた時、真実に慈愛のある人格者的な行動が実践できるのではないか、むしろイジメられた経験のある人にはそのようになれる特権を持つという意味で選ばれた人なのではないかと私には思えます。

人間関係、仕事、お金、恋愛などは以上のような人格的向上のための自己訓練を経た結果、自然についてくるものなのではないかと私は思いますので、自戒も込めて、実践していきたいと思うのです。



関連記事
【自己訓練】文句を言ってくる人がいたら、笑顔で対応する
【自己訓練】必要以上のものをほしがらない
【自己訓練】現状で恵まれていることに気づく
【自己訓練】相手を見下したり、バカにした態度をとらない
【自己訓練】恩のある人にはきちんと礼を述べる

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください