昭和史52‐国民徴用令‐「徴用」か「強制労働」か

昭和14年、近衛文麿内閣に於いて国家総動員法が成立しますが、国家総動員法の第四条に基づき、同年7月に国民徴用令という「勅令」が出され、実際に徴用が実施されます。一応、国家総動員法の第四条の内容を確認しておきたいと思います。

国家総動員法 第四条
政府ハ戦時二際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令の定ムル所二依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務二従事セシムルコトヲ得但シ兵役法ノ適用ヲ妨ゲズ

となっています。簡単に言うと、勅令によって国民に強制的に労働させることができるが、兵隊さんになる人は別枠という感じに捉えていいのではないかと思います。で、国民を徴用するためには前提として「勅令」が必要になります。その勅令が「国民徴用令」ということになります。この徴用が強制労働なのか、奉仕活動みたいなものなのかで今も果てしない論争が続けられていて、ちょっとブログで書くのも怖い気がするのですが、私が把握できている範囲で書いてみたいと思います。

この徴用令によって同年7月から内地での徴用が始まるわけですが、徴用は事前に日本全国津々浦々にどんな人がどんな技能を持っているかを行政が把握し、必要に応じて技能を持つもの(または体力があると認められるもの)を呼び出してお国のために仕事をしてもらうということになるわけですが、問題は植民地の人たちを徴用したケースということになります。検索をかけた範囲で分かったことは、朝鮮半島では昭和19年8月から徴用が始まり、終戦の直前まで人材が必要なところに送られたようです。尤も、終戦直前のころはアメリカ軍の潜水艦や飛行機が日本列島周辺をうようよしていたため、人員の輸送そのものが困難になったようですが、そうなる前に内地に送り込まれた人たちは、徴用された先で終戦を迎えたことになります。

私の追いかけている資料の昭和14年10月11日付の号では、同年10月から台湾でも徴用が始まるという内容のことが書かれてありました。その実施の方法については、やはり事前にどこにどんな技能を持った人材がいるかを各地の行政が把握しておき、総督府が必要な人材を地方行政機関に求めた場合、事前の調査に基づいて人材を選び、必要な場所に送り込むという流れになっていたようで、徴用された人の旅費については行政が負担するということも明記されてありました。ただ、気がかりなのは、朝鮮半島では昭和19年から徴用が始まったのに対し、台湾では昭和14年から徴用が始まったというこの時間的な差異の意味するところです。案外、日本帝国は朝鮮半島には遠慮があったのかも知れません。当時の日本帝国の感覚としては台湾は日清戦争の戦利品ですから、わりと好きに使っていいと思えた反面、朝鮮半島は実質的には植民地でも名目上は対等合併で、嫌がる相手を無理やり嫁さんにしたみたいな感覚があって、ちょっと後ろ暗いところがあったのではと、とついつい想像してしまいます。私は朝鮮半島の事情には明るくないので、言い切ってしまうことには不安があるのですが、台湾の方が帝国による支配の期間が長いですから、行政の「管理」が行き届き、いろいろやりやすかったのかも知れません。ただ、私が読んだ当該の資料では、細部にすいては現在も「考究中」とも書かれてあったので、制度としては作っても、実際に機能したかどうかまでは確認できているわけではありません。資料を読み進めるうちに、その辺りも分かるようになるかも知れませんから、しばらくは当該の資料に目を通し続けたいと思います。

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