人には自分が失敗するのではないかと怯えながら生きていなくてはいけない時期があります。試験や面接、仕事を始めた後も相手とのやり取り、上司とのやり取り、営業、人によっては企業、などなどどれも失敗すると生涯の心に傷になるようなことがごろごろと待ち受けており、必ず誰でも何度かは失敗を経験します。しかし、失敗が成功を生み出す第一歩になるということは人生の努力を進める上で誰もが知っていることとも言えるとも思えます。ですから、自分が失敗することをあまりに恐れすぎることは好ましいことではありません。時に失敗は必要なものであるとすらいるとも思えます。
さて、自分が失敗することに対して敏感な人は他人の失敗に対しても厳しい態度で臨みます。心中では「ああ、失敗したのが自分ではなくてよかった」と思いつつ、他人の失敗をあげつらい、罵り、お前のせいだと責め立て、嘲笑の対象にすらすることもあります。
しかし、そのような人は往々にして自分の失敗に耐えることができません。失敗に耐えることは成功する人生にとって「絶対に必要」ですから、自分自身の失敗に耐えられるようになるための、その方法論の一つとして他人の失敗に対して寛容になることが有効なのではないかと私は思います。
他人の失敗に対して寛容な人は自分の失敗に対しても寛容です。何かをしくじった人をなじらない人は自分がしくじった時にも自分を責めすぎる可能性は低いです。自分にも寛容で、他人にも寛容に。最悪の事態はもちろん想定しておかなくてはいけませんが、最悪の事態を想定しつつも現実的にできることに取り組み、できないことは諦めるという見極めをつける。できないことは諦めることができると、寛容になることができます。寛容は心の余裕を生み、結果としてよりよいパフォーマンスを引き出すことに効果があると思えます。また、寛容は美徳の一つであるとも言えますから、他人にも自分にも寛容になることは倫理、実利の両方の観点から効果があるとも言えます。私もより寛容でいられるよう、努力は続けているつもりです。時に寛容になれない時があります。そんな時はつい自分か他人かを批判したくなります。そこをちょっと一歩引いて寛容な心境で現実と向き合う。これもある種の心理的な訓練かも知れません。
関連記事
席を譲る
道を譲る
少額の募金をする
失敗した自分を赦す
他人を赦す効用