2chで一世を風靡したひろゆきさんが、美食は不幸の始まりみたいなことを言っている動画をyoutubeで見たことがありますが、私は確かにその通りと妙に納得してしまいました。彼曰く、卵かけごはんをおいしいと思えないのは不幸であるとのことなのです。確かに正論と思います。卵かけごはんは確かに安くてしかもとてもおいしいです。頭の中で想像しただけでも幸福感が広がるくらいにおいしいです。卵ごはんを食べるお金もないという人は多分、ほとんどいないと思います。ですから、手に入るところに幸せはごろごろ存在すると言ってもいいかも知れません。卵とお米が自分のところに回ってくるのは物流システムがあるおかげですが、交換は人の本来的な行動であるとレヴィストロースも指摘している通り、物流システムは人間が持つ本来的な「交換したい」という本能に根差しており、突き詰めれば神が人に与えた本性の結果、卵とお米が自分のところに回ってきたと言うこともできると思います(神という言葉を使いましたが、特定の宗教は関係ありません。念のため)
いずれにせよ、そのように実は人は生きているだけで様々なものに恵まれています。寝る場所があり、意見交換をする友達がいて、大抵の人には職業があり、多い少ないはあっても収入があり、卵とお米を買うことができます。このような一見当たり前のことが、実は天の恵みであるということ、自分は恵まれているということに気づくことは精神衛生上、とても良い効果があるのではないかと思います。宗教チックな言い方やお説教的な言い方を避けるとすれば、現状の自分が恵まれていると考える訓練をすることで、精神衛生がより良い状態になり、結果として人生がよくなっていくというテクニカルな問題として論じることも可能と思います。
神様とか天の意思とかそういうものを信じるか信じないかは別にして、現状の自分は恵まれているという訓練は私もなるべくやるようにしています。結果としては頭に来ることや腹が立つことは減少します。人生は主観のみによって構成されていますので、怒りが減少することは即、人生の質が向上したと言っていいはずですから、今後もこのような自己訓練は続けたいと思っています。意図的に幸福感を増幅させるよう訓練することによって、実際に幸福になっていくということは多くの人が提言していることでもあります。また、幸福を感じる自己訓練は、成功する人生への道のりとも思います。
テクニカルな問題として、他者との比較はなるべく避けるべきです。時には他の人と比較することで自分の問題点が見え、改善すべき課題に気づくということもありますから、他人との比較を一切するべきではないとまでは言いませんし、比較するという思考回路がなければ人間の本性である交換が成立しません(自分はAとBを比較した結果、Aの方がよりよいと思うが、手元にはBがある。一方で、Bの方がより良いと思うけど、手元にはAがある人がいて、交換が成立します)。そのように思うと、比較するという思考を一切断ち切ってしまうことは人間性の喪失にもつながりかねませんから、比較することを完全に止めることはできません。しかし、繰り返しになりますがテクニカルな問題として他人と自分を比較し過ぎないように自分の思考に注意すべきではないかと思います。精神衛生上効果があると信じ、私は今日も、自己訓練をしています。
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