いわゆる仏心で他人を赦すことは、決して難しいことではありません。心理的な訓練を積むことで、少々のことでは腹が立たなくなりますし、それは周囲との関係がよりよいものになるという形でフィードバックを受けることができます。しかし、もっと難しいのは自分を赦すということかも知れません。人には必ずコンプレックスがあります。それは容姿であったり、金銭のことであったり、異性からモテるかどうかということであったり、同性の友人とのことであったり、いろいろあると思います。人には108の煩悩のパターンがあると仏教では言いますが、言い換えればコンプレックスも108パターンあるのではないかと言う気もします。
試験で失敗したり、ビジネスで失敗したり、恋愛で失敗したりすると、なぜ、自分はあの時、もっとうまくやれなかったのかと自分を責めてしまう人は多いはずです。失敗から学んで自分自身が成長していくことは大切なことです。しかし、際限のない自己否定はやがて自分自身を苛み、自分で自分を攻撃してしまうことになりかねません。「私が私であること」に自信を持つことが、失敗から学ぶとしてもその大切な基礎になるのではないかと私は思います。たとえば私は男性で、日本人です。後天的にある程度まで変更を加えることは可能ですが、DNAを変えることは不可能です。「私が私である」「今の自分はこれでいい」ということを出発点にして、今の自分を赦すということをこれも心理的な訓練によって成し遂げていく方が、人生をよりよいものにできるのではないかと私は考えています。もし、今のままでは良くないが出発点になると、自分に無理を科すことになりかねません。無理をすることは失敗への近道です。日本が戦争に敗けたのも、無理に無理を重ねた結果です。そこまで無理を重ねた心理的要因は、「今のままではだめだ」という強い強迫観念があったのではないかと私は様々な資料を読むうちに考えるようになりました。
ですから、現状は現状のままでも充分に素晴らしい、自分は今、この瞬間、充分な存在であり、幸福を楽しむ権利を有していると信じ、その上で、ほしいものを手に入れたり、自分がこうなりたいという理想へ近づくための努力をこつこつゆっくり焦らずにやっていくことが肝要なことのように思えます。コツコツ焦らずゆっくりやること以上にパワーのあるものはありません。山をも動かすパワーになり得ます。焦りは禁物です。焦りは自分に無理を科してしまうというのは上に述べた通りです。今の自分は充分に素晴らしいと自分を納得させることができれば、コツコツゆっくりを無理なく積み重ねることができます。気づけばひと花かふた花くらいは咲いているはず。失敗してもいいという心の余裕が生まれれば、更に成功を呼び込むことにもつながるのではとも思います。
倫理的な問題としてこれについて考えることもできますが、よりよい人生を得るためのテクニカルな手段として、自分を赦すという自己訓練をするのは決して悪くない方法のように思います。具体的には、どうにもできないことについては「しょうがない」と受け入れる。「大丈夫、大丈夫」と自分に呼び掛ける。これと並行して目の前にあることに全力を尽くす、やれることをやり続ける。こんなことを時々思い出して実践するだけで、私は人生は少しだけよくなるように思います。
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