とある情報機関の発行する昭和15年5月21日付の号では「皇民化と教育」という、日本型帝国主義研究の畑としてはそのものずばりとも言えるタイトルの記事があったので、ちょっと紹介してみたいと思います。当該記事の著者は今井盛太郎という人で、台北第二中学校の校長先生をしている人であるとのことです。今井盛太郎さんという人のことについては検索をかけてもよく分かりませんでしたが、台北第二中学校について検索をかけてみたところ、現在の中正区という高級繁華街のエリアに属する地域に存在したということで、抗日運動をする人物を多く輩出したとwikipediaの中国語版には書かれてありました。日本語のバージョンは存在していません。抗日運動の面々についてwikiを深く掘り下げていけばもうちょっといろいろ分かるかも知れないですが、今回は当該の記事に照準を合わせたいと思います。
この記事では、皇民化という言葉は以前からあったが、数年前まではそんなに熱心には言われていなかった。とし、以前は台湾の学生が学校でも平然と台湾語を使っていたが、最近はそういうことはなくなって隔世の感があるし、家庭でも日本語を意識的に使うようになってなかなかめでたいみたいなことが書いてあります。次いで、そもそも「皇民化」とはということについて、日本帝国の人は全員が皇民なのだけれど、使用する言葉、生活習慣、更には血統までもが「内地」と同じになる状態と定義し、過去の例としてなんと坂上田村麻呂の東北遠征を挙げています。即ち、東北の人だって、今では疑いようのない皇民なんだから、台湾の人もそういう風になれるはずとしているわけです。その目玉になるのが創氏改名で、日本風の名前を持てることは台湾人にとって大変な栄誉としたうえで、新しい名前が見ればすぐに台湾人と分かるようなのでは意味がないから、そういう風にならないように、如何にも日本人という感じの名前を持たなくてはいけないとしています。最後のまとめの辺りでは、日本人と台湾人の関係を姑と嫁の関係に例え、嫁は婚家の習慣風習によく馴染むように努力しないといけないが、姑の方も何かといじめるようなことがあってはいけないとしています。
現代人の感覚から言えば、皇民化という政策はわりとナンセンスというか、何のためにそんなことをするのかと訝しく思ってしまいますが、この今井さんという校長先生は大変熱心にこのことについて考えていたらしく、「本島人」を受け入れている学校として、ここまで日本語化が進んだのは結構苦労したみたいなことも書いており、一部には今まで日本語化・皇民化が進んでいなかったことへの批判があるが、そんなに簡単なものじゃねえと言う趣旨のことも書いています。嫁姑の関係に例えて、台湾人をいじめるようなことがあってはいけないという趣旨のことを書いているのは、教師として学生を思う心情がつい吐露されているようにも思え、帝国主義・皇民化政策と学生に嫌な思いはさせたくないというアンビバレントがこの人内面にあったのかも知れません。ただ、当時は皇民化=絶対いいこと。なので、学生の将来を思い願う真っ直ぐな教師として、ゆっくりでもいいから皇民化してくれよという願いがあったようにも思えます。現代の我々の価値観から言えば当然NGですが、今井さんの良心のようなものもちょっと評価してあげたいような気もしなくもありません。
当該の号ではドイツ軍のマジノ線突破(実際には迂回)、チェンバレン首相辞任、満州港皇帝「陛下」日本訪問決定などの情報も入っており、第二次世界大戦がいよいよ本番に入って来たことが分かります。ドイツのポーランド侵略に対しイギリス・フランスが宣戦布告をしたものの、西部戦線ではフランス軍とドイツ軍がにらみ合うだけの「幻の戦争」とも言われましたが、実際の作戦行動に出て、文字通り戦闘状態に入ったわけで、これから、はっきり言えば恐ろしい状態へと突入していくことになります。当時の資料を読むのは精神的なダメージが大きいですが、今後も当面続けたいと思います。
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